第12話「クリスマス・モーフィング」
文字数 10,096文字
四畳半の畳敷きに青年が一人、深緑のMA−1に、桃色の毛布を羽織り縮こまっている。
青年の前には卓上電熱器が畳の上に、アルミホイルを巻いた木のまな板の上に、置かれている。電熱器にはブリキの計量カップが置かれ、お湯が沸いている。水が少ないのか、カップはカタカタと音を立てる。
真っ白な蒸気がまっすぐ、上へ伸びる。
青年は毛布のまま立ち上がり、流しに向かう。瞬間湯沸かし器には目もくれず、キンと冷えた水道の蛇口に手を掛ける。
その右手には真新しい軍手を付けている。
くすんだガラスのコップに半分にも満たない、少しの水を入れると電熱器の前へ、計量カップに尻垂れしないように水を注ぐ。
一度、蒸気が立つと、また静かになる。
青年はまた、せんべい座布団の上に体育座りし、毛布を体に巻き付け直す。
青年の向く方には、大きな引き戸の窓がある。アルミのレーンに、木枠に収められた窓ガラスが強引にはめられている。木枠の四隅は結露のせいで、カビてしまっている。
この曇った窓越しでも、外が雪降りであることがわかる。風にあおられたぼたん雪が窓にぶつかると、雪自身の重さで窓を下へ下へと拭いながら、滑り落ちる。
大雨が窓にうちつけ、ひっきりなしに流れ落ちるのとは違い、滑り落ちる雪には一つ一つの動作に呼吸があり、優雅だった。
青年はこの閑散とした部屋で、電熱器に両手を当てながら、窓の方を向いていた。
その手には、軍手とは別に、違うものが握られていた。
2.
ユーコはストーブの前にいたつもりだったが、気がついたら布団の中でしゃんとしていた。頭の上のカーテン、そこから漏れる光から、もう朝なことはすぐにわかった。
寝返りを打つと、汗ばんだうなじがむき出しになる。部屋を漂う冷たい空気に触れる。ユーコは身じろぎをして、鼻のてっぺんまで布団の中に潜り込ませる。
フランネルのシーツに、ふかふかな毛布に、やわらかい布団が、充分な湿気を抱き込み、温かさがユーコをまるく取り込んでいく。
温かさに誘われるがまま、眠りに落ちようとしたとき、階段の下からユーコを呼ぶ声が聞こえてきた。
3.
噴水広場の前といっても冬の間は、とりわけクリスマスイブは、その噴水としての役目は休業している。
噴水の周縁を規則正しく、男女のカップルが座っている。誰に指示されたわけでもないのに、その周縁をどこで切り取っても、彼らは男・女・男・女・男・女の順番になる。
その噴水を目の前に、人知れず挫折している者がいる。
噴水広場のベンチで女ひとり、ロングコートで黄昏ていれば、男の一人や二人ぐらい言い寄って来るものだと思っていたが、それは浅はかだった。クリスマスイブはカップルで過ごす日であって、ナンパをする日ではない。それに、ここに来る男女というのはみんな、先約があるものばかりだ。
それは、少しでも観察すればわかるはずのことだ。大抵の男は誰かと歩いており、それも大抵は女と、だった。もし、一人の男がいたとしても、その手には何かしら紙袋が、篠崎ではない誰かに渡すプレゼントが、抱えられているのだった
篠崎は飲み終えた缶コーヒーを捨てに、手近なコンビニへ向かって歩き始める。
4.
フロントの女性がカギを持ってくるまでの間、島田はカウンターに寄り掛かり、エントランスの天井を眺める。そこにはガラスのドームがあり、シャンデリアが吊ってある。
こんなに良いホテルなら妻と一緒に来たかったな、と島田は考えたが、それは無理だということもわかっていた。
会社の経費だから泊まれるということ、つまり、これは仕事だからこんなホテルに泊まれるということは、島田が一番わかっていた。
島田は後ろから声を掛けられ振り返る。フロント係の女性は、屈託のない笑顔をしている。島田も笑顔でカギを受け取ると、そのままエレベーターに向かう。
カプセル状のエレベーターからは、外の様子が見える。雪が降り始めている。島田はさっきの女性のことを考えていた。
あの笑顔はきっと、今夜、誰かと会う約束をしているからなのだろう、そう考えていた。
島田は部屋に着くと、背負っていたボストンバックをベッドに投げ出す。手荷物を簡単に整理したら、バックはそのままにドアの方へ向かい、部屋の様子を改めて確認する。
ベッドが二つ並んでいる。
島田はため息をつく。男二人をホテルに泊めるのに、ツインじゃなくても良いだろうに。また、大きなため息と一緒にドアを閉める。
島田は待ち合わせ場所へ向かう、ツインベットで眠る予定の男を迎えに。
5.
冬の外を歩くには少し薄すぎるコートの、その裾を、引きずりながら、あの男はカフェの中で一番暖炉から遠い席に腰を掛けた。
注文はコーヒー1杯、それだけだった。
出稼ぎの労働者らがこれから始まる肉体労働に備え、コーヒーとハムエッグやベーコンサンドなど少しでも腹に溜まるものを注文する中で、たったコーヒー1杯は異様だった。カウンターのマスターも訝しげに、ただ手元だけはテキパキとメニューを仕上げていく。
店内は話し声一つもない。
今いる者は皆、腹に詰められるだけの食事と温もりを詰め込み、それらが冷めない内に店を出る。そういう意味では、あの男は決して場違いとは言えず、注文の仕方一つだけで、ここから追い出す理由にもならなかった。
誰もあの男に迷惑なんてしていなかった。
ウェイトレスがあの男のもとに1杯のコーヒーを届ける。
彼女はエプロンドレスの上に丈の短いダッフルコートを羽織っている。コーヒーをテーブルに置く。指先が、真っ赤に染まった指がドレスの袖口から伸びる。手入れの行き届いているせいか、それとも彼女の指の赤さのせいか、ソーサーがやけに白く見える。彼女が去り際に小さく呟いた「ごゆっくりどうぞ」という声が白い吐息になる。カップから立ち上る白い湯気と混ざる。
彼女は客が去った後の席を片付ける。テーブルの冷たくなった皿を重ねていく。二つの食器の塊が出来る。彼女は両手に息を吐きかけよくさすったら、それらを持ち上げて、カウンター向こうの洗い場に持っていく。
あの男はウェイトレスの後ろ姿を見ていた。ダッフルコートは擦り切れて、裾がほころんでいる。あの男は自分のコートの裾を見てみる。泥が跳ねて固まっている。
6.
彼はアラームが鳴る前のスマホを掴み、その驚くほどの冷たさに絶望していた。
彼はスマホを触った手を布団の中に戻し、試しに息をハーっと、吐いてみる。流石に白くなることはなかった。部屋がよく冷えていることは、突き出した彼のあごが伝えていた。
彼はもう一度息を、今度はため息を吐いた後、布団をはねのける。ベッドからたった3歩先のファンヒーターのスイッチを入れると、すぐさま3歩前と同じ状態に戻る。
彼はパジャマの袖を引き延ばして、スマホを包んで持ち上げる。時刻は7時だった。
スマホを布団の上に戻すと、彼も布団の中に戻る。あごから下を布団に入れ、両足がベッドの柵に当たるまでまっすぐ気を付けする。
彼は今から始まろうとしている、今日一日のことを考えていた。
休講日なのにいつも通りの時間に起きてしまったこと。それでいて何も予定がないこと。そして、今日がクリスマスイブであること。
ファンヒーターが低い唸り声をあげ、灯油の臭いがしてくる。
彼は二度寝をしようと目を瞑る。
ヒーターが暖気を吐き出す音。
それに混じって、硬い物を引っ掻く軽い音が聞こえる。やや規則的に繰り返す。
アパートの管理人が雪かきをする音だ。
一度は目を瞑った彼だったが、雪かきスコップがアスファルトをこする音に駆り立てられたのか、それともちょっとした罪悪感だったのか、ゆっくりと布団から起き上がる。
良く冷えたカーペットを裸足で踏む。部屋の空気は既に温かくなっていた。
彼はベッドに腰掛ける。大きな欠伸が一つ。腕を組んで背中を丸め、玄関すぐ横の冷蔵庫に向かう。牛乳をマグカップに注ぎ電子レンジに入れる。その間、台所の小窓から外の様子を眺める。
濃紺のてらてらしたダウンジャケットに、灰色のニット帽、管理人がアパートの前を雪かきしている。
彼はホットミルクを片手に、またベッドに腰掛ける。
また、今日一日について、思いを巡らす。ただそれは、布団の中で考えたことと変わらず、それ以上の進展はなかった。
人肌より少し熱いくらいのホットミルクを飲み干すと、また彼は深いため息をつく。
7.
ユーコはリビングまで降りていく。階段の窓からは外が、チラチラと降る雪が見える。
食卓テーブルにはお皿が3つ並んでいた。ママが台所でスープを温めている。
「ユーコ、降りてきたのね。カイトはまだ起きてきていない?」
ユーコは頭を左右に振る。
「なら、起こしてきてくれない?」
ユーコは目をこすりながらうなづいた後、階段をのぼる。カイトの部屋はユーコの向いだ。ユーコはドアを開ける。
「カイト、朝ごはんだよ・・・。」
しかし返事がない。ユーコはベッドに近づき、布団の上から体をゆする。
ユーコがいくらゆすっても反応がない。不思議に思ったユーコは布団をめくる。するとそこにあったのは、丸められた毛布だった。
カイトはそこにいなかった。
8.
島田はフロントにカギを預けてホテルを出ていた。フロント係はさっきの女性から男性に入れ替わっていた。
雪が降る中、島田は地下鉄を目指す。夫婦や家族連れ、カップルが横に並んで歩く中を、島田はひとりで縫って歩いていく。駅構内にはポスターが大量に並べてある。どれもクリスマスを意識したもので、赤色と緑色と金と銀で一杯であった。
今夜、島田が請け負う仕事は、うまくいけば夕方には片付けられるものだ。しかし、場合によっては明日の朝までかかるかもわからない、延びた時の保険として、特にクリスマスイブということもあって、ホテルの部屋を確保しておくことになった。
島田があのホテルを待ち合わせ場所にしなかったのには理由がある。できれば男をホテルの部屋には入れたくなかったからだ。それには、島田の希望的な観測が含まれていた。仕事がうまくいって夕方までに終われば、ホテルは引き払わずに妻を呼び寄せて、久しぶりに二人の夜を過ごせるかもしれない、そのような期待が島田にはあった。
島田は地下鉄に乗り込む。休日とはいえ、すごい混みようだった。車内にはサンタやトナカイの小さいぬいぐるみが吊り下げてある。
目的の駅に到着する。その駅で降りたのは、島田だけだった。地下鉄の階段を上りきると、大粒の雪が舞っていた。人通りは少なく、さっきまでの浮かれた雰囲気が嘘のようだった。
ここにはクリスマスもない、何もない、平日のようだった。
9.
篠崎はコンビニのゴミ箱に缶を捨てるついでに、店内にも入る。
店内ではクリスマスソングが流れ、店員たちは赤地に白のポンポンがついた三角の帽子をしている。
篠崎はレジの前を通る。ホットケースには、これ見よがしにフライドチキンが並べてある。その奥で店員が二人、若い女子と中年の女性が立ち話しているのが見える。
若い女子が中年の女性から説教をされている感じではなく、もっとリラックスした、世間話している感じだ。
中年の女性が旦那のことを、愚痴っている。篠崎はレジ近くのデザートコーナーを見ながら、二人の話に耳を傾ける。
「今朝、旦那にさ、今夜は夕飯までに帰るからって言ったら、何て言ったと思う?」
「なんですかね。旦那さんは既に夕食の予定があるとか、ですか?」
「そうなの。『今日はそんなに早いのか』って言うのよ。そして、『今夜クリスマスだからピザでも食おうと思ったのに』って。」
「わー。それはひどい。」
「あたしがいたら、ピザが食えないのか!って、言いたくなるでしょ。」
「え、それは言ったんですか?」
「そんなの言ったに決まっているじゃない。そしたら、『別にそんなつもりじゃないけど』って。だったら初めから言うなって。」
「あははは。」
レジに客が来て話が一旦途切れるが、その客は常連だったようで、中年の女性とそのまま立ち話になる。旦那の話が続く。
「旦那がどうしたって。」
「年に一度のクリスマスなのに、家に帰ってこなくても良のにって、言うのよ。」
「誰のおかげで、クリスマスに働くはめになっているか、言ってやんなきゃ。もう、1年になるの?」
「そうなのよ。早く定職を見つけてほしいんだけど。本人、やる気がないのよ。」
「え!まだ旦那を養っているの?」
「そうなのよ。旦那の退職金と私のでね。娘の夫が、面倒見てやるからって、言ってくれているんだけどもね・・・。」
「いーじゃない。甘えちゃいなさいよ。」
「でも、あちらのご両親に立つ瀬がないでしょ。それに、旦那も定年には若いし。」
「そーよね。まぁ、体には気を付けて。」
篠崎は話を聞く一方で、デザートコーナーのケーキを本当に買おうかどうか悩んでいた。二切れ入りのカットケーキか、4号のホールケーキか、だった。4号のホールケーキには、イチゴが合計7つ、中心に1つとそれを囲んで6つ乗せてある。篠崎がカットケーキの方に手を伸ばした時、彼女のスマホが鳴った。
10.
あの男は暖炉の熱も届かない席で、ちびちびとコーヒーを飲みながら、店内の様子を眺めていた。
あの男が見る限り店内には、カウンターのマスターとウェイトレスの女性、その二人しかいないようだ。洗い場に汚れた皿がたまっていく。
しばらくすると客は、あの男を含めて片手で数えるほどになった。この中で、一時間も前から冷めきったコーヒーを飲んでいるのは、あの男ぐらいで、他の客は全員、つい数分前に来たばかりで、熱々のコーヒーを片手に新聞や雑誌を読んでいる。
マスターはカウンターでくつろぎながら新聞を広げる。その隣でウェイトレスはコートを脱ぎ、腕まくりをして、ため込んだ食器を洗い始める。
石鹼水に肘まで浸して、皿を洗っていく。水切りカゴがいっぱいになると、カゴを空いている場所にずらし、新しいカゴを取り出す。そして、真っ赤になった指先を、二の腕まで真っ赤になっているのを、息を吐きかけて温めてから、また洗い始める。
あの男はその後ろ姿を見ながら、コーヒーカップを両手で抱き上げる。コーヒーはもう冷え切っている。
11.
彼はマグカップを流し台に置く。外からはまだ、雪かきの音が聞こえてくる。彼としては、ひとまず、管理人の雪かきが終わるのを待ちたかった。
それは、水の元栓が部屋の外にあるため、水道を使うためには外に出る必要がある。だが、今、管理人に出くわすことは都合の良いことではなかったので、彼としては、管理人が部屋に戻るまで、それまで待ちたかった。
彼がカーテンを開けずに外の様子を見ると、雲の合間から日が差していた。
彼はテーブルに座りスマホを、そして無意識に、SNSを開く。
それは、今の彼には面白いことではなかった。何よりも、今日がクリスマスイブだから、そうなのかもしれない。
友人たちのイブの予定がこれ見よがしに、投稿されている。彼氏・彼女のいる同級生は、イブイブから既に何かをしていたそうで、カップルの写真を投稿している。
これ見よがしに自分たちの姿をさらす投稿に、彼は、条件反射的に止められないスクロールの親指をそのままに、目くるめく、画面の中の二人組の笑顔を、ひどく不思議な、それで不愉快な、感覚で見ていた。
他人の私生活を覗き見る背徳感の一方で、この投稿は、投稿者の恣意的に公開されたもの、つまり、「見られる」こと「見せる」ことを前提として投稿されている故に感じる、『見せられて』いて、『見させていただいている』という劣等感が、いわば、フタを開ければ拳銃が仕掛けられており、その銃口が自尊心に向けられていることをわかりながらも、既に、自尊心が風穴だらけなこともわかりながらも、その透明なびっくり箱を開け続けずにはいられない、何処か脳髄の奥から分泌される化学物資によって、科学的に親指のスクロールを止められずにいる、彼自身の意思とは無関係に自分自身の首を絞め続けている、感覚だった。
彼の親指の運動が止まったのは、投稿の更新日が12月22日になってからだった。
外の雪かきの音も止んでいた。
彼はスマホを充電器につなげると、パジャマのまま、コートを羽織り、外へ出る。
アパートの前には道ができており、道路へつながる道ができている。
雲の切れ目から太陽が顔を出し、思わず強まった日差しが、照り返しとなって彼の目をくらませる。彼の視界が一瞬真っ白になる。
視界が落ち着いたとき、彼の目の前に人が立っていた。
12.
カイトがいないことで、ユーコの眠気はすっかり吹っ飛んでしまった。
ユーコがママを呼ぼうと大きく息を吸ったとき、後ろの洋箪笥の扉が開く。ユーコが振りかえるも、すぐにユーコの口が手で抑えられている。
それはカイトの小さい手だった。
「おねえちゃん!おねえちゃん!」
カイトは興奮気味だ。ユーコに向かって叫ぶがユーコは返事しない。それは、カイトの手がユーコの口を抑えているからだ。
すっかり目を覚ましたユーコが、カイトの手を振りほどき、腰に手を当てて話す。
「カイト!ふざけないで。もう朝ごはんの時間だから、行くよ。」
カイトはそんなことお構いなしに、ポケットから写真を取り出して、ユーコに見せつける。
「おねえちゃん!これ見てよ!これ!」
ユーコが腕を引っ張って連れて行こうとしても、カイトは歩こうとしない。ユーコはあきらめて、カイトの写真を見てやる。
写真はインスタントカメラのフィルムで、洋箪笥の扉の隙間から、室内を撮影したものだ。写真の真ん中を帯状にぼんやりと、室内が映っている。
「見て!ここに映っているよ!」
カイトが指差す先を、ユーコが目を凝らす。赤黒い服装をした人が、ベッドの前にかがんでいるようだった。
「サンタさんだよ!来てくれたんだよ!」
カイトがベッドから床に垂れた布団をめくる。そこにはプレゼントが置いてあった。
「ほら、やっぱり!」
カイトはベッドの前で小躍りを始める。
ユーコはカイトを見ながら、昨夜のことを思い出していた。ぼんやりとした意識の中で、ユーコをベッドへ運んでくれた大きな背中のこと。
「ユーコ。カイトのこと起こしてくれた?」
一階からママの声が聞こえてくる。
13.
青年は毛布を頭の上までしっかり被り、まだうずくまっていた。電熱器のアルミカップも既に空っぽになっている。
窓に吹き付けていた雪は、ガラスを覆ってしまい、部屋の中を薄暗くしている。
電熱器はサーモスタットが働き、電源が落ちている。それに合わせて、外の電気メーターの回転も止まった。
14.
篠崎に電話をかけたのは、大学の同期だった。
上京した同期で暇そうな人に片っ端から電話をかけており、既に三人が集まっているそうだ。コタツの空きも残り一つで、また、誰もコタツを出たくないから、食べ物と飲み物を買ってこい、ということだった。
篠崎は買い物カゴを取り、差し入れに何を買うか考えることにする。お酒コーナーで適当に缶酎ハイを選んでいると、またスマホが鳴る、メールだった。
同期が集まっている部屋の住所と、『買い出しリスト』が添付されている。買い出しリストを見て、篠崎はフフッと鼻で笑ってしまう。
『酒(なんでも)、おつまみ(さきイカ他)、チキン(ケッタ希望)、ケーキ(イチゴ有)、その他食い物(女子力ハ敵ダ!)』
篠崎はカゴに入れた缶酎ハイを全て戻し、ストロング系に入れ替えていく。お菓子やおつまみ、次々とカゴに投げ入れたら、デザートコーナーにまた戻る。
カットケーキとホールケーキが、どちらでも、4人分買うには充分な数がある。
篠崎はどちらにしようか、また悩んでいた。
切る手間やイチゴの数を考えれば、カットケーキのほうが簡単だ。しかしケーキといえば丸だ。切る手間が、イチゴの数がなんだ。
篠崎は一番大きいレジ袋を二つ、両手に抱えてコンビニから出てくる。あの噴水を取り囲むカップルの数は、コンビニに入る時から、大して変わっていない。
今の篠崎は噴水には目もくれず、両手の大きなレジ袋のせいで、ガニ股になって歩いていく。
篠崎はコンビニでフライドチキンも買ってしまっていた。もう寄り道するところはない。あとはただ、同期達が待つ部屋に向かうだけだった。藤崎の為に空けられた、コタツの席を埋めに行くだけだった。
15.
ウェイトレスは洗い物を終えると、マスターに声をかけて、店内の奥に上がっていく。これで店内にいるのは、マスターとあの男を含めた客が5名、全員男だけになった。
あの男はお店から出ようか悩んでいた。コーヒーカップも冷え切り、空っぽになっていた。ただ男には、ウェイトレスのことが、特に、あのコートが気になっていた。擦り切れて綺麗とはいえないコート。新品のコートを買ってやりたい、率直に言うと男はそう考えていた。それは下心などない、ただ純粋に、今日初めて会った彼女に対する憐れみとして、そう考えていた。
しかしそれは、自分のコートすら買い替えられない男には、不可能なことだった。
あの男はあきらめて、立ち上がろうとしたとき、入口から若い男性が入ってきた。よく手入れされた革のジャケットを着ており、マスターと立ち話を始める。
マスターと若い男性が、入り口近くのカウンターで話しているので、あの男はなんとなくお店を出づらくなり、また椅子に戻る。すると、階段を駆け下りる音が聞こえてきたかと思うと、ウェイトレスが若い男性のもとに駆け寄る。二人がハグをすると、若い男性は足元に置いていた紙袋をウェイトレスに渡す。
中身は毛皮のコートだった。
ウェイトレスは嬉しそうにし、若い男性をカウンターの中に入れて、二人で上へあがっていく。
男はその一部始終をすべて見ていた。腕だけではなく、顔まで赤く染めて話すウェイトレスの姿を見ていた。
あの男には、年齢が二回りも若いだろう二人の姿は、他人の幸せを見ているというより、昔の自分の姿を見ている気持ちにさせた。そしてそれは、言うまでもなく、あの男にとってかけがえのない物だった。
あの男は暖炉に近いテーブルに席を移すと、空っぽになったコーヒーカップを、温めるように、両手で持ち上げるのだった。
16.
照り返しの強い中、彼が薄眼で見ると、雪の中に現れたのは、先ほどのSNSの中にいた人間の一人、村上の彼女だった。
「どうしたんだよ。村上は?」
水の元栓を開けながら、しゃがんだまま話す。
「別れた。」
「え?」
「別れたの!」
彼は元栓を掴んだまま固まっていた。
「ここ、アンタの家でしょ?寒いから入らせて。」
彼女は断りもなく入っていく。彼はというと、まだ固まっていた。
彼の頭の中では、二つの考えが衝突する。クリスマスに女性と過ごせる千載一遇のチャンスであり、よその痴話げんかに首を突っ込むことになるリスクであること。そして、クリスマスくらい平和に一人でゆっくりさせてくれよ、とスマホを見ていた時とは逆の考えになっていたことに、彼はハッとする。
彼は自分の家のドアノブを掴んで考える。このまま彼女を部屋に置いて、逃げてしまうこともできる。だが、財布もスマホもなしに逃げる先がない。
やはり開けるしかない。
彼の中で考えがまとまった。決してポジティブではない。さっきまで退屈の象徴だった自分の部屋が、下手をすれば修羅場になりかねない。そんな皮肉を感じながら、彼は自分の家のドアを開ける。
17.
島田は待ち合わせのマンションまで来ていた。寂れた街の中でとりわけ古びている。島田は指定された部屋の番号の前に着く。
その部屋はおよそ、人が居るという気配がなかった。そもそも、このマンション自体に人が住んで居る部屋があるかどうかも、疑わしい。そしてこの部屋もそうだった。電気メーターも動きを止めている。
島田はドアを開けると部屋には、電熱器の前で毛布にくるまった青年がいた。
「『先生』!何やっているんですか!」
島田はそう言って青年に駆け寄る。青年は寒さに震えながら答える。
「雪山の遭難シーンを書くのに、参考にしようと思って。」
島田はため息をつく。
「ところで、書けたんですか?」
「それが寒くて・・・。」
毛布から出した手には、万年筆が握られている。キャップはしたままだ。
島田は、彼が『先生』と呼んだ青年小説家の担当編集者だった。そして、明日が締切の原稿をもらう予定だった。そして、島田は全てを悟った。
今夜は青年とホテルで缶詰めだ、と。