運命の出会い 一回目 夏目達也 十五歳 #7
文字数 3,596文字
翌日の夕方。
僕は鈴木和花の自宅付近の喫茶店に入り、電話をかけて彼女を呼び出した。
急な呼び出しだったため断られるかもと思ったけど、鈴木和花は、「わたしも君に用があったの」と、すぐに来てくれた。
彼女が席に着くなり、僕は単刀直入に言った。
「ほしい服があるから──五万円、貸してほしいんだ」
上手い理由をつけて金をだまし取る気にはなれなかった。
一度は決意したのに、結局、こんな中途半端なことしかできなかった。
だから当然、貸してくれないと思っていたのだけど──
「いいよ。欲しいものがあるってお母さんに言ってみる。普段こういうこと頼まないから貸してくれるかも。ちょっと待ってて」
忘れ物でも取りに行くかのように軽く言って立ち上がった。
なんで──。
「やっぱりいい!」
鈴木和花が澄んだ瞳で僕を見る。
「どうかしてた。忘れて……」
「……ほんとにいいの?」
もう気づいてほしかった。
僕はいいやつなんかじゃないと。騙そうとしているんだと。
耐えきれなくなった僕は──ついに言ってしまった。
「おれ……君を騙してるんだ」
鈴木和花が目を丸くする。
「君を騙すために近づいた。君の家から金を盗むために……おれは詐欺師なんだ」
しばらく僕の顔を見つめていた鈴木和花は、吹き出した。
「なに言ってるの?」
「本当なんだ!」
怒鳴るように言うと、チャリーンという音が鳴った。
隣の席に座っていたショートカットの女性が、床にスプーンを落としていた。
驚かせてしまった。店員さんがやってきて、スプーンを拾う。
「君には、そんなことできないよ」
前を向くと、鈴木和花が僕を見つめていた。
女神みたいに見えた。
ほかの人と同じ顔なのに、なぜだかすごく可愛く見えたのだ。
こんなことははじめてだった。
そしてこのとき──やっと僕は、自分の気持ちに気づいた。
鈴木和花のことが好きなのだと。
……もう、彼女を騙せない。
さっきは突発的に言ってしまったけど、落ち着いてすべてを話そう。許してくれるかわからないけど、ぜんぶ話してみよう。なにか変わるかもしれない。
そう決心し、口を開こうとした瞬間──。
「ねえ、まだ時間ある?」
彼女が弾んだ声を出した。
僕たちは鈴木和花の家の近所を散歩することになった。
地元の街を案内したいと言われたのだ。
よく行っていた駄菓子屋、通っていた塾、今も常連だというお好み焼き屋を案内された。鈴木和花はそれぞれの場所で、楽しそうに自分の思い出を語っていた。
すっかり辺りが暗くなった頃、小さい頃によく遊んでいたという公園に着いた。
一本の大きな木がある公園だった。
鈴木和花は突然、ジャングルジムに登った。
そして頂上まで登って座り、
「星が綺麗。君もおいでよ」
僕を誘う。
躊躇した。ジャングルジムから落ちて人の顔がわからなくなってから、高いところが怖い。
「高いところ、苦手なんだ」
「わたしがいるから大丈夫」
楽しげにそう言い、僕に向かって手を伸ばしてくる。
行きたい。でも、足が前に出ない。恥ずかしくて情けなくなった僕はうつむいてしまう。
彼女が再び口を開く。
「君、自分が詐欺師だって言ったよね?」
僕は顔を上げる。
「……言った」
「わたしは君を信じた。でも君は、わたしを信じないの?」
……僕はなにをしているんだろう。
弱い自分に怒りが湧いた。
彼女が僕を信じてくれたのだから、僕も彼女を信じるべきだ。僕は、ジャングルジムを登りはじめた。そして、彼女の手を握って頂上にたどり着いた。
座ってみると思ったより怖くなかった。
男の僕が言うことでもないけど、落ちそうになっても彼女が助けてくれると思った。
あることを思い出した僕は、リュックからCDを出して彼女に差し出した。
「はい。今度はおれの番だったね」
僕の好きな曲を録音したCD。先日、ガストで渡すのを忘れていた。
「ありがとう。楽しみ」
こうして僕たちは、お互いのつくったプレイリストをなんども交換してきた。
二人で星空を見上げていると、はじめての感覚に包まれた。
自分の環境や体質のことも忘れて、僕を縛るすべてから解放された気分になったのだ。ずっとこの時間が続けばいいと思った。
と、鈴木和花が僕の肩に頭を乗せてきた。驚いて顔を見ると、彼女も肩から頭を離して僕を見つめてくる。
──キスしよう。
そう思った。
一度もしたことがなかったけど、この状況はそういうことだと思った。
二人で見つめ合う──けど、僕はうつむいてしまった。
怖かったのだ。
──もし、嫌がられたら?
鈴木和花に異性として見られていると確信したのは、今日がはじめてだった。
もしかしたら、僕の勘違いかもしれない。
そうだ。「キスしていい?」って訊いてみる?
……いや、以前、彼女は「そんなの嫌だな」と言っていた。
でも、僕には黙ってする勇気なんてない。
どうすればいいんだ?
ごちゃごちゃと考えていると──彼女の高い声が聞こえた。
「キスしていい?」
顔を上げると、彼女が僕を見つめていた。
「……なんて、言わないでね」
「言……言わない」
キスをした。
唇を離したあと、いつもの癖でニカッと歯を見せると──彼女が吹き出した。
「……な、なに?」
僕は戸惑う。
「前から言おうと思ってたんだけど、その笑顔、やめたほうがいいと思う」
「……なんで?」
「大げさっていうか、無理につくってない? ぎこちないよ」
そういえば、はじめて会った日も笑われた。
もしかしたら──。
「ずっとそう思ってたの?」
「出会ったときから。笑ったら悪いと思って我慢してたの」
その瞬間、はっきりとわかった。
鈴木和花ははじめから、僕の表面的な部分なんて見ていなかったのだ。
僕の中身を、僕自身を見てくれていた。
ほんの数分の出来事だったけど、公園にいたこの時間は、この先の人生で、僕をなんども励まし続けてくれる大切な思い出になる。
そう予感した。
家に帰る途中、僕は決意を固めた。
──鈴木和花を救おう。
今日は本当のことを言う勇気がなかったけれど、もう騙すことはできない。
こんな僕でも、なにかできることがある。彼女を救える方法がなにかあるはずだ。
そんなことを考えながら家に帰ると──誰かに顔を殴られた。
なんどもなんども殴られ、僕は床に倒れた。
わけがわからずにいると、髪を摑まれ引き起こされ、ため息をつかれた。
「今まで育ててやったのに……がっかりさせやがって」
その声を聞いて、次郎くんだとわかった。
「もういいでしょ! あの子は達也の言ったこと信じてないよ!」
止めようとする葉子を突き飛ばし、次郎くんはまた僕を殴りはじめた。
殴られながら、僕は考えていた。二人の口ぶり……次郎くんと葉子は、喫茶店の出来事を見ていたのか?
僕が鈴木和花に、本当のことを言おうとしたことを。
けど、二人ともあの店にはいなかった。
しばらく殴られ続けたあと、次郎くんの暴力が止まった。
「……なんで」
床に寝ながらうめくように訊くと、次郎くんはショートカットのかつらを見せてきた。
「葉子について行かせた。隣の席にいたの、気づかなかったろ?」
「ごめん、達也……」
葉子が泣きながら言う。
喫茶店にいたとき──隣の席でスプーンを落とした女性は葉子だったのか。顔がわからないから気づかなかったんだ。
次郎くんは床にハガキをばらまいた。
僕がまたあのラジオ番組に出そうとしていた、ネタの書かれた十枚の投稿ハガキ。
しかも今回は、「将来は放送作家になりたい」という趣旨のメッセージも加えていた。
「ここんとこ様子がおかしかったから、葉子にお前の動向を報告させてた。最近は熱心にハガキ書いてんだってな。あの娘の影響か?」
僕は目をそらす。
「放送作家だ? 本気でこんなもんになれると思ってんのか? お前はあの娘とは違う」
「……わかってるよ」
「わかってねえ! お前みたいなやつになにができる? 好きな女一人守れないお前になにができる? これはお前のために言ってんだ。お前が心配なんだよ」
そのとき、次郎くんの目尻から涙が流れた。
次郎くんは、泣きながら続けた。
「なんでわかってくんねえんだよ……おれはお前を愛している。それは葉子も同じだ。二人とも本当の子供のように思ってる。だからこそ強く育てたいんだ。そのためには、おれのそばで仕事をするのがいちばんなんだよ!」
次郎くんは涙をぬぐい、
「心配すんな、最後まで面倒は見てやる。しばらくなにもすんな」
そう言って出て行った。
僕は鈴木和花の自宅付近の喫茶店に入り、電話をかけて彼女を呼び出した。
急な呼び出しだったため断られるかもと思ったけど、鈴木和花は、「わたしも君に用があったの」と、すぐに来てくれた。
彼女が席に着くなり、僕は単刀直入に言った。
「ほしい服があるから──五万円、貸してほしいんだ」
上手い理由をつけて金をだまし取る気にはなれなかった。
一度は決意したのに、結局、こんな中途半端なことしかできなかった。
だから当然、貸してくれないと思っていたのだけど──
「いいよ。欲しいものがあるってお母さんに言ってみる。普段こういうこと頼まないから貸してくれるかも。ちょっと待ってて」
忘れ物でも取りに行くかのように軽く言って立ち上がった。
なんで──。
「やっぱりいい!」
鈴木和花が澄んだ瞳で僕を見る。
「どうかしてた。忘れて……」
「……ほんとにいいの?」
もう気づいてほしかった。
僕はいいやつなんかじゃないと。騙そうとしているんだと。
耐えきれなくなった僕は──ついに言ってしまった。
「おれ……君を騙してるんだ」
鈴木和花が目を丸くする。
「君を騙すために近づいた。君の家から金を盗むために……おれは詐欺師なんだ」
しばらく僕の顔を見つめていた鈴木和花は、吹き出した。
「なに言ってるの?」
「本当なんだ!」
怒鳴るように言うと、チャリーンという音が鳴った。
隣の席に座っていたショートカットの女性が、床にスプーンを落としていた。
驚かせてしまった。店員さんがやってきて、スプーンを拾う。
「君には、そんなことできないよ」
前を向くと、鈴木和花が僕を見つめていた。
女神みたいに見えた。
ほかの人と同じ顔なのに、なぜだかすごく可愛く見えたのだ。
こんなことははじめてだった。
そしてこのとき──やっと僕は、自分の気持ちに気づいた。
鈴木和花のことが好きなのだと。
……もう、彼女を騙せない。
さっきは突発的に言ってしまったけど、落ち着いてすべてを話そう。許してくれるかわからないけど、ぜんぶ話してみよう。なにか変わるかもしれない。
そう決心し、口を開こうとした瞬間──。
「ねえ、まだ時間ある?」
彼女が弾んだ声を出した。
僕たちは鈴木和花の家の近所を散歩することになった。
地元の街を案内したいと言われたのだ。
よく行っていた駄菓子屋、通っていた塾、今も常連だというお好み焼き屋を案内された。鈴木和花はそれぞれの場所で、楽しそうに自分の思い出を語っていた。
すっかり辺りが暗くなった頃、小さい頃によく遊んでいたという公園に着いた。
一本の大きな木がある公園だった。
鈴木和花は突然、ジャングルジムに登った。
そして頂上まで登って座り、
「星が綺麗。君もおいでよ」
僕を誘う。
躊躇した。ジャングルジムから落ちて人の顔がわからなくなってから、高いところが怖い。
「高いところ、苦手なんだ」
「わたしがいるから大丈夫」
楽しげにそう言い、僕に向かって手を伸ばしてくる。
行きたい。でも、足が前に出ない。恥ずかしくて情けなくなった僕はうつむいてしまう。
彼女が再び口を開く。
「君、自分が詐欺師だって言ったよね?」
僕は顔を上げる。
「……言った」
「わたしは君を信じた。でも君は、わたしを信じないの?」
……僕はなにをしているんだろう。
弱い自分に怒りが湧いた。
彼女が僕を信じてくれたのだから、僕も彼女を信じるべきだ。僕は、ジャングルジムを登りはじめた。そして、彼女の手を握って頂上にたどり着いた。
座ってみると思ったより怖くなかった。
男の僕が言うことでもないけど、落ちそうになっても彼女が助けてくれると思った。
あることを思い出した僕は、リュックからCDを出して彼女に差し出した。
「はい。今度はおれの番だったね」
僕の好きな曲を録音したCD。先日、ガストで渡すのを忘れていた。
「ありがとう。楽しみ」
こうして僕たちは、お互いのつくったプレイリストをなんども交換してきた。
二人で星空を見上げていると、はじめての感覚に包まれた。
自分の環境や体質のことも忘れて、僕を縛るすべてから解放された気分になったのだ。ずっとこの時間が続けばいいと思った。
と、鈴木和花が僕の肩に頭を乗せてきた。驚いて顔を見ると、彼女も肩から頭を離して僕を見つめてくる。
──キスしよう。
そう思った。
一度もしたことがなかったけど、この状況はそういうことだと思った。
二人で見つめ合う──けど、僕はうつむいてしまった。
怖かったのだ。
──もし、嫌がられたら?
鈴木和花に異性として見られていると確信したのは、今日がはじめてだった。
もしかしたら、僕の勘違いかもしれない。
そうだ。「キスしていい?」って訊いてみる?
……いや、以前、彼女は「そんなの嫌だな」と言っていた。
でも、僕には黙ってする勇気なんてない。
どうすればいいんだ?
ごちゃごちゃと考えていると──彼女の高い声が聞こえた。
「キスしていい?」
顔を上げると、彼女が僕を見つめていた。
「……なんて、言わないでね」
「言……言わない」
キスをした。
唇を離したあと、いつもの癖でニカッと歯を見せると──彼女が吹き出した。
「……な、なに?」
僕は戸惑う。
「前から言おうと思ってたんだけど、その笑顔、やめたほうがいいと思う」
「……なんで?」
「大げさっていうか、無理につくってない? ぎこちないよ」
そういえば、はじめて会った日も笑われた。
もしかしたら──。
「ずっとそう思ってたの?」
「出会ったときから。笑ったら悪いと思って我慢してたの」
その瞬間、はっきりとわかった。
鈴木和花ははじめから、僕の表面的な部分なんて見ていなかったのだ。
僕の中身を、僕自身を見てくれていた。
ほんの数分の出来事だったけど、公園にいたこの時間は、この先の人生で、僕をなんども励まし続けてくれる大切な思い出になる。
そう予感した。
家に帰る途中、僕は決意を固めた。
──鈴木和花を救おう。
今日は本当のことを言う勇気がなかったけれど、もう騙すことはできない。
こんな僕でも、なにかできることがある。彼女を救える方法がなにかあるはずだ。
そんなことを考えながら家に帰ると──誰かに顔を殴られた。
なんどもなんども殴られ、僕は床に倒れた。
わけがわからずにいると、髪を摑まれ引き起こされ、ため息をつかれた。
「今まで育ててやったのに……がっかりさせやがって」
その声を聞いて、次郎くんだとわかった。
「もういいでしょ! あの子は達也の言ったこと信じてないよ!」
止めようとする葉子を突き飛ばし、次郎くんはまた僕を殴りはじめた。
殴られながら、僕は考えていた。二人の口ぶり……次郎くんと葉子は、喫茶店の出来事を見ていたのか?
僕が鈴木和花に、本当のことを言おうとしたことを。
けど、二人ともあの店にはいなかった。
しばらく殴られ続けたあと、次郎くんの暴力が止まった。
「……なんで」
床に寝ながらうめくように訊くと、次郎くんはショートカットのかつらを見せてきた。
「葉子について行かせた。隣の席にいたの、気づかなかったろ?」
「ごめん、達也……」
葉子が泣きながら言う。
喫茶店にいたとき──隣の席でスプーンを落とした女性は葉子だったのか。顔がわからないから気づかなかったんだ。
次郎くんは床にハガキをばらまいた。
僕がまたあのラジオ番組に出そうとしていた、ネタの書かれた十枚の投稿ハガキ。
しかも今回は、「将来は放送作家になりたい」という趣旨のメッセージも加えていた。
「ここんとこ様子がおかしかったから、葉子にお前の動向を報告させてた。最近は熱心にハガキ書いてんだってな。あの娘の影響か?」
僕は目をそらす。
「放送作家だ? 本気でこんなもんになれると思ってんのか? お前はあの娘とは違う」
「……わかってるよ」
「わかってねえ! お前みたいなやつになにができる? 好きな女一人守れないお前になにができる? これはお前のために言ってんだ。お前が心配なんだよ」
そのとき、次郎くんの目尻から涙が流れた。
次郎くんは、泣きながら続けた。
「なんでわかってくんねえんだよ……おれはお前を愛している。それは葉子も同じだ。二人とも本当の子供のように思ってる。だからこそ強く育てたいんだ。そのためには、おれのそばで仕事をするのがいちばんなんだよ!」
次郎くんは涙をぬぐい、
「心配すんな、最後まで面倒は見てやる。しばらくなにもすんな」
そう言って出て行った。