第3話「津山恋愛事務所」

文字数 10,336文字

 早朝の通勤電車は人がまばらに座るばかりだ。なぜって?それは簡単な話だ。通勤電車といってもこれは、オフィス街から住宅街へ向かう下り電車。こんな時間帯(具体的に言うと朝の5時)に乗り合わせるのは、朝帰りのサラリーマンか、アフターを終えたホステスか、失礼かもしれないけど、本当に郊外にオフィスがある物好きくらいだ。そして、この俺はそのどれにも当てはまらない。退勤でも出勤でもなく、現在進行形で仕事中なのだ。
 車内アナウンスが流れる。「ご乗車ありがとうございました」、次の駅でこの電車は終点だ。しかし始発電車で聞く、終点のアナウンスというのも奇妙なものだ。上り列車ならまだしも、これは下り列車だ。車掌が決まり文句のように「いってらっしゃいませ」と、アナウンスの最後に付け加える。確かに、この中には今から「いってらっしゃい」するような人もいるだろう。しかし、ほとんどが、「おかえりなさい」だろう(まぁ、朝帰りして、家族から「おかえりなさい」と言ってもらえるかはさておき)。車掌はどれくらい、本気でこのセリフを吐いているのだろうか。
 到着のベルが鳴る。俺は荷物を、一見するとファストファッションで配られているような、白地にワンポイントの入った紙袋を、それとなく抱えてホームへ出る。「一見すると」それはつまり、この荷物は単なる衣服が入っているのではない。平たく言うと依頼品。所長のヌル子(クソ野郎)ご所望の輸入雑貨。要するに俺は、昨夜から徹夜でパシリをさせられているのだ。
 駅構内は今から都内へ通勤する客ですごい混みようだ。紙袋を人にぶつけないように(にしたって、一度にこんなに運ぶ必要もないだろう!)、注意しながら、人の流れを縫うようにして歩く。それにしても重たい。この細い紙紐の持ち手と、紙袋の容量が全然あっていない。手に食い込む。痛い。
 昨晩、小さなオフィスビルの一角で、この雑貨を受け取ったのだが、その時の担当者、はっきり言ってオバサンなわけだけど、その担当者の手つきというか、目線というか、気味が悪くて、ロクに梱包もしないまま、荷物をもらって飛び出してしまったのだ。せめて、袋を二つに分けてもらうべきだったか。
 とりあえず、早く乗り換える電車を見つけなければ。重さと痛さによる苛立ちのあまり、紙袋をゴミ箱にダストシュートしかねない。
 階段の上り下りを繰り返し、やっと目当ての路線を見つけた。そのときだ。
 ブチンッ。
 紙袋の持ち手が切れやがった。かろうじて、紙袋の中身をブチまけずに済んだとしても、持ち手のないこのボストンバック大の紙袋をどう運べというのだ。途方に暮れてしまった。ああ。電車も出てしまった。次は15分後か。
「大丈夫ですか?」
 声のした方、後ろに目をやるが、誰もいない?
「こっちです。こっち。」
次は前からだ。目の前からだ。目の前?
 そこには、10代そこそこの、子供というには大人びているが、大人というにはあどけない。そんな、青年が立っていた。
「お兄さん。紐が切れて困っているのでしょう。僕の持っているロープをあげるよ。」
 襟付きに折り目のあるズボン。その清楚な服装から、少々想像のつかない、麻のロープを差し出していた。俺はというと、最初はあっけにとられていたが、仕事柄か(厳密に言うと仕事環境のせいで)、思わず荷物を抱きしめ、警戒していた。しかし、相手は十代そこそこの子供だ。なぜ、子供がこんなところに?
「そんなに怖がらなくていいよ。あ、使い方がわからないんだね。僕がやってあげるよ。ほら、お兄さんは荷物を持っていて。」
そう言うなり、青年は俺が荷物を抱いたままにもかかわらず、上手にロープを通して、まるでスイカを紐で吊って持つように、結びあげてしまった。
「はい、おしまい。ロープもお兄さんにあげるね。それじゃ。」
 青年はそのまま、改札の方へ消えて行く。なんだったんだあいつは。しかし、あの青年のおかげで、紙袋はさっきより、持って歩きやすくなった。しかし見栄えは、白い紙袋を麻のロープで縛りあげている、少しやばいかもしれないが。

 最寄り駅までたどり着いた。この荷物を事務所にいるヌル子に届ければひと段落だ。といっても、そのまま仕事を(およそ仕事らしい仕事ではないが)させられるのだろうけど。
 本当にようやっとだ。この緊縛された紙袋を、駅員しかり、お巡りさんしかり、その他通りすがりの人諸々から、不審物を見るような目で見られて、ひやひやしながら町中を歩いてきたのだ。別に、ヤマシイものが入っているわけでもないのに。
 それはさておき。ゆるゆるになってきたロープを手に巻き付けながら、事務所の外付け階段を上る。事務所としか言ってこなかったが、正式名称は「津山恋愛事務所」。俺もここが何をする事務所なのか(通りに出ている看板には『恋愛成就率99%』を謳っているが)、よくわかっていない。その理由も見ての通り、輸入雑貨の仕入れの手伝いをさせられたり(そうそうこの事務所の一階が、セレクトショップになっている)、芸能や流行に関するネットニュースを集めたり(たしかにネットニュースと言えば、下世話なゴシップネタがつきものだ。そういう意味では「恋愛」に関係していなくもないが、そんな情報を集めてどうする?)、半分雑用、いや雑用だけさせられているのだ。
 古い建物特有のあの、細くて急な鉄骨階段を上り終えたところで、事務所の扉が開く。
「アー、リョーイ

=サン。オハヨーデス。雑貨ノ手配、ゴクローサマデース。」
先輩のサムさんだ。今俺がやっている仕事を以前引き受けていたらしい。だけど、それも今月いっぱいで終わり、退所するからだ。しかも退所理由が寿退所だとか。男が?
「おはようございます。サムさん。あと俺の名前、リョーイ

、です。」
「オー、ゴメンネー。リョーイ、

=サン。ワタシ、オサキデース。」
そう言ってサムさんは、あのでかい図体で上手く俺の脇をすり抜け、階段を下りていく。
 話し方を聞いての通り、あまり日本語が達者ではない。出自とかはよく知らないが、ヌル子が言うにはアジア系だそうだ。確かにアジア系の顔つきだけど、あれはもう日本人だろ。ただ、そう言ってしまうのもかわいそうだ。日本人離れした顔で日本語が話せないのは理解しやすいが、まんま日本人の顔で日本語を話せないのは、なかなか理解され難いからだ。実際に色々と苦労してきたらしい。それはそうだとしても、いい加減、俺の名前を憶えてくれよ。サムさん、あんたの後釜になるんだから。
 さわやかなサムさんの笑顔を見送った後、俺は事務所の中へはいる。さて、今日はどんな仕事を吹っ掛けられるか。

 「所長。おはようございます。ただいま戻りましたー。」
クソ野郎(ヌル子)の返事が無い。死んだか?そんなはずはない。奥のプライベートルームにでも居るのか。あそこはヌル子専用のスペース、というかヌル子の居室だ。あの人は、事務所に住んでいるのだ。まぁ、サムさんの反応を見る限り、事務所の何処かにいるのだろう。荷物をテーブルにあげる。
 そばのソファに寝転がり、その背もたれの上に据え付けられている、アンティーク調のラジオのスイッチをひねる。流れてくるのは、民放のゴシップ満載のワイドショーだ。そうか、もう10時近くか。
 耳障りな歓声。司会を務める「ミヤグミ」の芝居がかった口調。自称コメンテーターどもの自分を棚に上げた批評しかり、言わなくてもわかる民衆の代弁しかり、そして、醜いマウント合戦。よかった、いつもの通りだ。
 この仕事をするようになってからか、いや、「

ように」というのは語弊がある、いや、最も俺のプライドにかかわってくる。訂正させていただこう。この仕事を「

ように」なってからか、情報の取捨選択というか、ニュースのどれが中身でどれが雑音なのか、見極められるようになった。それも、ネット中の下世話な記事を、似たり寄ったりな記事を、何度も何度も見せられれば、(以前、芸能人のダブル不倫が発覚した時、そのゴシップ記事をネット、スポーツ新聞、テレビ、雑誌、ラジオ、ほぼすべてのメディアから情報をかき集めさせられたときは、さすがにしんどかった。なにがって、その不倫、よりによって四十過ぎの夜の営みまで、全部の記事に事細かに書かれていて、それでいて、内容がちょっとずつ違うというのだから。その違いを逐一レポートにするとなれば、もう、反吐が出るぜ。おっと、話をもどそう)要約すると、どれがクソで、どれがカレーかぐらい、においだけで分かってくるものだ。
〈ジャーッ。ゾゾゾゾゾゾッゾー〉
 クソの話していたせいか、所長もクソをしていたようだ。
「オー、おかえりー。」
 たった今、玄関隣の便所から出てきたのが、この「津山恋愛事務所」の所長兼代表相談員のヌル子だ。30代前半くらいの。まぁ、スタイルだけ見ればスマートで小綺麗に見えるかもしれないが、それは着ているレディーススーツに原因がある。なんせ所長は、年中何処でも、パンツスーツにネクタイを締めて過ごしていやがるのだ。寝るときもだぞ!こいつにとってスーツは衣服じゃなくて、一種の呪いなんだろうか。そして、その寝間着代わりにされてシワだらけのスーツに、アイロンがけをすることは、俺に課せられた呪いだ。
 所長はざっくりとまとめたポニーテールを、グシグシかきながら(手を洗ったのかコイツは?)、冷蔵庫から「いつもの」朝食を取り出す(もう10時過ぎたけど)。
 そうだ、この人はスーツ以外にも呪いがあった。朝食に必ず、「チョコクッキーバニラアイス」を食べるのだ。それも律儀に、毎朝アイスクリームメーカーに材料(材料の準備は全部俺だけどな!)を放り込んで出来立てを食べるのだ。
「リョーイチ。あんたもコーヒー飲む?」
「ああ、いただきます。」
 所長はアイスクリームメーカーにいつもの材料、生クリームに卵黄に砂糖を放り込む。機械の立てるウーン、ウーンという動作音の中からラジオの声を聞き分けながら、俺は、紙袋のロープを解いていく。道中の扱いはさておき、所長の目の前、今は丁寧に扱う。
 所長は頃合いを見計らって、チョコレートクッキーを砕いて入れる。(あのクッキー高かったのに、アイツは全てアイスクリームに突っ込んでしまう)そして、忘れていたかのように、コーヒーメーカーの準備も始める。
 こっちは中身をすべて出し終えた。紙袋の中に小箱が約20個。どうりでかさばるわけだよ。それぞれ外国語が(たぶん、英語、だと思うのだが)書かれている。たしかに、紙袋の安っぽさとは全然違う、いわゆる高級感がある。高級クッキーの菓子箱と比べるのも、あれだが(金額はクッキーと大して変わらないのだけど)、やはり違う。
 すべてきれいに並べたら、畳ほどあるテーブルもきれいに埋まってしまった。

 所長が左手にマグカップを2つ、持ち手に無理やり指を通して持ち、右手には出来立てのアイスをボウルに盛っている。もちろん一つだけだ。そして、使った材料も道具も台所に投げっぱなしだ(もちろん、片付けるのは俺だからな)。
「ふーん。悪くないわね。」
 所長は特に断わりもなく、俺の隣に座る。マグカップを二人の間に置くと、アイスをスプーンですくいながら、俺の並べた小箱たちを眺める。俺は隣でコーヒーを飲む。泥のように濃い(コイツ、エスプレッソ用の細挽きで淹れやがったな)。
「リョーイチ。おつりは?」
「はぁ?」
 意味不明だった。だってコイツは、「依頼品を受け取ってこい」としか言っていないのだ。確かに、交通費と代金を、昨晩渡されたが、それは俺がくすねる程も残らなかった。つまり、交通費と代金だけでピッタリだったのだ。俺は、頭の中に「(はてな)」しかなかった。
「おつりって、交通費と先方への支払いで全部使いきりましたよ。」
嘘は何一つついていない。
「はぁア?」
所長がめっちゃ、ガンを飛ばしてくる。普通に怖い。
「お前、素直に15万払ってきたのか?」
顔なんて見られない。黙って一つうなづく。こめかみあたりに視線が突き刺さってくる。
「くそ、使えねーな。普通は値切ってくるもんだろ。もう。」
えー!所長が自分で契約書の金額にサインしておいて、何言ってるんだ。
「まー、いっか。おつりがあっても、リョーイチの給与になるだけだし。いずれにしても、取引が成立したことには・・・。」
 何やら所長は、ぶつぶつ独り言を言い始める。が、最初の言葉は聞き逃さない。
「ちょっと待ってください。したら、今回の俺への支払いは!」
ここでは成果給(つーか、半分お駄賃みたいだけど)だから、それは聞き捨てならない!
「はい、現物支給。現金は無し。」
所長は並べられた小箱の中から、一番平べったいのを掴み、俺に渡した。立ち上がったと思えば「洗い物よろしく~」と、アイスの入っていたボウルを流しに置いて、事務所の奥へ消えていく。と思ったら、
「あ!リョーイチ。その雑貨、机にあるリストを確認して仕分けておいて。(まる)ついているのは昼から配達する必要があるから。」
 そう、付け加えて部屋に消えていった。どうせまた、ひと眠りするのだろう。俺はまず先に、洗い物を済ませることにした。

 台所に捨て置かれた諸々を洗い終え、水切り籠に並べたら、雑貨の仕分けに取り掛かる。
 そういえば、ここの事務所の収益は、「恋愛相談」7割、「雑貨販売」3割と言ったところだ。以前、十年分の会計書類の整理を押し付けられたとき、大体そのような感じだった。収益だけ見れば、「恋愛相談」の片手間に「雑貨販売」をしているように思えるが、実際は反対だ。むしろ普段は雑貨販売くらいしかしていない。恋愛相談なんて半年に1回あれば良いほうだ。この恋愛相談というのは、マグロ漁船じゃないけど、一発当てればデカい仕事だったとは、俺もここに来てから知った。
 所長の机に置かれたリストを拾いあげる。羅列された横文字(おそらく、雑貨の商品名だろう)の横に(まる)が付けられ、さらに個人名が書かれている。つまり、今回の雑貨の中には、すでに予約注文があったものと、店頭に並べるものの二種類があるようだ。俺は、慣れない横文字を、プリンターインクの型番を照らし合わすように、小箱の隅に書かれた文字列と見比べる。
 流石に俺でも、簡単な英語はわかる。「WATCH」は腕時計のことで、「BUTTON」は服に付けるボタンのことだろ。リストのピックアップは終わった。仕分けるといっても、約20個の中から、四つの小箱を探すだけだ、どうといったことではない。まだ、所長は起きてきそうにない。
 俺は、ぬるくなったコーヒーを一気飲みし(やっぱり苦すぎる)、残りの小箱を一階に持っていくことにした。小箱を紙袋に戻し、またあの狭い階段を下りていく。踏み外さないように気を付けなければ。店先についたら、シャッターを開けて、薄暗い店内に入る。
 店内の広さは上の事務所より、気持ち狭いぐらいだ。入口すぐにレジが置かれ、壁の四面に奥行きの浅い木製の棚が据えられて、そこに商品が並べられている。
 棚には少しほこりが積もっている。
 このほこりは、お店に人が来ないからではない。お店自体が滅多に開店しないからだ。もう、昼近くだというのに。所長のあの様子を見ればわかるように、ここも所長の気分次第。この様子なら、半月は開けていないかもしれない。まぁ、店頭販売がこのような調子でも、先ほどのリストのように、個人取引みたいなことをしているので、なんだかんだで、売り上げというか、日々の生活に困らないだけの収入があるようだ。
 俺もここで働くようになれば、今は半分見習いみたいなものだけど、サムさんが抜けて、俺と所長の二人になったら、ここの店番もすることになるのだろうか。商品の在庫置き場と思われる、棚に目をやるが、何が何やら。とりあえず、紙袋をレジのすぐわきに置いたら、戸締りをして、また、事務所に戻る。

 「どこ行っていたんだよ。仕事だ!車出せー行くぞー。」
 所長は、さっきとは別のスーツ、鼠色にピンストライプの入ったもの(まぁ、いわゆる外向けというか、外出する時によく来ているものだけど)に着替えて、髪の毛を結い直している。「さっきの商品を忘れるなよ」と、すれ違いざまに、俺の脇をすり抜けていく。
俺も慌てて、車のカギとテーブルに置いた商品とリストを拾い上げて、後について行く。さっきまで着ていたスーツがソファに投げつけられている(あーあ、またシワになるよ)。
 事務所の裏側に車庫があって、そこに営業車というか社用車が置かれている。といっても、ここに配備されている車は“ウォンイット”。いわゆる、リバーストライクというもので、ざっくり説明すれば、前方2輪、後方1輪のゴーカートだ。これでも最高時速150キロを超えるというんだから、ばかにできない。しかし、これで営業するという、倫理観は別にしてだが。
 所長は既に、助手席(この場合、助手席というのが正確かはわからないが、いずれにしても、ハンドルのないほう、外車だから進行方向に対して右側)に座り、両足を組んで車体前方のボンネット(でいいのか?)に載せている。さながら、和式便所に尻がはまっているようだ。
「おせーよ。早く出せや。」
サングラスをかけたまま、所長はぼやく。俺も慌てて、荷物を車体後方にくっつけられた(ルーフ?)ボックスに仕舞い、運転席に乗り込む。俺、この車の運転って嫌いなんだよな。エンジンを点火し発進させる。車体が低すぎて、国道の車列に混じると、周りの車からの威圧感がすごいというか、とりあえず、俺はこの車が嫌いだ。
 所長が指示するように、郊外の町中を掛ける。雑貨の配送。ただ、荷物を届けるだけなら配送業者に任せればよいのだが、それで終わらないから、わざわざ二人で回るのだ。
 一件目は、駅南側の「テーラー斉藤」。前店主が亡くなって経営が危うくなった時、所長が新しい職人を紹介したとかナントカで、現店主の本名は山田だとか。まぁ、そんなことはどうでもよくて。ここは、所長が普段着るスーツを仕立ててもらっているところで、まぁ、色々と付き合いがあるのだ。所長はボタンの入った小箱を持って、店内に入っていく。
 十数分後、新品のスーツと茶封筒を持って戻ってくる。俺に昨夜渡した「交通費兼代金」の入った紙袋と同じくらいの厚さがある。明らかにおかしいだろ。そのような調子で、2件、3件回っていく。そして、所長は、仕入れ値のおよそ十倍近い代金が入った袋と、取引先の商品いくつかをもらって戻ってくる。時刻はもう、1時を過ぎている。
「この後、クライアントと待ち合わせだから、そこで昼を食うか。場所は駅前のファミレスな。」
 スーツの内ポケットに無造作に入れられた(まぁ、所長はスリムだから)、茶封筒を風になびかせながら、所長は話す。俺は初めてだった。所長の話す“クライアント”とは、いわゆる「恋愛相談」の依頼だ。俺は初めて、この事務所の本職を知るのだ。なんだか、楽しくというか、まったく、光栄だとは思わないが、俺もこの事務所の一員、サムさんの後釜になったのだ、という実感でいっぱいになった。

 ファミレス“パープル・シャドー”、店内。
 店名だけみると、物々しいライブハウスっぽいが、店員の制服がリンドウ色なだけで、ハンバーグとか、ナポリタンとかがおいしいファミレスだ。俺たちは平日のファミレスの、あの閑散とした中に、お昼過ぎ特有の賑わいというか、いわゆる静かすぎず、混みすぎない雰囲気を歩き、一番奥でかつ入り口が見えるテーブル席に座る。所長はもちろん奥側に。
「じゃあ、あたしは、デラックスピザのAセットと、ポテトとで。あとバニラアイス。」
「俺は、ダブルハンバーグのCセットで。」
 なんというか、ここでの注文はもはや、定番というか、習慣だ。“パープル・シャドー”では、着席と同時に注文をするのが、常連のたしなみというか、決まりなのだ。そして、所長はここでもバニラアイスを注文するのだ。
「所長。今日のクライアントって、どんな人なんですか?」
「まぁ、先に飯にしようや。」
そういうなり、所長は俺に「コーヒー取ってきて」と、ドリンクバーへ取りに行かせる。相変わらずの人使いだ。
 そのまま、俺たちは何も話さないまま、料理が来るまでの時間が流れていく。しばらくして料理が運ばれてくる。ピザとポテトとハンバーグ。俺たちは黙々と食べて、バニラアイスが来たところで、やっと所長が話し始める。
「リョーイチ、ここで、働き始めてどれくらいになる?」
「え、去年の秋ぐらいからなんで、半年くらいになりますかね。」
「その、半年間、うちの事務所で何をやってきた?」
 改まったというか、所長の奇妙な丁寧な話しぶりが、気持ち悪い。しかし、答えないわけにはいかない。俺がこの事務所でやってきた(いや、やらされてきた)こと。ネットニュースなどの情報収集に、事務所とセレクトショップの会計、車の運転手、そして、パシリその他を、なるべくオブラートに包んで説明してやる。それを聞いた所長はちょっと考えこむように目をつむり、大きくうなずく。
「おい、それ以外にも、普段からやってることもあるだろ?」
「普段からやっていたこと?ですか。」
 ピンと来ていない俺を見かねたのか、所長は自分の来ているスーツをつまんで見せる。ああ、普段からやっていること。やっと、意味が分かった。事務所の家事・炊事。あと所長のスーツのアイロンがけからクリーニング出しまで。要するに、所長の身の回りの一般も、仕事といえば、仕事だ。それらについても、先ほどと同じように話す。
「そうだなぁ。いろいろやってきたな。」
所長はバニラアイスを一口食べる。
「今日までやってきたそれを、これからもやっていく自信はあるか。」
 アイスの器を脇に寄せ、俺を真剣な目で見て話す。こんな所長は初めて見る。とりあえず、いや、今まで好きでも嫌いでもなくやらされたことだし、サムさんがいなくなれば、俺がやらされるというのは火を見るよりも明らかだ。答えは一つしかなかった。
「はい。大丈夫です。これからもやります。」
「そうか。その一言を聞きたかった。」
そういうなり、所長は携帯を取り出し、誰かと話す。携帯をおくと、
「リョーイチ。クライアントの紹介だ。」

 後ろで扉が開くベルの音。振り返ると、ウエディングドレスを着た女性が、あぁ、昨夜、雑貨を取引する時の担当者だ。でもなんでここに?女性はドレスだし。しかもこんな平日の真っ昼間にウエディングドレス?
「紹介しよう。今回のクライアントのリョーコさんだ。」
 俺は訳が分からないまま、そのリョーコさん(そういえば、昨夜の名札がそうだったな)と握手をする。なぜか、リョーコさんは涙目だ。
「あの、所長?これ、どういうことですか。」
ハンカチで涙をふくリョーコさんを横目で見ながら、握手をしたまま、所長に聞く。
「リョーイチ、お前の花嫁さんだよ。」
 は?
「リョーコさんは、家事・炊事ができて、面倒見のいい、そして、最近の流行やニュースに詳しい、夫。まぁ、この場合は専業主夫を探していたんだ。」
「いやいや、俺の意思はどうなるんですか!」
「リョーイチ、お前は何を言っている?お前は事務所の所員だ。事務所は必要に応じて所員の派遣もしている。つまりお前は、津山恋愛事務所の所員として、リョーコさんの下へ、新夫として派遣されるんだよ。」
 所長はリョーコさんとハグしている。「これからも雑貨の融通をよろしく」とか、言っているのが聞こえる。
 俺は、なんとなくわかってきた。不自然なほど多い「恋愛相談」の収入のわけ、“津山恋愛事務所”で家事炊事をやらされてきたわけ、法外なほど安い金額でリョーコさんが輸入雑貨を販売したわけ。そして、事務所の看板の「恋愛成就率99%」のわけ。
 俺はクライアントのお金でもって、クライアント好みになるように花婿修行させられていたのだ。そして今日、お見合いがてらパシリに行かせて、めでたく、輸入雑貨との交換で取引成立したのだ。

 ヌル子は胸ポケットから茶封筒を一つ、俺によこす。
「リョーイチ、これは餞別だ。元気でな。」
そう言ってヌル子はスプーンを加えながら、手を振る。あと、駐車場の“ウォンイット”と、一緒に積んである(取引先からもらっていたのはコレだったのか)タキシード一式も、くれてやるとのことだ。俺とリョーコさんは店を出る。リョーコさんは年甲斐もなく、俺の腕に抱きついてくる。顔を摺り寄せてくる。
 どうせ仕事でも結婚させられるんだったら・・・、いや、それ以上考えるのはやめよう。それは、俺のプライドが許さない。そして、これは正式な結婚ではない。あくまでも、“津山恋愛事務所”からの派遣なのだ。
 そして俺は、派遣祝いだと託されたウォンイットにリョーコさんと乗る。初めて見る車にはしゃぐリョーコさんをなだめてから、ゆっくりとハンドルを握り占める。
 ルーフボックスには俺の新郎衣装、隣には新しい所長(クソ野郎)を乗せて。
 新しい事務所生活が始まるのだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

こんにちは!

『みかん箱』 執筆者の三柑八朔です。

「登場人物」の場所を使って、各短編の簡単なあらすじを紹介していきます。

興味のある作品を探す参考にしてください!

読んで面白かった作品には、「いいね」していただけると嬉しいです。

第一話 「本は巡っていく」

ジャンル:ドラマ、青春、ブックカフェ

吉田は、無人のブックカフェ”ABC”から金になる本を盗もうとしていた。高校生活を満喫するには金がいるのだ。しかし、彼を阻むように、自称:常連の女性はいつまでも「1万6千円」の本を読んでいる。早くその本を読み切ってくれ!果たして彼は、最後の高校生活を「せどり」で彩ることができるのだろうか。

第二話「私の無限なべ」

ジャンル:ドラマ、記憶、キムチ鍋

契約期間満了により、実質リストラされた藤村は、引越しを明日に控えたアパートで最後の晩餐をしていた。メニューはキムチ鍋。明日の朝まで気持ちよく飲み明かすつもりだったが、その気持ちとは裏腹に、真っ赤な鍋からチラつくのはあの忌々しい記憶ばかり。彼女は今夜のキムチ鍋を食べ切れるのか。

第三話「津山恋愛事務所」

ジャンル:ドラマ、恋愛?、パシリ

輸入雑貨の仕入れやら、ネットニュースの書き起こしやら、恋愛事務所の「恋愛」の二文字からは程遠い雑用・パシリを押しつけられる新人所員のリョーイチ。先輩所員サムさんの寿退所を受けて、トコロテン方式に所長ヌル子と「恋愛相談」の現場へ駆り出される。さすが、『恋愛成就率99%』は伊達じゃない!

第四話「雨粒と星粒」

ジャンル:ドラマ、お葬式、親族

「お母さんが死んだ」、瑞希はタクシーに揺られながら考えていた。熱気と湿気でむせかえる式場。お坊さんのお経を背景にして、知らない人たちがすすり泣く声、それとお焼香の香りと手に残るザラザラした感じ。なぜだろう、私だけ取り残された感じ。そういえば、叔母さんの優希さんも泣いていなかった。

第五話「チューブ・ルート・8」

ジャンル:ややSF、二人の男、ポテトチップス

オリオン座の三つ星が輝く冬の夜、サバンナの星空をプラネタリウムにしてレオとライオは歩いていた。二人の故郷へ繋がる全天候型道路「チューブ・ルート・8」。透明なトンネル状の道を歩くレオとライオの仲に一つの危機が訪れていた。ポテトチップスの『のり塩』。それが全ての始まりだった。

第六話「夜曜日の日」

ジャンル:実験小説?、交換日記、大学生

「僕はいつもね、そう、あれ以来、よく聞くレコードがあってね、レコードなんて君からすれば、ハイカラ気取りって言われるかもだけど、レコードというのはね、CDのように究極的には0か1かに変換されうる情報とは違って、0~1という幅があってでね。あぁ、ところでレコードのタイトルだけど、、、

第七話「エレベーターが動き出すまで」

ジャンル:ドラマ、タワーマンション、ハロウィン

ハロウィンの夜。希のマンションからは仮装行列が見える。今日に限ってテキパキと仕事を終える部下たちと、ハロウィンの人混みのおかげで、希は仕事帰りに夕食を食べ損ねていた。今から夕食を買い出そうと希がエレベーターに乗ると、運悪く緊急停止してしまう。見知らぬ”和服白ゴス”の女性と一緒に。

第八話「血のないふたり」

ジャンル:ドラマ、アンドロイド、夜のお散歩

夜行バスに揺られて、夜の街にやってきたアンドロイドの子供のルルとミル。雪が降る寒々とした街で、あてのない、探し物をしている。コンビニ、屋台、牛丼屋・・・。夜の街をめぐり、いろんな人とも出会うルルとミル。結局、探し物は見つからないまま、何を探しているのかもわからないまま。夜が明ける。

第九話「ココアは苦めで」

ジャンル:ドラマ、場所取り、他人のなれそめ

スキー同好会の山田たちは、明日のサークル勧誘会に向け、花見の場所取りを徹夜でしていた。何かと競技スキー部には見下されがちなだけに、イベントではそのパリピで存在感を示したい!そして今年こそ念願の女子部員を!そんな野望を抱く山田をよそに、同好会随一の草食系に彼女ができたとか?

第十話「彼女は空になった」

ジャンル:SFホラー?、アパートの隣人、雨

彼が毎日夕日を眺め、大雨の夜は雨に打たれ、快晴の朝は日差しに焼かれる理由。それは、彼の彼女が空になったから、人工惑星の制御装置の生体コンピューターになったから。人間と機械の恋は、かなわない恋。彼を現実に引き戻すため、そして彼女の野望を食い止めるため、行動をしないといけない。

第十一話「小町ちゃんよ、永遠に。」

ジャンル:ドラマ?、町おこし、マスコット

『みなさん、こんにちは!今日古町の特別広報部長の京小町です!今日古町と言えばジャガイモ!夏の新ジャガは、ほっぺが落ちちゃうくらい美味しいんですけど、名産品はそれだけじゃないんです!魅力いっぱいの今日古町を今日からたくさん紹介していきます!みなさん、どうぞよろしくお願いします!』

第十二話「クリスマス・モーフィング」

ジャンル:ドラマ、掌編集、クリスマス

時代も場所も登場人物も違う、クリスマスな掌編集。四畳半で凍える青年、サンタを待ちわびる子供、独り身の女性、そして、クリスマスも仕事の男・・・。決してハートウォーミングしないけれど、これを読んだ皆さんのクリスマスが、作中のどの登場人物よりも、少しでも良いものであることを祈っています。

第十三話「ランドルトの環だけ残す」

ジャンル:ドラマ、青春、身体測定

学校へ行って帰ってくる、いつもどおりの毎日。ただちょっとだけ違うのは、全校生徒がアンドロイドなくらい。そして今日も始まる人間ごっこ。そんな生活にサトーは辟易し始めていたが、例えアンドロイドといえども高校生ならば、ティーンエイジャーらしい悩みはあるわけで。退屈な一日が始まる。

第十四話「『ままならない日々_近藤の場合』~とけない氷~」

ジャンル:ドラマ、ラムバック、ある人の日常

一人で呑むようになったのはいつからだろう。大学の失恋から?仕事を始めてから?目の前のグラスは答えてくれない。近藤は不確かな意識の中で、明日飲むための感情を製氷棚に入れ、今日飲んだ昨日の感情をトイレに吐き出す。そうやって今夜も、彼女のままならない日々が終わ(始ま)るのだった。

第十五話「川に落ちた日」

ジャンル:ドラマ、川の流れ、感傷

桃に、河童に、オフィーリア。川に流されるものは古今東西、幾らでもあるといえど、まさか私が流されるとは。晴天の青空に、心地よくかぶさる草木、そして、体の裏側をヒンヤリとさせる川の水。それらは心地よく、とても良いものかもしれない。ただ、どうして私は川に流されているのだろうか。

第十六話「黄金色の小判型でサクサクとした衣」

ジャンル:コロッケ、コロッケ、コロッケ

 「あれは確かにコロッケだったんだ。」「いや、間違いないね。」「まさかあれがコロッケじゃない、訳ないじゃないか。」「あれはコロッケなんだ。」「あああ。」「あれはコロッケコロッケ。」「間違いなくコロッケなんだ。」「ああああああ。」「何と言おうと幾ら否定されようと。」「あれは、あれは、」

第十七話「読みかけの本」

ジャンル:ドラマ、『雪国』、帰省

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」実家へと向かう特急列車の中で、いつものように浜村は『雪国』を開きます。帰省する時の習慣でした。読むといっても最初の十数頁、島村が駒子と再会する所まで。ただ、浜村にはそれだけで充分でした。故郷に帰るには、それだけで十分でした。

第十八話「三十三平米の荒野」

ジャンル:ドラマ、なんちゃって戦後、地下ボクシング

戦争の傷が未だ癒えず、柔らかな春雨からも、古いガソリンのような臭いがしてくる街で、肩寄せ合って生きる二匹の狼がいた。ボクサーの『タロウ撲師』と、その自称マネージャーのラン子。焼けた街で何かを探して生きる二人に、闇市を仕切るヤクザ達の抗争が、どうしようもなく巻き込んでくる。

第十九話「『ヤツは四天王の中で最弱』と仲間に言われながら、勇者に倒された悪魔四天王の一人である俺は、気が付くと異世界転生して女子高生と入れ替わっていた、まではまだよくて、その女子高生の友人が「エア神経衰弱を始めよう」とか言い始めて、仕方なく付き合っているんだけども、この状況を的確に表現できるいい言葉を教えてほしい」

ジャンル:ドラマ、転生もの?、トランプ

第二十話「記憶の暗がり〜序章〜」

ジャンル:SFもどき、記憶、プロローグ

人類は情報を保管する〈ROM〉人間と、その情報を活用する〈RAM〉人間の2種類に分けられていた。RAMとして生きていた山内は違法なROM人間オークションであるROMの女性と出会うが、脳には彼女の死んだ父の遺品が刻まれていた!これは山内と彼女がその父の謎に立ち向かうまでの序章。

第廿一話「」(更新予定日:4月13日7:00)

ジャンル:ショートショート?、戦争、一兵卒

→ごめんなさい!来週更新します。作品の形式をやや変える予定です(?)

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み