第15話

文字数 1,710文字

 
 白久は両手を広げ、龍の鼻先を抱え込んで頬ずりした。
 半透明の脱け殻は硬く、冷たかった。そっと叩くと、硬質の澄んだ音がした。
「すごいな。まだ、ぜんぜん痛んでいない」
 三狼が、興奮さめやらぬ口調で言った。
「龍が脱皮したのは最近なんだ。龍はここにいた。確かに」
「そうね」
 白久はうっとりと、龍の巨大な頭を見上げた。いま生きている龍の一門の、おそらく誰一人見たことがないものを自分は目にしている。伝説でも幻でもない。確かな龍の証し。 
 三狼は、身をかがめて龍の口の中を覗き込んでいた。
「入ってみるよ」
 三狼はするすると龍の口の中に潜り込んだ。白久は眼を見開いて彼を眺めていたが、すぐに後に従った。
 脱け殻の中は、白久が真っすぐに立って歩けるほど広く、温かかった。
 鱗のある厚い皮を透かし、外の景色が妙な具合に歪んで見えた。
 興奮を押さえきれず、脱け殻の中を行ったり来たりしていた三狼は、とうとうごろんと横になった。
「今夜は、ここに泊まろうよ、白久さん。龍の脱け殻なんて、これ以上豪勢な宿はありゃしない」
 白久も笑って座り込んだ。皮に頭を押しつけると、鱗にあたる風が不思議な音をたてていた。
 高鳴る胸の鼓動が、ようやく落ち着いてきた。
 こうしているだけで、温かな湯の中にとっぷりと浸かっているような、安らいだ気分になってくる。
「龍の中にいるのね」
 白久はつぶやいた。
「来て良かった。本当に」
 
 その夜、白久は夢を見た。
 不思議な夢だった。
 あたりは何もない漆黒の闇。
 闇の中に、琵琶の音だけが響いている。高く低く、物悲しげな旋律で。
 父の弾いている琵琶だということは、なぜだかはっきりとわかった。
 執拗ともいえる琵琶の音は、途切れることなく続いている。
 何かを訴え・・いや、呪ってでもいるかのように。
 音は闇に満ちた。
 さらにふくれ上がり、闇を突き破るかに思われた。
 夢の中で、白久は叫び声を上げそうになった。
 気がつくと、前方に倒れている白い影があった。
 亜鳥だ。
 亜鳥は、死んだようにぐったりと顔を伏せ、動かない。
「白久さん」
 我にかえって眼を開けると、三狼の心配そうな顔があった。
 まだ夜が明けたばかりで、龍の殻の中はほんのりと白い光がにじんでいた。
「どうしたんだい? ひどくうなされているようだった」
「嫌な夢を見たの」
 白久は、ぞくりとして自分の両肩をかき抱いた。
「とても嫌な夢」
 琵琶の音は、まだ頭の中に残っていた。
 父や亜鳥の夢は、これまでだって見たことはあった。
 だが、あんなに生々しくて、まがまがしい予感を持ったものは初めてだ。
 三狼は、白久の話を黙って聞いていた。
「この脱け殻のせいかな」
 三狼は、首をかしげた。
「龍の一門のきみが、龍の身体の一部だったものと触れ合った。何かの力が高められたとも考えられる」
「何か」
 白久は息をのんだ。
「叔母さんに、悪いことが起こっている。そうでなければ、あんな夢見るはずがないわ」
 そして、あの琵琶の音。
 父がかかわっていることは確からしい。
 どうすればいいだろう。
 白久は唇を噛んだ。
 また鳥の身体でも借りて、村の様子をさぐってみようか。
 だが、村は遠すぎた。
 霊が、どのくらいの間、身体を離れていられるか、白久は試してみたこともなかった。霊が離れすぎ、肉体に戻って来れないその時は、死が待っているだけだろう。
 村に帰り、自分の眼で何が起きているか確かめるしかない。
「わたし、村に戻る」
 白久は、言った。
「あなたは、このまま龍を探して」
「何言っているんだい」
 三狼は、叫んだ。
「わたしも、いっしょに行くよ」
「ここまで来たのよ、龍は、もうすぐそこにいるかもしれないわ」
「また探しに来るさ。今は、きみの方が大事だ」
 白久は、驚いて三狼を見つめた。
 三狼は、あたりまえのことを言っているんだぞとばかり、肩をそびやかしていた。
「でも、〈老〉たちに見つかったら」
「それは、きみも同じだろ」
 三狼は、にっと笑ってみせた。
「なんとかするさ」
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