運命の出会い 二回目 夏目達也 二十歳 #4
文字数 3,213文字
その日の閉店後、早速、山名晶の練習に付き合ったあと、二人でバーを出ると、店の外で怪しい雰囲気の男を見つけた。
メガネをかけたポニーテールの男がじっとこちらを見ていた。
服装は、黒いハイネックの上にダッフルコート、下はジーンズ。
おれに見られていることに気づいた男は、急いで逃げて行った。
「あいつだ……」
隣にいた晶が言った。
「昨日の男?」
「ああ。ここんとこ、ずっとつきまとわれてるんだ」
おれはなにも訊かず、山名晶を渋谷駅まで送ることにした。
家に帰ったら、葉子に意外なことを言われた。
「達也、あの晶ちゃんって子、騙すのやめない?」
「……なんで?」
「やっぱり達也にこんなことさせたくないなって……達也ちょっとつらそうだし、ヤバい男ともなんども揉めてるでしょ? 学費のことなら、わたしホステスのバイトするから」
「……しなくていい」
「誰かに貢がせたりなんてしないから」
「ダメだ」
「わたしのためにこんなことしてるんでしょ? わたしもなんかしたいの」
「おれのことは気にするな。したくてしてるだけだ」
葉子は口を閉じた。
大学に進学する前にも「ホステスのバイトをしたい」と言われたことはあったけど、この仕事を辞めてほしいなんて言われたのははじめてだった。
この五年で葉子はかなり大人になったのだろう。
それから毎日のように、おれは閉店後にバーを訪れ、山名晶にカクテルの作りかたを教えた。練習中は照明を明るくした。
しかし、晶の技術はなかなか上達しなかった。
当然だ。
おれがカクテルをつくりはじめた頃、先輩店員に上手いほうだと言われていたけど、それでもシェイカーを一日に三百回振って練習し、半年以上かかってそれなりの所作で一杯のカクテルを作れるようになった。
黙っているのは酷なので、そのことを晶に伝えると驚いていたけど、それでも必死に覚えようとしていた。
練習に付き合ううち、おれたちの仲も深まっていった。
が、その仲の深まりかたは、いつもとはかなり違った。
山名晶の性格をひと言で表すと、「ボーイッシュな女」。
いつもなら自然と女からおれを男として意識しはじめる素ぶりが見えるのだが、晶にはそんな気配が一切なかった。
それどころか、「お前はいつも格好つけててキモいよ」とか、「ブスッとしてないでもっと笑えよ」などと気を遣わず思ったことを言ってくるので、おれも晶に気を遣わないようになり、いつの間にか友人のような関係になっていったのだ。
男の影も一切ないし、あまりにサバサバしているので、あるとき「お前、本当に女か?」と訊くと、晶はおれの手を握って自分の胸に触れさせ、焦ったおれを見てゲラゲラと笑っていたこともあった。
そんな晶と一緒にいるうち、おれも笑うことが増えていった。
だが、おれにとって晶はターゲットにすぎない。
当然ながら本当の友達とは思っていなかったし、心を開いているつもりもなかった。
あくまで仲のいいふりをしているつもりだった。
けれど、ある日おれに変化が起きた。
その夜、おれはいつものように閉店後にバーに行った。
扉には「Closed」の札。
しかし、入店すると二人組の男性客が店に残っていた。
店内は照明がつけられていて明るかった。一人の客はスーツ姿、もう一人はストリート系の服装。店員は晶しかいない。
カウンターの右端に座っていたその男たちは、楽しげに晶に話しかけていた。
「このあとどっか行こうぜって。カラオケは?」
スーツ姿の男がやたらとでかい声で言う。かなりできあがっている様子。
晶はやや迷惑そうにその誘いを断る。
おれは無言でいちばん左のカウンター席に座る。
すぐに晶がやってきて小声で話す。
「悪い。なかなか帰ってくれないんだよ」
カウンターは合計八席。これくらいの声なら二人組には聞こえない。
「常連?」
おれは二人組を見ずに訊く。
「はじめて。やけに気に入られてさ」
薄々気づいてはいたけど、はじめて来た客にも口説かれるのだから、やはり晶の顔は悪くないのだろう。
二人の男性客はラストオーダー直前に入ってきたという。そのあと、閉店時間になり店を閉めると伝えても、照明を明るくしてもなかなか帰ってくれないそうだ。
「なに話してんの? 友達?」
スーツ姿の男がこちらに体を向け、不機嫌そうにおれを睨んでいた。
「はい、そうなんです」
晶が営業スマイルで答える。
「晶ちゃんに訊いてないって。お前だよ」
おれは二人の特徴を観察する。
突っかかってきたのは、紺色のスーツを着ている男。
耳にはピアスの穴。ここから見ても穴がわかるから、いつもかなり太目のピアスをしているか、過去にしていたか。短髪で色黒。眉毛とヒゲは形が整っている。
いかにも半グレっぽい感じ。
もう一人の男はわりと冷静で、口の端を上げながらこの状況を見ていた。
キャップをかぶっていて、七分袖からはみ出ていた腕には、タトゥーがべったりと入っている。
二人とも二十代中頃から後半くらい?
「なんだお前。文句ありそうな顔してんな……ちょっと来い」
スーツが椅子にふんぞり返って手招きする。
経験上、この人種が考えそうなことはよくわかる。
たぶんここからは、おれにわけのわからない説教をしてきたり、自分たちの酒を飲ませようとしたり、意味なく謝らせようとしてくる。
今までもこの手の連中とのゴタゴタはよくあった。
女を騙すような仕事をしていると、男と揉めることがどうしても多くなる。
街で女と歩いているときにその彼氏とばったり出くわして殴られたこともあったし、女の彼氏に電話で呼び出され、金を要求されたこともあった。
ただ、そういった揉めごとで、おれは一度も引いたことはない。
相手に手を出したことはないけど、男に謝らなかったし、女と別れなかったし、金も払わなかった。そんなことで引いていたら、この仕事は続けられない。
それに、成瀬丈二という人格を貫きたかった。揉めごとはまったく怖くなかったわけじゃないけど、一度でも引いたら成瀬丈二に戻れなくなりそうな気がした。そっちの恐怖のほうがはるかに大きかった。
「来いって言ってんだろ!」
スーツが今にも立ち上がりそうな勢いでいきり立つ。
本気じゃない。こいつらにとってはただの遊びだ。いい迷惑だけど。
素直に行ってはやるけどヘコヘコするつもりはない。成瀬丈二はそんなリアクションはしないから、このあとどうなるかはわからない。
おれは立ち上がり、二人組のもとに向かう。
が、そのとき、晶がカウンターから出てきておれの前に立った。
ビールの空き瓶の口の部分を両手で握っていた晶は、二人組に言った。
「こいつに手を出したら、許さないから!」
二人組がぽかんとする。
おれも啞然とした。
そして──二人組が笑った。
「冗談だって、晶ちゃん」
スーツが言う。
けど、晶は少しも笑わずスーツを睨みつけている。
「悪かったよ。そろそろ行くか……友達も怖がらせて悪かったね」
スーツに言われたから、「いえ……」と無愛想に返事をした。
二人組が店を出ていったと同時に、
「怖かった……」
晶がテーブル席の椅子にぺたんと座り、胸をなでおろす。
さっきの光景を思い出し、笑いがこみ上げた。
静かに笑いはじめたおれを見た晶が、不思議そうな顔をする。
「なにがおかしいんだよ?」
「いや、止めかたが男みたいだったから」
「失礼だぞ! さっきまで口説かれてたんだから!」
ムキになっている姿を見て、おれはまた笑った。
今度はわざと少し大げさに笑った。自分の感情を見ないために。
おれの胸には、なぜだか感動のような気持ちが湧き上がっていたから。
メガネをかけたポニーテールの男がじっとこちらを見ていた。
服装は、黒いハイネックの上にダッフルコート、下はジーンズ。
おれに見られていることに気づいた男は、急いで逃げて行った。
「あいつだ……」
隣にいた晶が言った。
「昨日の男?」
「ああ。ここんとこ、ずっとつきまとわれてるんだ」
おれはなにも訊かず、山名晶を渋谷駅まで送ることにした。
家に帰ったら、葉子に意外なことを言われた。
「達也、あの晶ちゃんって子、騙すのやめない?」
「……なんで?」
「やっぱり達也にこんなことさせたくないなって……達也ちょっとつらそうだし、ヤバい男ともなんども揉めてるでしょ? 学費のことなら、わたしホステスのバイトするから」
「……しなくていい」
「誰かに貢がせたりなんてしないから」
「ダメだ」
「わたしのためにこんなことしてるんでしょ? わたしもなんかしたいの」
「おれのことは気にするな。したくてしてるだけだ」
葉子は口を閉じた。
大学に進学する前にも「ホステスのバイトをしたい」と言われたことはあったけど、この仕事を辞めてほしいなんて言われたのははじめてだった。
この五年で葉子はかなり大人になったのだろう。
それから毎日のように、おれは閉店後にバーを訪れ、山名晶にカクテルの作りかたを教えた。練習中は照明を明るくした。
しかし、晶の技術はなかなか上達しなかった。
当然だ。
おれがカクテルをつくりはじめた頃、先輩店員に上手いほうだと言われていたけど、それでもシェイカーを一日に三百回振って練習し、半年以上かかってそれなりの所作で一杯のカクテルを作れるようになった。
黙っているのは酷なので、そのことを晶に伝えると驚いていたけど、それでも必死に覚えようとしていた。
練習に付き合ううち、おれたちの仲も深まっていった。
が、その仲の深まりかたは、いつもとはかなり違った。
山名晶の性格をひと言で表すと、「ボーイッシュな女」。
いつもなら自然と女からおれを男として意識しはじめる素ぶりが見えるのだが、晶にはそんな気配が一切なかった。
それどころか、「お前はいつも格好つけててキモいよ」とか、「ブスッとしてないでもっと笑えよ」などと気を遣わず思ったことを言ってくるので、おれも晶に気を遣わないようになり、いつの間にか友人のような関係になっていったのだ。
男の影も一切ないし、あまりにサバサバしているので、あるとき「お前、本当に女か?」と訊くと、晶はおれの手を握って自分の胸に触れさせ、焦ったおれを見てゲラゲラと笑っていたこともあった。
そんな晶と一緒にいるうち、おれも笑うことが増えていった。
だが、おれにとって晶はターゲットにすぎない。
当然ながら本当の友達とは思っていなかったし、心を開いているつもりもなかった。
あくまで仲のいいふりをしているつもりだった。
けれど、ある日おれに変化が起きた。
その夜、おれはいつものように閉店後にバーに行った。
扉には「Closed」の札。
しかし、入店すると二人組の男性客が店に残っていた。
店内は照明がつけられていて明るかった。一人の客はスーツ姿、もう一人はストリート系の服装。店員は晶しかいない。
カウンターの右端に座っていたその男たちは、楽しげに晶に話しかけていた。
「このあとどっか行こうぜって。カラオケは?」
スーツ姿の男がやたらとでかい声で言う。かなりできあがっている様子。
晶はやや迷惑そうにその誘いを断る。
おれは無言でいちばん左のカウンター席に座る。
すぐに晶がやってきて小声で話す。
「悪い。なかなか帰ってくれないんだよ」
カウンターは合計八席。これくらいの声なら二人組には聞こえない。
「常連?」
おれは二人組を見ずに訊く。
「はじめて。やけに気に入られてさ」
薄々気づいてはいたけど、はじめて来た客にも口説かれるのだから、やはり晶の顔は悪くないのだろう。
二人の男性客はラストオーダー直前に入ってきたという。そのあと、閉店時間になり店を閉めると伝えても、照明を明るくしてもなかなか帰ってくれないそうだ。
「なに話してんの? 友達?」
スーツ姿の男がこちらに体を向け、不機嫌そうにおれを睨んでいた。
「はい、そうなんです」
晶が営業スマイルで答える。
「晶ちゃんに訊いてないって。お前だよ」
おれは二人の特徴を観察する。
突っかかってきたのは、紺色のスーツを着ている男。
耳にはピアスの穴。ここから見ても穴がわかるから、いつもかなり太目のピアスをしているか、過去にしていたか。短髪で色黒。眉毛とヒゲは形が整っている。
いかにも半グレっぽい感じ。
もう一人の男はわりと冷静で、口の端を上げながらこの状況を見ていた。
キャップをかぶっていて、七分袖からはみ出ていた腕には、タトゥーがべったりと入っている。
二人とも二十代中頃から後半くらい?
「なんだお前。文句ありそうな顔してんな……ちょっと来い」
スーツが椅子にふんぞり返って手招きする。
経験上、この人種が考えそうなことはよくわかる。
たぶんここからは、おれにわけのわからない説教をしてきたり、自分たちの酒を飲ませようとしたり、意味なく謝らせようとしてくる。
今までもこの手の連中とのゴタゴタはよくあった。
女を騙すような仕事をしていると、男と揉めることがどうしても多くなる。
街で女と歩いているときにその彼氏とばったり出くわして殴られたこともあったし、女の彼氏に電話で呼び出され、金を要求されたこともあった。
ただ、そういった揉めごとで、おれは一度も引いたことはない。
相手に手を出したことはないけど、男に謝らなかったし、女と別れなかったし、金も払わなかった。そんなことで引いていたら、この仕事は続けられない。
それに、成瀬丈二という人格を貫きたかった。揉めごとはまったく怖くなかったわけじゃないけど、一度でも引いたら成瀬丈二に戻れなくなりそうな気がした。そっちの恐怖のほうがはるかに大きかった。
「来いって言ってんだろ!」
スーツが今にも立ち上がりそうな勢いでいきり立つ。
本気じゃない。こいつらにとってはただの遊びだ。いい迷惑だけど。
素直に行ってはやるけどヘコヘコするつもりはない。成瀬丈二はそんなリアクションはしないから、このあとどうなるかはわからない。
おれは立ち上がり、二人組のもとに向かう。
が、そのとき、晶がカウンターから出てきておれの前に立った。
ビールの空き瓶の口の部分を両手で握っていた晶は、二人組に言った。
「こいつに手を出したら、許さないから!」
二人組がぽかんとする。
おれも啞然とした。
そして──二人組が笑った。
「冗談だって、晶ちゃん」
スーツが言う。
けど、晶は少しも笑わずスーツを睨みつけている。
「悪かったよ。そろそろ行くか……友達も怖がらせて悪かったね」
スーツに言われたから、「いえ……」と無愛想に返事をした。
二人組が店を出ていったと同時に、
「怖かった……」
晶がテーブル席の椅子にぺたんと座り、胸をなでおろす。
さっきの光景を思い出し、笑いがこみ上げた。
静かに笑いはじめたおれを見た晶が、不思議そうな顔をする。
「なにがおかしいんだよ?」
「いや、止めかたが男みたいだったから」
「失礼だぞ! さっきまで口説かれてたんだから!」
ムキになっている姿を見て、おれはまた笑った。
今度はわざと少し大げさに笑った。自分の感情を見ないために。
おれの胸には、なぜだか感動のような気持ちが湧き上がっていたから。