プロローグ#1

文字数 3,499文字

 はじまりは、今から十三年前の寒い冬の日だった。
 浜松駅に向かって歩いていた僕は、声をかけられた。
「ねえ!」
 振り返ると、路上で椅子に座っている男がいた。
 本当に男かはわからない。
 服装や声や体格、雰囲気から男だと推測した。
 風貌は、シルクハットに丸メガネ、ロングコート。そのぜんぶが黒かった。
 机には「占い一回千円」と書かれた紙が吊るされている。
 ――占い師。
 これから彼に言われることは、だいたい予想できた。

 ――君は運気が低迷している。
 ――君は運気が上昇している。
 ――君には転換期が来ている。

 このうちのどれか。
 そしてきっと、僕は占い師の巧みな話術に巻き込まれて占いをしてもらうことになり、最終的には千円を巻き上げられてしまうのだ。
 ……またか。
 昔から道を歩いているだけでアンケート協力を頼まれた。宗教の勧誘もしょっちゅうだ。占い師に声をかけられたことも、これがはじめてじゃなかった。
 普段の僕は、よほど覇気のない顔をしているのだろう。
 面倒に巻き込まれたくなかったので、再び前を向いて歩きはじめる。
 しかし。
「ねえって! ほら、リュックを背負った、髪が肩まである中学生くらいの君だよ! ちょっとこっち来て!」
 大きな声で呼ばれる。ため息をつき、観念した。
 そして占い師のもとまで行くと、
「君、よく見るとやたらと顔が整ってるね」
 驚かれた。
「……ど、どうも」
 おどついて目を伏せる。知らない人と会話すると、こうしてよくどもってしまう。
 そんな僕を見ながら占い師は言った。
「でも雰囲気が野暮ったいなあ。声は小さいし表情も暗いし背筋も曲がってる。不思議とイケメンに見えないや!」
 大口を開けて豪快に笑われた。
 これが普段の僕だ。ほっといてほしい。
「あ、あの……」
 遠慮気味に言うと、
「あっ、いきなりごめんね。君の人相が、あまりにもめずらしかったから」
 ――やっぱりだ。こんな僕に、また人相の話。嫌味か。
 断りにくい。
 けれど、これから人と会う約束をしていたから、勇気を振り絞って言った。
「すいませんけど、そういうのは間に合って――」

「君は、運命の女性と出会う」

 その言葉に、僕は声を失った。
 このまま僕を占いに巻き込みたければ、もっと違うことを言うべきだ。
 こんなことは恋愛に興味のある女性に言うべきで、中三の少年に言うことじゃない。
 なんで彼は、こんなことを言うのだろう――。
「けど、おかしいな……」
 占い師は眉を寄せ、僕の顔を凝視しながら続ける。
「一回じゃなくて……四回だ。君はそのうちの一人と結ばれる。君は彼女に救われ、彼女も君に救われる」
 真剣な顔つきで言ってくる。
 運命の女性?
 しかも、一回じゃなくて四回?
 あまりに現実離れしていて、僕は少し笑ってしまった。
 僕は占いを信じない。愛なんてそれ以上に信じていない。
 ただ、今までに体験したことのない変わったアプローチだったから、この先が少し気になった。
「運命の出会いって……普通は一回ですよね?」
 訊くと、占い師は本当に不思議そうに、
「そこが変なんだよ。こんなことはじめてで……」
 と腕を組んで考え込む。
「しかも、その運命を添い遂げるのは簡単じゃない」
 僕は顔をしかめる。
「『隠された真実』に気づかないと、結ばれない」
「……どういうことですか?」
「僕にもわからない。ただ、チャンスは四回もある。運命を切り開けるかどうかは、君次第だよ」
 ……あっ、まずい。
 はっとした僕は、急いで財布から千円を取り出し、占い師に渡す。
「もっと聞きたいんですけど、これから用があるので……」
 このままペースに巻き込まれたら、待ち合わせ時刻に間に合わない。
「……そう? 悪いね、ちょっとしか占ってないのに」
 占い師は残念そうに言って、受け取った。
「い、いえ、ありがとうございました」
 僕は会釈し、急ぎ足で浜松駅へと向かった――。


 このときの僕は、占い師の言葉を信じられなかった。
 占いを信じていなかったこともあるけど、僕には他人と違う点が二つあったからだ。

 一つ目は、僕の「体質」。
 僕は、人の顔が見えない。
 正確に言うと、見えるけど正しく認識できないのだ。
 自分の顔も他人の顔も、すべての顔がまったく同じに見えてしまう。
 十二歳のときにジャングルジムから落ち、頭を打ってからこうなった。
 医者によると、この事故で脳神経に機能障害が起きてしまったという。僕と同じ症状を抱えている人はほかにもいるそうだ。その発症率は、人口のおよそ二パーセント。
 原因は脳の損傷や疾患。先天的にこの体質の人もいる。治療法はない。
 たとえば、「カブトムシ」を想像してほしい。
 同じくらいの大きさのカブトムシが五匹いるとする。外見に細かい特徴はあるだろうけど、詳しくない人には同じカブトムシに見える。
 または、「へのへのもへじ」を想像してほしい。
 五人の書いた「へのへのもへじ」があるとする。
 それぞれの顔に細かい特徴はあっても、やはり見分けにくい。
 そんな感覚と似ていると言ったら、わかりやすいかもしれない。
 顔のパーツなら認識できたり、家族や恋人、長年一緒にいる友人などなら区別できるという軽度の人もいるそうだが、僕は残念ながら重度の症状を抱えた。
 不思議とすべて同じ「目」や「鼻」や「口」に見えてしまうから、パーツを覚えて区別することも難しい。
 表情は認識できる。視線もわかる。顔についている、ほくろや傷などもわかる。
 けど、どんなに長く一緒に時間を過ごした人でも、同じ顔に見えてしまうのだ。
 だから、他人の年齢や性別もまったくわからない。
 医者からは「ここまで認識できない人はめずらしい」と言われた。
 はじめは、この体質のせいでかなり苦労した。
 学校では同級生の顔を覚えられないので自分から話しかけられないし、向こうから話しかけられても「誰?」状態だから変なやつに思われたし、友達同士の「あのアイドルグル
ープで誰がいちばん好き?」みたいな会話にも入れなかった。
 さらには、あまりに人を間違えるために、この体質のことが学校でばれてしまった。
 みんなめずらしがって僕を教室まで見にくることになり、僕はいじめられた。
 もともと自分に自信がなく社交的じゃなかったから、そのことがきっかけで学校に行か
なくなった。

 二つ目は、「家族」。
 父とは幼い頃に死別した。
 顔がわからない体質になったあと、僕はその苦しみをなんども母に伝えようとした。
 けれど、そのたびに「たいしたことない」「神経質だ」「気にしなければいい」と言わ
れ、まともに話を聞いてもらえなかった。
 スナックで働いていた母は、「わたしだってお客さんの顔が覚えられないことがある」
と言った。
 わかってほしかったけど、わかってもらえなかった。
 母は、僕の悩みが煩わしそうだった。この話を出すことは、母にとって迷惑なことなん
だと思った。そのうち、誰かにこの体質の苦しみを理解してもらうことを諦めた。
 僕が十三歳のとき、母はスナックの常連客だった男と蒸発した。
 家を出て人混みに消えた母を追いかけたけど、みんな同じ顔に見えたせいで見つけられなかった。
 それから僕は、父の弟に引き取られた。

 普通の人とは違う「体質」と「家族」。
 この二つを理由に、僕は十五歳にして人生を諦めていた。
 僕みたいなやつは、きっとろくな人生を送れない。
 人生が好転するような「運命」も、「他人に救われる」なんていう都合のいい未来も、けして訪れないと思っていたのだ。

 けれども、そうじゃなかった。

 この先、僕には本当に運命の出会いが訪れたのだ。
 しかも、その出会いは占い師の言った通り、ぜんぶで四回。
 そして最後に、本当に結ばれるべき「運命の女性」が誰なのかわかった。
 この小説は、僕の送った人生を、なるべく忠実に描いたものだ。
 ある女性のアドバイスによって、ミステリー仕立ての構成にしてある。
 僕から読者の皆さんに提示する謎は、
「占い師の言っていた『隠された真実』とはなんなのか?」
 ということ。そして、

「夏目達也にとっての運命の女性とは、いったい誰だったのか?」

 ということだ。
 本文中には、いくつもヒントをちりばめてある。
 この物語を読みながら、あなたに当ててほしい。
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