第14話

文字数 3,311文字

 夜が明けた。
 目覚めた三狼は、すっかり元気になっていた。
 右腕はまだ痛むようだが、それは矢傷が癒えるまでの辛抱だろう。白久はほっとした。毒は消えたのだ。             
 男は、白久と三狼に再び目隠しした。  
 来た時と同じように、白久は少年に手を引かれて小屋を出た。
 男に腕を取られた三狼は、こんどは自分の足でしっかりと歩いていた。
 方向がまるで分からないまま、しばらくの間歩きまわり、目隠しを取られたのはどこかの茂みの中だった。
 山々の形からすると、たぶん昨日少年と出会ったあたり。
 男は、二人をその場に押し止める身振りをした。
 後を追って来るなというのだろう。
 三狼は、わかったよと言うふうに大きくうなずき、男に深々と頭を下げた。
 そして、少年に向き直り、
「ほんとにありがとう。何か礼ができればいいんだが」
 三狼は、自分の懐に手を入れてごそごそさせた。左手で引っ張りだしたのは、小さな布袋だった。
「開けてごらん」
 少年は、三狼から渡された袋の中をおそるおそる覗き込み、手のひらの上で逆さにした。桜色の玻璃のような薄いかけらが数枚、しゃらりと音をたててこぼれおちた。
「貝だよ」
 三狼は、目を丸くしている少年に言った。白久も、思わずうなずいた。〈龍〉の宝物の中には、貝細工をほどこされたものが幾つかある。貝の形をあしらったものもある。しかし、貝そのものの実物を見るのはこれがはじめてだった。
「わたしの故郷は島なんで、こんな貝が沢山あるんだ。中でも綺麗なのを姉が拾って、お守りにしてくれた」
 珍しくてしかたがないらしい。少年は、手の中で貝を動かしたり、陽の光に透かしてみたりしていた。
「きみに、あげるよ」
 少年は三狼を見、彼の言うことを理解したようだ。
 貝殻を自分の胸に押しつけて、目を輝かせた。
 三狼は、にっと笑ってうなずいた。
 少年は、こぼれるような笑顔を見せてぺこんとお辞儀した。
 それから、ちょっと考え込むようにし、首の土笛をおもむろにはずして三狼に差し出した。
 こんどは、三狼が驚いた。
「くれるのかい? わたしに」
 少年はうなずいた。三狼は丁寧にそれを受け取った。
「うれしいな。大事にするよ」
 三狼は、少年の魔除けの笛を自分の首にかけた。少年は、貝を小袋にしまい、大事そうに手に持った。
 二人は、満足そうに微笑み合った。
 先に行っていた男が、少年に短い声をかけた。
 少年はぴょんと飛び上がり、そちらに駆け出した。
 茂みの中に隠れる瞬間、少年はもう一度こちらを見て片手を上げた。三狼も手を振り返した。
「お守りの取り代えっこになってしまったな」
 三狼は、白久に言った。
「なんだか、あの子に悪いみたいだ。大事なものだったろうに」
「あなたのお守りも大事なものだったんでしょう」
「うん。でも、充分にお守りの役目を果たしてくれたよ。あの子に命を救けられたんだから」
「夷人・・」
 白久はつぶやいた。
「もっと野蛮な人たちなのかと思っていた。洞窟に住んで、狩りをするだけだって聞いていたわ。だけど、ちゃんとした家を作っていた。村のまとまりもあるみたい」
「きみたち〈龍〉が大隅に来た時にはそうだったとしても」
 三狼は言った。
「もう何百年もたっているんだ。暮らしだって進歩する。彼らは、若い種族なんだと思うよ。驚くほど豊かな心も持っている。この笛だって。それから、あの土器を見ただろう」
「龍のね」
「大那の工人に見せたいくらい、みごとなものだったよ」
 白久はうなずき、皮肉な気持ちで考えた。〈老〉があれを見たら、激怒することだろう。守霊である龍を、夷人が壷模様などに使っている、と。
 だがとっくに、龍は一門を見捨てているのではないか。立ち止まって過去を眺めるばかりの一門よりも、若々しい夷人の方が龍にははるかにふさわしい。
「龍が、このあたりに現われているのは確かね」
「そうだ」
 三狼は空を振り仰おぎ、晴れやかな声で言った。
「わくわくしてくるよ」

 二人は、さらに東に進んだ。
 出会うのは、大小の獣ばかりだ。夷人の村がどのあたりにあったのか、もう見当もつかなくなっていた。 
 山道は下り坂が多くなり、一つの峠を越えたところで、突然、視界が広がった。
 二人は立ち止まった。眼下に横たわる原野があった。
 緑の平原の広大さに、白久は目を見張った。谷間の村で育った身にとって、はるか遠くまで見渡せる地平は驚きだった。
 空の雲が落とす斑の影が、ゆっくりと流れていた。
 地平の向こうには稜線の険しい山脈があり、その下に細長いきらめきが見て取れた。
「川か、湖だ」
 目を細めて三狼が言った。
「龍は水を好むよね」
 白久はうなずいた。
「行ってみましょう」
 二人は、原野の中に足を踏み入れた。
 人の背丈ほどの潅木が枝葉を伸ばして生い茂り、視界を閉ざしていた。
 どこまで行っても、まわりは覆いかぶさる緑の薮だ。
 水辺をめざそうとはするものの、自分たちの進む方向すらあやしくなってくる。
 白久は何度か立ち止まり、空飛ぶ鳥に入り込んでは水の位置を確かめた。
「大きな川。日暮れまでには行きつけそうだわ」
 まわりの木々は、しだいに丈の高い草に変わっていた。
 気がつくと、あたりは一面のすすき野だった。秋になれば、さぞかしみごとな景色が広がることだろう。
 風が、水気を含んだひやりとしたものになってきた。
 やがて、波打つすすきの葉群の向こうに、白く輝く水面が見えた。
「きみのおかげだよ」
 嬉しそうに三狼が言った。
「わたし一人だったら、まだあの薮の中で往生していたな」
 白久は微笑んだ。
 自分こそ、三狼のおかげでここまで来れたのだ。
 三狼と会わなければ、村を出ることはなかった。
 閉ざされた村の中で、こんなすばらしい未知の世界に触れることもなく、うつうつと日をおくるばかりだったろう。
 すすき野を抜け出すと、目の前は広い川原だった。
 どこまでも敷きつめたような白い小石が夕日を照り返していた。
 川はたっぷりと水をたたえ、緩やかに流れていた。遠い対岸はもう、夕靄にかすんでいる。
「今晩はここで火を起こそう」
 三狼が言った。
「朝になったら釣りをするよ。久々に魚が食えそうだ」
 三狼は、焚火を起こすために手ごろな場所を探しはじめた。白久は水を汲もうと川辺に歩み寄った。
 川の水は冷たく澄んでいた。
 竹筒をもったままかがみこんだ白久は、ふと手を止めた。
 目の端に、にぶく光るものが映ったので。
 白久は、そちらに首をめぐらした。
 ゆるく曲った川がすすき野の中に消えるあたり、何かが光っている。
 夕日を反射している大きな石?
 それにしては不思議な形だ。
 白久は、引き寄せられるようにそちらに歩きだした。
 白久の様子にに気づいた三狼が、声をかけた。
 白久は、黙って向こうを指差した。
 三狼が白久を追い掛けてきた。白久は、だんだん早足になっていった。
 近づき、それの形がはっきりとしてくるにつれ、胸の動悸が高まった。
 後で、三狼が声にならない声をあげた。
 白久も、自分が眼にしているものが信じられなかった。
 緑色を帯びた銀色の身体が、妙にうつろな感じで川原に横たわっていた。
 先すぼまりの尾が、半分近く川の中に浸っている。
 しかし、川原に乗り出した胴は長く、頭部はすすきの中に埋まっていた。
 鱗を持った巨大な生きもの。
「龍・・」
 三狼が、震える声でつぶやいた。
 白久は、呆けたようにうなずいた。
 それは動かなかった。
 三狼は用心深く頭の方にまわりこみ、白久に手招きした。
 白久は、すすきの茂みをかき分けて三狼に歩みよった。
 大きく裂けた歯のない口があった。長い鼻ずら、虚そのものの眼窩も。
 角が生えていたらしいあたりから、頭の上は二つに裂けている。裂目は、背中の終わりの方まで続いていた。
 まぎれもなく龍。
 龍の脱け殻だった。
 
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