第13話「ランドルトの環だけ残す」

文字数 10,502文字

 もう桜は散ったというのに、季節外れの霜が降りた朝。自転車を押しながら、学校に続く坂道を登る。今朝は大分寒かったのだろう、道路を走る自動車の中には、まだ、フロントガラスの上の方が凍っているものもある。
 俺はというと、この寒さのあまり、素直に手袋をして来ればよかったものを、強がって素手で自転車を漕いでみたものだから、手がかじかんでしまい、ブレーキどころかギアチェンジもままならなくなってしまったので、こうやって、自転車を押していた。それは決して、坂道を自転車で登れない、とかではなかった。その証拠に、デカい鞄を背負ったあの谷坂(たにさか)も実際に自転車を押して歩いている。だから、俺が自転車を押すことにも、それ相応の正当性があるというものだ。
 向こうの歩道にも、俺と同じように歩いて坂を登る生徒たちが見える。皆一様に体操着を入れたナップザックを、カエルについたシッポのように、ブラブラさせている。ああ、そうか。俺はそれで思い出した。
 今日は身体検査の日だ。
 ただ、身体検査といっても、検査したところで、しようもないことだ。なぜって、俺たちはまさしく、アンドロイドだからだ。
 パーツか何かいじらないことには、身体が変わることもないし、そんな整備はみんな手前でやっている。
 それでも、学校で身体検査をするのは、それは学校のイベントだからであり、人間の真似して学校をやっているアンドロイドにとっては、この意味のない身体検査も、人間の真似をするためには、欠かすことのできない、イベントだったのだ。
 そして今日も、人間の真似事の一環として、アンドロイドたちは登校するのだ。

 俺は前述のとおり自転車を押して、高校の正門を抜けようとすると、そこでは、生徒会長と生活委員があいさつの声掛けをしている。
「おはようございまーす。」
「おはようございますッ。」
 おれは、口の中で「あざいます」とあいさつして、通り抜けようとするが、案の定、会長の山口(やまぐち)につかまる。
「サトー!なんだぁ、そのあいさつは!朝からやる気あんのか!」
山口の妙にオラついた突っかかり方というか、普段はこんな話し方ではないのだが、彼曰く、人間の生活指導はこういうものだったそうで、要するに彼なりの人間研究の成果だという、話し方なわけであって、ただ、この時の山口ほど面倒なことはない。完璧に役にはまっているのだ。ところで俺はというと?
「サトー、どうした?聞こえているんだろう?ほら、挨拶は?」
「(おはよ・・・います。)」
「全然、聞こえないぞー。」
山口はそう言いながら、学校の方へ後ろ歩きで、俺から離れて行く。わざわざ、校庭の中ほどまでいって、両手を頭の上でふる。
「ほらー。サトー、あいさつ!」
山口は大げさに両手を口に添える。
「「おはようございますッ!、ホラッ、サトーも腹から声、出してみろーッ。」」
 山口はこうなったら、もう最後だ。彼が納得しないことには終わらない。一度、無視し続けたら、校舎の屋上まで行ってしまったことがあった。俺が折れるしかない。
「おはようございます!」
山口が頭の上に大きく丸を作る。そして、大げさに手を振りながら、こっちに戻って来る。
「サトー、朝から大きな声であいさつすると、気持ちいいだろう。明日もそれくらい、声を出そうな。」
 山口は正門の方へ戻っていく。その向こうで、生活委員の“フジシン”が笑っている。

 どうして山口は俺にだけ、あんな風に面倒くさいからみ方をしてくるのか。明らかに、俺よりいい加減な挨拶をしている奴ら、いや、俺より声を出していないとか、それ以前に、全く無視している奴もいるだろう。
 校庭脇の駐輪場に自転車を置きながら、考える。思わず、自転車のスタンドをいつもより強めに蹴飛ばす。
「サトー、おはよう。どうしたの?」
 後ろから声をかけてきたのは、同じクラスの沢口(さわぐち)だった。沢口は自転車にU字ロックをかけた後、わざとらしく、顔にかかった前髪を左手で払いのけて、カゴのバッグを取り出し、バッグとは反対の腕の手首の腕時計を確認する。バレー部での癖が出るのかよく知らないが、サーブをするみたく、左手が見えないボールをトスするように、手首を自分の顔の前に伸ばす。そういえば、沢口は女子バレー部の副キャプテンだ。
 いかついデジタル仕様のBABY‐Gと二重のヘアゴムがそのカーディガンから覗く。
「やば、もうこんな時間じゃん。今日、日直なんだけど。ほら、サトーも行くよ。」
そう言って、沢口は俺の背中をバッグでたたいてせかしてくる。
「(俺は日直じゃないんだけど。)」
そんな小さい声が沢口に届くはずもなく、なんだかよくわからないまま、急かされるように玄関まで走る。
「そういえば、沢口がこんな時間に登校するの珍しいじゃん。朝練は?」
「今日、身体検査でしょ?体育館がその会場だから、朝練はないの。」
「(ふーん。)」
 沢口は、だらだらと歩く学生の中を、上手にすり抜けていき、彼女は自分の下駄箱の前を上手に確保する。
 俺も靴を脱ぎ始める。が、どうして俺まで焦っているんだ?その疑問にやっと気づく。気づくというか、上履きを下駄箱から取り出した瞬間にやっと、疑問に思い始めた。
 俺は下駄箱に外履きと右手を突っ込んだ状態だった。
 そして、それを上履きに履き替えた沢口が不思議な目で見ている。
「サトー、なに固まっているの、あ!もしかして、ラブレターでもあった?」
「違うわッ!」
俺は慌てて右手を下駄箱から引き抜く。

 あの後は結局、急かされるまま、三階まで走って登らさせられ、へとへとになってから、教室に入ることになった。沢口は平然としたまま、職員室のほうへ早歩きしていく。
 俺は、窓際の机に突っ伏す。朝っぱらから。
「おい、サトー、朝から机で寝るだなんて、なんだぁ?朝に持ち越すほど、昨夜はお楽しみだったのか?」
 頭の向こう側で話しかけてくるのは、フジシン。さっき校門で山口と一緒に声掛けをしていた奴だ。
「朝から山口と沢口の相手をしていたんだよ。それに昨夜は・・・。って、それはお前も知っているだろう。」
「昨夜のことを俺が知っているって?」
 フジシンはどうやら、昨夜のことは俺のお願いどおり、忘れたふりしているらしかった。まぁ、それはさておき、気になることは、
「ところで、お前は生活委員の仕事はもういいのかよ。」
「あぁ。今日は日直ですって、適当言ってきたから。」
「お前なぁ。」
誰がその、日直とやらに振り回されたと思っているんだ。
 ゆっくり頭を上げると、フジシンが前の席を前後逆に、背もたれに両腕を乗せて寄り掛かっている。
「別にいいだろ。実際の委員会活動とかそんなもんだって、会長も言っていたし。」
研究熱心な山口バカがそういうのなら、そうなのだろう。そうにしたって、俺が・・・。うーん。くどくなるから辞めておくが、それでもやっぱり、『日直』を理由に早引きしやがったことは、なんとなく、腑に落ちない。
 フジシンが何かを思い出したように、
「そうだ。今日、身体測定だろう。」
「あぁ、そうらしいな。」
「なぁ、身体測定の日は、女子がブラしてないのって、本当なのか?」
「知らねーよ!誰情報だよ。」
「いや、朝・・・。」
ああ、やっぱり山口バカか。アイツは研究バカなだけじゃなくて、変態バカでもあったか。
「フジシン、お前、そんなことを知ってどうするんだよ。」
「いや、知ってどうするか、って言われると困るけど、サトーはなんか、知ってそうだなって。」
「俺を、あの山口と一緒にするな。」
「いやーごめんごめん。」
 そうこうしているうちに、チャイムが鳴り、先生が教室に入ってくる。

 先生がやって来る、と言っても、所詮ここは人間の真似事のアンドロイド学校だ。
 朝のホームルームも、先生役のアンドロイドがそれっぽいことを話して、クラスメイトもそれっぽい反応をする。
 先生は今日の身体測定について、今日の結果が良くなくても、気を落とさないように。身体が成長していなくても、お前らの心は日進月歩で成長している。健全なる精神は健全なる肉体に宿る。背が高かろうが、低かろうが、問題じゃない。など、時間いっぱい演説をする。全員アンドロイドで、パーツ次第で身体測定の結果がどうにでもなる生徒たちに向かって、身体測定の結果は気にするな、なんて話をするのはどんな気持ちなのだろうか。どんな気持ちも何も、先生だってアンドロイドなわけだし、身長が何センチとか、体重が何キロだからって、運動したり、食事を変えなきゃいけないとかはなくって、単純に、お金と機能と重量と体積がトレードオフなだけであって、だからなんだって、話。ただ、当の先生も山口バカよろしく、先生らしいことを言おうとしているだけなんだから、悪く言っても仕方ないんだけど。
 身体測定は、朝から1年のクラスから順番におこなうそうで、うちらのクラスは、お昼休みを挟むかどうかの、微妙なところだった。
 もちろん、そうなると騒ぐのが、女子だ。
「やだー、身体測定が終わるまでお昼ご飯、食べれないじゃーん。」
 一番槍はフジシンだった。それはお前のセリフじゃない。
 クラス全体が笑いに包まれる。
 俺はやれやれと言わんばかりに、実際にやれやれと言っていたわけだけど、窓の外を見ていた。
 ぼんやりとした雲の膜の向こうで、日が差し込みそうな切れ目があった。雲が風にあおられてあの切れ込みも、少しずつこちらに動いているらしい。午後には?いや、もっと早いうちに、学校もあの切れ込みの下になるのだろうか。そんなことを考えていた。

 切れ込みは思ったより早く動いたようで、2時間目の数学が始まる頃、みんなでカーテンを閉めたりして、日差しが差し込む時間だったようだ。そのあとは、空は少なからず、自分の席から眺める分には、それなりに厚い雲が、広がっているだけだった。
 そうして、4時間目の体育が終わる頃には、そう、身体測定は昼休みまでには間に合わなくて、空の状態はもう単なる曇りというより、厚みのある雨雲が空を覆っていて、ぽつぽつと、サッカーの試合をしている俺らに、確かに雨粒が降り注いでいた。
 授業後、フジシンとグランドのサッカーボールを集める。二人でボールを入れたカゴを押しながら、フジシンが話しかけてくる。
「結局、身体測定は午後以降になりそうだな。」
「お前、そんなに身体測定が楽しみなのか?」
「まぁー、陸上部の性かもな。“測定”という言葉に反応しちまうのは。」
「なんだよ、それ。」
 グランド一番奥の倉庫にカゴをしまい終えた時、雨は本降りになっていた。
「うわー、まじかよ。」
倉庫の外から手を出して、右手を雨にあてる。あっという間にべちゃべちゃになる。もはや、本降りというより、土砂降りだ。天気予報では、こんな予報ではなかったはずなんだが。
「やべーな。ここに、置き傘とかない?」
倉庫の中を探し回るが、それっぽいものどころか、雨除けにできそうなものはなかった。
「はぁー、走るか。」
フジシンが倉庫の入り口の前で、クラウンチングスタートの格好をした時、というかコイツ、俺がカギを持っているのはわかっているはずだから、雨に濡れる施錠を俺に任せて走って逃げるつもりか、と思った時、校舎の方から、傘を差した体操着姿の生徒が来る。
 フジシンも気づいたらしく、頭を上げる。
「あ、あれ。沢口じゃね?」
「二人が倉庫の方に行くのが見えたからさ。」
そう言って、沢口は片方の手で持っていた傘を一本、フジシンによこす。たった一本?
 フジシンとは言うと、傘をもらうなり走り去った。本当に走り去った。
 残された俺と沢口。
 沢口に後ろから傘を差してもらいながら、倉庫の施錠をする。
「すごい。春にこんな風に雨が降るなんて、そんなにないよね。」
「そうだなぁ。」
雨が降っているせいか、手が凍えてしまい上手くカギがかからない。倉庫のカギっていうのは、どれも、こう、カギのかけ方に癖があるものが多いのだろうか。左に一周回してきってしまえば良いものもあれば、回してから半周戻したり、90度だけ回して戻すものだったり、また、カギの歯のかかりが悪いのか、それとも錠の方が悪いのか、カギ自体を小刻みに抜き差ししながら回さないと、うまくかからない。
「そういえば・・・、・・・んだけど。」
沢口が後ろを向いたまま、俺はまだカギをガチャガチャしている。雨と手元のカギのせいで、沢口の言葉が聞き取れない。
「ん?なに。」
「朝にも、話そうと思ったんだけどー、」
俺はまだガチャガチャしている。フジシンにカギを閉めさせればよかった。
「あのさー、

のことなんだけど!」
ガチャ!やっとカギがかかった。
「え?

がどうしたって?」

って、そっちじゃなくて・・・。」
 俺が後ろを振り返ると、沢口が不機嫌そうに傘を持っている。するとそのまま、俺を置いて歩いて行ってしまう。ザーザーぶりの雨が頭にあたる。
「だから、

って、何が?」
「もう、いーです!」
 俺は追いかける。それに合わせて沢口も走り始める。運動部の副キャプテンに追いつけるはずがない。
「ちょっ、待てよ!」
グラウンドの真ん中まで来てやっと、沢口は立ち止まり、追いつくことができた。そのころにはもう、頭の先まで濡れている。何のために傘を持ってきてくれたのか。そしてこの不機嫌な顔。何が不満だって言うんだ。
 沢口が持つ傘の下に入る。沢口が傘を右手で持って、こちらを横目で、(すが)めるようにしている。

がなんなんだよ。」
「なんでもないでーす。」
 そういうと沢口はまた、ヒョイっと、傘を向こうにずらす。そうなると、また、俺は雨にあたる。
 沢口が傘をずらすたびに、俺は「おい!おい!」と言いながら、沢口が振り回すその傘の真下を追いかける、追いかける羽目になる。
 既に雨に濡れている俺自身、そこまで傘の下に入ることにこだわる必要は無いのだが、実際に雨が土砂降りだったのは始めの内だけで、今はパラパラと振っているだけだったし、もうこんなに濡れてしまっているのなら、傘に入ることにそこまでこだわる必要は無いはずなのだが、なんかこう、傘を振り回す沢口を目の前にすると、なんだか、負けられないような気持ちがしてきて、意地でもその傘の下に入ってやろうと、してしまう。
 そうこうしていると、校舎から声がする。
「にっちょくー!着替えたらすぐ、職員室に来いってさ!」
「やば!じゃ、先行くから。」
沢口はそういうと、振り回していた傘を俺に渡して、雨の中を、パラパラとしか降っていないけど、走っていく。
 チャイムが鳴って4時間目が終わりを告げる。つーかもう、昼休みじゃん。こんなグラウンドで、体操着で突っ立っているのも、しかも傘を持っているのは、俺ぐらいだ。
 普段、傘といえば大した雨除けにもならない、1000円もしない折りたたみ傘をしている俺からすると、一回り以上も大きい長傘がつくる、この釜飯のお焦げのように小さい天球というのは、一人でいるにはやけに広く、持て余す空間であるということを、妙にしみじみと感じさせられる。実家の長傘を持って出かける時には、大して感じたりはしないのだろうが。それとも、ここが校庭のグラウンドで、一人ぼっちで、それでいて、もはや傘をさす必要なんて、厳密には校庭から校舎に戻るまでの短い距離において、それでいて、俺自身が雨に濡れ切ってしまい、傘を差したところで、という状態ゆえ、からなのか。
 いずれにしても、何時までも突っ立っている必要もなければ、既にお昼休みが始まっている、早く教室に戻るに越したことはない。それに、沢口が呼ばれたことを考えると、身体測定がもう少しで始まるのかもしれない。
 そんな気がしていた。

 もう誰もいない玄関で、一人、運動靴から上履きに履き替える。
 体育館側の玄関から更衣室に向かうまでの廊下に人通りはない。ただそれでいて、静寂の廊下を、向こう側から反響してくるお昼休みの喧騒、男子のバカ騒ぎや女子のけたたましい笑い声。授業前、教室から更衣室へ向かうまでの間、廊下をバタバタと移動する生徒と、体育館で黙々と身体測定を済ませていく、あれは2年生だったのか、あの時の底に沈んだ騒がしさとは違って、今は潮が引いたように海面から騒がしさが顔を出している。ただ、俺がいる玄関には、もちろん、これから通る廊下や男子更衣室の中にだって、その騒がしさの実態は無くて、ただ、その雰囲気というか、磯の香りというか、シャンプーや香水の残り香みたいなものが、そこはかとなく、その、玄関から更衣室までを繋ぐ、間延びしたL字型の廊下に、漂っているのだった。
 結局、べったりと濡れた半袖を、玄関で絞る。玄関で上半身をさらすと、雨で濡れた地肌が、あの廊下と同じくらい、ひんやりする。どうせまた、更衣室で脱ぐことになるから、わざわざ着直す必要なんて無いが、今からあの廊下を一人で歩くと思うと、おもわず、硬く絞ったせいでカビカビになった半袖に腕を通して、あんな格好では歩いてはいられない、そう思えてくる。
 独りで歩くには寂しい廊下だ。
 玄関から出て、廊下の真ん中を歩く。剥き出しのタイルの上に、湿っぽい足音の中から、良く響く高音だけがふるいにかけられ、それだけが微妙に響く。その反響をにじますような雑音、向こう側から聞こえてくる話し声が、俺の頭の横をすり抜けて、あちら側の体育館へ、整然と身長計と衝立とが並ぶ中へ、吸い込まれていくように、通り抜けていく。
 あああ。
 臆病風に吹かれるっていうのは、きっと、こんな感じのことをいうのだろう。
 そのようなことを、頭の中で言葉にして、独り言ちたときには、更衣室にいた。
 湿っぽい空気。だがそれは、ただ、更衣室の窓が開けっ放しゆえに、ただ外からの空気が入っているからだった。
 制服と一緒にしておいた、腕時計を確認すると、もうお昼休みは半分になっていた。

 教室に戻るとクラスメイトは、まぁ、いつもの昼休みといったところだった。そして、誰かが俺の机の前の席に座り、弁当や菓子パンの袋は俺の机に投げ捨てたままで、椅子に浅く座り、拳銃で撃ち殺された人のように、伸びていた。そういうことをする奴は一人しかいない。
 俺のことをあんな風に置いてけぼりにしておきながら、こういったことができるのが、やはり、フジシンだった、
 俺は不機嫌そうに、着替えの入ったナップザックを机の隣のバックに叩きつける。
 フジシンは椅子から体を起こす、何か映像を巻き戻したように。
「よ!おかえり、雨、大丈夫だったか?」
「おかげさまでな。」
俺は席に座り、机に広げられたフジシンの弁当と包み紙を視線だけで、片付けろ、と伝えた後、バックから弁当を取り出す。
「本当に大丈夫か?前、そう言って、ショートした奴がいたからな。」
「あいにく、俺は耐水仕様なものでな。」
弁当と一緒に取り出したタオルで頭を拭く。
「身体測定は午後からになるのか?」
「そうそう、黒板にある通り。昼休みが終わると同時に開始だって。だからもうちょっとで、着替え始めた方がいいかもな。」
「マジでか・・・。」
弁当のフタについた(つゆ)を、しきつめられた白米の上にたらしながら、固まる。
 弁当。俺たちはいまさら言うまでもなく、アンドロイドだから、こんな有機物から燃料を取る必要は無くて、なんなら、コンセントから直接電気をもらう方が効率はずっと良い。ここはあくまでも学校、だから、人間らしく振舞うことが第一義になっている。そういう意味では、さっきのフジシンの「ショート云々」とか沢口の「機能云々」も、危うい発言だし、下手に廊下とかで話すと、先生に叱られかねない。ただ実際にショートしてしまったら、保健室に担ぎこんで修理、人間でいうところの治療をする羽目になるし、そういう意味では、まぁ、クラスメイトを気遣う意味では、多少、使っても問題はないだろう。
 しかし、今の問題はそんなことではなくて、俺の昼飯だ。
「昼休みって、もう20分もないじゃん。わざわざ着替えに、また、更衣室に戻るとか、あほくさいな。」
俺は弁当のフタをしめる。
「いや、着替えは教室だよ。黒板にも書いてあるだろう?女子は隣のクラスで、男子はここ。いいから食っちまえよ。」
あぁ、どおりで女子の声が無いわけだ。
「それと、サトー。俺の良心に基づいて、教えてやるんだが・・・。」
「なんだよ。もったいぶらずに言えよ。」
俺はもう一度、弁当のフタを開ける。
「さっきの沢口とのやり取り、噂になっているぞ。」
「なんだよ、噂になっているって。」
「お前って、そういうの鈍いよなー。」
フジシンが弁当袋に、弁当や菓子パンの包みなどを、全て一緒に突っ込んでいる。
「だからな。沢口とお前ができているんじゃないかって。」
「できているって?」
「ハーッ!」
袋の口を縛りながら、呆れた顔をする。
「だから、なんなんだよ。」
 ふと、周りを見ると、クラスの男子共がこちらを見ている。この席はクラスの窓側だから、たまたま、みんな窓の向こうを見ているだけとも考えられるが、この不自然さはあきらかに、フジシンと俺を見ている。
「(だーかーらー、)」
今の状況では、もはや無意味だと思えるような、ひそめた声でフジシンは続ける。
「(オメーと沢口の仲が良いのは知っているけど、実は付き合っているじゃないかって、噂になってんだよー。)」
「お前!それをここで。」
その声の大きさは、こちらに注意を払っている男子共に聞かさるには、充分だった。
「(最近よくつるんでんじゃん。)」
今ほど、フジシンの性格の悪さを実感したことはなかった。
 昨夜話したことを、こんなところで蒸し返す必要なんて無いだろう。今朝はフジシンが忘れたふりをしてくれたことに、感謝したつもりだったが、それは、とんだ間違いだった。このための前振りだったのか!
「(なんだよ。なんか言えよ。)」
弁当の白米は敷き詰められ粒と粒が引っ付いている、梅干しのある一か所と、それの半分を囲むように5か所、そのような白米を箸で、押し付けるように6分割にする。
「(オメーがどう思ってるか知らねーが、周りからすれば、そう見えてんだよ。)」
申し訳程度に入っている、唐揚げとマカロニグラタンとプチトマトを早々に口に詰め込む。
「(近くにいるから知らねーかもしれないけど、沢口って、割と人気なんだぜ。バレー部の副キャプだしよー。)」
白米を梅干しが乗っているものから、順番に口の中に押し込んでいく。
「(どーなんだよ、本当に沢口のことはどうとも思っていないのかよ。)」
俺は口元を左手の甲で抑える。あいている右手で弁当を仕舞い、口の中の白米を必死に噛み砕く。俺が何も言えない、言わないことをわかっているのだろう、フジシンは続ける。
「(案外、沢口の方はまんざらでもなくって、オメーの気持ち次第かも知れねーぞ。)」
その一言に、思わず吹き出しそうになる。
「エホッ、エホッ、エホッ。」
「(おい、大丈夫かよ。)」
フジシンは、いまだに小声のまま、背中をさすろうとする。どうやら、発声機関に白米は入らずに済んだようだ。咳払いする。
 さっきのセリフは昨夜、フジシンが言ったそのままだった。それをまぁ、こんなところで、白々しく繰り返すなんて、昨夜俺が言ったことを、次はクラスメイトの前で言わそうという魂胆なのだろうか。
「だから、そんなんじゃねーって。」
「(ふほぉーん。)」
口元だけでニコニコさせる、気持ち悪い笑みを見せながら、小さく何度も頷く。フジシンの口がそのように、口先だけなら何とでも言えますからね、とでも言いたげ、いや、実際に言っているだろう。
「もう、勝手にしていろ。もう行くからな。」
「行くって、何処へ行くんだよ。」
 そうだった。着替えは教室だった・・・。
 フジシンは、口元と頭の動きはさっきと大して変わっていないが、まぁ座れや時間はまだあるんだし、とでも言いたげな顔で、自分のナップザックから、体操着を取り出す。
 俺はまた、沈んでいくように、机に座る。

 身体測定は男女混合で、といってもみんな体操着のままで、体育館の左右に分かれて行うだけだ。朝のホームルームに渡された記入用紙を持って、各々が適当に回っていく。
 身長、体重、聴力、レントゲン、内科検診に歯科検診、後半どころか全部が俺らには、大して必要な検査とは思えないのだが、それぞれの検査の行列に並んで、白衣を着た職員、というか、全員、白衣を羽織っただけの先生たちなのだが、そうして、俺とフジシンは最後の、視力検査を終えたところだった。
「サトー、さっきの視力検査なんだよ。一個も答えられてなかったんじゃん。」
「視力検査って苦手なんだよ。」
5メートル先にパネルを持った先生がいて、そのパネルのランドルト環の向きを答えるのだが、俺にはさっぱりだった。 
「視力検査に得意もなにもないだろ。」
「いや、」
 ここから先、声が小さくなる。
「(俺の視覚センサーって、超音波だから、パネルの文字や記号ってわかんねーんだよ。)」
「え!そうだったの?」
「だから、黒板の文字とかダメなんだよ。」
「じゃぁ、サトー、授業とか超大変じゃん。」
「まー、全部、光の点にしか見えねーし、」
 そう言いかけた時、俺らと同じように身体測定を終えた生徒と、体育館の出入り口で行き会う。するとフジシンは、
「よ!沢口じゃん。お前知ってるかー。」
「ちょっと、そんな言いふらすなよ。」
 フジシンは、今さっき俺が話したことを沢口にも話すようだ。別に、話されて困るようなことじゃないけど、こんな廊下で話したら、どこで先生が見ているやら。俺は警告しようと、フジシンの肩に手を伸ばす。
「フジシン!そんな大きな声で話すなよ。」
「あ?サトー、俺はこっちだぞ。」
フジシンだと思って掴んだのとは別の、光の点の塊がそう答える。
 なんか嫌な予感がした。
 肩にかけた手にはブラ紐のような手触りはなかったが、昨夜いや、

、“フジシン”としたはずの恋バナの瞬間まで巻き戻るような感覚が、頭をよぎった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

こんにちは!

『みかん箱』 執筆者の三柑八朔です。

「登場人物」の場所を使って、各短編の簡単なあらすじを紹介していきます。

興味のある作品を探す参考にしてください!

読んで面白かった作品には、「いいね」していただけると嬉しいです。

第一話 「本は巡っていく」

ジャンル:ドラマ、青春、ブックカフェ

吉田は、無人のブックカフェ”ABC”から金になる本を盗もうとしていた。高校生活を満喫するには金がいるのだ。しかし、彼を阻むように、自称:常連の女性はいつまでも「1万6千円」の本を読んでいる。早くその本を読み切ってくれ!果たして彼は、最後の高校生活を「せどり」で彩ることができるのだろうか。

第二話「私の無限なべ」

ジャンル:ドラマ、記憶、キムチ鍋

契約期間満了により、実質リストラされた藤村は、引越しを明日に控えたアパートで最後の晩餐をしていた。メニューはキムチ鍋。明日の朝まで気持ちよく飲み明かすつもりだったが、その気持ちとは裏腹に、真っ赤な鍋からチラつくのはあの忌々しい記憶ばかり。彼女は今夜のキムチ鍋を食べ切れるのか。

第三話「津山恋愛事務所」

ジャンル:ドラマ、恋愛?、パシリ

輸入雑貨の仕入れやら、ネットニュースの書き起こしやら、恋愛事務所の「恋愛」の二文字からは程遠い雑用・パシリを押しつけられる新人所員のリョーイチ。先輩所員サムさんの寿退所を受けて、トコロテン方式に所長ヌル子と「恋愛相談」の現場へ駆り出される。さすが、『恋愛成就率99%』は伊達じゃない!

第四話「雨粒と星粒」

ジャンル:ドラマ、お葬式、親族

「お母さんが死んだ」、瑞希はタクシーに揺られながら考えていた。熱気と湿気でむせかえる式場。お坊さんのお経を背景にして、知らない人たちがすすり泣く声、それとお焼香の香りと手に残るザラザラした感じ。なぜだろう、私だけ取り残された感じ。そういえば、叔母さんの優希さんも泣いていなかった。

第五話「チューブ・ルート・8」

ジャンル:ややSF、二人の男、ポテトチップス

オリオン座の三つ星が輝く冬の夜、サバンナの星空をプラネタリウムにしてレオとライオは歩いていた。二人の故郷へ繋がる全天候型道路「チューブ・ルート・8」。透明なトンネル状の道を歩くレオとライオの仲に一つの危機が訪れていた。ポテトチップスの『のり塩』。それが全ての始まりだった。

第六話「夜曜日の日」

ジャンル:実験小説?、交換日記、大学生

「僕はいつもね、そう、あれ以来、よく聞くレコードがあってね、レコードなんて君からすれば、ハイカラ気取りって言われるかもだけど、レコードというのはね、CDのように究極的には0か1かに変換されうる情報とは違って、0~1という幅があってでね。あぁ、ところでレコードのタイトルだけど、、、

第七話「エレベーターが動き出すまで」

ジャンル:ドラマ、タワーマンション、ハロウィン

ハロウィンの夜。希のマンションからは仮装行列が見える。今日に限ってテキパキと仕事を終える部下たちと、ハロウィンの人混みのおかげで、希は仕事帰りに夕食を食べ損ねていた。今から夕食を買い出そうと希がエレベーターに乗ると、運悪く緊急停止してしまう。見知らぬ”和服白ゴス”の女性と一緒に。

第八話「血のないふたり」

ジャンル:ドラマ、アンドロイド、夜のお散歩

夜行バスに揺られて、夜の街にやってきたアンドロイドの子供のルルとミル。雪が降る寒々とした街で、あてのない、探し物をしている。コンビニ、屋台、牛丼屋・・・。夜の街をめぐり、いろんな人とも出会うルルとミル。結局、探し物は見つからないまま、何を探しているのかもわからないまま。夜が明ける。

第九話「ココアは苦めで」

ジャンル:ドラマ、場所取り、他人のなれそめ

スキー同好会の山田たちは、明日のサークル勧誘会に向け、花見の場所取りを徹夜でしていた。何かと競技スキー部には見下されがちなだけに、イベントではそのパリピで存在感を示したい!そして今年こそ念願の女子部員を!そんな野望を抱く山田をよそに、同好会随一の草食系に彼女ができたとか?

第十話「彼女は空になった」

ジャンル:SFホラー?、アパートの隣人、雨

彼が毎日夕日を眺め、大雨の夜は雨に打たれ、快晴の朝は日差しに焼かれる理由。それは、彼の彼女が空になったから、人工惑星の制御装置の生体コンピューターになったから。人間と機械の恋は、かなわない恋。彼を現実に引き戻すため、そして彼女の野望を食い止めるため、行動をしないといけない。

第十一話「小町ちゃんよ、永遠に。」

ジャンル:ドラマ?、町おこし、マスコット

『みなさん、こんにちは!今日古町の特別広報部長の京小町です!今日古町と言えばジャガイモ!夏の新ジャガは、ほっぺが落ちちゃうくらい美味しいんですけど、名産品はそれだけじゃないんです!魅力いっぱいの今日古町を今日からたくさん紹介していきます!みなさん、どうぞよろしくお願いします!』

第十二話「クリスマス・モーフィング」

ジャンル:ドラマ、掌編集、クリスマス

時代も場所も登場人物も違う、クリスマスな掌編集。四畳半で凍える青年、サンタを待ちわびる子供、独り身の女性、そして、クリスマスも仕事の男・・・。決してハートウォーミングしないけれど、これを読んだ皆さんのクリスマスが、作中のどの登場人物よりも、少しでも良いものであることを祈っています。

第十三話「ランドルトの環だけ残す」

ジャンル:ドラマ、青春、身体測定

学校へ行って帰ってくる、いつもどおりの毎日。ただちょっとだけ違うのは、全校生徒がアンドロイドなくらい。そして今日も始まる人間ごっこ。そんな生活にサトーは辟易し始めていたが、例えアンドロイドといえども高校生ならば、ティーンエイジャーらしい悩みはあるわけで。退屈な一日が始まる。

第十四話「『ままならない日々_近藤の場合』~とけない氷~」

ジャンル:ドラマ、ラムバック、ある人の日常

一人で呑むようになったのはいつからだろう。大学の失恋から?仕事を始めてから?目の前のグラスは答えてくれない。近藤は不確かな意識の中で、明日飲むための感情を製氷棚に入れ、今日飲んだ昨日の感情をトイレに吐き出す。そうやって今夜も、彼女のままならない日々が終わ(始ま)るのだった。

第十五話「川に落ちた日」

ジャンル:ドラマ、川の流れ、感傷

桃に、河童に、オフィーリア。川に流されるものは古今東西、幾らでもあるといえど、まさか私が流されるとは。晴天の青空に、心地よくかぶさる草木、そして、体の裏側をヒンヤリとさせる川の水。それらは心地よく、とても良いものかもしれない。ただ、どうして私は川に流されているのだろうか。

第十六話「黄金色の小判型でサクサクとした衣」

ジャンル:コロッケ、コロッケ、コロッケ

 「あれは確かにコロッケだったんだ。」「いや、間違いないね。」「まさかあれがコロッケじゃない、訳ないじゃないか。」「あれはコロッケなんだ。」「あああ。」「あれはコロッケコロッケ。」「間違いなくコロッケなんだ。」「ああああああ。」「何と言おうと幾ら否定されようと。」「あれは、あれは、」

第十七話「読みかけの本」

ジャンル:ドラマ、『雪国』、帰省

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」実家へと向かう特急列車の中で、いつものように浜村は『雪国』を開きます。帰省する時の習慣でした。読むといっても最初の十数頁、島村が駒子と再会する所まで。ただ、浜村にはそれだけで充分でした。故郷に帰るには、それだけで十分でした。

第十八話「三十三平米の荒野」

ジャンル:ドラマ、なんちゃって戦後、地下ボクシング

戦争の傷が未だ癒えず、柔らかな春雨からも、古いガソリンのような臭いがしてくる街で、肩寄せ合って生きる二匹の狼がいた。ボクサーの『タロウ撲師』と、その自称マネージャーのラン子。焼けた街で何かを探して生きる二人に、闇市を仕切るヤクザ達の抗争が、どうしようもなく巻き込んでくる。

第十九話「『ヤツは四天王の中で最弱』と仲間に言われながら、勇者に倒された悪魔四天王の一人である俺は、気が付くと異世界転生して女子高生と入れ替わっていた、まではまだよくて、その女子高生の友人が「エア神経衰弱を始めよう」とか言い始めて、仕方なく付き合っているんだけども、この状況を的確に表現できるいい言葉を教えてほしい」

ジャンル:ドラマ、転生もの?、トランプ

第二十話「記憶の暗がり〜序章〜」

ジャンル:SFもどき、記憶、プロローグ

人類は情報を保管する〈ROM〉人間と、その情報を活用する〈RAM〉人間の2種類に分けられていた。RAMとして生きていた山内は違法なROM人間オークションであるROMの女性と出会うが、脳には彼女の死んだ父の遺品が刻まれていた!これは山内と彼女がその父の謎に立ち向かうまでの序章。

第廿一話「」(更新予定日:4月13日7:00)

ジャンル:ショートショート?、戦争、一兵卒

→ごめんなさい!来週更新します。作品の形式をやや変える予定です(?)

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み