第3話「津山恋愛事務所」
文字数 10,336文字
車内アナウンスが流れる。「ご乗車ありがとうございました」、次の駅でこの電車は終点だ。しかし始発電車で聞く、終点のアナウンスというのも奇妙なものだ。上り列車ならまだしも、これは下り列車だ。車掌が決まり文句のように「いってらっしゃいませ」と、アナウンスの最後に付け加える。確かに、この中には今から「いってらっしゃい」するような人もいるだろう。しかし、ほとんどが、「おかえりなさい」だろう(まぁ、朝帰りして、家族から「おかえりなさい」と言ってもらえるかはさておき)。車掌はどれくらい、本気でこのセリフを吐いているのだろうか。
到着のベルが鳴る。俺は荷物を、一見するとファストファッションで配られているような、白地にワンポイントの入った紙袋を、それとなく抱えてホームへ出る。「一見すると」それはつまり、この荷物は単なる衣服が入っているのではない。平たく言うと依頼品。所長のヌル子(クソ野郎)ご所望の輸入雑貨。要するに俺は、昨夜から徹夜でパシリをさせられているのだ。
駅構内は今から都内へ通勤する客ですごい混みようだ。紙袋を人にぶつけないように(にしたって、一度にこんなに運ぶ必要もないだろう!)、注意しながら、人の流れを縫うようにして歩く。それにしても重たい。この細い紙紐の持ち手と、紙袋の容量が全然あっていない。手に食い込む。痛い。
昨晩、小さなオフィスビルの一角で、この雑貨を受け取ったのだが、その時の担当者、はっきり言ってオバサンなわけだけど、その担当者の手つきというか、目線というか、気味が悪くて、ロクに梱包もしないまま、荷物をもらって飛び出してしまったのだ。せめて、袋を二つに分けてもらうべきだったか。
とりあえず、早く乗り換える電車を見つけなければ。重さと痛さによる苛立ちのあまり、紙袋をゴミ箱にダストシュートしかねない。
階段の上り下りを繰り返し、やっと目当ての路線を見つけた。そのときだ。
ブチンッ。
紙袋の持ち手が切れやがった。かろうじて、紙袋の中身をブチまけずに済んだとしても、持ち手のないこのボストンバック大の紙袋をどう運べというのだ。途方に暮れてしまった。ああ。電車も出てしまった。次は15分後か。
「大丈夫ですか?」
声のした方、後ろに目をやるが、誰もいない?
「こっちです。こっち。」
次は前からだ。目の前からだ。目の前?
そこには、10代そこそこの、子供というには大人びているが、大人というにはあどけない。そんな、青年が立っていた。
「お兄さん。紐が切れて困っているのでしょう。僕の持っているロープをあげるよ。」
襟付きに折り目のあるズボン。その清楚な服装から、少々想像のつかない、麻のロープを差し出していた。俺はというと、最初はあっけにとられていたが、仕事柄か(厳密に言うと仕事環境のせいで)、思わず荷物を抱きしめ、警戒していた。しかし、相手は十代そこそこの子供だ。なぜ、子供がこんなところに?
「そんなに怖がらなくていいよ。あ、使い方がわからないんだね。僕がやってあげるよ。ほら、お兄さんは荷物を持っていて。」
そう言うなり、青年は俺が荷物を抱いたままにもかかわらず、上手にロープを通して、まるでスイカを紐で吊って持つように、結びあげてしまった。
「はい、おしまい。ロープもお兄さんにあげるね。それじゃ。」
青年はそのまま、改札の方へ消えて行く。なんだったんだあいつは。しかし、あの青年のおかげで、紙袋はさっきより、持って歩きやすくなった。しかし見栄えは、白い紙袋を麻のロープで縛りあげている、少しやばいかもしれないが。
最寄り駅までたどり着いた。この荷物を事務所にいるヌル子に届ければひと段落だ。といっても、そのまま仕事を(およそ仕事らしい仕事ではないが)させられるのだろうけど。
本当にようやっとだ。この緊縛された紙袋を、駅員しかり、お巡りさんしかり、その他通りすがりの人諸々から、不審物を見るような目で見られて、ひやひやしながら町中を歩いてきたのだ。別に、ヤマシイものが入っているわけでもないのに。
それはさておき。ゆるゆるになってきたロープを手に巻き付けながら、事務所の外付け階段を上る。事務所としか言ってこなかったが、正式名称は「津山恋愛事務所」。俺もここが何をする事務所なのか(通りに出ている看板には『恋愛成就率99%』を謳っているが)、よくわかっていない。その理由も見ての通り、輸入雑貨の仕入れの手伝いをさせられたり(そうそうこの事務所の一階が、セレクトショップになっている)、芸能や流行に関するネットニュースを集めたり(たしかにネットニュースと言えば、下世話なゴシップネタがつきものだ。そういう意味では「恋愛」に関係していなくもないが、そんな情報を集めてどうする?)、半分雑用、いや雑用だけさせられているのだ。
古い建物特有のあの、細くて急な鉄骨階段を上り終えたところで、事務所の扉が開く。
「アー、リョーイ
リ
=サン。オハヨーデス。雑貨ノ手配、ゴクローサマデース。」先輩のサムさんだ。今俺がやっている仕事を以前引き受けていたらしい。だけど、それも今月いっぱいで終わり、退所するからだ。しかも退所理由が寿退所だとか。男が?
「おはようございます。サムさん。あと俺の名前、リョーイ
チ
、です。」「オー、ゴメンネー。リョーイ、
ティ
=サン。ワタシ、オサキデース。」そう言ってサムさんは、あのでかい図体で上手く俺の脇をすり抜け、階段を下りていく。
話し方を聞いての通り、あまり日本語が達者ではない。出自とかはよく知らないが、ヌル子が言うにはアジア系だそうだ。確かにアジア系の顔つきだけど、あれはもう日本人だろ。ただ、そう言ってしまうのもかわいそうだ。日本人離れした顔で日本語が話せないのは理解しやすいが、まんま日本人の顔で日本語を話せないのは、なかなか理解され難いからだ。実際に色々と苦労してきたらしい。それはそうだとしても、いい加減、俺の名前を憶えてくれよ。サムさん、あんたの後釜になるんだから。
さわやかなサムさんの笑顔を見送った後、俺は事務所の中へはいる。さて、今日はどんな仕事を吹っ掛けられるか。
「所長。おはようございます。ただいま戻りましたー。」
クソ野郎(ヌル子)の返事が無い。死んだか?そんなはずはない。奥のプライベートルームにでも居るのか。あそこはヌル子専用のスペース、というかヌル子の居室だ。あの人は、事務所に住んでいるのだ。まぁ、サムさんの反応を見る限り、事務所の何処かにいるのだろう。荷物をテーブルにあげる。
そばのソファに寝転がり、その背もたれの上に据え付けられている、アンティーク調のラジオのスイッチをひねる。流れてくるのは、民放のゴシップ満載のワイドショーだ。そうか、もう10時近くか。
耳障りな歓声。司会を務める「ミヤグミ」の芝居がかった口調。自称コメンテーターどもの自分を棚に上げた批評しかり、言わなくてもわかる民衆の代弁しかり、そして、醜いマウント合戦。よかった、いつもの通りだ。
この仕事をするようになってからか、いや、「
する
ように」というのは語弊がある、いや、最も俺のプライドにかかわってくる。訂正させていただこう。この仕事を「させられる
ように」なってからか、情報の取捨選択というか、ニュースのどれが中身でどれが雑音なのか、見極められるようになった。それも、ネット中の下世話な記事を、似たり寄ったりな記事を、何度も何度も見せられれば、(以前、芸能人のダブル不倫が発覚した時、そのゴシップ記事をネット、スポーツ新聞、テレビ、雑誌、ラジオ、ほぼすべてのメディアから情報をかき集めさせられたときは、さすがにしんどかった。なにがって、その不倫、よりによって四十過ぎの夜の営みまで、全部の記事に事細かに書かれていて、それでいて、内容がちょっとずつ違うというのだから。その違いを逐一レポートにするとなれば、もう、反吐が出るぜ。おっと、話をもどそう)要約すると、どれがクソで、どれがカレーかぐらい、においだけで分かってくるものだ。〈ジャーッ。ゾゾゾゾゾゾッゾー〉
クソの話していたせいか、所長もクソをしていたようだ。
「オー、おかえりー。」
たった今、玄関隣の便所から出てきたのが、この「津山恋愛事務所」の所長兼代表相談員のヌル子だ。30代前半くらいの。まぁ、スタイルだけ見ればスマートで小綺麗に見えるかもしれないが、それは着ているレディーススーツに原因がある。なんせ所長は、年中何処でも、パンツスーツにネクタイを締めて過ごしていやがるのだ。寝るときもだぞ!こいつにとってスーツは衣服じゃなくて、一種の呪いなんだろうか。そして、その寝間着代わりにされてシワだらけのスーツに、アイロンがけをすることは、俺に課せられた呪いだ。
所長はざっくりとまとめたポニーテールを、グシグシかきながら(手を洗ったのかコイツは?)、冷蔵庫から「いつもの」朝食を取り出す(もう10時過ぎたけど)。
そうだ、この人はスーツ以外にも呪いがあった。朝食に必ず、「チョコクッキーバニラアイス」を食べるのだ。それも律儀に、毎朝アイスクリームメーカーに材料(材料の準備は全部俺だけどな!)を放り込んで出来立てを食べるのだ。
「リョーイチ。あんたもコーヒー飲む?」
「ああ、いただきます。」
所長はアイスクリームメーカーにいつもの材料、生クリームに卵黄に砂糖を放り込む。機械の立てるウーン、ウーンという動作音の中からラジオの声を聞き分けながら、俺は、紙袋のロープを解いていく。道中の扱いはさておき、所長の目の前、今は丁寧に扱う。
所長は頃合いを見計らって、チョコレートクッキーを砕いて入れる。(あのクッキー高かったのに、アイツは全てアイスクリームに突っ込んでしまう)そして、忘れていたかのように、コーヒーメーカーの準備も始める。
こっちは中身をすべて出し終えた。紙袋の中に小箱が約20個。どうりでかさばるわけだよ。それぞれ外国語が(たぶん、英語、だと思うのだが)書かれている。たしかに、紙袋の安っぽさとは全然違う、いわゆる高級感がある。高級クッキーの菓子箱と比べるのも、あれだが(金額はクッキーと大して変わらないのだけど)、やはり違う。
すべてきれいに並べたら、畳ほどあるテーブルもきれいに埋まってしまった。
所長が左手にマグカップを2つ、持ち手に無理やり指を通して持ち、右手には出来立てのアイスをボウルに盛っている。もちろん一つだけだ。そして、使った材料も道具も台所に投げっぱなしだ(もちろん、片付けるのは俺だからな)。
「ふーん。悪くないわね。」
所長は特に断わりもなく、俺の隣に座る。マグカップを二人の間に置くと、アイスをスプーンですくいながら、俺の並べた小箱たちを眺める。俺は隣でコーヒーを飲む。泥のように濃い(コイツ、エスプレッソ用の細挽きで淹れやがったな)。
「リョーイチ。おつりは?」
「はぁ?」
意味不明だった。だってコイツは、「依頼品を受け取ってこい」としか言っていないのだ。確かに、交通費と代金を、昨晩渡されたが、それは俺がくすねる程も残らなかった。つまり、交通費と代金だけでピッタリだったのだ。俺は、頭の中に「
「おつりって、交通費と先方への支払いで全部使いきりましたよ。」
嘘は何一つついていない。
「はぁア?」
所長がめっちゃ、ガンを飛ばしてくる。普通に怖い。
「お前、素直に15万払ってきたのか?」
顔なんて見られない。黙って一つうなづく。こめかみあたりに視線が突き刺さってくる。
「くそ、使えねーな。普通は値切ってくるもんだろ。もう。」
えー!所長が自分で契約書の金額にサインしておいて、何言ってるんだ。
「まー、いっか。おつりがあっても、リョーイチの給与になるだけだし。いずれにしても、取引が成立したことには・・・。」
何やら所長は、ぶつぶつ独り言を言い始める。が、最初の言葉は聞き逃さない。
「ちょっと待ってください。したら、今回の俺への支払いは!」
ここでは成果給(つーか、半分お駄賃みたいだけど)だから、それは聞き捨てならない!
「はい、現物支給。現金は無し。」
所長は並べられた小箱の中から、一番平べったいのを掴み、俺に渡した。立ち上がったと思えば「洗い物よろしく~」と、アイスの入っていたボウルを流しに置いて、事務所の奥へ消えていく。と思ったら、
「あ!リョーイチ。その雑貨、机にあるリストを確認して仕分けておいて。
そう、付け加えて部屋に消えていった。どうせまた、ひと眠りするのだろう。俺はまず先に、洗い物を済ませることにした。
台所に捨て置かれた諸々を洗い終え、水切り籠に並べたら、雑貨の仕分けに取り掛かる。
そういえば、ここの事務所の収益は、「恋愛相談」7割、「雑貨販売」3割と言ったところだ。以前、十年分の会計書類の整理を押し付けられたとき、大体そのような感じだった。収益だけ見れば、「恋愛相談」の片手間に「雑貨販売」をしているように思えるが、実際は反対だ。むしろ普段は雑貨販売くらいしかしていない。恋愛相談なんて半年に1回あれば良いほうだ。この恋愛相談というのは、マグロ漁船じゃないけど、一発当てればデカい仕事だったとは、俺もここに来てから知った。
所長の机に置かれたリストを拾いあげる。羅列された横文字(おそらく、雑貨の商品名だろう)の横に
流石に俺でも、簡単な英語はわかる。「WATCH」は腕時計のことで、「BUTTON」は服に付けるボタンのことだろ。リストのピックアップは終わった。仕分けるといっても、約20個の中から、四つの小箱を探すだけだ、どうといったことではない。まだ、所長は起きてきそうにない。
俺は、ぬるくなったコーヒーを一気飲みし(やっぱり苦すぎる)、残りの小箱を一階に持っていくことにした。小箱を紙袋に戻し、またあの狭い階段を下りていく。踏み外さないように気を付けなければ。店先についたら、シャッターを開けて、薄暗い店内に入る。
店内の広さは上の事務所より、気持ち狭いぐらいだ。入口すぐにレジが置かれ、壁の四面に奥行きの浅い木製の棚が据えられて、そこに商品が並べられている。
棚には少しほこりが積もっている。
このほこりは、お店に人が来ないからではない。お店自体が滅多に開店しないからだ。もう、昼近くだというのに。所長のあの様子を見ればわかるように、ここも所長の気分次第。この様子なら、半月は開けていないかもしれない。まぁ、店頭販売がこのような調子でも、先ほどのリストのように、個人取引みたいなことをしているので、なんだかんだで、売り上げというか、日々の生活に困らないだけの収入があるようだ。
俺もここで働くようになれば、今は半分見習いみたいなものだけど、サムさんが抜けて、俺と所長の二人になったら、ここの店番もすることになるのだろうか。商品の在庫置き場と思われる、棚に目をやるが、何が何やら。とりあえず、紙袋をレジのすぐわきに置いたら、戸締りをして、また、事務所に戻る。
「どこ行っていたんだよ。仕事だ!車出せー行くぞー。」
所長は、さっきとは別のスーツ、鼠色にピンストライプの入ったもの(まぁ、いわゆる外向けというか、外出する時によく来ているものだけど)に着替えて、髪の毛を結い直している。「さっきの商品を忘れるなよ」と、すれ違いざまに、俺の脇をすり抜けていく。
俺も慌てて、車のカギとテーブルに置いた商品とリストを拾い上げて、後について行く。さっきまで着ていたスーツがソファに投げつけられている(あーあ、またシワになるよ)。
事務所の裏側に車庫があって、そこに営業車というか社用車が置かれている。といっても、ここに配備されている車は“ウォンイット”。いわゆる、リバーストライクというもので、ざっくり説明すれば、前方2輪、後方1輪のゴーカートだ。これでも最高時速150キロを超えるというんだから、ばかにできない。しかし、これで営業するという、倫理観は別にしてだが。
所長は既に、助手席(この場合、助手席というのが正確かはわからないが、いずれにしても、ハンドルのないほう、外車だから進行方向に対して右側)に座り、両足を組んで車体前方のボンネット(でいいのか?)に載せている。さながら、和式便所に尻がはまっているようだ。
「おせーよ。早く出せや。」
サングラスをかけたまま、所長はぼやく。俺も慌てて、荷物を車体後方にくっつけられた(ルーフ?)ボックスに仕舞い、運転席に乗り込む。俺、この車の運転って嫌いなんだよな。エンジンを点火し発進させる。車体が低すぎて、国道の車列に混じると、周りの車からの威圧感がすごいというか、とりあえず、俺はこの車が嫌いだ。
所長が指示するように、郊外の町中を掛ける。雑貨の配送。ただ、荷物を届けるだけなら配送業者に任せればよいのだが、それで終わらないから、わざわざ二人で回るのだ。
一件目は、駅南側の「テーラー斉藤」。前店主が亡くなって経営が危うくなった時、所長が新しい職人を紹介したとかナントカで、現店主の本名は山田だとか。まぁ、そんなことはどうでもよくて。ここは、所長が普段着るスーツを仕立ててもらっているところで、まぁ、色々と付き合いがあるのだ。所長はボタンの入った小箱を持って、店内に入っていく。
十数分後、新品のスーツと茶封筒を持って戻ってくる。俺に昨夜渡した「交通費兼代金」の入った紙袋と同じくらいの厚さがある。明らかにおかしいだろ。そのような調子で、2件、3件回っていく。そして、所長は、仕入れ値のおよそ十倍近い代金が入った袋と、取引先の商品いくつかをもらって戻ってくる。時刻はもう、1時を過ぎている。
「この後、クライアントと待ち合わせだから、そこで昼を食うか。場所は駅前のファミレスな。」
スーツの内ポケットに無造作に入れられた(まぁ、所長はスリムだから)、茶封筒を風になびかせながら、所長は話す。俺は初めてだった。所長の話す“クライアント”とは、いわゆる「恋愛相談」の依頼だ。俺は初めて、この事務所の本職を知るのだ。なんだか、楽しくというか、まったく、光栄だとは思わないが、俺もこの事務所の一員、サムさんの後釜になったのだ、という実感でいっぱいになった。
ファミレス“パープル・シャドー”、店内。
店名だけみると、物々しいライブハウスっぽいが、店員の制服がリンドウ色なだけで、ハンバーグとか、ナポリタンとかがおいしいファミレスだ。俺たちは平日のファミレスの、あの閑散とした中に、お昼過ぎ特有の賑わいというか、いわゆる静かすぎず、混みすぎない雰囲気を歩き、一番奥でかつ入り口が見えるテーブル席に座る。所長はもちろん奥側に。
「じゃあ、あたしは、デラックスピザのAセットと、ポテトとで。あとバニラアイス。」
「俺は、ダブルハンバーグのCセットで。」
なんというか、ここでの注文はもはや、定番というか、習慣だ。“パープル・シャドー”では、着席と同時に注文をするのが、常連のたしなみというか、決まりなのだ。そして、所長はここでもバニラアイスを注文するのだ。
「所長。今日のクライアントって、どんな人なんですか?」
「まぁ、先に飯にしようや。」
そういうなり、所長は俺に「コーヒー取ってきて」と、ドリンクバーへ取りに行かせる。相変わらずの人使いだ。
そのまま、俺たちは何も話さないまま、料理が来るまでの時間が流れていく。しばらくして料理が運ばれてくる。ピザとポテトとハンバーグ。俺たちは黙々と食べて、バニラアイスが来たところで、やっと所長が話し始める。
「リョーイチ、ここで、働き始めてどれくらいになる?」
「え、去年の秋ぐらいからなんで、半年くらいになりますかね。」
「その、半年間、うちの事務所で何をやってきた?」
改まったというか、所長の奇妙な丁寧な話しぶりが、気持ち悪い。しかし、答えないわけにはいかない。俺がこの事務所でやってきた(いや、やらされてきた)こと。ネットニュースなどの情報収集に、事務所とセレクトショップの会計、車の運転手、そして、パシリその他を、なるべくオブラートに包んで説明してやる。それを聞いた所長はちょっと考えこむように目をつむり、大きくうなずく。
「おい、それ以外にも、普段からやってることもあるだろ?」
「普段からやっていたこと?ですか。」
ピンと来ていない俺を見かねたのか、所長は自分の来ているスーツをつまんで見せる。ああ、普段からやっていること。やっと、意味が分かった。事務所の家事・炊事。あと所長のスーツのアイロンがけからクリーニング出しまで。要するに、所長の身の回りの一般も、仕事といえば、仕事だ。それらについても、先ほどと同じように話す。
「そうだなぁ。いろいろやってきたな。」
所長はバニラアイスを一口食べる。
「今日までやってきたそれを、これからもやっていく自信はあるか。」
アイスの器を脇に寄せ、俺を真剣な目で見て話す。こんな所長は初めて見る。とりあえず、いや、今まで好きでも嫌いでもなくやらされたことだし、サムさんがいなくなれば、俺がやらされるというのは火を見るよりも明らかだ。答えは一つしかなかった。
「はい。大丈夫です。これからもやります。」
「そうか。その一言を聞きたかった。」
そういうなり、所長は携帯を取り出し、誰かと話す。携帯をおくと、
「リョーイチ。クライアントの紹介だ。」
後ろで扉が開くベルの音。振り返ると、ウエディングドレスを着た女性が、あぁ、昨夜、雑貨を取引する時の担当者だ。でもなんでここに?女性はドレスだし。しかもこんな平日の真っ昼間にウエディングドレス?
「紹介しよう。今回のクライアントのリョーコさんだ。」
俺は訳が分からないまま、そのリョーコさん(そういえば、昨夜の名札がそうだったな)と握手をする。なぜか、リョーコさんは涙目だ。
「あの、所長?これ、どういうことですか。」
ハンカチで涙をふくリョーコさんを横目で見ながら、握手をしたまま、所長に聞く。
「リョーイチ、お前の花嫁さんだよ。」
は?
「リョーコさんは、家事・炊事ができて、面倒見のいい、そして、最近の流行やニュースに詳しい、夫。まぁ、この場合は専業主夫を探していたんだ。」
「いやいや、俺の意思はどうなるんですか!」
「リョーイチ、お前は何を言っている?お前は事務所の所員だ。事務所は必要に応じて所員の派遣もしている。つまりお前は、津山恋愛事務所の所員として、リョーコさんの下へ、新夫として派遣されるんだよ。」
所長はリョーコさんとハグしている。「これからも雑貨の融通をよろしく」とか、言っているのが聞こえる。
俺は、なんとなくわかってきた。不自然なほど多い「恋愛相談」の収入のわけ、“津山恋愛事務所”で家事炊事をやらされてきたわけ、法外なほど安い金額でリョーコさんが輸入雑貨を販売したわけ。そして、事務所の看板の「恋愛成就率99%」のわけ。
俺はクライアントのお金でもって、クライアント好みになるように花婿修行させられていたのだ。そして今日、お見合いがてらパシリに行かせて、めでたく、輸入雑貨との交換で取引成立したのだ。
ヌル子は胸ポケットから茶封筒を一つ、俺によこす。
「リョーイチ、これは餞別だ。元気でな。」
そう言ってヌル子はスプーンを加えながら、手を振る。あと、駐車場の“ウォンイット”と、一緒に積んである(取引先からもらっていたのはコレだったのか)タキシード一式も、くれてやるとのことだ。俺とリョーコさんは店を出る。リョーコさんは年甲斐もなく、俺の腕に抱きついてくる。顔を摺り寄せてくる。
どうせ仕事でも結婚させられるんだったら・・・、いや、それ以上考えるのはやめよう。それは、俺のプライドが許さない。そして、これは正式な結婚ではない。あくまでも、“津山恋愛事務所”からの派遣なのだ。
そして俺は、派遣祝いだと託されたウォンイットにリョーコさんと乗る。初めて見る車にはしゃぐリョーコさんをなだめてから、ゆっくりとハンドルを握り占める。
ルーフボックスには俺の新郎衣装、隣には新しい所長(クソ野郎)を乗せて。
新しい事務所生活が始まるのだ。