第12話
文字数 4,542文字
調査 十日目
今朝の食卓はたまごサンドとハムとレタス、それにチーズを挟んだサンドイッチだ。たまごサンドはゆで卵を荒く崩したものを使い、食べるときに少しこぼれてしまうくらいたっぷりと入れている。
以前、初めて若宮さんにサンドイッチを作ろうとしたとき、中身は何がいいか尋ねると「中身は市販品の五倍くらいの厚みがいい」と言ってきた。中身を尋ねたのだが厚みで答えてきたので、ボクは要望通り五倍とまではいかない、こぼれ落ちるほどのサンドイッチを作ることにした。
たしか……今日と同じたまごサンドと、あとはエビとアボカドのサンドイッチを作ったはずだ。若宮さんは、できあがったサンドイッチを食べると「すごくおいしい」と、満足そうな顔をしたので、ボクは笑ってしまったのを覚えている。それからサンドイッチを作るときには、必ずこぼれ落ちるほど中身を入れようと決めたのだ。
そのこぼれ落ちるほどの中身の入ったたまごサンドを食べるため若宮さんは、口を開きかけたが口にすることなく「世羅くん」とボクの名を呼んだ。
「心中したのは……」
「依頼人のおば様の『小野寺ヱイ』さんと、『太宰鯛蔵』です」
突然の質問に、ボクは亡くなった二人の氏名を伝える。
「男の方は……自殺未遂を繰り返していたんだよね?」
「はい。自殺未遂は、数年前から繰り返していたそうです。放蕩の限りをつくし、親から仕送りを止められそうなるとカルモチンを飲んでは騒ぎを起こし、周囲に迷惑をかけていたみたいです」
到底、朝には似つかわしくない会話が繰り広げられている。
「出版社と……何日か後に……」
若宮さんはボクのまとめられていないメモへ、すべて目を通してくれたのだろう。新聞記事の写しや、ボクの聞き込みの内容をうる覚えながらも口にした。
「翌日です。心中が決行された翌日に、出版社と会う約束をしていました。ただ、これは親が息子のために口利きをして、形だけ会うことになっていたようです」
それを聞いた若宮さんはようやく手にしていたサンドイッチを口にしたので、ボクはその間に話の補足をする。
「太宰鯛蔵の近所に住んでいた方からの証言では、本を読むような男ではなく、ましてや小説を書くような人物ではなかったそうです。小説家の太宰の心中事件があってから突如、小説家を名乗るようになり、太宰治の小説を何冊か買っただけで、とくには何もしてないみたいです。あと結婚はしていましたが、借金をしてまで歓楽街へあしげく通っていたらしく、目撃証言は亡くなる前日までありました」
若宮さんはサンドイッチをきちんと飲み込むと、次の質問をしてきた。
「最後の目撃情報は……」
「隣の家に住んでいたお子さんです。昼前にヱイさんからお菓子をもらおうと薬局を訪れたとき、ちょうど太宰がヱイさんを連れ出して店を出て行くのを見たのが最後です」
「男の……ご妻君については、何か聞けた?」
「いえ、それがほとんど何も証言を得られませんでした。太宰鯛蔵の悪評は皆さん口々に教えてくださったんですが、ご妻君については後ろについて歩いたのを見たことがある程度で、とくに印象に残るような人物ではなかったようです」
若宮さんは顔を上げ、視線をボクに移す。
「さすがだね、これで間違いないよ。ありがとう」
若宮さんが満足そうに笑うと、ボクは何だか誇らしい気分になる。
「でも、不思議ですね」
ボクの疑問に若宮さんは「何が?」と、目だけで訴えてくる。今かじったばかりのサンドイッチが口の中に入っているからだ。
「聞き込みの太宰は、女性や子供には横暴だったんですよ。でも、ヱイさんの日記に出てくるダザイ様は、臆病で引っ込み思案で……同じ太宰とは思えないんですよね。恋は盲目なのか……ヱイさんがしっかり者だから、強く出られず本性を隠していたのか……」
ボクが一人考えていると、突然若宮さんが「君は!」と一言発して、笑い始めた。笑いが止まらないのか「……そこまでわかっているのに……」と下を向きながら、次の言葉を続けることに手こずっている。
ボクは笑われている理由はわからなかったが、若宮さんがあまりにも楽しそうに笑っているので、嫌な気分ではない。だが、サンドイッチを喉に詰まらせてもいけないので、グレープジュースを勧め、飲んでもらう。若宮さんは少し落ち着きを取り戻し、ボクを優しげな目で見つめながら口を開く。
「君のご両親は素晴らしい。まっすぐ、素直だ、君は」
若宮さんは、なぜかボクの両親を褒めてくれた。
「まあ、おかげでおば様が首謀者だってことが判明したよ」
「どういうことですか?」
ボクは太宰鯛蔵の人となりを調べた結果、少なからずとも男が主導したと思っていたのに、若宮さんはまったく正反対の結果を口にした。
「カルモチンでは、なかなか死ぬことはできないだろ?」
「はい。ただの睡眠薬ですし、過剰摂取による嘔吐で窒息することはありますけど……難しいと思います」
「おば様は薬に詳しかったし、男は常習していて詳しかった。そういうことだよ」
若宮さんはそれだけ言うと、もう一口サンドイッチをかじる。口の中に食べ物が入っている間、話をすることを嫌う人だから、ボクはその間に自分なりに考える。
「死ぬ気は……なかった、ってことですか?」
若宮さんは小さく何度かうなずき、口にある物を飲み込み終えると教えてくれた。
「少なくとも男の方はね。出版社との打ち合わせで、小説を書いていない事実が親にばれるのを恐れたんだろ。いつものように体裁を気にして、自殺未遂で現実から逃げようとしただけだ」
「でも……それなら、心中に誘ったのは太宰鯛蔵なんですよね?」
「そう考えた方が自然だね」
「どうして、ヱイさんが首謀者になるんです?」
「火を放ったのがおば様だから」
二人が発見されたのは太宰鯛蔵の親が所有していた別宅で、火事により消失している。新聞記事でも、聞き込みでもそれは間違いない。でも死ぬ気がなかったのなら、火は過失による物ではないかと考えていると、若宮さんがそれを察したのか詳しく説明してくれた。
「男は死ぬ気はなかった。もし、本当に太宰治に憧れて死を選ぶなら、一日待って発見された命日に死ぬはずだよ。まあ、正確には命日ではなく誕生日だけどね。死ぬ気はなかったが心中事件を起こせば、まるで太宰治のようだと自己陶酔に浸れるし、出版社とも会わなくてもすむ。それを利用したのが、おば様だ」
「ヱイさんは死ぬ気だったってことですか?」
「まぁ……そうだね。選択肢がそれ以外残っていなかったんだろうよ、おば様には。おば様は男に脅されていた。家族に迷惑をかけたくないし、ダザイ様も助けたかったんじゃないかな? ダザイ様は、いつも男に怯えていたようだし」
「ダザイ様を……心中で……助ける……?」
ボクが理解できないでいると、若宮さんはとてつもなく重要なことを口にした。
「あ、日記のダザイ様っていうのは、男の妻だよ」
「男の妻って――『太宰かなえ』ですか!?」
突然、太宰鯛蔵のご妻君の名が登場してきた。何がどうなっているのか、ボクは混乱しっぱなしだ。
「おば様が火を放ったのは、男を確実にあの世に送るためだ。男と一緒にカルモチンを飲むフリをして、相手が眠ったあと火を放ったんだろ。心中を利用したっていうのは、自殺で片付けられたいからだよ。おば様が自ら手を下してしまえば、本当に殺人犯になってしまうだろ? そんなことをしてしまえば、家族に迷惑がかかる。自分が死んだあとのことまで考えるなんて、おば様は本当に聡明で、情の深い方のようだね」
若宮さんは手にサンドイッチを持ったまま、口にすることなく話を続ける。
「『ダザイ様』が太宰かなえ、『あの男』が太宰鯛蔵。それを頭に入れて、もう一度日記を読めば関係性がはっきりするし、新聞記事と聞き込みの矛盾は解消されるよ」
「つまり……ヱイさんが恋をしていたのが太宰かなえで、脅していたのが……太宰鯛蔵ということですか?」
「さすがだね、世羅くん」
若宮さんは、やはりサンドイッチを持ったまま、さらに話を続ける。
「もう少し補足すると、おば様が男に脅しを受けたきっかけは『かんざし』だ」
「かんざし?」
「あぁ。かんざしのことは、一度も日記には出てこないだろ?」
ボクは日記の内容を思い出していたが、日記に「かんざし」という単語は出てきていない。
「たしか、新聞記事に『かんざしを盗まれた』、という証言があったと思うんだけど……」
「あります。太宰かなえの証言です」
その記事を見たボクは、夫婦そろって嫌な人物だなと思ったのだ。
「おそらく妻は夫の「カルモチン」代に困り、代金代わりに自分のかんざしをおば様に渡したんだろうね。そして、それが仇となったんだ」
「あだ……ですか?」
「あぁ、かんざしというのは身につける物だろ? 好意を寄せている相手の身につけている物を手に入れたら、嬉しくて日記へ書き留めると思うんだけど……違う?」
若宮さんは日記を書かない人だから、若干自信がないのだろう。日記を書いているボクに確認を入れてきた。
「そうですね。頂き物は……書きますね」
そう言われてみると、ボク自身も若宮さんからもらったハンカチやボールペンなど、贈り物とまではいかないが何かを貰ったときは日記に書き留めている。ボクの返答に満足したのか、若宮さんは話を続ける。
「かんざしのことが書かれていなかったのは、かんざしを手にしたその日に、男に見られてしまったんだろうよ。かんざしを頬ずりなり、口づけするなりしていた所をね。手で握りしめていたくらいじゃ、誰もなんとも思いやしないから、それが脅しのきっかけになったはずだ。そんなこと、日記に書けやしないだろ?」
そう言い終えると、若宮さんは手にしていたかじりかけのサンドイッチをすべて口に放り込んだ。そんな動作すら、優美さを感じさせる。
「でも……それじゃあ、おばあ様が悲しみますね」
またも口にサンドイッチが入ったままなので、若宮さんは「何が?」と、目だけで訴えてきた。
「おばあ様は、ヱイさんの無実を信じていたんですよ。なのに……この結果じゃ、がっかりさせてしまいます。体調も良くないのに……」
ボクは自分が調べた調査結果が、おばあ様の期待にそうことができなかったことを残念に思っていると、サンドイッチを綺麗に飲み込み終わった若宮さんが首を横に振る。
「問題ない、世羅くん。すべては順調だ」
そう断言すると若宮さんはハムとレタス、それにチーズを挟んだサンドイッチを手に取り「君の料理は本当においしいね」と、満足そうに口に運んだ。
◇
太斉は奇妙なくらい浮かれていた。昨日までの怯えた態度は消え、表情は明るい。以前のように生徒たちへ話しかけ、美術教師が間に入って邪魔をすると「もう、やめてください! これじゃあ、生徒と交流がもてないじゃないか!!」と、反論したのだ。その変わりように生徒も美術教師もあっけにとられたが、やはり美術教師が「とる必要ありません!!」と宣言してしまった。
騒ぎを聞きつけた別の教師が、あわてて二人を校長室へと連れて行く。生徒たちは不倫ではなく美術教師の一方的な片思いだったのかと、噂に決着をつけようとしていた。
今朝の食卓はたまごサンドとハムとレタス、それにチーズを挟んだサンドイッチだ。たまごサンドはゆで卵を荒く崩したものを使い、食べるときに少しこぼれてしまうくらいたっぷりと入れている。
以前、初めて若宮さんにサンドイッチを作ろうとしたとき、中身は何がいいか尋ねると「中身は市販品の五倍くらいの厚みがいい」と言ってきた。中身を尋ねたのだが厚みで答えてきたので、ボクは要望通り五倍とまではいかない、こぼれ落ちるほどのサンドイッチを作ることにした。
たしか……今日と同じたまごサンドと、あとはエビとアボカドのサンドイッチを作ったはずだ。若宮さんは、できあがったサンドイッチを食べると「すごくおいしい」と、満足そうな顔をしたので、ボクは笑ってしまったのを覚えている。それからサンドイッチを作るときには、必ずこぼれ落ちるほど中身を入れようと決めたのだ。
そのこぼれ落ちるほどの中身の入ったたまごサンドを食べるため若宮さんは、口を開きかけたが口にすることなく「世羅くん」とボクの名を呼んだ。
「心中したのは……」
「依頼人のおば様の『小野寺ヱイ』さんと、『太宰鯛蔵』です」
突然の質問に、ボクは亡くなった二人の氏名を伝える。
「男の方は……自殺未遂を繰り返していたんだよね?」
「はい。自殺未遂は、数年前から繰り返していたそうです。放蕩の限りをつくし、親から仕送りを止められそうなるとカルモチンを飲んでは騒ぎを起こし、周囲に迷惑をかけていたみたいです」
到底、朝には似つかわしくない会話が繰り広げられている。
「出版社と……何日か後に……」
若宮さんはボクのまとめられていないメモへ、すべて目を通してくれたのだろう。新聞記事の写しや、ボクの聞き込みの内容をうる覚えながらも口にした。
「翌日です。心中が決行された翌日に、出版社と会う約束をしていました。ただ、これは親が息子のために口利きをして、形だけ会うことになっていたようです」
それを聞いた若宮さんはようやく手にしていたサンドイッチを口にしたので、ボクはその間に話の補足をする。
「太宰鯛蔵の近所に住んでいた方からの証言では、本を読むような男ではなく、ましてや小説を書くような人物ではなかったそうです。小説家の太宰の心中事件があってから突如、小説家を名乗るようになり、太宰治の小説を何冊か買っただけで、とくには何もしてないみたいです。あと結婚はしていましたが、借金をしてまで歓楽街へあしげく通っていたらしく、目撃証言は亡くなる前日までありました」
若宮さんはサンドイッチをきちんと飲み込むと、次の質問をしてきた。
「最後の目撃情報は……」
「隣の家に住んでいたお子さんです。昼前にヱイさんからお菓子をもらおうと薬局を訪れたとき、ちょうど太宰がヱイさんを連れ出して店を出て行くのを見たのが最後です」
「男の……ご妻君については、何か聞けた?」
「いえ、それがほとんど何も証言を得られませんでした。太宰鯛蔵の悪評は皆さん口々に教えてくださったんですが、ご妻君については後ろについて歩いたのを見たことがある程度で、とくに印象に残るような人物ではなかったようです」
若宮さんは顔を上げ、視線をボクに移す。
「さすがだね、これで間違いないよ。ありがとう」
若宮さんが満足そうに笑うと、ボクは何だか誇らしい気分になる。
「でも、不思議ですね」
ボクの疑問に若宮さんは「何が?」と、目だけで訴えてくる。今かじったばかりのサンドイッチが口の中に入っているからだ。
「聞き込みの太宰は、女性や子供には横暴だったんですよ。でも、ヱイさんの日記に出てくるダザイ様は、臆病で引っ込み思案で……同じ太宰とは思えないんですよね。恋は盲目なのか……ヱイさんがしっかり者だから、強く出られず本性を隠していたのか……」
ボクが一人考えていると、突然若宮さんが「君は!」と一言発して、笑い始めた。笑いが止まらないのか「……そこまでわかっているのに……」と下を向きながら、次の言葉を続けることに手こずっている。
ボクは笑われている理由はわからなかったが、若宮さんがあまりにも楽しそうに笑っているので、嫌な気分ではない。だが、サンドイッチを喉に詰まらせてもいけないので、グレープジュースを勧め、飲んでもらう。若宮さんは少し落ち着きを取り戻し、ボクを優しげな目で見つめながら口を開く。
「君のご両親は素晴らしい。まっすぐ、素直だ、君は」
若宮さんは、なぜかボクの両親を褒めてくれた。
「まあ、おかげでおば様が首謀者だってことが判明したよ」
「どういうことですか?」
ボクは太宰鯛蔵の人となりを調べた結果、少なからずとも男が主導したと思っていたのに、若宮さんはまったく正反対の結果を口にした。
「カルモチンでは、なかなか死ぬことはできないだろ?」
「はい。ただの睡眠薬ですし、過剰摂取による嘔吐で窒息することはありますけど……難しいと思います」
「おば様は薬に詳しかったし、男は常習していて詳しかった。そういうことだよ」
若宮さんはそれだけ言うと、もう一口サンドイッチをかじる。口の中に食べ物が入っている間、話をすることを嫌う人だから、ボクはその間に自分なりに考える。
「死ぬ気は……なかった、ってことですか?」
若宮さんは小さく何度かうなずき、口にある物を飲み込み終えると教えてくれた。
「少なくとも男の方はね。出版社との打ち合わせで、小説を書いていない事実が親にばれるのを恐れたんだろ。いつものように体裁を気にして、自殺未遂で現実から逃げようとしただけだ」
「でも……それなら、心中に誘ったのは太宰鯛蔵なんですよね?」
「そう考えた方が自然だね」
「どうして、ヱイさんが首謀者になるんです?」
「火を放ったのがおば様だから」
二人が発見されたのは太宰鯛蔵の親が所有していた別宅で、火事により消失している。新聞記事でも、聞き込みでもそれは間違いない。でも死ぬ気がなかったのなら、火は過失による物ではないかと考えていると、若宮さんがそれを察したのか詳しく説明してくれた。
「男は死ぬ気はなかった。もし、本当に太宰治に憧れて死を選ぶなら、一日待って発見された命日に死ぬはずだよ。まあ、正確には命日ではなく誕生日だけどね。死ぬ気はなかったが心中事件を起こせば、まるで太宰治のようだと自己陶酔に浸れるし、出版社とも会わなくてもすむ。それを利用したのが、おば様だ」
「ヱイさんは死ぬ気だったってことですか?」
「まぁ……そうだね。選択肢がそれ以外残っていなかったんだろうよ、おば様には。おば様は男に脅されていた。家族に迷惑をかけたくないし、ダザイ様も助けたかったんじゃないかな? ダザイ様は、いつも男に怯えていたようだし」
「ダザイ様を……心中で……助ける……?」
ボクが理解できないでいると、若宮さんはとてつもなく重要なことを口にした。
「あ、日記のダザイ様っていうのは、男の妻だよ」
「男の妻って――『太宰かなえ』ですか!?」
突然、太宰鯛蔵のご妻君の名が登場してきた。何がどうなっているのか、ボクは混乱しっぱなしだ。
「おば様が火を放ったのは、男を確実にあの世に送るためだ。男と一緒にカルモチンを飲むフリをして、相手が眠ったあと火を放ったんだろ。心中を利用したっていうのは、自殺で片付けられたいからだよ。おば様が自ら手を下してしまえば、本当に殺人犯になってしまうだろ? そんなことをしてしまえば、家族に迷惑がかかる。自分が死んだあとのことまで考えるなんて、おば様は本当に聡明で、情の深い方のようだね」
若宮さんは手にサンドイッチを持ったまま、口にすることなく話を続ける。
「『ダザイ様』が太宰かなえ、『あの男』が太宰鯛蔵。それを頭に入れて、もう一度日記を読めば関係性がはっきりするし、新聞記事と聞き込みの矛盾は解消されるよ」
「つまり……ヱイさんが恋をしていたのが太宰かなえで、脅していたのが……太宰鯛蔵ということですか?」
「さすがだね、世羅くん」
若宮さんは、やはりサンドイッチを持ったまま、さらに話を続ける。
「もう少し補足すると、おば様が男に脅しを受けたきっかけは『かんざし』だ」
「かんざし?」
「あぁ。かんざしのことは、一度も日記には出てこないだろ?」
ボクは日記の内容を思い出していたが、日記に「かんざし」という単語は出てきていない。
「たしか、新聞記事に『かんざしを盗まれた』、という証言があったと思うんだけど……」
「あります。太宰かなえの証言です」
その記事を見たボクは、夫婦そろって嫌な人物だなと思ったのだ。
「おそらく妻は夫の「カルモチン」代に困り、代金代わりに自分のかんざしをおば様に渡したんだろうね。そして、それが仇となったんだ」
「あだ……ですか?」
「あぁ、かんざしというのは身につける物だろ? 好意を寄せている相手の身につけている物を手に入れたら、嬉しくて日記へ書き留めると思うんだけど……違う?」
若宮さんは日記を書かない人だから、若干自信がないのだろう。日記を書いているボクに確認を入れてきた。
「そうですね。頂き物は……書きますね」
そう言われてみると、ボク自身も若宮さんからもらったハンカチやボールペンなど、贈り物とまではいかないが何かを貰ったときは日記に書き留めている。ボクの返答に満足したのか、若宮さんは話を続ける。
「かんざしのことが書かれていなかったのは、かんざしを手にしたその日に、男に見られてしまったんだろうよ。かんざしを頬ずりなり、口づけするなりしていた所をね。手で握りしめていたくらいじゃ、誰もなんとも思いやしないから、それが脅しのきっかけになったはずだ。そんなこと、日記に書けやしないだろ?」
そう言い終えると、若宮さんは手にしていたかじりかけのサンドイッチをすべて口に放り込んだ。そんな動作すら、優美さを感じさせる。
「でも……それじゃあ、おばあ様が悲しみますね」
またも口にサンドイッチが入ったままなので、若宮さんは「何が?」と、目だけで訴えてきた。
「おばあ様は、ヱイさんの無実を信じていたんですよ。なのに……この結果じゃ、がっかりさせてしまいます。体調も良くないのに……」
ボクは自分が調べた調査結果が、おばあ様の期待にそうことができなかったことを残念に思っていると、サンドイッチを綺麗に飲み込み終わった若宮さんが首を横に振る。
「問題ない、世羅くん。すべては順調だ」
そう断言すると若宮さんはハムとレタス、それにチーズを挟んだサンドイッチを手に取り「君の料理は本当においしいね」と、満足そうに口に運んだ。
◇
太斉は奇妙なくらい浮かれていた。昨日までの怯えた態度は消え、表情は明るい。以前のように生徒たちへ話しかけ、美術教師が間に入って邪魔をすると「もう、やめてください! これじゃあ、生徒と交流がもてないじゃないか!!」と、反論したのだ。その変わりように生徒も美術教師もあっけにとられたが、やはり美術教師が「とる必要ありません!!」と宣言してしまった。
騒ぎを聞きつけた別の教師が、あわてて二人を校長室へと連れて行く。生徒たちは不倫ではなく美術教師の一方的な片思いだったのかと、噂に決着をつけようとしていた。
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