第9話

文字数 2,590文字

 三狼は、〈老〉の住まいに入ったままだった。
 白久を安心させるようにひとつうなずいて、〈龍〉の呪力者たちに従って行ったのだ。
 久伊は〈龍〉たちには目もくれず、琵琶の手入れをはじめていた。
 白久は、村に戻った。
 大那から来た人間のことを知らぬ者はないというのに、村の中は異様なほど静かだ。
 主立った呪力者は〈老〉のもとに集まっている。
 〈老〉は彼をどうするつもりなのだろう。
 一度白久は、家の外にいた雀の身体を借りて、〈老〉の高床をのぞいてみた。
 三狼は、〈老〉や呪力者たちにかこまれて、身振り大きく語っていた。現在の大那のことだ。
「そりゃあ、時には呪力者も生まれます」
 三狼は言った。
「彼らはたいがい、神官になる。神官は一生不犯がたてまえだから、つまり呪力者の種を断っているということになるのかな」
 白久は、小首をかしげながら高床の明かりとりの窓に止まっていた。
 たまらなくおかしくなってくる。
 なんて違いだろう。むきになって呪力者を増やそうとしている大隅の〈龍〉と、もう呪力者を必要としない大那の人々。
 突然、甲高い獣のような声がしたので、白久は羽根をふるわせた。
 久しく聞いていない〈老〉の肉声だ。いかにもおもしろそうに身体をゆすって、〈老〉は笑い続ける。
 他の者たちは凍りついたように身動きせず、〈老〉を見つめていた。
 〈老〉はなおも笑い、そっくりかえって高窓に目を止めた。
 白久の雀と眼が合った。
 白久は、即座に雀の身体を後にした。
 〈老〉に気づかれたにちがいない。
「白久」
 亜鳥が、我にかえった白久に声をかけた。
「あの人は、ありのままのことを話していたわ」
 白久はつぶやいた。
「呪力者たちは、眼を丸くしていた。〈老〉なんて、奇声をあげたほどよ」
 亜鳥は、黙ってうなずいた。
 夕暮がせまってきていた。
 白久に寄り添うように座っていた亜鳥が、顔を上げた。
「〈老〉は眠ったみたいね。みんなが引き上げてくるわ」
 たしかに、家々にかすかなざわめきが戻ってきている。
 それでは、彼らは三狼をどうするか決めたのだろうか。
 白久は、立ち上がった。
「都津のところに行ってくる。都津の父さんも〈老〉のところに呼ばれていたから、どうなったか聞いているかもしれない」
 由良に出会わないことを祈りながら、白久は夕闇にまぎれて都津の家に向かった。
 戸口から覗き込むと、都津は目ざとく白久を見つけ、外に出てきた。
「やあ、白久。きみが来るとはめずらしい」
「お父さん、何か言っていた? あの人のこと」
「うん。きみも変なのにかかわったね」
 都津は、のんびりと言った。
「あの男の言っていることは、みんなでたらめだってさ。明日にはこの村の記憶を消して大那に追い返すって話だ。今日はもう、〈老〉も疲れて呪力を使えないからね」
「でたらめですって」
 息がつまりそうな気がした。
 これまでに経験したことのない大きな怒りがこみあげてくる。
 なんて卑怯なやり方だろう。
 〈老〉は、大那の真実の姿を、すべて無視するつもりなのだ。
 ただ認めたくないがために。
 この大隅での腐りきった〈龍〉の生活を保っていくために。
「あなたは、どう思うの? 都津」
 白久は、ようやくささやいた。
「あの人の話、信じられない?」
「ふうん」
 都津は、軽く鼻を鳴らした。
「信じられないね。〈龍〉のいない大那はもっと悲惨なありさまになっているはずだよ。本当は、あの男も大那を逃げだして来たんじゃないのかな」
「わかったわ、ありがとう」
 白久は、ぴしゃりと言って、都津に背を向けた。
 後ろで都津が何か言っていたが、耳にも入らなかった。
 三狼を、なんとかして〈老〉のところから助け出さなければ。
 そればかりを考えていた。
 決して〈老〉たちの思い通りにさせはしない。
 広場の一角には、共同の耕作用具などを入れておく小屋があった。三狼はそこに閉じこめられ、呪力者が明朝まで交替で見張りにつくことになったらしい。
 日が傾いてきた。
 影の深くなった家の中で、白久はじっと考え込んでいた。
 決心はついていた。
 三狼を助け、この村を出てやるのだ。
 だが、亜鳥に何と言おう。
 結局、白久がやろうとしていることは母と同じだった。村を捨て、それきり帰るつもりはないのだから。
「白久」
 顔を上げると、亜鳥のいつも通りの微笑みがあった。
 まるで、白久の心を見通しているかのように、
「かまわないのよ、白久。あなたの思い通りにして」
「叔母さん・・」
 白久が言いかけたその時、戸口に人の気配がした。
 入って来たのは由良だった。白久をきつい目で見つめたまま、
「今晩はわたし、ここに泊めてもらうわ。あなたが妙なことをしないようにね」
「〈老〉の命令?」
「いいえ、わたしの考えよ。気がきくでしょう」
「ここにお座りなさいな、由良」
 亜鳥が、自分の脇を指差して言った。
「お茶でも入れましょうか」
「いらないわ」
 由良は白久を睨んだまま、亜鳥の隣に座り込んだ。
「霊を飛ばしたりしたら、残ったあなたの身体がどうなるか保障はしないわよ。わたしに何かしようとしても、その前に大声を上げてやるから」
「あなたの声を聞くのは、久しぶりだわ」
 穏やかに亜鳥は言った。
「小さいころは、この家にもよく来てくれたのにね」
 由良は答えず、顔をそむけた。
「いつから、こうなってしまったのかしら」
 亜鳥は、優しく由良の頬に手を触れた。由良は驚いたように亜鳥を見、されるがままになっていた。
 亜鳥は、両手で由良を抱き寄せた。
 由良は、ぐったりと目を閉じた。
 白久は、亜鳥を見つめた。
「何をしたの?」
「眠ってもらったの。明日の朝まで」
「呪力を使ったのね」
 白久は、ささやいた。 
「伯母さんも呪力者なのでしょう」
 亜鳥は由良の身体を横たえ、顔を上げた。そして、静かに眼を開いた。
 白久は、息を呑んだ。
 白久を、まっすぐに見つめている亜鳥の瞳。
 それは、黒よりも明るい色だった。夜明け前の空の色。底に澄んだ光をたたえた、深い深い紫の色・・。
 往古の〈龍〉の呪力者の証。
 一門が、狂わんばかりにして待ち望んでいた紫色の瞳だったのだ。
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