第2話
文字数 4,843文字
依頼人面接
「『目明かし堂』の若宮です。こちらは僕の……」
若宮さんは、隣に立つボクへ目配せをして挨拶を促す。
「驚かせてすみません。世羅と申します。若宮の助手兼、運転手です」
突然、声をかけられた男子高校生は驚いた表情でボクらを見る。
当然だ。依頼人が指定した場所とはいえ、ファミリーレストランの前で背の高い中年男二人が、前置きもなく自己紹介してくるのだから驚くに決まっている。相手が依頼人か確認してから自己紹介するよう、いつもお願いしているが『どうせ依頼人だろ。めんどくさい』と、若宮さんから一蹴りにされてしまっている。
声をかけられた高校生は驚きながらも、手にしていた目印となる、若宮さんからの返信はがきをこちらに向けて見せてくれた。
「和田衛(まもる)です……よろしくお願いします」
若宮さんより、少しだけ背が低くいだろうか? 目元が涼しげで一般受けする顔立ちをしており、全体的に成長期らしい線の細さが目立っていた。
◇
五月の昼下がり。ゴールデンウィークが終わったばかりの平日のためか、店内の人気はまばらだ。向かい合わせのソファ席に案内され、若宮さんとボク、そしてテーブルを挟んで高校生が座る。学ランを着ているので学校の帰りだろう。
「おばあ様のご容態はどうですか?」
若宮さんが本題へ入る前に、ボクは高校生に尋ねた。
確か、依頼の手紙には心臓を悪くして入院したと書かれていたはずだ。
「今は安定しています。退院は、もう少し先なんですけど……」
今回の依頼人はこの高校生ではなく、彼の母方の祖母にあたる『和田キヨ』さんだ。
ただ残念なことに、本人の具合が悪いため、孫である彼が『依頼代理人』として来てくれたというわけだ。
「あの……」
高校生は、言いにくそうに「すみません、髪が……」と、若宮さんの頭部についている寝癖を指さした。
「あぁ、気にしないでください! 特異な髪質の問題で直らないんです」
ボクは左下にある若宮さんの頭の『はね』部分を何度かなでつけ、その行為が意味を持たないことを証明する。
ちなみに、今日は前髪がはねている。
若宮さんは気にすることなく、相手へ本題に入るように促した。
「手紙にも書きましたが、祖母のおばにあたる人を調べてほしいんです」
「特殊な形で……命を落とされたと書かれていましたが?」
「はい」
高校生は年に似合わない、落ち着いた声で話し始めた。
ボクは基本的に会話には加わらず、若宮さんの横でメモ係に徹している。
「おばは……売れない小説家の男と無理心中をしました。だけど、祖母はそれを信じていません」
「これを……」と、高校生は鞄から年代を感じさせるノートを取り出し、若宮さんへと渡す。
「おばの日記です。そこに書かれている『ダザイ様』というのが、心中相手です」
若宮さんは手渡された日記の表裏を確認し、パラパラとめくる。日記には綺麗な筆跡で『ダザイ様』の文字が、何度も登場していた。
「祖母は、おばが『ダザイ』にたぶらかされた、と言っていますが……ただ、僕が日記を読んだ限りでは、おばが一方的に思いを寄せて――」
「お亡くなりになったのは、いつですか?」
突然の質問に、高校生は驚いた顔で若宮さんを見る。
返答をうながすためか、若宮さんは日記から視線をはずし、高校生へと向けた。
目のあった高校生はあわてて答えようとする。
「あっ、えぇ……はいっ。あのっ……なくなったのはっ」
「すみません。ゆっくりで大丈夫ですよ」
若宮さんは雰囲気のある人だから、いきなり目が合って緊張したのだろう。落ち着いてもらうため、ボクは笑顔で高校生に声をかけた。
若宮さんはちらりとボクを見て、また視線を日記に落とす。
「あっすみません。あのっ……たしか……六月十七日だったと思います」
「他の日記はどうされたんです?」
高校生は立て続けの質問に、うろたえた表情で若宮さんを見る。若宮さんは高校生に目を向けることなく、質問の意味を伝えた。
「おば様はほぼ毎日、日記を書かれています。この日記は最後まで書き終えてますので、最低あと一冊はあると思うんですが」
「す……みません。僕が祖母から渡された日記は、それだけです。探した方がいいですか?」
高校生が恐る恐る若宮さんへ問うと、若宮さんは必要ないと小さく首を横に振り、今度は亡くなった日付を再度、確認する。
「亡くなったのは、六月十七日で間違いはありませんか?」
「たぶん……大丈夫だと思います。祖母から聞いたので……大丈夫です」
高校生は自信をなくしたのか、二度も「大丈夫」という言葉を使う。おば様について聞き出すのは難しいと判断したのか、しばらくの沈黙のあと、若宮さんはおばあ様への質問に切り替えた。
「おばあ様は、臆病な方ですか?それとも大胆な方ですか?」
確実に返答できる質問にほっとしたのか、高校生は落ち着きを取り戻して答える。
「あの……そうですね。どちらかといえば大胆だと思います。臆病ではありません」
「決断力はどうですか?」
「決断力は……あると思います」
「優柔不断ではないと?」
「あっはい。優柔不断ではない……です」
若宮さんは日記から手を離し、両手の指先をそろえたかと思うと、指をくんだり開いたりを繰り返している。考え込んでいる時のクセだ。視線は日記から外さない。
「この日記はおばあ様が所有なさっていたんですよね?」
「はい」
「日記を読まれた方は、他にもいらっしゃいますか?」
「いえ……祖母と僕だけの秘密です」
「わかれば……でいいんですが。おば様は、どちらで最期を迎えられたんです?」
「たぶん……埼玉だと思います。祖母の生まれがそちらなので。すみません、詳しく聞くのを忘れていました」
高校生は申し訳なさそうな顔をしたが、若宮さんは特に気にすることなく、ボクの方へ振り向く。
「今は……世羅くん」
「東京の――市です」と、ボクは依頼人のおおざっぱな住所を伝える。
今日の待ち合わせ場所から、電車で四十分くらい離れている隣の市だ。
「東京で、ご同居されているんですよね?おばあ様のお家で」
「はい。僕が幼稚園のときに祖父が亡くなったので、母の提案で、僕ら家族が一緒に住むことになったと聞いています」
「おばあ様はいつ頃から東京に?」
「あ……すみません。それも聞いてないです。たぶん、祖父と結婚してからだと思うんですけど……聞いた方がいいですか?」
若宮さんは小さく首を横に振り、必要ないことを告げる。
「ご依頼内容は――頂いた手紙にも書かれていましたが、『おば様の最期』の真相でよろしいんですか?」
依頼内容を確認するように聞かれると、高校生は少しうろたえた様子で答える。
「そっ……れで、お願いします」
「世羅くん――」若宮さんは優雅に手のひらを差しだし、ボクに契約書を出すよう促した。
ボクは内心驚いていた。
いつもなら、面倒くさがりの若宮さんに代わり、ボクが依頼人へ契約書を渡し、説明をしているからだ。何か思うことがあるのだろうか?
ボクは不思議に思いながらも、若宮さんの鞄の中から契約書とボールペンを取り出し、手渡した。しばらく契約書を見つめた後、若宮さんは下手……ではないが、独特のいびつな字で『依頼人名』と印字されたその下に『依頼代理人名』と書き込み、ボールペンと一緒に高校生へ手渡す。
「こちらに、あなたのお名前をご記入ください」
ボクらが見つめる中、高校生はゆっくりと慎重に『和田衛』と署名した。
「あとはご自宅に持ち帰って、おばあ様の署名もお願いします」
「書いたら……郵送すればいいですか?」
「いえ、調査報告の時にお持ちください。間違いがあってはいけませんので」
若宮さんは、また両手の指先をそろえる。
「では――本来なら、入金を持って依頼開始とするんですが。おばあ様が入院されたことを考慮して、後払いで結構です」
「あの……大丈夫です。お金は準備します」
「いえ、入院費というものは馬鹿にならないですからね。少しでも精神的負担を取り除いて差し上げたいのです。僕の調査料は、一般的にお安くありませんし、それに……」
若宮さんは、右手で顎をさわりながら高校生が持つ契約書を見つめる。
「間違いがあってはいけませんので」
高校生は若宮さんの態度に、どこか不安そうなまなざしをこちらに向け、「よろしくお願いします」とか細い声で答えた。
◇
「どうして白い封筒だったんですかね?」
車で帰宅途中、ボクは若宮さんへ素朴な疑問を投げかけた。
なぜなら、高校生から送られてきた封筒の色が「白色」だったからだ。
「目明かし堂」への依頼は紹介制になっており、紹介者が封筒の色を指定することから始まる。
依頼者は指定された色の封筒を用意し、目明かし堂の私書箱宛てに手紙を送る。届いた依頼内容を若宮さんが気に入れば、返信はがきを出し、そこで初めて対面することになっていた。若宮さんが気に入らなかった依頼は、もちろん放置されたままとなる。
封筒については「白色」「茶色」の二種類あり、それぞれが意味を持っている。
「白色」は若宮さんが嫌うであろう依頼人、「茶色」は若宮さんが好ましく思う依頼人。紹介者が事前に封筒の色を指定するのは――ようは、紹介者が人嫌いの若宮さんへ、依頼人がどんな人物かを事前に知らせる仕組みになっているのだ。
そして、今回送られてきた依頼の封筒は「白色」だった。
「おばあ様が……過激な方なんですかね」
高校生は控えめで、若宮さんの嫌うような人物ではなかった。
ただ、代理人として来ていたので、本当の依頼主であるおばあ様は好ましくない人物だという可能性もある。
「どうだろうね」
助手席に座る若宮さんは、自分の鞄を開け、手のひらより少し小さめの桐箱に入った、大粒の白いこんぺいとうをひとつ取り出し、口に放り込む。
「よかったんですか?契約書も入金もないまま、依頼開始なんて」
「よくはないね。まぁ、でも……仕方がない。なにせ相手が高校生だもの」
「でも、依頼人はおばあ様なんですよね?依頼手紙も『和田キヨ』さんから来てましたし。契約書、郵送で送ってもらえばいいんじゃないですか?」
「正確には差出人名が『和田キヨ』さん――だね」
「どういう意味です?」
こんぺいとうが大きいせいなのか、若宮さんの口が小さいためか、若宮さんの口の中からカコカコと金平糖が歯にあたる音がする。
「僕の経験上、字の上手さに性格は表れることはないね。けど、字の筆圧や勢い、羅列には現れるんだ。それでいうと、依頼の手紙は筆跡が弱く、とても繊細な字だ。高校生から聞いた、おばあ様の性格とは一致しない」
「あの子が、代筆したんじゃないですか?」
「まあ、そうだろうね」
代理人を孫に頼むくらいだから、普段から仲がいいのだろうとボクが考えていると、若宮さんが新たな疑問を口にした「ただ――」
「彼が書いた契約書の字が手紙とは違ったよ。代筆なら、あの子の字と手紙の字は、一致しなきゃいけない」
「じゃあ、誰か他の人が?」
「いや、あの高校生だろう」
若宮さんは、きっぱりと言い切った。
今し方、高校生の字とは違うと言ったばかりだというのにどういうことだ。
「日記は二人の秘密だって言っていたから、それが本当であれば第三者が書いたとは考えにくい。単純に、おばあ様の手紙を封筒ごとすり替えたんじゃないかな。おばあ様によって記入された手紙と封筒を、自分で用意した物にすり替えた。それを隠すため、契約書の筆跡を変えたんだ。すべて同じ字だと怪しまれるだろ? やけに丁寧に書いていたけど、文字の大きさや文字の間隔が手紙と一緒だったしね」
なるほど。そういうことなら封筒の色も、筆跡が違う理由も納得がいく。
「大丈夫なんですか?この依頼受けても……」
ボクは不安に思い、再度若宮さんへ確認する。
「とりあえず、日記を読んでからかな。タダ働きはゴメンだ」
若宮さんはそう言い終えると、まだ口の中で溶けきっていなかったこんぺいとうを、がりっと、かみ砕いた。
「『目明かし堂』の若宮です。こちらは僕の……」
若宮さんは、隣に立つボクへ目配せをして挨拶を促す。
「驚かせてすみません。世羅と申します。若宮の助手兼、運転手です」
突然、声をかけられた男子高校生は驚いた表情でボクらを見る。
当然だ。依頼人が指定した場所とはいえ、ファミリーレストランの前で背の高い中年男二人が、前置きもなく自己紹介してくるのだから驚くに決まっている。相手が依頼人か確認してから自己紹介するよう、いつもお願いしているが『どうせ依頼人だろ。めんどくさい』と、若宮さんから一蹴りにされてしまっている。
声をかけられた高校生は驚きながらも、手にしていた目印となる、若宮さんからの返信はがきをこちらに向けて見せてくれた。
「和田衛(まもる)です……よろしくお願いします」
若宮さんより、少しだけ背が低くいだろうか? 目元が涼しげで一般受けする顔立ちをしており、全体的に成長期らしい線の細さが目立っていた。
◇
五月の昼下がり。ゴールデンウィークが終わったばかりの平日のためか、店内の人気はまばらだ。向かい合わせのソファ席に案内され、若宮さんとボク、そしてテーブルを挟んで高校生が座る。学ランを着ているので学校の帰りだろう。
「おばあ様のご容態はどうですか?」
若宮さんが本題へ入る前に、ボクは高校生に尋ねた。
確か、依頼の手紙には心臓を悪くして入院したと書かれていたはずだ。
「今は安定しています。退院は、もう少し先なんですけど……」
今回の依頼人はこの高校生ではなく、彼の母方の祖母にあたる『和田キヨ』さんだ。
ただ残念なことに、本人の具合が悪いため、孫である彼が『依頼代理人』として来てくれたというわけだ。
「あの……」
高校生は、言いにくそうに「すみません、髪が……」と、若宮さんの頭部についている寝癖を指さした。
「あぁ、気にしないでください! 特異な髪質の問題で直らないんです」
ボクは左下にある若宮さんの頭の『はね』部分を何度かなでつけ、その行為が意味を持たないことを証明する。
ちなみに、今日は前髪がはねている。
若宮さんは気にすることなく、相手へ本題に入るように促した。
「手紙にも書きましたが、祖母のおばにあたる人を調べてほしいんです」
「特殊な形で……命を落とされたと書かれていましたが?」
「はい」
高校生は年に似合わない、落ち着いた声で話し始めた。
ボクは基本的に会話には加わらず、若宮さんの横でメモ係に徹している。
「おばは……売れない小説家の男と無理心中をしました。だけど、祖母はそれを信じていません」
「これを……」と、高校生は鞄から年代を感じさせるノートを取り出し、若宮さんへと渡す。
「おばの日記です。そこに書かれている『ダザイ様』というのが、心中相手です」
若宮さんは手渡された日記の表裏を確認し、パラパラとめくる。日記には綺麗な筆跡で『ダザイ様』の文字が、何度も登場していた。
「祖母は、おばが『ダザイ』にたぶらかされた、と言っていますが……ただ、僕が日記を読んだ限りでは、おばが一方的に思いを寄せて――」
「お亡くなりになったのは、いつですか?」
突然の質問に、高校生は驚いた顔で若宮さんを見る。
返答をうながすためか、若宮さんは日記から視線をはずし、高校生へと向けた。
目のあった高校生はあわてて答えようとする。
「あっ、えぇ……はいっ。あのっ……なくなったのはっ」
「すみません。ゆっくりで大丈夫ですよ」
若宮さんは雰囲気のある人だから、いきなり目が合って緊張したのだろう。落ち着いてもらうため、ボクは笑顔で高校生に声をかけた。
若宮さんはちらりとボクを見て、また視線を日記に落とす。
「あっすみません。あのっ……たしか……六月十七日だったと思います」
「他の日記はどうされたんです?」
高校生は立て続けの質問に、うろたえた表情で若宮さんを見る。若宮さんは高校生に目を向けることなく、質問の意味を伝えた。
「おば様はほぼ毎日、日記を書かれています。この日記は最後まで書き終えてますので、最低あと一冊はあると思うんですが」
「す……みません。僕が祖母から渡された日記は、それだけです。探した方がいいですか?」
高校生が恐る恐る若宮さんへ問うと、若宮さんは必要ないと小さく首を横に振り、今度は亡くなった日付を再度、確認する。
「亡くなったのは、六月十七日で間違いはありませんか?」
「たぶん……大丈夫だと思います。祖母から聞いたので……大丈夫です」
高校生は自信をなくしたのか、二度も「大丈夫」という言葉を使う。おば様について聞き出すのは難しいと判断したのか、しばらくの沈黙のあと、若宮さんはおばあ様への質問に切り替えた。
「おばあ様は、臆病な方ですか?それとも大胆な方ですか?」
確実に返答できる質問にほっとしたのか、高校生は落ち着きを取り戻して答える。
「あの……そうですね。どちらかといえば大胆だと思います。臆病ではありません」
「決断力はどうですか?」
「決断力は……あると思います」
「優柔不断ではないと?」
「あっはい。優柔不断ではない……です」
若宮さんは日記から手を離し、両手の指先をそろえたかと思うと、指をくんだり開いたりを繰り返している。考え込んでいる時のクセだ。視線は日記から外さない。
「この日記はおばあ様が所有なさっていたんですよね?」
「はい」
「日記を読まれた方は、他にもいらっしゃいますか?」
「いえ……祖母と僕だけの秘密です」
「わかれば……でいいんですが。おば様は、どちらで最期を迎えられたんです?」
「たぶん……埼玉だと思います。祖母の生まれがそちらなので。すみません、詳しく聞くのを忘れていました」
高校生は申し訳なさそうな顔をしたが、若宮さんは特に気にすることなく、ボクの方へ振り向く。
「今は……世羅くん」
「東京の――市です」と、ボクは依頼人のおおざっぱな住所を伝える。
今日の待ち合わせ場所から、電車で四十分くらい離れている隣の市だ。
「東京で、ご同居されているんですよね?おばあ様のお家で」
「はい。僕が幼稚園のときに祖父が亡くなったので、母の提案で、僕ら家族が一緒に住むことになったと聞いています」
「おばあ様はいつ頃から東京に?」
「あ……すみません。それも聞いてないです。たぶん、祖父と結婚してからだと思うんですけど……聞いた方がいいですか?」
若宮さんは小さく首を横に振り、必要ないことを告げる。
「ご依頼内容は――頂いた手紙にも書かれていましたが、『おば様の最期』の真相でよろしいんですか?」
依頼内容を確認するように聞かれると、高校生は少しうろたえた様子で答える。
「そっ……れで、お願いします」
「世羅くん――」若宮さんは優雅に手のひらを差しだし、ボクに契約書を出すよう促した。
ボクは内心驚いていた。
いつもなら、面倒くさがりの若宮さんに代わり、ボクが依頼人へ契約書を渡し、説明をしているからだ。何か思うことがあるのだろうか?
ボクは不思議に思いながらも、若宮さんの鞄の中から契約書とボールペンを取り出し、手渡した。しばらく契約書を見つめた後、若宮さんは下手……ではないが、独特のいびつな字で『依頼人名』と印字されたその下に『依頼代理人名』と書き込み、ボールペンと一緒に高校生へ手渡す。
「こちらに、あなたのお名前をご記入ください」
ボクらが見つめる中、高校生はゆっくりと慎重に『和田衛』と署名した。
「あとはご自宅に持ち帰って、おばあ様の署名もお願いします」
「書いたら……郵送すればいいですか?」
「いえ、調査報告の時にお持ちください。間違いがあってはいけませんので」
若宮さんは、また両手の指先をそろえる。
「では――本来なら、入金を持って依頼開始とするんですが。おばあ様が入院されたことを考慮して、後払いで結構です」
「あの……大丈夫です。お金は準備します」
「いえ、入院費というものは馬鹿にならないですからね。少しでも精神的負担を取り除いて差し上げたいのです。僕の調査料は、一般的にお安くありませんし、それに……」
若宮さんは、右手で顎をさわりながら高校生が持つ契約書を見つめる。
「間違いがあってはいけませんので」
高校生は若宮さんの態度に、どこか不安そうなまなざしをこちらに向け、「よろしくお願いします」とか細い声で答えた。
◇
「どうして白い封筒だったんですかね?」
車で帰宅途中、ボクは若宮さんへ素朴な疑問を投げかけた。
なぜなら、高校生から送られてきた封筒の色が「白色」だったからだ。
「目明かし堂」への依頼は紹介制になっており、紹介者が封筒の色を指定することから始まる。
依頼者は指定された色の封筒を用意し、目明かし堂の私書箱宛てに手紙を送る。届いた依頼内容を若宮さんが気に入れば、返信はがきを出し、そこで初めて対面することになっていた。若宮さんが気に入らなかった依頼は、もちろん放置されたままとなる。
封筒については「白色」「茶色」の二種類あり、それぞれが意味を持っている。
「白色」は若宮さんが嫌うであろう依頼人、「茶色」は若宮さんが好ましく思う依頼人。紹介者が事前に封筒の色を指定するのは――ようは、紹介者が人嫌いの若宮さんへ、依頼人がどんな人物かを事前に知らせる仕組みになっているのだ。
そして、今回送られてきた依頼の封筒は「白色」だった。
「おばあ様が……過激な方なんですかね」
高校生は控えめで、若宮さんの嫌うような人物ではなかった。
ただ、代理人として来ていたので、本当の依頼主であるおばあ様は好ましくない人物だという可能性もある。
「どうだろうね」
助手席に座る若宮さんは、自分の鞄を開け、手のひらより少し小さめの桐箱に入った、大粒の白いこんぺいとうをひとつ取り出し、口に放り込む。
「よかったんですか?契約書も入金もないまま、依頼開始なんて」
「よくはないね。まぁ、でも……仕方がない。なにせ相手が高校生だもの」
「でも、依頼人はおばあ様なんですよね?依頼手紙も『和田キヨ』さんから来てましたし。契約書、郵送で送ってもらえばいいんじゃないですか?」
「正確には差出人名が『和田キヨ』さん――だね」
「どういう意味です?」
こんぺいとうが大きいせいなのか、若宮さんの口が小さいためか、若宮さんの口の中からカコカコと金平糖が歯にあたる音がする。
「僕の経験上、字の上手さに性格は表れることはないね。けど、字の筆圧や勢い、羅列には現れるんだ。それでいうと、依頼の手紙は筆跡が弱く、とても繊細な字だ。高校生から聞いた、おばあ様の性格とは一致しない」
「あの子が、代筆したんじゃないですか?」
「まあ、そうだろうね」
代理人を孫に頼むくらいだから、普段から仲がいいのだろうとボクが考えていると、若宮さんが新たな疑問を口にした「ただ――」
「彼が書いた契約書の字が手紙とは違ったよ。代筆なら、あの子の字と手紙の字は、一致しなきゃいけない」
「じゃあ、誰か他の人が?」
「いや、あの高校生だろう」
若宮さんは、きっぱりと言い切った。
今し方、高校生の字とは違うと言ったばかりだというのにどういうことだ。
「日記は二人の秘密だって言っていたから、それが本当であれば第三者が書いたとは考えにくい。単純に、おばあ様の手紙を封筒ごとすり替えたんじゃないかな。おばあ様によって記入された手紙と封筒を、自分で用意した物にすり替えた。それを隠すため、契約書の筆跡を変えたんだ。すべて同じ字だと怪しまれるだろ? やけに丁寧に書いていたけど、文字の大きさや文字の間隔が手紙と一緒だったしね」
なるほど。そういうことなら封筒の色も、筆跡が違う理由も納得がいく。
「大丈夫なんですか?この依頼受けても……」
ボクは不安に思い、再度若宮さんへ確認する。
「とりあえず、日記を読んでからかな。タダ働きはゴメンだ」
若宮さんはそう言い終えると、まだ口の中で溶けきっていなかったこんぺいとうを、がりっと、かみ砕いた。
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