第14話「ままならない日々_近藤の場合』~とけない氷~」
文字数 10,945文字
ドアは小さくバウンドするように一呼吸を置くと、音を立てずにゆっくりと閉まる。
近藤は慌ただしく、ドアの鍵と後付けのサブキー2つを閉め、最後にチェーンもかける。
そうして初めて、近藤はヒールを脱ぎ、コートを掛け、キーケースにまとめた鍵束をバッグにしまい、部屋の中へ入る。ユニットバスに、洗面器ほどの流し台、狭苦しく置かれた洗濯機。そのような、キッチン兼更衣室を三歩で抜けると、4畳ほどのリビングになる。このワンルームはそれで全てだ。
リビングの半分近くを占めるベッドに、近藤は頭を横にして倒れる。
ちゃぶ台には新聞が広げたまま。コップにはぬるくなった麦茶が、溶けた茶葉が澱となり、二層になっている。
近藤は一度、目を瞑りもう一度開くが、ちゃぶ台の上は変わらず、今朝、部屋を出た時からそのまま、だった。
近藤は大きくため息をついてベッドに、今度は顔を布団に押し付ける。真っ黒のスーツの肩が、呼吸に合わせて、大きく上下する。
布団に顔を押し当てたまま、深呼吸のように大きく息を吸って、吐く。
スゥーハー、スゥーハーという、寝息とは違い意識的に立てる音、それにかぶさるように、遠くの方から聞こえる電車の音、自動車のエンジン音、マンションの窓からだいぶ下になる道路を、行き交う人々の雑踏のような音。それらが窓の向こうから聞こえてくるというよりも、コンクリート製の外壁を伝わって、部屋の壁紙を振動させるように、じんわりと室内を響かせる。
近藤は布団に頭を突っ込ませたまま、特別大きく息を吸って動きを止める。その時、向かいの部屋の扉が開いて閉まる。マンションの構造上、それほど大きな音が聞こえてくるわけではないが、重たいスチール製の扉がつくる、独特の振動が近藤の部屋までは伝わってくる。
それにハッとしたのか、ただ、意を決するきっかけになっただけか、近藤はベッドから跳ね起きる。
前髪が布団に押し付けたせいでぐちゃぐちゃになっている。
近藤はベッドから降りると、だらだらとスーツを脱ぎ始める。ジャケット、スカート、ブラウス、ストッキング。一つ脱ぐたびに、はぁあ、はぁあ、と、わざとらしくため息をついていく。
脱ぐことに一つ一つ、ハンガーなどにかけていけばよいものを、一度全てをベッドの上に脱ぎ捨てると、それぞれを、無駄に几帳面に、布団の上に並べていく。まるで、今からパンツプレッサーにでも挟み込むかのように、スカートの折り目から、ストッキングのつま先の縫い目まで、皺が出来ないように、まっすぐ、布団の上に伸ばして置く。
棺桶より気持ち大きい程度のセミシングルのベッド。近藤は衣服同士の距離や布団の縁との距離、そういった余白を入念に調整しながら、並べていく。布団の上はさながら着せ替えシールの台紙のようになった。
当の近藤は、それを下着姿で眺め満足そうにうなずいた後、部屋着代わりのポンチョを探し始める。
座椅子の上、テーブルの下、ドアの戸当たり、目ぼしい所に目を遣るが、どこにもそれらしいものはない。
近藤は目の前のベッドに視線を戻す。
枕のある方から順番に、ジャケット、ブラウス、スカート、ストッキング、入念に並べられている。先ほど、着せ替えシールの台紙のようと言ったが、それには語弊がある。というのも、やはり、セミシングルサイズのベッドに、これら一切を重なりなしに並べるのは難しく、一部が重なるように、ただ、それは少しでもセンス良く見えるように、並べられていた。
ただそれらは、意味もなく並べられている。いずれ崩すために並べられているのであり、遅くても夜になれば、近藤はこのベッドで眠るために、この端正に配置されたジャケットやスカートを、ハンガーにかけて玄関の外套掛けか、もしくは、座椅子の背もたれに投げかけることになるからだ。
そして、この端正な配置はたった今、崩すことになりそうだった。
近藤が布団を枕の方からゆっくりめくると、先ほど布団でもそうしたように、シーツの上にポンチョが端正に配置されていた。
近藤はポンチョを引き抜こうと引っ張るが、なかなか抜けない。ふかふかに起毛したポンチョの生地が、シーツと布団との間に摩擦をつくり、いくら丁寧にポンチョだけを引き抜こうとしても、シーツはずれて、布団もくっついてきてしまう。
シーツがずれてめくれてしまえば、寝るときにまた直すのは面倒であるし、今布団がずれてしまうと、その上に並べたジャケットがずれてしまう。
近藤はポンチョを引っ張り出す角度を何度か調整したり、ベッドの枕がある方からではなく、ベッドの長辺に当たる方から引き抜いてみたりと何度か試すが、いずれも、結果は同じであった。
近藤はベッドの中に突っ込んでいた両腕を腰に当てると、また、ため息をつく。
近藤が後ろに振り返ると、そこには、さっき見た通り、今朝の新聞とぬるくなった麦茶がある。そして、リビングを出たところの流し台、近藤のいる方からでは壁が遮ってしまいその様子は見えないが、朝食の準備に使った調理器具や食器が洗わずに、放置されている。
近藤はもう一度、ベッドに目線を戻す。布団の縁は、近藤による何度かの試みにより、彼女の今の前髪ほどではないとはいえ、グチャグチャになっている。とりあえず、その布団の上の配置は辛うじて現状を維持し、少し手を加えれば元に戻せそうな程にしか、乱れてはいなかった。
近藤は、両手を腰にあてて目を瞑る。
何かを考えている、それは今現在の困難、いかにして布団の中のポンチョを引き抜くかについて、思考を巡らしているというよりかは、過去の行いに対する後悔、今朝のことを考えているようであった。
近藤が引き抜こうとしている部屋着のポンチョはパジャマも兼ねていた。つまり、近藤は今朝起きた時、パジャマにしたポンチョを、シーツの上にセンス良く、端正に並べる暇はあっても、朝食に使った皿やコップを洗って、水切りカゴに並べる暇はなかったということだった。
その、ポンチョをわざわざ並べるという行為、先ほど近藤を見ての通り、その行為はおおよそ不必要な行為であった。布団とシーツの間に入れたからとか、すぐ着るようなものをいちいち畳んでいるからとか、そういうような、一般的な観念で不必要な行為であったというより、近藤自身の観念的な意味で、不必要な行為であった。
そのことはたとえば、目の前の布団のカバーや、今議論の中心にもなっているポンチョですら、前回洗濯したのはいつだったか、曖昧であったし、リビングのゴミ箱があふれかえっている上にペットボトルや燃えないゴミも分別されずに詰め込まれているし、洗濯機もゴミ箱と同じようにあふれていた。そのように、決して几帳面とは言えない近藤が、わざわざ朝の出勤前に、このようなことに、食器を洗うなどもっとするべきことがあるにもかかわらず、柄でもないことに時間をかけていたこと、そして、今もまた同じことをして、ある種のジレンマに陥っていること、それら全てをひっくるめて、不必要な行為であった。そう。布団の上に並べたスーツを崩さずに如何にポンチョを引き抜くのか、そのようなジレンマに頭を悩ませていること自体が、不必要な行為であった。
そして、そのジレンマが無意味であることに近藤自身が気づくまで、それには恐ろしいほどの時間をかける必要があった。
近藤は濃い灰色のポンチョを着て、流し台に立っている。
さっきのジレンマは、実際に決断を下すまでには恐ろしいほど時間を要したが、その決断を下すきっかけというのも、恐ろしいほどくだらない理由であった。
乱れた布団とその端正な配置、それらを一度、並べ直そうとしたところ、めくれていたブラウスの袖口に小さな染みを見つけたのだった。ブラウスを布団から引きはがし、ユニットバスの洗面台で洗剤をつけて簡単に手洗いをし、洗濯機に投げ込んでしまったら、ベッドの上にあった端正な配置は、ブラウスというピースが抜けてしまったせいで、近藤には魅力の無いものに変わり果てていた。次の瞬間、ジャケットもろとも布団をめくってポンチョを取り出していた。
その時、スーツをハンガーか何かにかければよかったものの、スーツは布団の上にしわくちゃになったままにしていた。
そうして、近藤は流し台の前に、外套掛けのすぐわきに立って、洗い物をしていた。
近藤が着ている物を“ポンチョ”と言っていたが、むしろバスローブと言った方が、適切かもしれない。足首が隠れるほど長い丈に、腕を出して作業ができるように袖もあった。
近藤は袖を肘のあたりまでまくり上げて、洗い物をする。
流し台の中央に置かれた樹脂のまな板と包丁、それを先に手早く洗ってしまう。ご飯粒の付いたお茶碗と卵の黄身がへばりついたお皿には水をためて、流し台の脇に寄せる。炊飯器の釜はカピカピになったご飯粒をはがす。テフロンのおかげで釜から綺麗にはがれる。ガス台に置きっぱなしの片手鍋、その中に鍋の底を浸す程度に残っている味噌汁。味噌の粒が底に溜まっている。冷めきったそれをそのまま、捨ててしまおうと、排水溝の近くまで持っていく。が、ちょっと考え直して、鍋を軽くゆすって味噌を攪拌させると、そのまま口元まで持ってくる。お玉一杯分もない味噌汁。近藤はすぐには飲みこまずに、口の中にため置いて、冷えた味噌汁を口の中で温め直して、もう一度味わうようにしてから、ゴクリと、音を立てて飲み込む。
汁椀と片手鍋を一度すすいでからスポンジで洗い、箸やお玉、釜も同じように洗って水切りカゴに並べていく。その後、水をためておいたお茶碗とお皿を洗う。お皿の黄身はすぐとれるが、お茶碗のご飯粒は乾いてしまい、なかなか取れない。爪を立てて、カリカリとはがすというより、削り取るように、お茶碗も洗い終える。
そうして、近藤は流し台にあったものを全て、水切りカゴの中に収めた。濡れた手をポンチョの背中のほうで拭った後、流し台のまわりを布巾で拭き上げたとき、リビングの気配に気づく。
リビングのテーブルには、麦茶のコップがあった。
近藤は手のひらで、自分の額をペチペチと叩く。どうやら、リビングのコップの存在を完璧に忘れていたようだ。
近藤は大股で2歩3歩とテーブルに近づくと、コップを拾い上げ、流し台の前に戻る。
コップの中の麦茶。近藤がさっきの味噌汁の時もそうしたように、コップの中に渦をつくるように、底に溜まった茶葉を攪拌させると、コップを口元に近づける。
ただ味噌汁の時と違って、少し口を付けると咳き込んで、残りを流し台の中に投げ捨てる。澱のようになっていた茶葉は、傾斜の少ない流し台の中に、水に濡れたほこりのように広がる。
その麦茶は傷んでいた。
近藤は口に残った麦茶を、ペッペッと吐き出しながら、流し台の蛇口を全開にし、車のワイパーのように水道の蛇口を右へ左へうごかし、麦茶を排水溝へ流す。コップにも水を勢いよく流し込み、底に張り付いた澱を何度もすすいだら、流し台の縁にコップを置く。
近藤はまた両手をポンチョで拭きながら、今度はしゃがんで、流し台の下の扉を開けて、そこにある小さな冷蔵庫を開ける。
この冷蔵庫はいわゆるマンションに据え付きのとかではなく、サイズ感はビジネスホテルにあるようなものだが、近藤がこの部屋へ入居する時、自分で購入したものだ。そのため、冷蔵庫の配線が強引なことになっている。あたりまえだが電源コードを通すためだけに、戸棚に穴を開けるわけにはいかないので、観音開きになっている扉の真ん中を、黒いコードが蛇の舌のように、ちょろっと出ている。
近藤は冷蔵庫から、麦茶の入ったボトルを取り出す。1リットルのペットボトルを再利用したもので、ラベルが貼ってあったところは、使い込まれているのだろう、メガネのレンズにつくような、細く白い線が何本も入っている。そのボトルにはあの小さい飲み口に入らなそうな、麦茶のティーバッグが底に沈んでいる。
肝心なボトルの中身はというと、暗褐色の液体の中に、とろろ昆布が浮いているような、その様な感じであった。
近藤はそのボトルを目の高さまで持ち上げ、流し台の真上についている、蛍光灯の明りに透かして見る。
麦茶と言ってよいのかわからないが、その麦茶だった液体は、ボトルの3分の2ほどを占めていた。真夏の間は毎日のように飲んでいた麦茶も、肌寒くなってくると、次第に飲まなくなる。透明でぬるくてカルキ臭い水の中を、無理やりねじ込んだティーバッグがたゆたうのを見て、麦茶がしみ出すのを今か今かと待っていたのは、まるで遠い昔のようだ。
近藤が明かりに透かすボトルは、遠い昔に見た二色刷りの写真、宇宙図鑑で見た「馬頭星雲」のような、とろろ昆布のようだったそれは、光に照らされることで、また違った想像をさせる有機体であった。
そして近藤はというと、ボトルの中の小宇宙を、さっきすすいだコップに注ぐのだった。
その行為は決して、ボトルの中から、「馬頭星雲」だけを抽出させようという試みでもなければ、この有機体の作り出す新たな幻想を期待したものでもない。今さっき、麦茶のコップにもしたように、このボトルの中の液体にも、同様のことをおこなうためであった。そしてその結果は言うまでもなかった。
近藤はボトルを黒いヒダのついた排水溝に突き刺し、自分は口をゆすいでいた。水道の勢いが強いために、水滴がポンチョにもはねている。
ただでさえ暗い色のポンチョが、何度も手を拭った背中のあたりと、お腹のあたりが、水に濡れて黒くなっている。
近藤は口の中をゆすぎ終わり、流し台に両手をかけて、息を荒げていた。お酒を飲みすぎた人のように、肩で息をしている。布団に顔を押し付けていた時の呼吸のような、わざとらしさはなく、もっと切実な、迫真に迫った呼吸だ。
お酒で飲みすぎたように。
確かに近藤は同年代と比べると、よくお酒を飲む方であったし、何度も洋式トイレの便器を抱えて夜を過ごしたこともあった。ただそのような粗相は、人前では、ベッドに脱ぎ捨てられているスーツを着ているようなときには、しないタチであった。その理由は単純で、人前では潰れるほどお酒を飲まないとか、人前ではお酒を飲むよりお酌してまわるだとか、そういうことではもちろんない、ただ、飲み会に行かないだけで、誰かとお酒を飲むようなタチではないだけだった。
そのため、居酒屋やバーのトイレでうずくまっていることより、自分の部屋のトイレだったり、流し台だったりにもたれかかる方が、近藤にとっては慣れていた。
それは非常に悲しい慣れであった。
誰か他人とお酒を飲むわけでもなく、ただ一人で吐くほど飲むということは、泥酔した彼女に対して、気の利く誰かがスポーツドリンクを買い与えてくれるわけでもなかったし、やさしい誰かが調子が良くなるまで背中をさすり続けてくれるわけでもなかった。ただ、そのような場面というのは、自分の家に人を呼んで飲むわけでないならば、どこか出先に限られている。そういう意味では、泥酔した自分をいくら介抱してくれる人がいたとしても、最終的には、前を後ろもわからないような状態で、自宅へ帰り着かないといけないという、孤独な旅路、いわば場所的な不安感が付きまとう訳である。それでも、彼女を無事自宅まで送り届けてくれる信頼できる男友達なり、彼女を一晩家へ泊めてくれるような親切な女友達でも居れば、そのような場所的な不安を感じる必要もないのかもしれない。
つまり話を戻すと、彼女が習得してしまったという悲しい慣れ、自宅でなおかつ一人で泥酔してしまっても、その処理をつつがなくこなせるということは、彼女は独りでお酒を飲むということであり、彼女は孤独であるということを否応なく、証明するものであった。
果たして近藤はこのことをどの程度、意識しているかはわからないが、トイレの便器だけはいつでも綺麗にしていることから、推し量ることができるだろう。その事実は、人生の3分の1の時間を過ごすと言われるベッドや、同じく3分の1を着て過ごすようなスーツの扱いと比較することによって、より際立ってくる。
つまり近藤は、布団についた汚れや、スーツについたほこりよりも、便器についた一点のシミのほうが心をより虚しくさせるということ。さらに言い換えると、泥酔したときに、唯一、彼女に寄り添ってくれるのは、ベッドやスーツなどではなく、彼女のすべてを受け止めてくれる便器であるということを、彼女は無意識的に気付いているということだった。
今の近藤の様子に話を戻すと、彼女は泥酔した時のような対応をしていたが、それ以上先には至らずに済んだようだった。
近藤は新しいコップを取り出すと、それで水道の水を飲む。すると近藤はまた考えるように、次は排水溝に突き刺されたボトルを見つめる。ボトルは飲み口を下にしてあり、中身は全て、いやとろろ昆布のようになった茶葉は、まだボトルの内側にべったりと、もはやとろろ昆布というより、水槽に生える苔のようになっている。これを一度ならず二度も口に含んだのかと思うと、恐ろしいとも思えるのだが、近藤が考えていることは、やはり、過去のこと、今朝のことだった。
ただ、近藤の考えていたことは、至極簡単な言葉で結論が着く。
近藤が不思議に感じたのは、なぜ、この傷んだ麦茶を今朝処分しなかったのかだった。その答えは、今朝の段階で麦茶が傷んでいることに気づかなかった、ただそれだけだ。
まさか、朝出勤してから、夜帰宅するまでの短い間に麦茶が傷んだとは到底考えられない。それが、真夏のような気温の高い季節ならまだしも、毎朝コートを欠かせない時期に室温くらいで物が傷むわけがなかった。だから、今朝、近藤は麦茶をコップに注ぎはしても、口を付けなかったのだ。
なぜ、口を付けなかったのか。それは、今着ているポンチョを、今朝シーツと布団の間に端正に配置するのに執心していたに他ならない。
近藤は今朝、ポンチョをただ、シーツと布団の間に端正に配置するという偉業を果たすべく、洗い物を放棄し、スーツを布団の上に端正に配置するチャンスを失い、麦茶の腐敗に気づくのも遅れたのであった。
近藤は今朝のコップと新しいコップ、両方を洗いそれらを水切りカゴへ、今度は布団の上ほど几帳面にはならず、むしろ乱雑に並べ、夕飯の準備に取り掛かっていた。
ただ、夕飯の準備に取り掛かると言っても、鍋でお湯を沸かしてインスタントラーメンを食べるだけであった。
さっきまで味噌汁が入っていた片手鍋に水をためる。水の量は目分量だが鍋の内側に、いつも同じかさでお湯を沸かすせいで、そこにシミのような線が入っているため、それを目安にすることで、大体の量を入れることができる。そうして鍋をガス台にかける。
最近の夕食はもっぱら、インスタントラーメンになっていた。
朝食は一汁三菜とまでいかずとも、炊き立てのご飯に味噌汁、それにありあわせの主菜副菜で済ますのに対して、夕食は簡単に済ます方だった。それは、単純に食事を作るのが億劫だからというのもあるが、むしろ、近藤にとっての夕食のメインが、食事の方ではないから、といったほうが正しいかもしれない。要するに、近藤にとってインスタントラーメンは、前菜であって、その後の晩酌がメインであった。
近藤は鍋を火にかけながら、リビングへバッグを取りに行く。バッグと言っても、エコバッグのような買い物袋のようなものではなく、ビジネス用のバッグだ。そしてもちろん、外で買ったお惣菜のパックが入っているはずもない。出てくるのはチャック付きの袋、その中には文房具が、鉛筆やボールペン、ステープラーが入っている。
近藤はその袋を流し台まで持ってくると、中身をそこに広げ、ステープラーは針を取り出し、先ほど箸やお玉を洗ったときのように、それらをスポンジで洗っていく。そして、箸やお玉と同じように、水切りカゴに並べる。
近藤には変わった癖があった。
癖というより、彼女を特徴づける、ある種の観念だと言ったほうが正しいかもしれない。なぜならその行為自体、彼女は自分の癖だと認識していたというより、もっと確立された方法論として、彼女はその行為をおこなっていた。無意識的だったり、強迫観念的だったりと、せざるを得ない行為だというより、彼女自身が意識的にわざとおこなっている、という意味でその行為は癖というより、彼女が開発した処世術と言った方が正しいかもしれない。
近藤は水切りカゴからコップを取り出し、流し台の縁に置く。そのころ、鍋の水が沸き始めたので、コップのほうの用意は中断して、ラーメンの準備を進める。
四角いフライ麺を鍋に押し込む。ほぐれ始めたところ見計らって、生卵を割り入れるが、それは崩さずに、そのまま茹だって固まらせると、粉スープを入れて仕上げてしまう。
片手鍋に白い卵の塊が浮いた、インスタントの味噌ラーメンが出来上がる。
近藤はそれを、その場で立ったまま食してしまう。
さながら、夕食というより、その行為が女性の一人暮らしを象徴しているというより、独りの酒飲みがこれから酒をあおるにあたって、すきっ腹にお酒を入れるわけにはいかないから、腹ごしらえとしてラーメンを流し込んでいる、その様な感じであったし、実際にもそうであった。
近藤は食べ終えた片手鍋が始めからそうであったように、スープを少し残してガス台に戻す。
流し台の下からハニーローストピーナッツの青っぽい缶と、白い透明なラム酒の瓶を取り出し、それらをリビングに置いてくる。流し台に戻ると、あの小さい冷蔵庫から、ジンジャーエールのペットボトル、レモン汁の小瓶、冷蔵庫の上段にある製氷棚から、本来そこには氷があるはずだが、アルミのバットに並べられた白い長い物体をバットごと取り出す。
それらを持って、リビングのテーブルへ、近藤はやっと座椅子に座る。
霜が付いて真っ白になっている物体を、コップに立てて、ホワイト・ラムをそれに当てながら注いでいく。霜が溶かされ、物体の正体が現れる。
三色ボールペンと15センチ定規だった。
定規の先が、厳格に3センチほどラム酒に浸かった後、ジンジャーエールを同じようにゆっくりと注いでいく。そして最後に、レモン汁をたらす。そして、ラムバックができあがる。
黄金色のラムバックの中に突き刺さっている、三色ボールペンと15センチ定規。ボールペンはちゃんとインクを抜き出してあるので、三色ボールペンというより、その抜け殻のようだ。
近藤は慣れたように右手の人差し指で、定規とボールペンを動かないように抑えると、ラムバックを、金色の液体を流し込む。
飲み干したそのグラスに、同じようにラムバックを作り一気に飲む。またラムバックを作り、一気に飲む。また作り、ラムの量が3センチから4センチに増えている、また一気に飲む。
ピーナッツには一切手を付けず、ただグラスにラムバックを作って飲み干す。近藤はこの作業を繰り返す。
5杯ほど立て続けに飲み終えたところで、瓶のラムも目に見えてわかるほど減らしてから、フー、と息を吐いて、テーブルにもたれかかる。
頭をテーブルに乗せたまま、肘を立てた右手で、だらだらとラムバックのおかわりをつくる。手首をくねらせてラムを注ぐ。ラムは2センチ足らずになっている。ジンジャーエールを高い所からドボドボと注ぐので、グラスが泡だらけになる。最後は面倒くさそうに、レモン汁をたらす。6杯目が出来上がると、また近藤は力尽き、真っ赤になった顔をテーブルの天板で冷ますように、テーブルにかぶさる。左手は、ピーナツの缶をまさぐっている。
これが近藤のいつもの飲み方だった。そして、近藤が便器のお世話になる最大の原因でもあった。
近藤は6杯目のラムバックを何度も飲もうと口に近づける。しかし近藤の身体が受け付けないのか、グラスを口元に近づけるたびに身体を震わせ、喉元まで上がってきたものを抑え込むように唾を飲み込むと、断念してピーナッツをつまむのだった。
例え身体が受け付けなくても、お酒に未練があるのか、ピーナッツをつまむ反対の手で、定規とボールペンを弄り回している。
グラスに入ったそれらを見ると、まるでマドラーか何かのようだが、その定規とボールペンは紛うことない、近藤が職場で使っている文房具だ。
近藤の変わった癖というのは、文房具をマドラー代わりに使うこと、いや、思い入れのある物を氷代わりにしてお酒を飲むことだった。
思い入れといってもそれは、近藤の飲み方を見てわかるように、大抵ネガティブな感情だ。そのような、ネガティブな感情に関連する物、今回は職場に関するものだから文房具だが、ある時は貰い物のネックレスや腕時計だったこともあるが、それらを氷漬けにし、お酒と一緒にして、その感情と一緒に飲み干すことで、彼女なりに整理を付けているのだ。
近藤のこのような行為はいつ始まったかはわからないが、最初に彼女が氷漬けにしたのは、かつての同期が使っていたボールペンだった。その時点では、興味本位というか、性癖というか、ある種の愛情表現という領域を出なかったが、あることを境にしてこの行為は、やり場のない感情を飲み下すための手段として確立されていった。
それ以来、彼女は何かがあるたびに、それにかかわる物を氷漬けにして、その氷とお酒と感情とを全て、ないまぜにして彼女の身体の中に飲み込んでしまう。それでも飲みこみ切れなかったものは、前述のとおり、便器の中に吐き出してしまう。そうして最後は、氷漬けから解けた物がコップの中に残っている、それだけだった。
近藤もこの行為が、決して身体によい影響を及ぼすものだとは思っていなかったし、いずれ辞めなければいけない、そう考えていた。だが、やめられずにいた。それは、毎日、何かしら氷漬けにしないといけない感情があるせいなのか、それとも、お酒という存在があるためなのか。
ただ、その“ラムバック”が英語の“カムバック”の駄洒落のように感じられ、いつか何かを取り戻せるような気がして、何を取り戻したいのか彼女にもわからないが、近藤は時々そのようなことを考えては、飲めなくなってからのもう一杯、もう二杯を身体に流し込み、そうなってはもう、どのような感情のせいでお酒を煽っていたのか、もうわからない朦朧とした気持ちになってから、便器の前でただ、「苦しい、苦しい」とつぶやきながら、独りの夜を過ごすのだった。