第2話

文字数 3,675文字

 都津はそこに立ったまま、両手を腰にあてがい、白久ににっこりと笑いかけた。
 お得意の表情というわけね。
 白久は皮肉たっぷりに考えた。
 彼は白久より二つ年上だ。よく手入れしてある長い髪を一つに束ね、柿色の細身の袴と同じ色の上衣に赤い腰帯をきゅっと締めたいでたち。
 そのすらりとした肢体と非の打ちどころのない美貌は、彼自身よくご存知らしい。いつもながら効果的な現れ方だった。
 それにしても、これみよがしに呪力を使う必要もないのに。
 白久は、苦笑しそうになった。せいぜい、十歩かそこらしかできない空間移動なのだ。
 だが、わずかでも呪力を持っていることは、その容姿同様、彼にとっては誇らしくてしかたがないことなのだ。今でさえ、ほんの数人しか呪力者のいない〈龍〉の村の中では。
「久伊の所へ行って来たんだね、白久」
 都津は言った。
「ええ」
「わたしは、罠を見てきたところだ。ほら」
 と、片手に下げていた大きな雉子(きじ)を見せ、
「みごとだろう。帰ったら半分わけてあげるよ」
「ありがとう」
 白久はさらりと言った。
「でもいいわ。わたしも叔母さんも、肉はあまり好きじゃないの」
「ああ、そうだったね」
 都津は白久と並んで歩きながら、なにげなく彼女の肩に腕をまわそうとした。
 白久もまた、なにげなくその手をすりぬけた。
 都津はちょっとばつが悪そうに話題を変えた。
「いつも、久伊のところに行って何を話してくるんだい、白久」
「なにも。父さんは誰とも話さないの」
「じゃあ、琵琶は?」
「わたしは、父さんの琵琶を一度も聴いたことがないわ」
「そうなのか。以前、わたしの両親が話していたよ。久伊の琵琶は、そりゃあみごとなものだったって」
「母さんが生きている時ね」
 顔を曇らせた白久には気づかず、都津は優雅な身ぶりで話しつづけた。
「久伊はみんなの前で幻曲を弾いたそうだよ。冬至祭りか何かの時だったかな。久伊が琵琶をかき鳴らしただけで、龍の幻が現れた。琵琶の音が作る幻とは分かっていたけど、それはまったく本物のようだったって。すると、本当に龍が現れたんだ。久伊がつくった幻を仲間だと思ってね」
 父以外の者の口から、何度も聞かされてきた話だった。
 大那にいた時から、〈龍〉の琵琶弾きは代々幻曲師だったのだ。
 琵琶を弾き、その曲で幻をつむぎだすのが幻曲師。琵琶を弾いただけで人々の目に幻を見せることができる呪力者だ。
 大隅に移住しても、白久の家は途切れることなく幻曲師を出し続けた。父の代までは。
「考えてみれば、すごいことだと思うよ。〈龍〉が大那を後にした時には、呪力者はいなかった。ここに住みはじめてからも、はじめは一人も呪力者が生まれなかったという。きみの家以外はね」
「幻曲師は、ほんとの呪力者じゃないわ」
 白久は言った。
「琵琶があればこそですもの。芸が高まれば呪力にもなるって叔母さんが言ってた。それって生まれつきのものではないと思う」
「でも、きみはりっぱな呪力者だ。まあ、きみの力はお母さん譲りかもしれないが」
「かもね」
 白久はため息を押し殺し、あいそ程度にうなずいた。
「わたしの家は祖父と父とわたしだけだ。でも三代続いているからこれからが楽しみだってみんな言ってくれる。わたしの配偶者しだいだって」
 白久は心の中で肩をすくめた。
「あなたは本当の龍を見たことがある?」
 突然の質問に、都津はきょとんとして白久を見つめた。
 首を振って、
「ないよ。龍が棲むのは大隅のもっと奥の方だ。ここまではめったに翔んでこないさ」
「そうね」
 龍の一門が、守霊を見たこともないなんてね。
 言いかけて白久はやめた。自分に対する皮肉でもあったから。
 かわりに白久は足を速めた。
 もうすぐ村。
 やれやれと思う。都津が悪い人間でないことはわかっている。ただ好きになれないだけなのだ。
 ぼおっとした黄昏が村をつつみはじめていた。
 人影はなく、それぞれの家の竃から煙が立ち昇っているほかはひっそりとしたものだ。
 都津の家は村の入り口近くににあるし、白久の家は高床のある広場を横切った向こう側だった。そそくさと都津に別れを告げようとした時、冷たい視線に気づいてはっと振り返った。
 都津の家の隣から出てきた少女が、戸口の前に立ちつくしてこちらを見つめている。
 小柄な、いくぶんとげとげしい顔立ちをした少女だった。右手のこぶしを胸元に引きよせ、かすかに唇をかんでいた。
「やあ、由良(ゆら)
 都津は彼女の様子に気づいたふうもなく、例の微笑みをうかべて言った。
 由良はちょっと笑いかえし、もう一度白久をにらみつけると、裳裾をひるがえして家の中に消えてしまった。
 由良は、白久と同い年。幼いころはよく遊んだし、ずっといい友達でいたいと思っていたものだ。今はもう無理とあきらめてはいるけれど。
「どうしたのかな」
 都津は首をかしげて言った。
「さあね」
 白久は深々とため息をついた。
「その雉子の半分は、由良のところにあげたらいいわ。じゃあ、さよなら」
 白久は都津を残して小走りに広場を横切った。
 
 家の中はもう暗かった。
「おかえりなさい、白久」
 竃のところに立っていた叔母の亜鳥(あとり)が振り返った。
 うす暗がりの中に、ぽっと白い花が咲いたような微笑みが浮かぶ。
 白久はそれで、たった今の嫌な思いから救われたような気がした。
 叔母とはいえ、白久の母とは年の離れた姉妹だったから、白久とは、年が十しか違わない。母が死に、父がああいったありさまになった後、白久はこの姉のような亜鳥に育てられたのだ。
 はっと胸をつかれるような美しさが亜鳥にはあった。都津など足元にもおよばない。きめこまかな透けるような白い肌に、眉と唇の色がにじむようである。つややかな漆黒の髪を、ばっさりと肩の下で切り落としていた。
 髪を切ったのは、結婚しないしるし。
 白久は痛々しい思いで考える。
 亜鳥のまぶたは、かすかに青いかげりを帯び、ぴったりと閉ざされたままだった。少女時代の病で、盲いてしまったと聞いていた。
 もっとも盲目とはいえ、亜鳥は生活にどんな支障もきたしてはいない。炊事は言うにおよばず、機織りや縫いものでさえ、白久よりも巧みに家事をこなせた。結婚もできないはずはないのに、彼女は早々と髪を切り、独身を宣言してしまったのだ。
「どうかしたの?」
 いまもまるで白久の表情が見えるかのように亜鳥は言った。
 亜鳥は否定しているが、白久は彼女が呪力者ではないかと思っている。呪力なしで、どうしてこんなにもすばらしい勘が持てるのだろう。
「たいしたことじゃないの」
 白久は笑って首を振った。竃の脇に置いた水瓶の水を汲みあげて手を洗いながら、
「途中で都津に会ったの。いっしょに歩いていたら由良ににらまれちゃった」
「そう」
 亜鳥は、白久の心をさっしたように頷いた。しかし、それ以上多くは言わず、
「ごはんにしましょう、白久。もう用意はできているわ」
 白久は土間から板の間に上がって、灯皿に明かりをともした。
 炉が切ってある板間の隅には衣類が入った長持ちが二つと(はた)、あとはきちんとたたまれた二人分の布団。あるものといえばそれだけの、ささやかな住まいである。
 他の人々の家も大なり小なり変わらない。大隅に移住した〈龍〉は、まったくの未開の土地を切り開いていかなければならなかったのだ。大那にいたころの王者の暮らしはもはや不可能だったし、初期の移住者たちはそれを望みもしなかっただろう。
 過去を捨てて新たな生活をめざそうとしていたはずだから。
 いつのころからそれが変わってしまったのか。
 大那では得られなかった呪力者が、わずかでも生まれはじめたころから?
 呪力者の出現は、一門の誇りを刺激したらしい。かつて大那にいたころの〈龍〉のように、一門のすべてが呪力者となる時が来るかもしれないと思いはじめたのだ。しかも、すぐれた呪力者のあかしである紫色の瞳を持って。
 過去を振り返った時、一門は開拓者ではなくなった。〈龍〉の華々しい記憶に結びつく、唯一のものにとりつかれた。つまり、紫色の瞳の呪力者を生み出すこと。
 今では呪力者同士の結婚しか認められないほどになっている。
 白久と同じ年代の者は一門の中に数人いるが、呪力者は三人だけ。それが(やっかいなことに)白久と都津と由良だった。 
 忘れようとしていたさっきのことを思い出し、白久はまたむしゃくしゃしてきた。都津はまるで許婚のような顔をして寄ってくるし、由良は敵意をむきだしにするし。
 自分のことは放っておいて、二人が結婚してくれればこんなに嬉しいことはないのに。
 白久はため息をつきそうになり、苦笑した。ため息だらけの一生なんて、ごめんだと思う。
 でも、どうすればいいのだろう。
 過去だけが澱のようによどんだこの村で。
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