第13話

文字数 2,788文字

 少年に目隠しされる直前に、男が三狼を軽々と背負うのが見えた。
 少年は、白久の手を取って早足で歩き出した。足場を選んでくれているようで、目が見えなくとも、木の根や石で転ぶことはなかった。
 あいかわらずの霧雨の中、山道を何度上り下りしたことだろう。
 突然少年と男が言葉を交わし、それに続いて何人かの人声も聞こえてきた。
 地面は平らになり、さらにたくさんの人の気配。驚き、叫び交わしているような声、声、声。
 白久は、一段低い場所に引っ張り込まれた。と同時に、まとわりつく雨がなくなった。
 ここは?
 少年は、白久の目隠しを取った。
 白久は、あたりを見回した。
 薄暗い土間。
 掘り下げた地面に柱を建て、屋根を乗せただけの粗末な小屋だ。
 部屋の角には大小の土器が並べられ、天井の梁からは干した魚や肉らしきものがぶらさがっていた。
 土間の真ん中の炉には、小さな火が燃えている。三狼は、炉の前にしいた毛皮の上に横たわっていた。
「三狼さん」
 白久は、そっと声をかけた。
 三狼は、うなずいた。
 しかし、彼の顔色は、はっきりわかるほど青ざめていた。
「夷人の家らしいな、ここは」
「ええ」
 少年は、入り口につっ立ったまま、心配そうに三狼を見守っていた。
 三狼は、大丈夫だよ、といったふうに笑ってみせた。
 間もなく、先程の男が、痩せた中年の女といっしょに入ってきた。
 白髪まじりの髪の毛をひとつに束ねていることをのぞけば、彼女も男たちと変わらぬ格好だ。両手に、小さな壷を抱えている。
 女は、三狼の前にどっかりと座った。
 白久は、女の壷を見て目を見張った。土を焼いただけとは思えないほど手の込んだ作りのものだった。
 口の部分には、雲を象ったような曲線がいくつも重なりあっていた。両側についた把手は、どう見ても咆哮する龍の首。
 二匹の龍が雲を突き抜けて、それぞれ壷を一巻きしているような装飾だ。壷の表面全体についている模様も、龍の鱗を表したものだろう。
 夷人たちは、龍を見ている。
 白久は確信した。
 こんなにも生き生きと形づくれるほどに。造り手は、すぐ間近で見、目に焼き付けたのだ。
 女は、三狼の腕の傷を調べていた。男は、一掴みの草を彼女に差し出した。
 女は、歌のような、呪文のような言葉をつぶやきながら、草を両手でもみはじめた。その手が緑色に染まるまで草を揉み潰すと、三狼の傷になすりつけた。ついで、壷に手を伸ばし、三狼の口に茶色い液体を注ぎ込んだ。
 三狼は顔をしかめ、しかし、液体を飲み込んだ。
 吐き出したいのを堪えているのは、顔を見ただけで明らかだった。
 女は鼻をならし、さっさと家を出ていった。男も、少年に何かを言い残して、後に続いた。
「だいじょうぶ? 三狼さん」
 白久は、ささやいた。
「おもいっきり、まずかった」
 三狼は、笑いを押し殺したような声で言った。
「でも、まちがいなく解毒薬だ」
「救けてくれたのね」
「あの子のおかげだよ。ありがたい」
 白久は、小屋の入り口の前にうずくまっている少年に目を向けた。
 彼は、二人を眺めながら、居心地悪そうに首飾りをまさぐっていた。その首飾りも、土を焼いたものだった。形も大きさも卵ぐらいで、中は空洞らしく、いくつか穴が開けられていた。
 この子は、三狼を殺して寝覚めの悪い思いをしたくなかったにちがいない。
「夷人なのに」
「夷人だって、人間だよ」
 三狼が、さらりと言った。
 白久は、はっとした。
 確かにそうだ。少年は三狼を見過ごせずに男を呼び、男もまた薬師のもとに連れてきてくれた。
 正体不明の余所者を村に入れるという危険を侵してまで。
 〈龍〉よりも人間らしかった。〈龍〉ならば、そのまま三狼を打ち捨てておいたにちがいない。
 それなのに、自分は少年の中に入り込もうとしたのだ。鳥や獣の中に入り込むのと同じように、何のためらいもなく。 
 白久は、少年にすまなく思った。
 〈龍〉の傲慢さは、自分にもある。
 三狼が、横たわったまま少年を手招きした。少年は、少しためらったが、やがてのろのろと近づいて来た。
「助かったよ、ありがとう」
 三狼は、少年の手を優しく握って頭を下げた。
 少年は三狼を見つめ、ようやく初めて笑顔を見せた。
 白久は家の入り口から、外を眺めて見ようとしたが、たちまち少年に止められた。
 目隠しをし、空き家に連れてきたのは、この村のことを極力知られたくないためなのだ。白久はおとなしく少年に従うことにした。
 しかし、壁のわずかな隙間から、村の様子はなんとなく分かった。
 ここと同じような家が、十数軒はあるようだ。時折、行き交う男や女が見えた。みんな大柄で、骨格ががっしりとしていた。
 赤ん坊の泣き声や、外を走り回っている子供の歓声があちこちで聞こえる。村の規模は龍の一門のものよりも小さいかもしれないが、子供の数はずっと多そうだ。
 物見高い子供たちの何人かが、入り口まで来て家の中を覗き込んだ。
 少年が睨むと、きゃっと笑いながら逃げだした。
 みんな、少年と同じような首飾りを下げていた。円盤型で、模様のように何カ所かに穴が開いている。大人たちは着けていないから、子供のお守りのようなものなのか。
 やがて男が戻って来た。
 この小屋に住んでいるのは、少年と男だけらしかった。
 少年は、炉の火を大きくした。
 男は水の入った瓶を持ってきて火にかけた。
 野菜と干し肉を放り込む。煮えたところで椀に盛り、白久にも分けてくれた。三狼はさすがに食欲がないらしく、首を振った。
 雨は止んだらしい。
 夕暮の赤っぽい光が、小屋の中にも射し込んできた。
 子供たちの声も間遠になり、夷人の村は穏やかな日没を迎えている。
 どこからか、不思議な音が聞こえてきた。
 低い、深みのある音。
 梟の鳴声?
 いや、それよりももっと優しげだ。
 白久は首をかしげた。
 音は長く、途切れたかと思うとまた別の場所から聞こえ出した。三狼も、きょとんとして耳をすましていた。
「何だろう?」
 少年は三狼を見、にこりと笑って首飾りを手に取った。
 穴の一つに口をつけた。聞こえたのは、外と同じ音だった。
「土笛だったのね」
「うん」 
 三狼は、うなずいた。
「たぶん、夜の魔除けなんだ。でも、いい音だな」
 少年は笛を吹き続けた。
 ゆったりとした優しい音色が二人の耳を満たした。
 何の飾り気もない単調な調べ。
 音楽というには素朴すぎた。
 が、それだからこそ、直接心に響くのかもしれない。聞く者を素直に穏やかな気持ちにさせてくれる。
 少年の笛も外の笛も、夜気に静かに染みわたった。
 白久と三狼は、しばしその音に聞き惚れていた。 



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