運命の出会い 二回目 夏目達也 二十歳 #3
文字数 2,475文字
翌日の朝。
おれは古民家の解体作業をしていた。
古い家や店舗を解体するバイト。体はキツイけど、労働時間は朝八時から夕方五時までで昼の休憩が一時間。短時間でそれなりにいい金がもらえる。
ここしばらく、昼はこの仕事をして、夜は女を騙す仕事をしている。
相変わらず一日中働いてはいるけど、女を騙す仕事のほうがバーテンよりはるかに体が楽だから、もう倒れるようなことはなくなった。
昼の休憩中、古民家の庭に座ってコンビニで買ったサンドイッチを食べようとすると、
「夏目くん──」
男に声をかけられた。
聞きなれない声。たぶん、先週から入った新人だ。おれより少し年上だったはず。
「この前、渋谷のカフェで女と揉めてたよね? おれもあの店にいたんだよ。無口だと思ってたけど、意外とやるんだね」
新人が楽しげに言う。
「……別に」
おれは無表情でそう答え、サンドイッチを食べはじめた。
「おい、やめとけ、やめとけ」
先輩社員が新人に声をかけ、続けた。
「そいつは一人が好きなんだよ。ほっといてやれ」
「……そうなんすか?」
「ああ。昼飯、食いに行くぞ」
「はい」
先輩と新人は、ほかの同僚たちと一緒に昼飯を食べに行った。
おれは職場の人間とは距離を置いている。
東京に来て仕事をはじめた頃は、同僚とも仲良くしようと思ったのだけど、結局、無理だった。
顔がわからないからコミュニケーションがとれないのだ。
人を顔以外の特徴で区別するのは得意だけど、仕事の現場ではどうしようもない。
肉体労働の職場では、みんな同じ作業服を着ている。今の解体作業の仕事もそう。みんな同じ制服を着て、頭にヘルメットをつけている。そんな環境だと、簡単に人を見分けられない。
たとえば仕事中に、田中という先輩から「加藤を呼んできてくれ」と頼まれる。
おれは加藤の顔がわからないから、なんとか特徴から探そうとする。しかし確信が持てずに迷い続け、やがて田中に、「なんで呼ばないんだ!」と怒られる。
そんなことがなんどか続くうち、人間関係をつくることを諦めた。
おれが普段からも無愛想な人間を演じるようになったのは、こんな理由もある。
無口で一人が好きな人間だと最初から思われていたほうが、気が楽だ。
誰も寄ってこないし、この体質が誰にもばれずにすむ。
このまま仕事を続けていても、誰とも仲良くなれないだろう。他人とコミュニケーションもとらないのだから、ずっと正社員にもなれない。
バーテンダーの仕事をしているときも同じだった。常連客の顔を覚えられないから、やる気のないバーテンだと思われた。
ほかの仕事をしても、たぶん同じだ。仕事に希望を持つことはできない。
これからも、おれは誰にも理解されないし、他人とわかり合うこともできないだろう。
けれど、それでいい。
幸い、この現場では必要以上のコミュニケーションを求められない。
顔がわからなくてたまに失敗しても、仕事を真面目にしていればクビにはならない。
おれには葉子がいる。親代わりになって葉子のために働くことが生き甲斐だ。
昼の仕事を終えたおれは、その夜、閉店時間の三十分前、十一時に山名晶の働くバーに行った。この時間に行けば「駅まで送る」という口実ができて、距離を縮められると思ったからだ。
店内に入り、山名晶に声をかけると、「ああ、あんたか。約束通り一杯奢るよ」とカウンターに案内された。
おれがカクテルを頼むと、山名晶はおそらく材料が書いてあるノートを読みながら、おぼつかない手つきで酒を作りはじめた。
酒を作る所作は不細工。
できたカクテルを一口飲んだけど──まずい。
山名晶がおれの顔を覗き込み、「どう?」と訊くので、「……美味い」と噓をついた。
「やっぱり難しいな」
山名晶は深刻そうな声を出し、後頭部をボリボリとかいた。
バーテンダー未経験者なのは一目瞭然だったけど、カクテルを覚えたいようだ。
「カクテル、覚えたいのか?」おれは訊く。
「ああ。でも困ってるんだよ。マスターが入院さえしなきゃなあ……」
「入院?」
「ここのマスターと知り合いでさ、二週間前からバイトをはじめたんだ。作りかたを教えてくれるはずだったんだけど、肝臓を壊して入院して。閉店後に店を使っていいって言うから一人で練習してんだけど、なかなか上達しないんだよ」
女がバーテンダーになりたいなんてめずらしい。しかも、大学生なのに。
「なんでバーテンになりたいんだ?」
「それは……」
山名晶は後頭部をボリボリとかいた。
「嫌なら言わなくてもいいけど」
「……いや、『カクテル』っていう映画を観て、憧れたんだよ」
一九八〇年代のアメリカ映画『カクテル』。
成功を夢見る若者がバーテンダーとなり、真実の愛に目覚める姿を描いた青春物語。好きな映画だったから顔がわからない体質になる前によく観ていた。
山名晶の気持ちはわからなくもなかった。
主人公役のトム・クルーズが派手なカクテルパフォーマンスをするシーンがなんども出てくるのだが、それがけっこう格好いい。
おれがバーテンダーをはじめたのは、昼の仕事だけでは葉子の学費をまかなえないからだけど、あの主人公のように、格好よくカクテルをつくりたいという気持ちも少なからずあった。
「あそこまでなるには、かなり時間かかるぞ」
「……あんた、できんの?」
「いちおう。二年やってきたから」
「そうなんだ。あれほど上手くなりたいとは思ってないんだよ。一杯のカクテルをシェイカー振って自然につくれたらって……」
「……おれが教えようか?」
提案した。
カクテルを教えれば距離を縮められる。それに、山名晶の気持ちも少なからずわかったからだ。
「……いいの?」
「いいよ」
すると山名晶は、おれの手を両手でがっしりと握った。
「ありがとう! ほんとに助かる!」
あまりに大げさに喜んだので、おれは久しぶりに歯を見せて笑ってしまった。
おれは古民家の解体作業をしていた。
古い家や店舗を解体するバイト。体はキツイけど、労働時間は朝八時から夕方五時までで昼の休憩が一時間。短時間でそれなりにいい金がもらえる。
ここしばらく、昼はこの仕事をして、夜は女を騙す仕事をしている。
相変わらず一日中働いてはいるけど、女を騙す仕事のほうがバーテンよりはるかに体が楽だから、もう倒れるようなことはなくなった。
昼の休憩中、古民家の庭に座ってコンビニで買ったサンドイッチを食べようとすると、
「夏目くん──」
男に声をかけられた。
聞きなれない声。たぶん、先週から入った新人だ。おれより少し年上だったはず。
「この前、渋谷のカフェで女と揉めてたよね? おれもあの店にいたんだよ。無口だと思ってたけど、意外とやるんだね」
新人が楽しげに言う。
「……別に」
おれは無表情でそう答え、サンドイッチを食べはじめた。
「おい、やめとけ、やめとけ」
先輩社員が新人に声をかけ、続けた。
「そいつは一人が好きなんだよ。ほっといてやれ」
「……そうなんすか?」
「ああ。昼飯、食いに行くぞ」
「はい」
先輩と新人は、ほかの同僚たちと一緒に昼飯を食べに行った。
おれは職場の人間とは距離を置いている。
東京に来て仕事をはじめた頃は、同僚とも仲良くしようと思ったのだけど、結局、無理だった。
顔がわからないからコミュニケーションがとれないのだ。
人を顔以外の特徴で区別するのは得意だけど、仕事の現場ではどうしようもない。
肉体労働の職場では、みんな同じ作業服を着ている。今の解体作業の仕事もそう。みんな同じ制服を着て、頭にヘルメットをつけている。そんな環境だと、簡単に人を見分けられない。
たとえば仕事中に、田中という先輩から「加藤を呼んできてくれ」と頼まれる。
おれは加藤の顔がわからないから、なんとか特徴から探そうとする。しかし確信が持てずに迷い続け、やがて田中に、「なんで呼ばないんだ!」と怒られる。
そんなことがなんどか続くうち、人間関係をつくることを諦めた。
おれが普段からも無愛想な人間を演じるようになったのは、こんな理由もある。
無口で一人が好きな人間だと最初から思われていたほうが、気が楽だ。
誰も寄ってこないし、この体質が誰にもばれずにすむ。
このまま仕事を続けていても、誰とも仲良くなれないだろう。他人とコミュニケーションもとらないのだから、ずっと正社員にもなれない。
バーテンダーの仕事をしているときも同じだった。常連客の顔を覚えられないから、やる気のないバーテンだと思われた。
ほかの仕事をしても、たぶん同じだ。仕事に希望を持つことはできない。
これからも、おれは誰にも理解されないし、他人とわかり合うこともできないだろう。
けれど、それでいい。
幸い、この現場では必要以上のコミュニケーションを求められない。
顔がわからなくてたまに失敗しても、仕事を真面目にしていればクビにはならない。
おれには葉子がいる。親代わりになって葉子のために働くことが生き甲斐だ。
昼の仕事を終えたおれは、その夜、閉店時間の三十分前、十一時に山名晶の働くバーに行った。この時間に行けば「駅まで送る」という口実ができて、距離を縮められると思ったからだ。
店内に入り、山名晶に声をかけると、「ああ、あんたか。約束通り一杯奢るよ」とカウンターに案内された。
おれがカクテルを頼むと、山名晶はおそらく材料が書いてあるノートを読みながら、おぼつかない手つきで酒を作りはじめた。
酒を作る所作は不細工。
できたカクテルを一口飲んだけど──まずい。
山名晶がおれの顔を覗き込み、「どう?」と訊くので、「……美味い」と噓をついた。
「やっぱり難しいな」
山名晶は深刻そうな声を出し、後頭部をボリボリとかいた。
バーテンダー未経験者なのは一目瞭然だったけど、カクテルを覚えたいようだ。
「カクテル、覚えたいのか?」おれは訊く。
「ああ。でも困ってるんだよ。マスターが入院さえしなきゃなあ……」
「入院?」
「ここのマスターと知り合いでさ、二週間前からバイトをはじめたんだ。作りかたを教えてくれるはずだったんだけど、肝臓を壊して入院して。閉店後に店を使っていいって言うから一人で練習してんだけど、なかなか上達しないんだよ」
女がバーテンダーになりたいなんてめずらしい。しかも、大学生なのに。
「なんでバーテンになりたいんだ?」
「それは……」
山名晶は後頭部をボリボリとかいた。
「嫌なら言わなくてもいいけど」
「……いや、『カクテル』っていう映画を観て、憧れたんだよ」
一九八〇年代のアメリカ映画『カクテル』。
成功を夢見る若者がバーテンダーとなり、真実の愛に目覚める姿を描いた青春物語。好きな映画だったから顔がわからない体質になる前によく観ていた。
山名晶の気持ちはわからなくもなかった。
主人公役のトム・クルーズが派手なカクテルパフォーマンスをするシーンがなんども出てくるのだが、それがけっこう格好いい。
おれがバーテンダーをはじめたのは、昼の仕事だけでは葉子の学費をまかなえないからだけど、あの主人公のように、格好よくカクテルをつくりたいという気持ちも少なからずあった。
「あそこまでなるには、かなり時間かかるぞ」
「……あんた、できんの?」
「いちおう。二年やってきたから」
「そうなんだ。あれほど上手くなりたいとは思ってないんだよ。一杯のカクテルをシェイカー振って自然につくれたらって……」
「……おれが教えようか?」
提案した。
カクテルを教えれば距離を縮められる。それに、山名晶の気持ちも少なからずわかったからだ。
「……いいの?」
「いいよ」
すると山名晶は、おれの手を両手でがっしりと握った。
「ありがとう! ほんとに助かる!」
あまりに大げさに喜んだので、おれは久しぶりに歯を見せて笑ってしまった。