第26話
文字数 1,677文字
「例の教師が逮捕されたそうですよ」
「へぇ、そう」
いたって興味なさそうに返事をした若宮さんは、綺麗な箸使いで白和えを口に運ぶ。今日の夕食はチキン南蛮をメインにほうれん草の白和え、ごまドレッシングをかけた水菜と豆腐のサラダだ。ご飯は土鍋で多めに炊いたので、残ったらおにぎりにして明日の朝食に出そう。ボクは「院長からですが」と、伝言を伝える。
「依頼人のおばあ様は、今週中に退院されるそうです。こちらの報告書にも、大変満足されていたとのことです」
咀嚼中なので黙ったまま何度かうなずく若宮さんに、素朴な疑問を投げかけた。
「ヱイさんの報告書なんですけど……日記の内容を知っているおばあ様は、報告書が虚偽だって気づいてるんじゃないですか?」
若宮さんはすべて飲み込み終えると、「たいした問題じゃないよ」と口にした。
「ずい分と昔の事件だし、おばあ様の気がかりは孫のことだったからね。もちろん、おば様のことも後悔はなさっていただろうけど……君が聞き込みで集めた、おば様の人となりに慰められただろ。今回は事実なんて、どちらでもいいんだ。信じたい方を信じれば」
不必要だと思っていたボクの報告書は、おばあ様自身の後悔の念を取り除くためだったと初めて知った。若宮さんの行動はどこまでも計画的で無駄がないのだと、改めて感服したボクは本題に入る。
「何したんですか?」
教師を逮捕させるために、何をやったかを聞かなければならない。ボクは若宮さんをじっと見つめ返答を待っていると、はぐらかすことなく「教師のこと?」と言い、あっさり真相を教えてくれた。
「教師の……元教師か。まあ、そいつのご妻君に協力を願ったんだ。報告会の日に僕、午前中出かけてただろ? あの時、元教師の自宅へ行ってたんだ」
ボクは少し拍子抜けする。「協力」という穏やかで平和的な言葉が出たからだ。
「夫の自室に犯罪の証拠があるだろうから、あなたの手で通報してくださいってね。被害者と被害者家族による陳情の手紙を持ってお願いしたんだ。もちろん、読んだあとの手紙は回収したよ」
手紙を回収したのは、被害者たちの身元が割れないようにとの配慮だろう。なにせ人を集団で襲っている。手紙なんか残してしまったら、すぐに捜査の手がそちらに向かい、被害者が加害者になる恐れがある。
「それだけですか?」
何か他にしでかしていないか心配になったボクは、念を押すように確認する。
「それだけだよ。ただ被害者たちの手紙を読んでも、通報を少し渋ってね……。同じ年頃の子供がいるそうだから、自分と子供の保身を考えるなら、今のうちに通報した方が身のためだとも助言したかな。証拠も証言もたっぷりある。夫の犯罪を知った今、もし通報しなければご自身も共犯者ですよってね」
なるほど。若宮さんの「協力」という名の脅迫は、選択肢どころか猶予すら与えないのか。まったく穏やかでも平和的でもなかった。
「ご妻君は快く通報してくれたよ」
若宮さんは満足そう顔で言った。まだボクが不満そうな顔を崩さないでいると「何?」と若宮さんから聞いてきたので、素直に聞くことにする。
「今回の依頼、依頼人のおばあ様のことを院長に尋ねれば、すぐ解決したんじゃないですか?」
院長という言葉を聞いて、若宮さんは笑う。
「未成年が絡みそうな案件を、警察でも弁護士でもなく、わざわざ僕に紹介してくるような人だよ? あの人は少しひねくれている。たとえ僕が聞いても面白おかしくはぐらかすか、教えてくれないよ、きっと」
ボクの院長に対する印象は穏やかで思慮深く、誰からも尊敬を集めるような人だ。若宮さんが今、言ったような人ではない。ボクの納得いかない様子に気がついたのか、若宮さんはさらに笑いながら言葉を続ける。
「君は姉さんのことも院長も、少し美化しすぎだ。あの人たちは君のように善良な人間なんかじゃない。都合が良いから表面上、善良そうに見せてるだけだよ。そうだな、あえて例えるなら――」
若宮さんは少し考え込むと至極真面目な顔で、ボクの予想を遙かに超えた言葉を口にした。
「魔王……が適当かもしれない」
「へぇ、そう」
いたって興味なさそうに返事をした若宮さんは、綺麗な箸使いで白和えを口に運ぶ。今日の夕食はチキン南蛮をメインにほうれん草の白和え、ごまドレッシングをかけた水菜と豆腐のサラダだ。ご飯は土鍋で多めに炊いたので、残ったらおにぎりにして明日の朝食に出そう。ボクは「院長からですが」と、伝言を伝える。
「依頼人のおばあ様は、今週中に退院されるそうです。こちらの報告書にも、大変満足されていたとのことです」
咀嚼中なので黙ったまま何度かうなずく若宮さんに、素朴な疑問を投げかけた。
「ヱイさんの報告書なんですけど……日記の内容を知っているおばあ様は、報告書が虚偽だって気づいてるんじゃないですか?」
若宮さんはすべて飲み込み終えると、「たいした問題じゃないよ」と口にした。
「ずい分と昔の事件だし、おばあ様の気がかりは孫のことだったからね。もちろん、おば様のことも後悔はなさっていただろうけど……君が聞き込みで集めた、おば様の人となりに慰められただろ。今回は事実なんて、どちらでもいいんだ。信じたい方を信じれば」
不必要だと思っていたボクの報告書は、おばあ様自身の後悔の念を取り除くためだったと初めて知った。若宮さんの行動はどこまでも計画的で無駄がないのだと、改めて感服したボクは本題に入る。
「何したんですか?」
教師を逮捕させるために、何をやったかを聞かなければならない。ボクは若宮さんをじっと見つめ返答を待っていると、はぐらかすことなく「教師のこと?」と言い、あっさり真相を教えてくれた。
「教師の……元教師か。まあ、そいつのご妻君に協力を願ったんだ。報告会の日に僕、午前中出かけてただろ? あの時、元教師の自宅へ行ってたんだ」
ボクは少し拍子抜けする。「協力」という穏やかで平和的な言葉が出たからだ。
「夫の自室に犯罪の証拠があるだろうから、あなたの手で通報してくださいってね。被害者と被害者家族による陳情の手紙を持ってお願いしたんだ。もちろん、読んだあとの手紙は回収したよ」
手紙を回収したのは、被害者たちの身元が割れないようにとの配慮だろう。なにせ人を集団で襲っている。手紙なんか残してしまったら、すぐに捜査の手がそちらに向かい、被害者が加害者になる恐れがある。
「それだけですか?」
何か他にしでかしていないか心配になったボクは、念を押すように確認する。
「それだけだよ。ただ被害者たちの手紙を読んでも、通報を少し渋ってね……。同じ年頃の子供がいるそうだから、自分と子供の保身を考えるなら、今のうちに通報した方が身のためだとも助言したかな。証拠も証言もたっぷりある。夫の犯罪を知った今、もし通報しなければご自身も共犯者ですよってね」
なるほど。若宮さんの「協力」という名の脅迫は、選択肢どころか猶予すら与えないのか。まったく穏やかでも平和的でもなかった。
「ご妻君は快く通報してくれたよ」
若宮さんは満足そう顔で言った。まだボクが不満そうな顔を崩さないでいると「何?」と若宮さんから聞いてきたので、素直に聞くことにする。
「今回の依頼、依頼人のおばあ様のことを院長に尋ねれば、すぐ解決したんじゃないですか?」
院長という言葉を聞いて、若宮さんは笑う。
「未成年が絡みそうな案件を、警察でも弁護士でもなく、わざわざ僕に紹介してくるような人だよ? あの人は少しひねくれている。たとえ僕が聞いても面白おかしくはぐらかすか、教えてくれないよ、きっと」
ボクの院長に対する印象は穏やかで思慮深く、誰からも尊敬を集めるような人だ。若宮さんが今、言ったような人ではない。ボクの納得いかない様子に気がついたのか、若宮さんはさらに笑いながら言葉を続ける。
「君は姉さんのことも院長も、少し美化しすぎだ。あの人たちは君のように善良な人間なんかじゃない。都合が良いから表面上、善良そうに見せてるだけだよ。そうだな、あえて例えるなら――」
若宮さんは少し考え込むと至極真面目な顔で、ボクの予想を遙かに超えた言葉を口にした。
「魔王……が適当かもしれない」
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