運命の出会い 二回目 夏目達也 二十歳 #9

文字数 2,509文字

 悩んでいるうちに二週間が過ぎ、大晦日が訪れた。
 気分転換をしたかったから、久しぶりに晶のいるバーに行ってみることにした。
 いつものように閉店後に店に入ると、晶が一人で練習をしていた。
「おう、来たな。ちょっと見てくれよ」
 晶はおれをカウンターに座らせた。
 そして、カクテルをつくりはじめた。
 その姿に驚く。
 カクテルをつくる手順、所作、シェイカーの振りかた、すべてが完璧だったのだ。
 呆気にとられていると、
「どうだ?」と訊かれた。
「……なんでこんなに上達した?」
「この二週間、家でもずっと練習してたんだ」
 晶はおれに教えられたことを参考にしながら、カクテル作りの練習をしていたという。シェイカーを一日に千回も振っていたそうだ。
「……すごいな」
 おれは口を開けながら言ってしまった。
「すごいのはお前だって。お前が教えてくれたからだろ?」
「普通に教えただけだろ」
 晶は、「はぁ?」と意外そうな顔をした。
「前から思ってたけど、お前って自分のことわかってないよな?」
「なんで?」
「前に『教えかたが上手い』って言ったときも驚いてたろ……お前さ、自分のいいところ、ちょっと挙げてみろよ」
「そんなもん、ないよ」
「そこをあえて」
「……外見と、クールなところ?」
 晶は声をあげて笑った。
「なんだそれ? お前のいいところは優しいところだよ」
 晶はおれのいいところを具体的に挙げた。
 まずは、「優しいところ」。
 店のバーテンは面倒くさがってカクテルの作りかたを教えてくれなかったけど、おれは丁寧に教えてくれた。厳しいことを一度も言わなかったため訊きたいことも素直に訊けたし、長髪男のことを心配して、いつも駅まで送ってくれたのも優しいという。
 次に、「勇気があるところ」。
 初対面のときに晶の友人を長髪男から助けた。あの状況で見ず知らずの人を助けようとする人間はなかなかいないという。
 そして最後に言われた。
「お前は、人に信用されるなにかを持ってるよ」
 すべて自覚していないことだった。
 晶に褒められている最中、なぜだか自分の人格が徐々にもとの自分に戻っていくような気がした。そのままの自分でいいと、肯定されているようだった。
 そしてこのとき、またおれにあの言葉が浮かんだ。
 もしかしたら、晶となら、わかりあえるかもしれない──。
 けど、すぐにその考えを打ち払ってしまう。
 もう女を騙す必要はない。成瀬丈二を演じる必要はなくなった。
 このまま晶と会い続けてもいいのだ。
 じゃあ、なんだ? なにがおれを邪魔しているんだ?

 バーを出て二人で渋谷駅に向かうと、スクランブル交差点は人であふれていた。
 大晦日のスクランブル交差点には、毎年、数万人の人が集まる。
 群衆を目の当たりにしたおれは怖くなった。
 人混みに入ると怖くなって動けなくなる。東京で暮らすようになってかなり慣れたけど、このレベルだと見るだけで吐き気がしてしまう。
 回り道をしても駅周辺は混んでいると思ったから、覚悟を決めてスクランブル交差点を突っ切ることにした。
 二人で人混みをかき分けながら進むと、目眩がした。
 それでも進んでいくと──横にいた晶を見失ってしまった。
「丈二!」
 振り返ると、おれを呼ぶ晶の姿が見えた。
 みんな同じ顔に見えるから、一旦離れると見失ってしまう。
 晶に近づき手を握った。
 再び進む。
 しかし、やがてまた人混みに押されて手を離してしまった。
 周りを見渡すけど、晶を見つけられない。
 と──代わりにある人物を見つけた。
 長髪男。
 晶につきまとっているあの男だった。
 背が高いから首から上が見えた。どんな顔かはわからないけど、メガネをかけて髪を後ろで束ねている。黒いタートルネックもダッフルコートのフードも見えたからすぐに同一人物だとわかった。おれの十メートルほど後ろにいた。
 ──今あいつに来られたら、晶を守れないかもしれない。
 そう思ったら、心拍数が急激に上がり、呼吸がうまくできなくなった。
 その場から動けなくなる。
 まただ。また顔の見えない体質に邪魔されようとしている。
 五年前、叔父に言われた言葉を思い出す。

『お前みたいなやつになにができる?』

 なぜおれが、晶と距離を置こうとしていたのかわかった。
 自分に自信がないのだ。
 おれは今、晶を駅に送ることもできないでいる。
 この群衆の中で長髪男に襲われたら、晶を守ることもできない。
 それだけじゃない。
 こんな体質を抱えているせいで、職場では人間関係も築けない。
 親もいない。金もない。特別な才能もない。
 こんなおれが……誰かを好きになってもいいのか? 人を好きになる資格があるのか?
 おれには、なにもできない。おれと晶では、釣り合いが取れていない──。
 自己否定の言葉が、波のように次々と押し寄せてくる。
 その波に溺れていると──誰かに手を握られた。
「見つけた。丈二、背が高いから目立つな」
 隣にいた晶が、おれを見上げて微笑んでいた。
 その瞬間、不思議と恐怖はどこかに吹き飛んでしまった。
 あたりを見渡すと、長髪男の姿は消えていた。
 変なことを思った。
 おれが晶を見つけられなくても、晶がおれを見つけてくれる。おれが晶を守れなくても、晶がおれを守ってくれる。晶になら、身を委ねてもいい──。
 そして、あの感覚が五年ぶりに舞い降りた。
 ほかの女と同じ顔なのに、なぜか、晶の顔だけ可愛く見えたのだ。
 おれは山名晶のことが好きなのだと気づいた。
 渋谷駅まで着くと、年明けに初詣に行かないかと晶に誘われた。
 おれが了承すると、晶は嬉しそうな顔で手を振って、改札をくぐって行った。

 その日から、おれは再びハガキを書きはじめた。
 今度は夢を追う疑似体験じゃない。本気で放送作家になるために書きはじめた。
 晶のおかげで、もう一度、前に進む気になれた。
 晶はおれの人生を変えた。
 そう──晶との出会いは、まるで運命のようだった。
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