運命の出会い 一回目 夏目達也 十五歳 #3
文字数 3,584文字
土曜の昼過ぎ。
僕と葉子は、鈴木和花の通っているという有楽街商店街のカラオケ店の前にいた。
いつも最初だけは、葉子も同行して娘がどこにいるか教えてくれる。
土曜ということもあり、商店街には家族連れがたくさんいた。
「けっこう人いるけど大丈夫?」
葉子が人混みを見ながら言った。
「これくらいなら平気」
僕には苦手な場所が二つある。人の多い場所と高い場所だ。
なぜだかわからないけど、僕は昔から人混みが怖い。
以前、葉子と一緒に自宅に帰る途中、浜松まつりのギャラリーの間を抜けようとすると、恐怖を感じてその場から一歩も動けなくなったこともあった。
高い場所は、ジャングルジムから落ちて顔のわからない体質になってから怖くなった。
「来たよ。チェックのコートの子」
葉子の目線をたどると、商店街の奥から髪の長い女の子が歩いてきた。
チェックのコートに、白いハイネックのインナー、スカートも白。お嬢様らしい清楚なファッション。
……けど、ちょっと様子が変だ。まわりをキョロキョロと見渡しながら歩いてくる。
「特徴、覚えた?」
葉子に訊かれる。
「……あ、うん。覚えた」
「じゃ、頑張ってね」
葉子は姿を消した。去り際は、いつも心配そうな表情を見せる。
さあ、仕事だ。
いつものようにニット帽をかぶってジャック・ドーソンをイメージした。
そして鈴木和花に声をかけるため、僕は歩きはじめた。
──いつも通りだ。いつも通りにやればいい。
そう自分に言い聞かせながら、彼女との距離を縮めていく。
十メートル、五メートル、二メートル。
そして話しかけようとした瞬間──
「すいません!」
いきなり、いつもとは違う展開になった。
ターゲットから声をかけてきたのだ。
「小さい女の子、見ませんでしたか?」
「えっと……」
思わず戸惑いながら答える。
「あっ、妹が急にいなくなっちゃって……あの子、このへん詳しくないから迷子になってるかも」
心配そうに言う。
……妹?
葉子からは、鈴木和花は一人でカラオケに通っていると聞いていた。
たまたま今日だけ連れてきたのか? いや、今はそんなことよりも──
「見失ったのはいつ?」
桜井玲央のキャラのまま訊く。
「ついさっき。有楽街を歩いてたらいなくなって」
「……おれも探すよ」
チャンスかもしれない。妹を探し出せば、鈴木和花に近づける。
「えっ、でも……」
「妹さんの年齢と名前……それと、特徴は?」
いつもとは展開が違うけれど、距離の詰めかたはナンパと同じだ。
警戒心を持たれても、なにかを考えさせないために次の質問をすれば、自然とこっちのペースに巻き込める。
「歳は十歳で、名前は文花。赤いリボンをつけてて……あっ、写真があります」
ケータイの画面を見せてくる。鈴木和花と妹らしき人物が並んでいる自撮り写真。
僕には二人とも同じ顔に見える。
ただ、妹の頭についている赤いリボンはめずらしいデザイン。かなり大きくて結び目のところに円形の白いパールがついている。この目印を頼りに見つけられる。
「二手に分かれて探して、十分後にここに集合しよう。いい?」
「……はい。ありがとう」
鈴木和花は少し安心したように微笑んだ。
僕は肴町方面を、鈴木和花は田町方面を探すことになった。
しばらく探すと、肴町の電柱の前で、膝を抱えてうずくまっている女の子を見つけた。
頭にリボンはつけていなかったけど、年齢は十歳くらいに見えた。髪型も輪郭もさっきの写真の子と似ていた。
「文花ちゃん?」
こちらに顔を向けた。たぶん、本人。僕は文花ちゃんの前まで行ってしゃがみこむ。
「お姉ちゃんが探してるよ。一緒に戻ろう」
文花ちゃんは立ち上がって後ずさりをする。なぜだか、僕を異常に怖がっている。
困った僕はダメもとで、先日、吉川彩乃に見せた手品を文花ちゃんにしてみた。鈴木和花に気に入られるために披露する可能性も考えて、ミサンガを持ってきていたのだ。
すると、文花ちゃんは目を輝かせて驚き、ミサンガを受け取った。
「どうやったの?」
興味津々に訊いてきたから、
「一緒に戻ったら教えてあげる」
僕はニカッと笑い、手を差し出した。
文花ちゃんは、ちょっと恥ずかしそうにその手を握ってくれた。
有楽街商店街に戻ると、先に待っていた鈴木和花がすぐに駆け寄ってきて、
「文花、ごめんね」
と文花ちゃんを抱きしめた。
「ごめんなさい……」
文花ちゃんも鈴木和花に謝って、ポケットからリボンを出した。さっきの写真に写っていたパールのついた赤いリボン。迷子になっている最中に外れたようだった。
鈴木和花がリボンを文花ちゃんにつけているとき、
「かわいいリボンだね」
と鈴木和花に言うと、彼女はなぜか「うん」と気まずそうに苦笑いした。
「ねえねえ、さっきの手品教えてー」
文花ちゃんに楽しげに訊かれる。
それを見ていた鈴木和花が、
「文花が知らない人にこんなに懐くなんて……」
驚いたように言う。
「さっきはおれをすごく怖がってた。妹さん、人見知りなの?」
「あ、うん……」
言いにくそうに口をつぐむ。
ちょっと変だと思った。
迷子になっていたとはいえ、文花ちゃんはもう十歳だ。文花ちゃんを見つけたときの鈴木和花の安堵しようも大げさに見えたのだ。
「なにか、事情があるの?」
なにげなく訊くと、鈴木和花は言葉を詰まらせた。
ガードが固い。
妹もここにいる以上、真正面からナンパするのは難しい。
けど、この話をきっかけに距離を縮められるかもしれないのだ。
「言ったら、なにか変わるかもしれないよ」
僕は桜井玲央らしく元気に言った。
すると、鈴木和花はやっと事情を話しはじめた。
文花ちゃんは三ヵ月ほど前、学校でいじめにあい登校拒否になったという。
やがて他人と話すことも怖がるようになり、家に引きこもってしまった。最初は見守っていたけど、ずっと様子が変わらなかったので、今日、文花ちゃんを元気にさせようと外に連れ出した。しかし文花ちゃんは途中で逃げ出してしまったそうだ。
僕も顔がわからないせいでいじめられて学校に行かなくなったから、少しだけ文花ちゃんの気持ちがわかった。
そして──あることを思いついてしまった。
「文花ちゃんを元気にさせる作戦、おれにも手伝わせてもらえない? 二人より三人で遊びに行ったほうが楽しいと思うよ」
こうすれば、鈴木和花に好かれるという目的も達成できるし、文花ちゃんの問題も解決できる。悪意と善意が入り混じっていた。
「でも……」
鈴木和花の顔以外の特徴が徐々に見えてきた。
地声が高く、ゆっくりとした口調でふんわりした空気をまとっている。顔をよく見ると額に小さなほくろがあった。この特徴を覚えておけば、今後、彼女を間違えない。
「文花ちゃんに必要なのは、知らない人と仲良くなる経験だと思うんだ。おれと友達になれたら、ほかの人も怖がることがなくなる気がして……」
「そんなの、君に悪いよ」
なかなか首を縦に振らない。
遠慮なのか本当に嫌なのかわからなかったから、とっさに噓をついた。
「実はおれ、怪我でサッカー部を辞めたばっかで。家にいるより気晴らしになるから」
「けど……」
まだ受け入れない。
葉子が言っていた「真面目な子みたい」という情報は本当のようだ。
どうする? 次の手を打たないと──。焦っていると、意外な人が助け舟を出してくれた。
「いいよ」
文花ちゃんが、にこにこしながらそう言った。
それを見た鈴木和花も、遠慮気味に「じゃあ」と了承してくれた。
とりあえずホッとする。
と、僕は思い出す。
──いつもの元気な笑顔。
鈴木和花はかなり真面目そうだ。でも、この前、吉川彩乃にも言われた。あの笑顔を見せたら、どんな子も僕を好きになると。早いうちに鈴木和花に気に入られたい。
そこで僕は、ニカッと歯を見せ、『いつもの元気な笑顔』をつくった。
「これからよろしくね!」
しかし、予想とは違った反応が返ってきた。鈴木和花が突然、なにかを我慢するようにうつむいた。
そして、クスクスと笑いはじめ……あげくの果てには声をあげて笑ったのだ。
「え……?」
僕が戸惑っていると、鈴木和花は急にはっとして、
「ごめんなさい!」
真剣な顔で謝ってきた。
「い、いや、ちょっと張り切りすぎたね。こっちこそごめん!」
鈴木和花はしばらくうつむき、申し訳なさそうな態度をしていた。
こんなことはじめてだった。
彼女はほかの子とは違う──。
このときは、まだそれくらいにしか思わなかった。
僕と葉子は、鈴木和花の通っているという有楽街商店街のカラオケ店の前にいた。
いつも最初だけは、葉子も同行して娘がどこにいるか教えてくれる。
土曜ということもあり、商店街には家族連れがたくさんいた。
「けっこう人いるけど大丈夫?」
葉子が人混みを見ながら言った。
「これくらいなら平気」
僕には苦手な場所が二つある。人の多い場所と高い場所だ。
なぜだかわからないけど、僕は昔から人混みが怖い。
以前、葉子と一緒に自宅に帰る途中、浜松まつりのギャラリーの間を抜けようとすると、恐怖を感じてその場から一歩も動けなくなったこともあった。
高い場所は、ジャングルジムから落ちて顔のわからない体質になってから怖くなった。
「来たよ。チェックのコートの子」
葉子の目線をたどると、商店街の奥から髪の長い女の子が歩いてきた。
チェックのコートに、白いハイネックのインナー、スカートも白。お嬢様らしい清楚なファッション。
……けど、ちょっと様子が変だ。まわりをキョロキョロと見渡しながら歩いてくる。
「特徴、覚えた?」
葉子に訊かれる。
「……あ、うん。覚えた」
「じゃ、頑張ってね」
葉子は姿を消した。去り際は、いつも心配そうな表情を見せる。
さあ、仕事だ。
いつものようにニット帽をかぶってジャック・ドーソンをイメージした。
そして鈴木和花に声をかけるため、僕は歩きはじめた。
──いつも通りだ。いつも通りにやればいい。
そう自分に言い聞かせながら、彼女との距離を縮めていく。
十メートル、五メートル、二メートル。
そして話しかけようとした瞬間──
「すいません!」
いきなり、いつもとは違う展開になった。
ターゲットから声をかけてきたのだ。
「小さい女の子、見ませんでしたか?」
「えっと……」
思わず戸惑いながら答える。
「あっ、妹が急にいなくなっちゃって……あの子、このへん詳しくないから迷子になってるかも」
心配そうに言う。
……妹?
葉子からは、鈴木和花は一人でカラオケに通っていると聞いていた。
たまたま今日だけ連れてきたのか? いや、今はそんなことよりも──
「見失ったのはいつ?」
桜井玲央のキャラのまま訊く。
「ついさっき。有楽街を歩いてたらいなくなって」
「……おれも探すよ」
チャンスかもしれない。妹を探し出せば、鈴木和花に近づける。
「えっ、でも……」
「妹さんの年齢と名前……それと、特徴は?」
いつもとは展開が違うけれど、距離の詰めかたはナンパと同じだ。
警戒心を持たれても、なにかを考えさせないために次の質問をすれば、自然とこっちのペースに巻き込める。
「歳は十歳で、名前は文花。赤いリボンをつけてて……あっ、写真があります」
ケータイの画面を見せてくる。鈴木和花と妹らしき人物が並んでいる自撮り写真。
僕には二人とも同じ顔に見える。
ただ、妹の頭についている赤いリボンはめずらしいデザイン。かなり大きくて結び目のところに円形の白いパールがついている。この目印を頼りに見つけられる。
「二手に分かれて探して、十分後にここに集合しよう。いい?」
「……はい。ありがとう」
鈴木和花は少し安心したように微笑んだ。
僕は肴町方面を、鈴木和花は田町方面を探すことになった。
しばらく探すと、肴町の電柱の前で、膝を抱えてうずくまっている女の子を見つけた。
頭にリボンはつけていなかったけど、年齢は十歳くらいに見えた。髪型も輪郭もさっきの写真の子と似ていた。
「文花ちゃん?」
こちらに顔を向けた。たぶん、本人。僕は文花ちゃんの前まで行ってしゃがみこむ。
「お姉ちゃんが探してるよ。一緒に戻ろう」
文花ちゃんは立ち上がって後ずさりをする。なぜだか、僕を異常に怖がっている。
困った僕はダメもとで、先日、吉川彩乃に見せた手品を文花ちゃんにしてみた。鈴木和花に気に入られるために披露する可能性も考えて、ミサンガを持ってきていたのだ。
すると、文花ちゃんは目を輝かせて驚き、ミサンガを受け取った。
「どうやったの?」
興味津々に訊いてきたから、
「一緒に戻ったら教えてあげる」
僕はニカッと笑い、手を差し出した。
文花ちゃんは、ちょっと恥ずかしそうにその手を握ってくれた。
有楽街商店街に戻ると、先に待っていた鈴木和花がすぐに駆け寄ってきて、
「文花、ごめんね」
と文花ちゃんを抱きしめた。
「ごめんなさい……」
文花ちゃんも鈴木和花に謝って、ポケットからリボンを出した。さっきの写真に写っていたパールのついた赤いリボン。迷子になっている最中に外れたようだった。
鈴木和花がリボンを文花ちゃんにつけているとき、
「かわいいリボンだね」
と鈴木和花に言うと、彼女はなぜか「うん」と気まずそうに苦笑いした。
「ねえねえ、さっきの手品教えてー」
文花ちゃんに楽しげに訊かれる。
それを見ていた鈴木和花が、
「文花が知らない人にこんなに懐くなんて……」
驚いたように言う。
「さっきはおれをすごく怖がってた。妹さん、人見知りなの?」
「あ、うん……」
言いにくそうに口をつぐむ。
ちょっと変だと思った。
迷子になっていたとはいえ、文花ちゃんはもう十歳だ。文花ちゃんを見つけたときの鈴木和花の安堵しようも大げさに見えたのだ。
「なにか、事情があるの?」
なにげなく訊くと、鈴木和花は言葉を詰まらせた。
ガードが固い。
妹もここにいる以上、真正面からナンパするのは難しい。
けど、この話をきっかけに距離を縮められるかもしれないのだ。
「言ったら、なにか変わるかもしれないよ」
僕は桜井玲央らしく元気に言った。
すると、鈴木和花はやっと事情を話しはじめた。
文花ちゃんは三ヵ月ほど前、学校でいじめにあい登校拒否になったという。
やがて他人と話すことも怖がるようになり、家に引きこもってしまった。最初は見守っていたけど、ずっと様子が変わらなかったので、今日、文花ちゃんを元気にさせようと外に連れ出した。しかし文花ちゃんは途中で逃げ出してしまったそうだ。
僕も顔がわからないせいでいじめられて学校に行かなくなったから、少しだけ文花ちゃんの気持ちがわかった。
そして──あることを思いついてしまった。
「文花ちゃんを元気にさせる作戦、おれにも手伝わせてもらえない? 二人より三人で遊びに行ったほうが楽しいと思うよ」
こうすれば、鈴木和花に好かれるという目的も達成できるし、文花ちゃんの問題も解決できる。悪意と善意が入り混じっていた。
「でも……」
鈴木和花の顔以外の特徴が徐々に見えてきた。
地声が高く、ゆっくりとした口調でふんわりした空気をまとっている。顔をよく見ると額に小さなほくろがあった。この特徴を覚えておけば、今後、彼女を間違えない。
「文花ちゃんに必要なのは、知らない人と仲良くなる経験だと思うんだ。おれと友達になれたら、ほかの人も怖がることがなくなる気がして……」
「そんなの、君に悪いよ」
なかなか首を縦に振らない。
遠慮なのか本当に嫌なのかわからなかったから、とっさに噓をついた。
「実はおれ、怪我でサッカー部を辞めたばっかで。家にいるより気晴らしになるから」
「けど……」
まだ受け入れない。
葉子が言っていた「真面目な子みたい」という情報は本当のようだ。
どうする? 次の手を打たないと──。焦っていると、意外な人が助け舟を出してくれた。
「いいよ」
文花ちゃんが、にこにこしながらそう言った。
それを見た鈴木和花も、遠慮気味に「じゃあ」と了承してくれた。
とりあえずホッとする。
と、僕は思い出す。
──いつもの元気な笑顔。
鈴木和花はかなり真面目そうだ。でも、この前、吉川彩乃にも言われた。あの笑顔を見せたら、どんな子も僕を好きになると。早いうちに鈴木和花に気に入られたい。
そこで僕は、ニカッと歯を見せ、『いつもの元気な笑顔』をつくった。
「これからよろしくね!」
しかし、予想とは違った反応が返ってきた。鈴木和花が突然、なにかを我慢するようにうつむいた。
そして、クスクスと笑いはじめ……あげくの果てには声をあげて笑ったのだ。
「え……?」
僕が戸惑っていると、鈴木和花は急にはっとして、
「ごめんなさい!」
真剣な顔で謝ってきた。
「い、いや、ちょっと張り切りすぎたね。こっちこそごめん!」
鈴木和花はしばらくうつむき、申し訳なさそうな態度をしていた。
こんなことはじめてだった。
彼女はほかの子とは違う──。
このときは、まだそれくらいにしか思わなかった。