第11話「小町ちゃんよ、永遠に。」
文字数 10,304文字
開けっ放しのドアの向こうでは、総務課の職員たちが慌ただしく、仕事をしている。
パソコンが1台、ポツンと置かれた自分の机に目をやる。ファイルもなければ、書類1枚もない。黄ばんだデスクマットだけ。
斜め向かいの
よくも、あんな長い爪で操作できるものだ。
彼女が何をしているのか。聞かなくてもわかる。転職サイトを見ているのだ。昨日なんかは、SPIの参考書を堂々と机の上に出して、エントリーシートを書いていたのだから。
流行りのゲームをしていないだけ、大目に見てやるとしても、せめて人目の付かない所でやってほしいものだ。
〈プルルルル〉
内線電話が鳴る。反射的に、壁の受話器を見る、が、ランプは点いていない。総務課の内線だったようだ。それにしても、植下君はちっとも動じない。せめて、内線を気に掛ける仕草くらいはしてほしいものだ。せめて、仕事をするふりくらい。といっても、仕方ない。見ての通りここには仕事が無いのだから。
私はたまらず伸びをする。
コーヒーのおかわりがほしいが、あの総務課の脇を通って給湯室に行くのは、どうにも。新人の
しかし彼もツイていない。
新人は大抵、窓口業務でしごかれるか。あの総務課でしごかれるか。そのどちらかであるのに、このような部署に配属されてしまうとは。既に、役場内での運命が決められてしまったような。室長である私が言っていいことではないが。
いつまでも退屈そうにするわけにもいかない。パソコンを開こうとしたとき、扉の向こうから人が来る。
「すみませーん。『町おこし推進室』って、ここですよね。」
見ない顔。名札ケースの首紐が黄緑だから、今年の新人だろうか。
「あ、はい。そうですよ。」
植下君は頑としてスマートフォンから目を離さない。代わりに私が返事をする。
「あの、5番のカウンターに荷物が来ているので、早く持っていってください。邪魔なので、お願いします。」
そう言うと、新人の彼女はスタスタと行ってしまった。
植下君が返事をしない以上の違和感。もっと敬った話し方をしろとは言わないが、もう少し言い方っていうのが、あるのではないか。とはいえ、この様子では無理というものか。
私はひとり立ち上がって部屋を出る。総務課の職員が物珍しそうに向ける視線を、可能な限り無視をする。
背中に嫌な汗が流れる。
荷物を取りに行く。別にやましいことをしているわけではない。むしろ、仕事をしているのだ。あの机に座っているだけより、だいぶましだろう。
そのはずなのに、背筋をゾクゾクとさせる、後ろめたさは何だろうか。
植下君の図太さを、今ほど羨ましく思ったことはない。
5番カウンターは役場の玄関から一番近い窓口、つまり、事務室からは一番遠い窓口だ。本来こういった宅配便は裏の搬入口に届けるはずなのに、さっきの彼女といい、宅配便の人といい、みんな新人だったのだろう。
カウンターには、クラフト紙の包みが5つ、ダンボールの筒が2つある。
そういえば、副町長から話をされた気がする。なんとなく、嫌な予感がする。
荷物は3回に分けて、窓口の誰かが手伝ってくれれば良いのだが、一人で運ぶことになった。あの総務課の側を3回も往復したのだ。
部屋の机に荷物を並べる。流石に、植下君もこれには興味を示したようだ。
記憶が正しければ、これには新しいパンフレットが入っているはずだ。それも・・・。
「室長、一つ開けますね。」
返事を待たずに、彼女が豪快に包みを破る。
顔を出したのは、文字通り「顔」を出したのは、我が
A3を2つ折りにした、4ページのパンフレットだ。表にはページいっぱいの『京小町ちゃん』のマンガ調のイラスト。中の見開きには、町の地図と観光案内。裏には公官庁その他の連絡先が書かれている。作成元が『今日古町役場 総務課 町おこし推進室』になっている。
植下君はパンフレットを1枚取り出し、しげしげと眺める。
今となっては、地方自治体にこのようなマスコットキャラクターが採用されるのは珍しいことでもない。しかし、このデザインだ。
矢羽根文様の和服と海老茶色の女袴、黄緑色の和傘を持っている。大正時代の女学生をイメージというか、「キョウ コマチ」という言葉のイメージだけでデザインされてしまっている。
実際の今日古町は畑作、特にジャガイモ、ニンジンといった根菜類が主力な農業の町だ。今日古町を100年ほど遡らせたところで、彼女のような女学生が存在していたとは思えない。
副町長が独断で進めたという噂もあるが、真相は不明だ。しかし、公式お披露目まで、秘密主義が徹底されてしまった、というのが一番の問題だ。
マスコットとして今日古町を背負っていく、この『京小町ちゃん』の門出というものが、波乱に満ち満ちていることは言うまでもないだろう。そして、彼女を背負っていく、我々「町おこし推進室」の未来というものも。
ダンボールには、パンフレットのイラストを流用した、ポスターとのぼりが入っている。
よくもまぁ、一度にこれだけ作るものだ。
植下君がのぼりを広げる。
「室長、これが噂の『小町ちゃん』ですね。」
「ああ、そうだよ。今からこれを、町内に売り込みに行くんだよ。」
「え?なんですか?」
耳からワイヤレスのイヤホンを取り出す。
朝からずっと、それをしていたようだ。どうりで話しかけても反応がないわけだ。
「だから・・・」
言いかけたところで、館内放送が流れる。
〈町おこし推進室の職員は、第2会議室にお集まりください。繰り返します・・・〉
呼び出しだ。
今回はちゃんと、植下君も聞いていたようだ。のぼりを持ってポカンとしている。
それもそのはずだ。第2会議室、通称:副町長室に平職員が呼び出されることはまずない。そしてそれは、ロクでもないことだったりもするわけだから。
私と植下君が第2会議室に着く頃、既に久留井君は到着していた。
ルームランナーにぶら下がり健康器、絵画に陶芸、冷蔵庫や電子レンジなど、副町長の私物が大半を占めている。そんな室内を彼は居心地悪そうに、ウロウロとしていた。
「研修はどうかね?」
私は、彼と彼女を“会議室”の隅にあるパイプ椅子に座らせる。
「はい!今日は朝から役場を出て、関係施設や団体に挨拶して回りました。午後から道の駅にも寄る予定だったんですけど、呼び出しで・・・。」
「そうか、それは残念だったな。それならきっと、昼食も食べ損ねたんだろ?」
「はい。そこでカレーを食べる予定だったんですけど。まっすぐ役場まで。」
「そうか。まぁ、このあと、すぐ行くことになるだろうから。そのとき、あそこのカレーでもなんでも食わしてやるよ。」
「本当ですか!」
「えー、そこのカレーっておいしいですか?」
退屈そうにしていた植下君が話に加わった頃、副町長の声が聞こえてくる。
「そのまま、そのまま、そのままー。おー。よーっし。」
いかにも、おっさん臭い掛け声で、何かを先導しているようだ。後ろ歩きで、部屋に入って来る。若い二人をとりあえず立たせる。
「お!もう来ていたか!これを見ろよ。いいだろ?」
副町長が指差す先。
部屋に入ってきたのは、『小町ちゃん』のマネキンだ。つなぎを着た作業員二人に、倒した状態で抱えられている。指示されるままに、ぶら下がり健康器の下に立てる。『小町ちゃん』の頭が、健康器の鉄棒にかすれそうだ。
立てられて気づいたが、デカすぎる。脇に立つ作業員と同じくらいの背丈だ。
「ほら、君たちも近くで見たらどうだ。」
私たちは渋々と、『小町ちゃん』の下に集まる。ここにいる“5人”の中で『小町ちゃん』が一番高い。180cmはあるだろう。あの久留井君よりも、拳一つ分、飛びぬけている。
「見たまえ、この着物。京都の呉服屋で採寸から全て、やってもらったんだよ。」
「え、京都まで行かれたんですか?」
「モチのロンだよ。女の子にとって服は命みたいなものだからね。最初の
おべべ
くらい、ちゃんとしたものを着せたいだろ。なぁ、植下君。」「そうですね。素晴らしいお召し物だと思います。『神は細部に宿る』とも言いますから、副町長の細やかなこだわりが、『小町ちゃん』をより『小町ちゃん』らしくするのだと思います。」
話を振られて困惑すると思いきや、とんでもない猫かぶりだ。
「いや~。『神は細部に宿る』まさにその通りだよ。嬉しいこと言ってくれるね。」
副町長はご満悦だ。一緒に持ってきた和傘も取り出し、若い二人を引き寄せる。
「ついでに言うとね、この和傘。どこのだと思う?」
「やっぱり、京都ですか?」
「和傘といったら、岐阜でしょう。」
「さすが!植下君は詳しいねぇ。でも、これは岐阜じゃないんだなぁ。」
「え?どちらなんですか?」
「それが、石川なんだよなぁ。これを開くとねぇ・・・」
鮮やかな若葉色が会議室に開く。
副町長は若い彼らを傘の中に入れて、何やら説明している。真剣そうに聞く久留井君に、大げさな相槌を打つ植下君。
私は2歩3歩引いたところから、その“4人”の様子を見ていた。
京都の和服に石川の和傘。どれも高級品で良い物かもしれないけど、どこも地元じゃないんだよな。
気づけば、副町長と二人は部屋の油絵を見ている。話がついにマネキンからそれてしまったようだ。流石に私もしびれを切らす。
「副町長!マネキンの自慢をするのに、私たちを呼んだんじゃないでしょう。」
副町長がゆっくりとこちらを見る。
「田辺君!マネキンとはなんだね。マネキンとは!君と同じように、彼女にも『小町ちゃん』という、名前があるんだよ!」
「は、はい。」
「室長である君がそんなでどうするんだい。」
久しぶりに役職ではなく、名前で呼ばれて萎縮してしまう。
「たしかに、田辺君が言ったように、立ち話するために君たちを呼んだんじゃなかった。まず、これね。」
そう言うなり、会議室にある副町長の机から新品のTシャツを取り出す。私たちに1枚ずつ渡される。
『小町ちゃん』の和服とは打って変わって、ぺらぺらとした化学繊維のTシャツだ。広げると、まぶしい黄緑を地にして、全面に『小町ちゃん』があしらわれている。なぜかパンフレットとは別で、白いワンピースを着ている。そして、シャツ自体がやけに大きい。XXLくらいだろうか。久留井君も植下君も同じサイズのようだ。
「副町長、イベント用に着るにしても大き過ぎますよ。」
植下君が聞く。
「イベント用じゃなくて普段用ね。スーツの上からでも着られるように、大きめで薄手にしてもらったから。あとこれが色違い。」
そう言って、濃いピンク色の同じTシャツも渡される。
「普段着とおっしゃいますと?」
「普段は普段だよ。役場で働いている間はそれを着るんだよ。当面の目標は『小町ちゃん』の知名度アップだからね。あとこれも。」
さらに、メモ紙を私に渡す。パスワードのような文字列が書かれている。
「それ、Twitterの『小町ちゃん』公式アカウントのIDとパスワードね。今日から毎日、投稿してもらうから。」
「私が、ですか?」
思わず聞き返す。
「田辺君一人でやる必要は無いよ。推進室のみんなで協力してやってよ。ただ『小町ちゃん』は17歳のおしとやかな女の子という設定だから、イメージを崩さないようにね。」
私は植下君の方を見る。
「えー。女だからって、私がやらなきゃいけないんですか?新人の久留井がしなさいよ。」
「僕、ですか?」
「この中では、SNSに一番詳しいだろうし、頼むよ。いつでも相談に乗るから。」
そう言って私は、久留井君にメモ紙を渡した。
その日の午後、私たち3人は、道の駅や図書館、観光案内所などを回ることになった。てっきり、設置するのは先ほど届いたパンフレットだけかと思いきや、等身大パネルがあり、それも設置してこいとのことだ。
早速、Tシャツも着ることになる。黄緑を輝かせながら町内をまわる。あの総務課ほどではないにしても、視線がグサグサと刺さる。それに、市民権ならず、町民権を得ているとはいいがたい『小町ちゃん』の等身大パネルを担いで回るのだから、周りが好奇な目になるのは仕方ないかもしれない。
唯一救いだったのは、この“等身大パネル”が150cmほどだったことだろうか。
結局、イベントで発表する前にこうやってパンフレットを配ってしまうのなら、どうして秘密主義にしたのだろう。こんな冷ややかな目線を受けることも、なかっただろうに。
それに加えてTwitterの投稿だ。
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今日古町のみなさん、こんにちは!
今日古町特別広報部長の『京小町』です!
町の魅力をいっぱいアピールしたいと思います!
精一杯、頑張りますのでよろしくお願いします!!
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初投稿ということもあって、内容は自己紹介だけだ。副町長から渡されたプロフィールをもとに、文章を作るだけ。しかし、『京小町』が部長クラスだったとは。マスコットに嫉妬しても仕方ないが。
次の日から仕事が来るようになり、総務部の目を気にするようなことも少なくなった。
はじめは、パンフレットやポスター設置の依頼だ。町民はもちろんだが町外にも宣伝する必要がある。隣町の観光施設や都市部のアンテナショップなど、パンフレットを置く場所というのは、想像以上に広く多い。
また、『京小町ちゃん』の公式のお披露目としてイベントの準備も始まった。単なる記者発表ではなく、町内外からも人を集めるために物産展をすることになった。
そのため、あの狭い推進室にいる時間よりも外を回る時間の方が長くなってきた。毎日、出店交渉、関係団体との調整やら。4月初めの頃、あの閑散とした『町おこし推進室』が嘘のようだった。
Twitterの投稿は室員3人で担当したのは初めのうちで、イベントの開催が決まると専ら新人の久留井君に任せきりになった。
それでも彼は責任感を持って日々の投稿をこなしてくれている。
主に町内のお店や名産品の紹介だ。と、いっても、ほとんどは業務で立ち寄った所を紹介しているだけなのだが。
そうして、推進室の業務もTwitterの投稿も大まかな流れというものがルーチンになって、うまく回り始めた頃。思い出したように、副町長からの呼び出しがきた。
私たち3人はいつものように、今日はピンク色のTシャツを着て会議室に向かった。
副町長は椅子に座って待っていた。
「最近の推進室はどうだい?」
「はい。夏の農産フェスティバルに向けた準備は順調に進んでいます。関係団体のほとんどから協力を得られています。特に、農協と商工会議所が積極的に、会員に協力を仰いでくれているようです。開催予定地である道の駅には、収まりきらないほどの出店申請が来ています。そのため今は、抽選方法を検討しつつも、より広い開催地の検討を消防や警察と相談しながら進めています。」
「ふーん。イベントの方は順調なんだね。」
「はい。町を挙げてのイベントというのは、初めてということもあり、勝手の分からない部分もありますが、みなさ・・・」
「ところで、Twitterのほうは?」
「へ?」
「イベントの準備も大事だけど、『小町ちゃん』の周知も大事でしょ。」
「はぁ、それは久留井君がTwitterを毎日投稿して、周知に励んでくれています。取り上げた店舗の中には、翌日から来店者数が増えたと、言ってくれているところもあります。」
「いやーだからね、僕が言いたいのはそこなんだよ。」
「と、おっしゃいますと?」
「『小町ちゃん』のアカウントが、単なるおすすめスポットの紹介になっているでしょ?」
「はぁ、今日古町を紹介するとなると、どうしてもそうなってしまうのですが。」
「そこ、そこが違うんだよな。『京小町ちゃん』のアカウントであって、町の紹介アカウントじゃないんだよ。」
「はぁ。」
「だからね、町の紹介も大事だけど、もっと、『小町ちゃん』の人となりがわかるような、投稿をしてほしいわけ。たんなるスポットの紹介なら、わざわざ、『小町ちゃん』のアカウントでする必要ないでしょ?」
「たしかに・・・、そうですね。」
「でしょ。だからもっと、人となりが出るような投稿を意識してね。そのために「プロフィール」も渡したんだから。」
「はい、わかりました。」
久留井君の方を見る。彼はうつむいたままだ。肘で小突いてやる。
「はっ、はい!」
あれから久留井君は、たびたび副町長から呼び出しを食らうようになった。呼び出しの理由は言うまでもなく、投稿内容だ。
初めのうちは、私は彼についてやっていたのだが、農産フェスティバルが近づいてくると、そうもいかなくなってきた。
彼一人を置いて、植下君と外勤する機会が増えていた。彼女は初めこそあのような感じだったが、今では精力的に動いてくれている。前の配属が産業振興課で顔が聞くこともあり、私もつい彼女に頼ってしまう。そうすると、彼を役場で一人にさせがちだった。
しかし、これは仕方のないことだ。今は、農産フェスティバルの成功が先決だ。Twitterの投稿は副町長との相談で解決できることだし、彼も責任を持ってやりきってくれる、そう考えていた。
そうして今日も、植下君と道の駅近くの中学校へ交渉に来ていた。校庭を駐車場として開放してくれるようお願いしに来たのだ。
農産フェスティバルの会場を道の駅から変更することは難しかった。道の駅より広い場所はいくらでもあるのだが、出店に必要な、水道や電気を確保しようと思うと、整備されている場所が無かったのだ。
そのため足りないスペースは、道の駅の駐車場も活用することで補い、足りない駐車場を近くの施設から借りることになった。その候補がこの公立中学校だった。
交渉は難航するかと思ったが、二つ返事で許可が下りた。
それで今は、道の駅のレストランで早めのお昼ということにしていた。
外は梅雨が明けて暑くなり始めていた。
植下君が水を二人分持ってきてくれる。
「室長知っています?今はカレーライスよりも、コロッケサンドの方が有名なんですよ。」
「え、そうなの?」
「久留井が例のTwitterで紹介してから、今ではそっちの方が人気なんですって。」
言われてみれば、食券売り場にそのようなことが書いてあった気がする。そんな私を見て、彼女はテーブルにあるメニュー表を見せる。
『小町ちゃんに紹介されました!』という文句と一緒に、ツイートがPOPにしてある。
店内を見回すと、今までなかったものが増えている。あの目立つように置かれている『小町ちゃん』パネルもそうだが、前よりPOPというか、そういう目を引くものが増えていた。洗練されているとはいいがたいが、前の閑散とした雰囲気よりは、幾分か明るくなったというか。
「はぁー、彼も頑張っているんだな。」
「あと、室長。彼からTwitterに関して、何か相談されませんでした?」
「相談?受けたことはないけど。」
久留井君から直接、Twitterについて相談されたことはなかった。何度か副町長の呼び出しについたことはあったが、そこで話される内容についていけず、私からこれといったフォローができなかった。それでも必ずついていたが、イベントの話が立て込んでくると、彼をほったらかすようになっていた。
「室長、もしかしてTwitterすら覗いていないですよね。」
図星だった。
「彼からの相談についてなんですけど、これをちょっと見てください。」
植下君は自分のスマホを取り出して、『小町ちゃん』のTwitterを見せる。
「『小町ちゃん』にちょっと気持ち悪いリプライする人がいるんですよ。あ、リプライって、簡単に言うとツイートに対する返信みたいなものです。」
「いわゆるネットストーカーという奴か。」
「そうなんですよ。久留井には気にするなって、言ってあげたんですけど。別に相手はこっちのことがわかるわけでもないので。」
「確かにねぇ。」
「何度かブロックしたんですけど、それでもすぐ別アカウントを作るので、イタチごっこになっちゃって。今はもう無視している状態のはずですね。」
「まぁ、こうやってストーカーが生まれる、ということは、それだけ彼が『小町ちゃん』になりきっているということなのかね。」
「ちょっと!それはストーカーを容認するということですか。」
「ごめんごめん。冗談だよ。」
私が手を合わせて謝る。そうしていると、目の前にカレーが2皿並べられる。話の流れを変えようと、わざとらしく「いただきまーす」と言うと、彼女はため息をついて、スプーンを持つ。
「あ、室長それとですが、『小町ちゃん』が出没するという噂を聞いたことありますか?」
「植下君、『小町ちゃん』はマスコットなんだよ。君がそれを現実と取り違えて・・・。」
「それをわかったうえで、ですよ。」
「じゃあ、どういうことだい。」
「ですから、役場内で『小町ちゃん』が出没しているんですよ。」
「出没って。そもそもどうしてそれが『小町ちゃん』だってわかるんだい。」
「それが、副町長室の『小町ちゃん』と同じ格好をしているんですよ。袴姿に和傘を持って。終業後に徘徊しているらしくって。」
「副町長室から衣装を持ち出している、ということか?」
「おそらく、そうだと思います。」
「それにしても、誰が?」
「あの『小町ちゃん』は、役場の人は全員知っているので、まぁ、誰が犯人である可能性も。ただ、問題は動機ですけど。」
「そうだよなぁ。」
私は食べ終えたカレー皿の中を覗く。ひと月ほど前に、副町長に呼び出された時のことを思い出していた。まさか、『小町ちゃん』になりきるために、久留井君がコスプレをしているとか?まさか。
植下君が思いつめた感じで、口を開く。
「もしかして、久留井が投稿のために?」
植下君も考えることは同じか。
「いくらなんでも、それはないだろう。」
「そうですよね。でも、もしも・・・。」
「わかった。」
植下君の次の言葉を制止する。
「私が今日、聞いてみよう。ここで変に詮索するより、本人に聞いた方が早いだろう。」
「でも、」
植下君が不安そうな、ちょっと困ったような顔をして続ける。
「でも、どうします。その、投稿とは別個に、もっと、プライベートな意味で・・・。」
「どういう意味かね?」
「もう、室長って鈍いんですね。だから、趣味程度ならいいですけど、もっと、切実な意味での志向といいますか・・・。」
「なんだ。久留井君はオカマになりたいかもしれない、というのか?」
「どうして、こう、デリカシーの無い言い方しかできないんですか?」
スプーンをカレー皿に突き立てて、覗き込むように、こちらを見てくる。
「ご、ごめんなさい。」
「まぁ。私から言えることは、久留井に直接聞くのであれば、室長の払える限りの注意を払ってくださいね。」
役場に帰ってきたのはいいが、久留井君に話しかける機会がないまま、退勤時刻になってしまった。植下君から何か、フォローをしてくれることを期待したのだが、彼女は、定時で帰ってしまった。
彼はまだ資料の整理をしている。
二人きりの室内。レストランでされた植下君の言葉を思い出す。デリカシー、ねぇ。
「久留井君。今夜は空いているかね?」
「え?」
久留井君はパソコンから顔を上げて、こちらを見る。ちょっと説明が足りなかったか。
「今日、道の駅で昼食にしたらな、君の投稿がPOPにしてあったんだよ。だから、こう仕事の労いとしてでな、食事でもどうかね。」
「は、はい!それなら、お付き合いします。」
そうして、役場に一番近い居酒屋に久留井君と行くことになった。テーブルで向かい合うように座り、生ビールで乾杯する。
「Twitterの投稿の方も、板についてきたようじゃないか。」
久留井君は乾杯したビールをテーブルに戻したきり、そのままだ。
「はい。副町長からのテコ入れのおかげといいますか。」
「道の駅でも、好評だったよ。」
「ありがとうございます。」
それで、いったん話が途切れてしまう。彼はお通しを、冷ややっこを食べる。
「何か、悩んでいることはないか?副町長からよく呼び出されているようだが。」
彼はビールの泡、もう乾いてしまっている、を見つめたあと、うつむいた顔を上げる。
「あの。言いづらいことなんですけど、副町長にコスプレをさせられていて・・・。」
「コスプレって、『小町ちゃん』のか?」
「はい。『小町ちゃん』になりきるためには、形から入る必要がある、だそうで。」
コスプレ!そのような気はしていたが、裏に副町長がいるなら、合点がいく。
「そうか、それならよかった。」
「『よかった』って、それはどういう意味ですか!」
「ああ、ごめんごめん。植下君からは噂を聞いていてね。夜に和服姿の『小町ちゃん』が徘徊しているって。やはり、君だったか。」
「夜にコスプレだなんて。就業時間中にしか、やっていませんよ。」
「え?」
「自分も聞こうと思っていたんです。もしかして、植下先輩かなって。」
「植下君も違うって・・・。」
そう言いかけた時だった。
窓の外、就業したはずの町役場の玄関で、若葉色の和傘が開いたのは。