運命の出会い 一回目 夏目達也 十五歳 #6
文字数 2,039文字
自宅のある雑居ビルに着き、階段を上がって三階につくと、扉が開いた。
強面で体格のいい二人の男が出てきて、家の中に向かって深々と頭を下げた。
次郎くんの仕事仲間だ。以前も次郎くんと一緒になんどかここに来て仕事の相談をしていたことがある。彼らにすれ違いざまに会釈されたので、僕も軽く頭を下げた。
家に入ると、僕の顔を見た次郎くんが顔をくしゃっとさせ、笑顔を見せる。
「おう、達也」
「めずらしいね。ここで仕事の話なんて……」
「お前に話があってな」
僕の体に緊張が走る。
今回は家の情報を伝えるのが遅いから、その話かもしれない。
ちょうど風呂上がりの葉子がスウェット姿でバスルームから出てきて、
「おかえり」
と髪をタオルで拭きながら言う。
「ただいま」
言うと、僕のケータイにメールが入った。
【今日もありがとう。文花、君と会ったから機嫌いいよ】
鈴木和花からだった。メールには今日二人で撮った写メも添付されていた。
顔はわからないけど、なんだか嬉しくなって自然と頰がゆるむ。
「こっちに来て座れ」
次郎くんに言われる。
「あっ……うん」
ケータイをポケットにしまい、次郎くんの向かいに座った。
「達也、あの娘から金をだましとれ」
「……え?」
「五万でいい。すぐにやれ。娘に嫌われて家の情報が聞き出せなくなってもいい」
「ちょ……ちょっと待ってよ。僕の仕事は家の下調べだよね?」
「ここまで時間がかかってんのははじめてだよな。情が移ったか?」
「違うよ。彼女が僕になびかないから……」
「お前には、おれの仕事を本格的に手伝ってもらうつもりだ。余計な感情は今のうちに捨てとけ。そんなんじゃやっていけねえぞ」
「……い、嫌だ」
自然に口走っていた。
「……あ?」
次郎くんが微笑みながら、見つめてくる。
緊張で寒気がして、体が震えはじめた。
「や……約束と違うよ。家のことを調べる仕事だけで利益は出てるはずだ。それ以外の仕事は、僕も葉子もしない」
「達也……」
葉子が心配そうな顔をする。
「……ははっ、言うようになったな」
次郎くんの顔から笑みが消えた。
──はじまる。
次郎くんは立ち上がり、僕に近づいてきて、
「立て」
真顔で言った。
立ち上がると同時に、ドスン! という鈍い音が部屋に響き渡った。僕は床に崩れ落ちる。殴られたのはみぞおち。呼吸ができない。
「次郎くん!」
葉子が止めに入る。けど、次郎くんは何事もなかったように、
「葉子、台所から包丁持ってこい」
「えっ?」
「……聞こえなかったか?」
葉子の顔がみるみる青ざめていった。僕はなんとか声を出した。
「葉子、言うとおりに……」
葉子は台所まで行って包丁を取り出し、震える手で柄の部分を差し出した。
受け取った次郎くんはしゃがみ込み、包丁の柄を僕に握らせ、僕の手を両手で摑み、刃先を自分の首筋につけた。
「この家のルールを決めてるのはおれだ。断ったら葉子にもとの仕事をやらせる」
僕がこの家に引き取られるまで、葉子は次郎くんに別の仕事をさせられていた。
そのことを知った僕は、「その仕事の何倍もの利益をあげる」と、裕福な娘から家の情報を聞き出すこの仕事を思いつき、次郎くんに提案した。その代わり、もう葉子にその仕事をさせないでほしいと交換条件を出し、次郎くんはその提案を受け入れた。
「嫌だよな? ならお前にはなにができる? 警察に駆け込むか? 誰かに助けを求めるか? それよりも簡単な方法がある。おれを殺せ」
次郎くんは僕の手を握り、力を込めて自分の首筋に包丁を食い込ませようとする。
僕はその力に抵抗し、必死に包丁を次郎くんの首から離そうとする。
次郎くんに殴られたのは今回がはじめてじゃない。
この仕事をはじめてしばらく経ったあと、罪悪感に耐え切れなくなって「ほかの仕事で稼ぐ」と言ったときも同じことをされた。僕がこの仕事を嫌がるたび、次郎くんはこうして僕を殴り、自分の首を切らせようとしてきた。
「殺せ!」
次郎くんが真顔で言う。
一瞬、頭をよぎった。
──このまま次郎くんを殺したら?
僕はすべてから解放される。もう、罪悪感に悩まされることもなくなる。少しは普通の生活ができるようになるかもしれない。
……でも、僕にはそんなことはとてもできない。そんな勇気、僕にはないのだ。
「やめて……やるから。もうやめてください」
僕は消え入るような情けない声を出してしまう。
次郎くんが手を離す。同時に、包丁が床に落ちた。
次郎くんは顔をくしゃっとさせて笑い、
「わかればいいんだよ」
と言って出て行った。
「達也、大丈夫?」
葉子が駆け寄ってきた。
もう鈴木和花を騙したくない。
だけど、僕は警察に駆け込むことも、誰かに助けを求めることも、次郎くんを殺すこともできない。
鈴木和花から、金をだまし取るしかなかった。
強面で体格のいい二人の男が出てきて、家の中に向かって深々と頭を下げた。
次郎くんの仕事仲間だ。以前も次郎くんと一緒になんどかここに来て仕事の相談をしていたことがある。彼らにすれ違いざまに会釈されたので、僕も軽く頭を下げた。
家に入ると、僕の顔を見た次郎くんが顔をくしゃっとさせ、笑顔を見せる。
「おう、達也」
「めずらしいね。ここで仕事の話なんて……」
「お前に話があってな」
僕の体に緊張が走る。
今回は家の情報を伝えるのが遅いから、その話かもしれない。
ちょうど風呂上がりの葉子がスウェット姿でバスルームから出てきて、
「おかえり」
と髪をタオルで拭きながら言う。
「ただいま」
言うと、僕のケータイにメールが入った。
【今日もありがとう。文花、君と会ったから機嫌いいよ】
鈴木和花からだった。メールには今日二人で撮った写メも添付されていた。
顔はわからないけど、なんだか嬉しくなって自然と頰がゆるむ。
「こっちに来て座れ」
次郎くんに言われる。
「あっ……うん」
ケータイをポケットにしまい、次郎くんの向かいに座った。
「達也、あの娘から金をだましとれ」
「……え?」
「五万でいい。すぐにやれ。娘に嫌われて家の情報が聞き出せなくなってもいい」
「ちょ……ちょっと待ってよ。僕の仕事は家の下調べだよね?」
「ここまで時間がかかってんのははじめてだよな。情が移ったか?」
「違うよ。彼女が僕になびかないから……」
「お前には、おれの仕事を本格的に手伝ってもらうつもりだ。余計な感情は今のうちに捨てとけ。そんなんじゃやっていけねえぞ」
「……い、嫌だ」
自然に口走っていた。
「……あ?」
次郎くんが微笑みながら、見つめてくる。
緊張で寒気がして、体が震えはじめた。
「や……約束と違うよ。家のことを調べる仕事だけで利益は出てるはずだ。それ以外の仕事は、僕も葉子もしない」
「達也……」
葉子が心配そうな顔をする。
「……ははっ、言うようになったな」
次郎くんの顔から笑みが消えた。
──はじまる。
次郎くんは立ち上がり、僕に近づいてきて、
「立て」
真顔で言った。
立ち上がると同時に、ドスン! という鈍い音が部屋に響き渡った。僕は床に崩れ落ちる。殴られたのはみぞおち。呼吸ができない。
「次郎くん!」
葉子が止めに入る。けど、次郎くんは何事もなかったように、
「葉子、台所から包丁持ってこい」
「えっ?」
「……聞こえなかったか?」
葉子の顔がみるみる青ざめていった。僕はなんとか声を出した。
「葉子、言うとおりに……」
葉子は台所まで行って包丁を取り出し、震える手で柄の部分を差し出した。
受け取った次郎くんはしゃがみ込み、包丁の柄を僕に握らせ、僕の手を両手で摑み、刃先を自分の首筋につけた。
「この家のルールを決めてるのはおれだ。断ったら葉子にもとの仕事をやらせる」
僕がこの家に引き取られるまで、葉子は次郎くんに別の仕事をさせられていた。
そのことを知った僕は、「その仕事の何倍もの利益をあげる」と、裕福な娘から家の情報を聞き出すこの仕事を思いつき、次郎くんに提案した。その代わり、もう葉子にその仕事をさせないでほしいと交換条件を出し、次郎くんはその提案を受け入れた。
「嫌だよな? ならお前にはなにができる? 警察に駆け込むか? 誰かに助けを求めるか? それよりも簡単な方法がある。おれを殺せ」
次郎くんは僕の手を握り、力を込めて自分の首筋に包丁を食い込ませようとする。
僕はその力に抵抗し、必死に包丁を次郎くんの首から離そうとする。
次郎くんに殴られたのは今回がはじめてじゃない。
この仕事をはじめてしばらく経ったあと、罪悪感に耐え切れなくなって「ほかの仕事で稼ぐ」と言ったときも同じことをされた。僕がこの仕事を嫌がるたび、次郎くんはこうして僕を殴り、自分の首を切らせようとしてきた。
「殺せ!」
次郎くんが真顔で言う。
一瞬、頭をよぎった。
──このまま次郎くんを殺したら?
僕はすべてから解放される。もう、罪悪感に悩まされることもなくなる。少しは普通の生活ができるようになるかもしれない。
……でも、僕にはそんなことはとてもできない。そんな勇気、僕にはないのだ。
「やめて……やるから。もうやめてください」
僕は消え入るような情けない声を出してしまう。
次郎くんが手を離す。同時に、包丁が床に落ちた。
次郎くんは顔をくしゃっとさせて笑い、
「わかればいいんだよ」
と言って出て行った。
「達也、大丈夫?」
葉子が駆け寄ってきた。
もう鈴木和花を騙したくない。
だけど、僕は警察に駆け込むことも、誰かに助けを求めることも、次郎くんを殺すこともできない。
鈴木和花から、金をだまし取るしかなかった。