運命の出会い 二回目 夏目達也 二十歳 #5
文字数 2,447文字
数日後。
いつものように練習が終わって一緒に渋谷駅へ歩いている途中、晶に言われた。
「丈二、なんかお礼させろよ」
練習に付き合った日、おれは必ず店から渋谷駅まで晶を送っていた。
仲を深める時間は練習のときだけで十分だと思っていたけど、あの長髪男に晶が襲われないか気がかりだったから。
晶の家は元麻布にあるため、深夜〇時前に店を出れば終電時間に間に合う。
元麻布は都内有数の高級住宅街だ。
それを知ったときは、金持ちなのになんで男に貢がせているのだろうと思ったけど、葉子から聞いたようにゲーム感覚かもしれないと思ったから、そこまで気に留めなかった。
「お礼?」
「こうして教えてもらってるし。お前は教えかたが上手いから、かなり助かってるんだ」
「上手いか?」
そんなこと意識したこともなかった。
「上手いよ。それに駅まで送ってもらってるし。なんかお礼したいんだ。なにがいい?」
おれは考える。
晶には、自分のことをいつものように貧乏なフリーターだと言っていた。
これまでと仲の深まりかたが違うけど、金に困っている話をすれば出そうとするかも。
そう思い、口を開こうとした瞬間──胸がチクッとなった。
痛みの正体は、すぐにわかった。
──罪悪感。
最近はなにも感じなかったのに……なんでだ?
言わないと。葉子の学費を稼ぐためには、こうするしかないんだから。
また口を開こうとするけど──やはり言えない。
「なあ、なにがいい?」
「……別にいいよ」
ついそう答えてしまう。
「なんだよ、せっかく言ってんのに。なんかさせろよ」
詰め寄られる。
「……マフラー」
適当なことを言った。焦っていたから、とにかく会話を終わらせたかった。
「マフラーか……わかった。今度持ってくるよ」
晶を渋谷駅まで送ったあと、家に向かった。
歩きながら、考えていた。
おれが山名晶に罪悪感を感じた理由はわからない。ただ、そんな気持ちがあるのなら消さないといけない。
山名晶みたいなタイプの女は今までにもいた。
表では真面目そうに見えても、裏ではなにをしているかわからない女は大勢いる。彼氏がいると言いながら、平気な顔でおれと会って金を渡してくる女も何人もいた。そういう女は、自分のしていることを悪いことだと思っていない。
女には二面性がある。男を騙している女に同情する必要はない──。
そんなことを言い聞かせながら宇田川町の裏通りを歩いていると、フードをかぶった一人の男とすれ違った。
その瞬間──違和感を覚える。
今すれ違った男を、どこかで見たことがある。
ダッフルコートにメガネ……晶につきまとっていた長髪男?
振り返る。
その瞬間、長髪男がおれに向かって大きく右腕を振りかぶっていた。
手にはバールが握られている。
よけようとしたときには、もう遅かった。
ゴン、という鈍い音。バールはおれの左肩に当たった。
おれは右手で男の胸を押して突き飛ばす。
おれたちの間に距離ができた。
長髪男がバールを両手で握ってかまえる。
「おれの女に手を出すな」
ハアハアと肩で息をしている。
顔もわからないし、フードをかぶって長髪が隠れていたから気づかなかった。
長髪男をこんなに近くで見たのははじめて。
バーの中で見たときは暗かったし、バーの前で見たときは遠かった。
声や服装や雰囲気から推測すると、年齢は二十代中頃から後半。こないだの半グレと同じくらい。
ただ、こいつのほうがもっとヤバい感じ。
半グレみたいな威圧感はないけど、精神的に追い詰められているような、独特の狂気がにじみでている。
「お前ら、なにやってんだ!」
道を歩いていた中年男性が声をあげた。若者同士の喧嘩だと思ったようだ。
長髪男が走って逃げた。
警察ざたになったら面倒だから、おれも走って逃げた。
しばらく走ったあと、歩きはじめる。
すると──激痛。アドレナリンが切れた。
あまりの痛さに、おれは左肩を抱えながらその場にうずくまった。
普通じゃない痛みだったし息もしにくかったが、なんとか家まで帰れた。
左肩を抱えながら家に入ると、葉子が駆け寄ってきた。
叔父から身を隠すために住民票異動の届け出もしてないし保険証もつくっていないため、この五年、医者に行ったことは一度もない。
こういうときはケータイを使ってネットで自己診断してきた。
調べた結果──おそらく、左の鎖骨にヒビが入っている状態。全治一ヵ月くらいか。上半身を使うと完治まで長引くから、解体作業の仕事は、その間は休まなければいけないだろう。
金の心配をした葉子はまたホステスのバイトをすると言ったが、もちろんまた断った。
葉子は呆れたようなため息をついたあと、言った。
「それで、達也を襲った男って、誰だか心当たりないの?」
「……山名晶の知り合い」
「えっ?」
ひどく驚いた様子。
「最初にお前とバーに行ったときもいたろ。騒いでた髪の長い男」
葉子は腑に落ちたように、
「ああ、あのとき……」
「山名晶とまだ別れてないと思ってる。おおかた、騙した男のひとりだろ」
「……」
葉子が腕を組み、なにかを考え込む。
「どうかした?」
「あっ、ううん。とにかくあんまり無理しないでね。わたしは、達也がいちばん大切なんだから」
「……ああ」
こんな状況になって目が覚めた。山名晶に罪悪感を感じている場合じゃない。
さっきの一瞬の出来事で、一ヵ月分のバイト代がとんだ。
このままだと、葉子の学費が払えなくなる。
急に山名晶に罪悪感を感じていたことがバカバカしくなった。
女なんて、こんなもんだ。裏でなにをやっているかわからない。
バカだった。けど、これで心置きなく山名晶から金をとれる。
あの男から襲われたと言えば、治療費を出すと言ってくるかもしれない。
ところが──。
いつものように練習が終わって一緒に渋谷駅へ歩いている途中、晶に言われた。
「丈二、なんかお礼させろよ」
練習に付き合った日、おれは必ず店から渋谷駅まで晶を送っていた。
仲を深める時間は練習のときだけで十分だと思っていたけど、あの長髪男に晶が襲われないか気がかりだったから。
晶の家は元麻布にあるため、深夜〇時前に店を出れば終電時間に間に合う。
元麻布は都内有数の高級住宅街だ。
それを知ったときは、金持ちなのになんで男に貢がせているのだろうと思ったけど、葉子から聞いたようにゲーム感覚かもしれないと思ったから、そこまで気に留めなかった。
「お礼?」
「こうして教えてもらってるし。お前は教えかたが上手いから、かなり助かってるんだ」
「上手いか?」
そんなこと意識したこともなかった。
「上手いよ。それに駅まで送ってもらってるし。なんかお礼したいんだ。なにがいい?」
おれは考える。
晶には、自分のことをいつものように貧乏なフリーターだと言っていた。
これまでと仲の深まりかたが違うけど、金に困っている話をすれば出そうとするかも。
そう思い、口を開こうとした瞬間──胸がチクッとなった。
痛みの正体は、すぐにわかった。
──罪悪感。
最近はなにも感じなかったのに……なんでだ?
言わないと。葉子の学費を稼ぐためには、こうするしかないんだから。
また口を開こうとするけど──やはり言えない。
「なあ、なにがいい?」
「……別にいいよ」
ついそう答えてしまう。
「なんだよ、せっかく言ってんのに。なんかさせろよ」
詰め寄られる。
「……マフラー」
適当なことを言った。焦っていたから、とにかく会話を終わらせたかった。
「マフラーか……わかった。今度持ってくるよ」
晶を渋谷駅まで送ったあと、家に向かった。
歩きながら、考えていた。
おれが山名晶に罪悪感を感じた理由はわからない。ただ、そんな気持ちがあるのなら消さないといけない。
山名晶みたいなタイプの女は今までにもいた。
表では真面目そうに見えても、裏ではなにをしているかわからない女は大勢いる。彼氏がいると言いながら、平気な顔でおれと会って金を渡してくる女も何人もいた。そういう女は、自分のしていることを悪いことだと思っていない。
女には二面性がある。男を騙している女に同情する必要はない──。
そんなことを言い聞かせながら宇田川町の裏通りを歩いていると、フードをかぶった一人の男とすれ違った。
その瞬間──違和感を覚える。
今すれ違った男を、どこかで見たことがある。
ダッフルコートにメガネ……晶につきまとっていた長髪男?
振り返る。
その瞬間、長髪男がおれに向かって大きく右腕を振りかぶっていた。
手にはバールが握られている。
よけようとしたときには、もう遅かった。
ゴン、という鈍い音。バールはおれの左肩に当たった。
おれは右手で男の胸を押して突き飛ばす。
おれたちの間に距離ができた。
長髪男がバールを両手で握ってかまえる。
「おれの女に手を出すな」
ハアハアと肩で息をしている。
顔もわからないし、フードをかぶって長髪が隠れていたから気づかなかった。
長髪男をこんなに近くで見たのははじめて。
バーの中で見たときは暗かったし、バーの前で見たときは遠かった。
声や服装や雰囲気から推測すると、年齢は二十代中頃から後半。こないだの半グレと同じくらい。
ただ、こいつのほうがもっとヤバい感じ。
半グレみたいな威圧感はないけど、精神的に追い詰められているような、独特の狂気がにじみでている。
「お前ら、なにやってんだ!」
道を歩いていた中年男性が声をあげた。若者同士の喧嘩だと思ったようだ。
長髪男が走って逃げた。
警察ざたになったら面倒だから、おれも走って逃げた。
しばらく走ったあと、歩きはじめる。
すると──激痛。アドレナリンが切れた。
あまりの痛さに、おれは左肩を抱えながらその場にうずくまった。
普通じゃない痛みだったし息もしにくかったが、なんとか家まで帰れた。
左肩を抱えながら家に入ると、葉子が駆け寄ってきた。
叔父から身を隠すために住民票異動の届け出もしてないし保険証もつくっていないため、この五年、医者に行ったことは一度もない。
こういうときはケータイを使ってネットで自己診断してきた。
調べた結果──おそらく、左の鎖骨にヒビが入っている状態。全治一ヵ月くらいか。上半身を使うと完治まで長引くから、解体作業の仕事は、その間は休まなければいけないだろう。
金の心配をした葉子はまたホステスのバイトをすると言ったが、もちろんまた断った。
葉子は呆れたようなため息をついたあと、言った。
「それで、達也を襲った男って、誰だか心当たりないの?」
「……山名晶の知り合い」
「えっ?」
ひどく驚いた様子。
「最初にお前とバーに行ったときもいたろ。騒いでた髪の長い男」
葉子は腑に落ちたように、
「ああ、あのとき……」
「山名晶とまだ別れてないと思ってる。おおかた、騙した男のひとりだろ」
「……」
葉子が腕を組み、なにかを考え込む。
「どうかした?」
「あっ、ううん。とにかくあんまり無理しないでね。わたしは、達也がいちばん大切なんだから」
「……ああ」
こんな状況になって目が覚めた。山名晶に罪悪感を感じている場合じゃない。
さっきの一瞬の出来事で、一ヵ月分のバイト代がとんだ。
このままだと、葉子の学費が払えなくなる。
急に山名晶に罪悪感を感じていたことがバカバカしくなった。
女なんて、こんなもんだ。裏でなにをやっているかわからない。
バカだった。けど、これで心置きなく山名晶から金をとれる。
あの男から襲われたと言えば、治療費を出すと言ってくるかもしれない。
ところが──。