第10話

文字数 2,775文字

「誰にも知られたくなかったの。姉さんを見ていたから」
 亜鳥は悲しげに言った。
「卑怯者ね、わたしは。あなただけを苦しめてきたわ」
「ずっと前から、知っていたような気がする。叔母さんが呪力者だってことは」
「わたしの呪力が目覚めたのは、少女時代なの。姉さんが死んだころ。眼の色もそのころから変化して・・だから、隠し通すことができた」
 亜鳥は眼を伏せた。
「あなたの呪力も、封じこめようとしてみたわ。でも、できなかった。あなたの呪力は大きすぎて、わたしには制御できないの。ごめんなさい、白久」
「あやまることはないわ」
 白久は、くりかえし首を振った。
 亜鳥を、どうして責めることができるだろう。
 亜鳥は、白久に精一杯のことをしてくれた。村を出ることだって考えたに違いないのに、白久や父のためにそうはしなかった。死んだ母のかわりに、ずっと白久を支えてくれたのだ。
「わたしが叔母さんでも、呪力を隠したと思う。〈龍〉に振り回されるのは、まっぴらだもの。わたしたちは、〈龍〉のために生まれてきたわけじゃない」
「そうね」
 亜鳥は、そっと白久の手を取った。
「だから、後はわたしに任せて、白久。〈老〉に本当のことを話すわ。あなたへの〈老〉の考えも変わるかもしれない」
「こんどは伯母さんが重荷を背負うことになるのよ」
「これまでのあなたの思いと比べたら、重荷とは言えないわ」
「でも・・」
「もう心配しないで。あなたの決めた通りになさい。あの人を救けるつもりでしょう」
「ええ」
「村を出るのね」
「伯母さんも、いっしょに」
 白久は叫けび、あわてて声を押し殺した。
「いっしょに行きましょう。こんな所にいても苦しむだけ。どこか、新しい土地を見つけて暮らすのよ。そうよ、父さんも連れて行けば・・」
 亜鳥は、静かに首を振った。
「あなたのお父さんは、〈龍〉の琵琶弾きよ。一門の伝説や歴史に、誰よりも深く結びついているの。〈龍〉からは離れられない。義兄さんが本当に憎んでいるのは、龍の一門ではなくて、そんな自分自身じゃないかと思える時がある」
「父さんにとっては、母さんよりも〈龍〉の方が大切だったというわけ?」
「そうね。その後悔もあるかもしれない。義兄さんさえその気になれば、あなたと姉さんと三人、どこかこことは違った場所で暮らすこともできたはずだから」
 白久はうつむいた。
 〈龍〉を捨てたかった母、捨てきれない父。父の葛藤は、母を失ったことで狂気へと変わったのだ。
「わたしは、残るわ」
 亜鳥は言った。
「せめてもの償いよ、白久。このままでは、あなたや姉さんのような人が増えるばかり」
「だって」
「わたしは、ずっと隠し通して来た。本当は、この目でしかできないことがあるはずだったのに」
 白久は、はっとして亜鳥を見た。
「〈龍〉は、変わらなければいけないわ。今からでも遅くない。〈老〉だって永遠に生きているわけじゃないでしょう。時間はかかるかもしれないけど、一門に分かってもらえる時がきっと来る。呪力だけが〈龍〉のすべてではないってことが」
 亜鳥の口調には、静かな決心がこめられていた。
「そうでなければ、大那から来た人にも恥ずかしいわね」
「ええ・・」
「あとのことは、わたしにまかせて、白久。〈龍〉から自由になるいい機会だわ。あなたは一度、〈龍〉から離れた方がいい。新鮮な空気の中で、自分のことや、これからのことをゆっくり考えるの」
 白久は黙って亜鳥を見つめた。
 亜鳥は、微笑んだ。
「その後で、いつでも帰ってきてかまわないのよ。わたしは待っているから」

 高く昇った月は、満月に近い。
 淡い光が、静かに村を浸していた。
 今なら、〈老〉の呪力を怖れずにすむ。〈老〉の眠りは、死そのもののように深いのだから。
 三狼のいる耕作小屋の前の見張りは二人。二人とも、篝火を焚いたまま、その場にうずくまって深い寝息をたてている。亜鳥が呪力で眠らせたのだ。
 白久は、小屋の引き戸をそっと開いた。窓のない小屋の中は真っ暗だったが、戸口からの明かりで、三狼が長々と横たわっているのが見てとれた。いびきまでかいて、ぐっすりと眠っている。
 こんな時に、よくものんびりと。白久は肩をすくめ、三狼の肩に手をかけた。
 三狼は、一声うなって眼をこすった。きょとんと白久を見つめ、
「やあ、おはよう」
「まだ夜中」
 白久は、早口でささやいた。
「あなたは、監禁されていたのよ。よく眠っていられたわね」
「眠れる時には寝ておく主義なんだ」
「昼間、〈老〉になんて言われた?」
「明日、大那に帰れって言ってたな」
 三狼は頭をかいた。ようやく、はっきり眼が醒めたようだ。
「帰っても、〈龍〉のことは黙っているようにとも」
「あなたは、同意したの?」
「一応」
 三狼は、こくんとうなずいた。
「穏便におさめるためにね。帰ったふりして、また龍探ししようと思っていた」
「そう甘くはいかないわ。〈老〉はあなたの記憶を消すつもりなの」
「記憶を?」
「あなたが大隅で見たことすべてね」
「そりゃあ、困る」
「記憶だけ消えればまだいい方よ。〈老〉の呪力は、あなたの精神を壊してしまうかもしれない」
「もっと困る!」
「だから、わたしと逃げるの。早く」
 白久は三狼の手をとって、すべるように耕作小屋を抜け出した。
 
 暗い山道をどのくらい歩いただろう。白久と三狼は、ようやく一息ついた。
 谷間の村を小さく見下ろす峠にさしかかっていた。
 ここまでなら、何度か白久は来たことがある。ここにたたずむたび、考えたものだ。
 西に下る坂道は、大那へと向かう道。
「ここを行けば、大那に戻れるわ」
 白久は、三狼を見上げて言った。
「あなた、帰るつもりはないの?」
「あたりまえだろ、せっかくここまで来たんだ。龍を見ないことには、話にならない」
 三狼は肩をそびやかし、そして気づかわしげに白久を見つめた。
「きみこそ、どうするつもりなんだい。わたしのために」
「ちがうわ」
 白久はきっぱりと首を振った。
「自分のためよ」
 熊笹や潅木の枝でついた手足のひっかき傷の痛みが、今頃になってじんわりと感じられる。
 もう、後戻りはできないのだと白久は思った。
 亜鳥と父とに別れた悲しみがひっそりと淀んでいるだけで、意外にも、心の中は平静だった。
 村を出ることに、何の後悔もない。
 そう、しばらく一門と別れて、頭を冷やそう。そして、再び帰った時に、亜鳥の手伝いができるなら。
 東の空がほんのりと明るくなり、連なる山々の稜線をくっきりと浮かび上がらせた。
 白久は、深々と息を吸い込んだ。
「わたしも、あなたと行かせて。三狼さん。わたしも龍が見てみたいの」

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