第19話

文字数 2,614文字

 目を開けると、三狼の不安げな顔があった。
 白久はまばたきし、強ばった身体を動かした。
 自分の身体に、戻っている。
「白久さん」
 三狼が叫ぶように言った。
「だいじょうぶかい?」
「叔母さんは?」
 白久は、はっとして身を起した。
「叔母さんの所に、行かなくちゃ」
 亜鳥は、無事だろうか。
 あの時、白久はただ夢中で弦を断ち切ったのだ。凄まじい衝撃が、亜鳥を傷つけることなど考えもせずに。
 自分の霊は戻って来たけれど、残された亜鳥はどうなってしまったのか。
 白久は、三狼とともに、村へ駆け下りた。
 村は、音を取り戻していた。
 風の音、蝉の声。なんとか助かって、家の外に這い出るようにして出てきた者たちもいる。
 亜鳥は、高床の階段の下に座り込んでいた。
 顔も手足も血まみれだ。深い苦しげな呼吸をくりかえしている。
「叔母さん!」
 駆けよった白久に、亜鳥はゆっくりと顔を上げて微笑んだ。
「よくやったわ、白久」
「ごめんなさい。叔母さんをこんな目にあわせたなんて」
「あなたが弦を切らなければ、二人とも死んでたわ。一門みんなもね」
「傷の手当てをした方がいい。立てますか」
 三狼が、亜鳥に手を差し伸べた。
「ありがとう、三狼さん。家に連れていって下さい。少し眠れば、治ると思うわ」
 
 亜鳥は、眠り続けた。
 その間に、村では大がかりな葬儀が行なわれた。
 〈老〉をはじめ、村の三分の一の人間が命を落としていたのだ。
 壊れた琵琶と久伊の死体は、白久と三狼の手で、他の者たちとは離れた場所にひっそりと埋められた。
 白久は、家の扉を閉ざしたまま、三狼以外の誰とも会わず、亜鳥の目ざめを待った。
 亜鳥が、このまま目覚めなかったら。
 そんな恐怖が、幾度か白久の胸をかすめた。だが、眠る亜鳥の表情は穏やかで、呼吸もしっかりしたものだった。
 七日目の朝に、亜鳥はようやく目を開いた。
 長い眠りは、亜鳥のほとんどの傷を癒していたが、弾けた弦に引き裂かれた右頬の傷は、むごたらしく残ったままだった。
 亜鳥と顔を見合わせたまま、白久はしばらくの間何も言えなかった。
「いいのよ、白久」
 亜鳥は、微笑んだ。
「村は、どんな具合?」
「喪に服しているわ。どの家も一人か二人の家族を失っているの。みんな、どうしていいのかわからないのだと思う。〈老〉がいなくなったから」
「そうね」
 亜鳥は、うなずいた。
「でも、一門は変わらなくてはいけないわ。今がその時よ。呪力者だけが、〈龍〉ではないということをはっきりさせなければ。あなたの母さんや父さんのようなことが、二度と起こらないように」
「できるかしら」
「時間はかかるかもしれないわ。少しずつ一門の考えを変えていくしかないでしょうね。〈龍〉の誇りは、呪力ばかりではないということを」
 亜鳥は、ゆるぎない決心をしているようだった。
 以前の亜鳥は、静かだが内に凛とした強さを秘めていた。今は、その強さがはっきりと表に現われている。長い眠りとその目覚めは、彼女のどこかを変えていた。
 白久は、黙って亜鳥の言葉を待った。
「一門には、新しい統率者が必要よ」
 亜鳥は言った。
「わたしなら、誰も異存はないでしょう」
 白久は、亜鳥を見つめた。
 確かにそうだ。亜鳥は、一門が待ち望んでいた紫色の眼の持ち主。過去の〈龍〉と同じく、力ある呪力者なのだ。
「わたしも、母さんも」
 白久は、つぶやくように言った。
「逃げることばかり考えていた。一門を変えようなんて思わなかった」
「わたしだってそう」
 亜鳥は目を伏せ、首を振った。
「それが一番いけなかった。必要なのは前を見ること。もっと以前に考えていれば、こんなことにはならなかったのに」
 白久は、黙って亜鳥の手を握りしめた。亜鳥は、まっすぐに顔を上げ、
「だから、やってみるわ、白久。新しい〈龍〉をつくるの」
「わたしも手伝いたい」
 白久は心から言い、亜鳥の手を胸に抱いた。
「だけど、ごめんなさい。わたし、自分がどんなにわがままか知っているわ」
 亜鳥は、わずかに眉を動かし、白久を見つめた。
「どうしても?」
「ええ」
 三狼と旅しながら、ぼんやりと憧れていたことが、ここ数日ではっきりとした形になっていた。抑えようのない想いだった。
 亜鳥は白久の気持ちを知り、心を乱している。自分は、最後まで叔母を困らせているのだ。
 けれど、亜鳥のまなざしは、白久のすべてを受け入れていた。
「わたし」
 白久は、静かに声にした。
「大那に行く」
「白久さん」
 家の片隅で、黙って二人の話を聞いていた三狼が、驚いたように口をはさんだ。
 白久は、彼に向きなおり、微笑んだ。
「そんな声出さないで、三狼さん」
「しかし」
「ずっと大那を想っていて、でも恐かった。村を出ても、大隅の奥地に行くことしか考えなかった。それじゃあ母さんと同じ。龍に逃げ込むしかないでしょう。わたしも、前に進みたい。あなたのおかげで、大那がどんな所なのかわかったわ。そして、わたしが今一番やりたいことは、この目で大那を見ることなの」
 三狼は、両手を髪の毛の中につっこんで、ほとんど掻きむしらんばかりだった。
 亜鳥も三狼も、白久の身を心配してくれているのはよくわかる。龍の一門である白久が、地霊の少ない大那で普通に生きていける保証はない。呪力は使えないだろうし、寿命も限られるかもしれない。
 だが、人の一生の善し悪しは、生きた年月だけで決まるだろうか?
 死よりも恐ろしいことがある。
 自分の想いを殺して生きていくことだ。
 白久は、三狼に歩みよった。彼の顔をのぞきこみ、
「あなただって、龍を見るために、危険覚悟で大隅に来たのでしょう」
「ああ、そりゃあ」
「わたしだって、同じことよ。自分がどのぐらい生きられるかなんて、誰だってわからない」
「・・」
「だから、後悔したくないの」
「わたしが来ないでくれと言っても、きみは一人で武塔山脈を越えるだろうな」
 長い沈黙の後、三狼は髪の毛をかきあげたままつぶやいた。
「きみのおかげで龍が見れた。こんどは、きみに大那を見せる番か」
 白久は、にっこりと笑ってうなずいた。
 亜鳥が、静かに立ち上がって窓を開けた。
 風が入ってきた。
 武塔山脈の連なりが、まぶしく光を浴びていた。



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