運命の出会い 一回目 夏目達也 十五歳 #2
文字数 3,770文字
浜松駅から五分程度歩き、雑居ビルに入って三階の自宅前につく。
間取りは2LDK。この家に次郎くんはほとんど来ない。
次郎くんには保護者らしいことを一度もされたことがない。放任ではあるものの、この仕事で得た金の数パーセントをギャラとして手渡されているため、僕たちはその金で生活している。「自分の金は自分で稼げ」も夏目家のルールだ。
自宅に入ると、髪の長いすらっとした女の子が玄関までやってきて、
「おかえり。ただいまのキスは?」
と言って、目を閉じた。
甘えてくるような猫なで声は、彼女の特徴だ。
「ただいま」
僕は彼女を素通りして、リビングへと向かう。
「あっ、無視した。ひどい! さては、あのお嬢様のこと好きになったんでしょ?」
「なってないよ」
僕は微笑む。
「よかった。達也のファーストキスの相手はわたしだからね」
血の繫がっていない僕の妹、葉子。
次郎くんの昔の仕事仲間の娘で、僕が引き取られる少し前に身寄りがなくなってここへ来た。
まだ中二なのに妙に男慣れしている。身長も僕と同じ百六十五センチで女の子にしては高く、大人に間違われることもよくあり、たまに大学生にナンパされるようだ。
僕がここに来たばかりの頃、葉子は次郎くんに別の仕事をさせられていた。
その頃はもっと素っ気なかったけど、僕が女の子を騙す仕事を思いつき、葉子にも手伝ってもらうようになってから、急に僕になつくようになった。
リビングにあるダイニングテーブルの椅子に腰掛けると、葉子に言われた。
「次郎くんが次のターゲットに近づけってー」
「うん、さっき駅で会って聞いた」
「そうなんだ」
葉子がケータイをテーブルの上に置いた。
ケータイの画面には、髪の長い女の子が写っていた。
が、僕にはどんな顔なのかわからない。
「鈴木和花ちゃん。資産家の娘で中学三年生。すっごく可愛いよ。彼女と同じ中学の男友達からいろいろ聞いたの。この写真はわたしが隠し撮りした」
葉子の仕事は、次郎くんがターゲットに選んだ裕福な家の娘を下調べすること。
下調べの内容は、「尾行」と「聞き込み」だ。
尾行は、僕が娘に声をかけやすい場所を探るため。わかりやすく言うとナンパだ。
どんな子か聞き込むのは、娘のタイプによって声のかけかたを変えるため。
葉子は僕と違ってコミュニケーション能力も高いし顔も広い。同年代から高校生まで知り合いが大勢いるから、いつも娘と年齢の近い友達に聞き込みをして情報を探る。
「成績優秀で運動神経も抜群。去年は交換留学生に選ばれたんだって。彼氏もいなくて真面目な子みたい。あとね……」
そこまで言って止まった葉子は「やめた」と言った。
「なに?」
「ううん、なんでもない。情報はこれだけ」
めずらしい。いつもはもっと詳しく伝えてくるのに。
「前から訊きたかったんだけど、達也って顔以外の特徴で人を見分けてるんだよね?」
葉子が話を変える。
「うん」
「特徴って、声と髪型と体型と……服装?」
「それ以外もあるよ。姿勢や歩きかたや仕草とか。あとは癖や雰囲気、ヒゲとかほくろとかでも区別してる」
「よくそんなに覚えられるね」
母に捨てられてから、顔以外の特徴で人を覚えることが急に得意になった。
きっと、また他人を区別できなくて、あんな思いをするのが嫌だからだろう。
「じゃあさ、好きになった子はどう見えるの?」
葉子がはしゃいだ声で訊いてくる。
「どう見えるって?」
「達也は美形だけど、わたしは達也が実物よりずっと格好よく見えてるの。男子も、好きな女子は可愛く見えるって言うし」
葉子はこうやって僕に気のあるような態度を見せるけど、本気か冗談かよくわからない。本気だとしても思春期の今だけだろうと思って、あまり相手にしていない。
「わからないよ。好きになったことないし」
今まで出会った女の子たちは、だいたいが僕を気に入ってくれたけど、僕は誰かを好きになったことはない。誰かに興味を持ったことすら一度もない。
みんな、僕の外見と造られた性格を好きになるとわかっているからかも。
この仕事をしてから、僕が思っていた以上に、人は他人の表面しか見ていないことがわかった。誰も本当の僕なんて気にしていないのだ。
「本当にみんな同じ顔に見えてるんだ。つまんないね」
葉子があっけらかんと言う。この体質については気を遣われるよりこれくらいのほうがいい。
「そうでもないよ。人と会うときは、顔を想像しながら会話してるから。顔以外の特徴から、こんな顔なんだろうなって」
「ふーん……でもなんかロマンチック」
「なにが?」
「もし誰かを好きになったら、中身だけに惹かれたってことでしょ? 真実の愛っぽいじゃん。達也はどんな子を好きになるのかな?」
そんなことに興味はない。話を戻そう。
「……それで、その和花さん? どこで声かければいいの?」
「あっ、しばらく尾行したんだけど、毎週土曜に有楽街商店街のカラオケに一人で通ってるの。そこならナンパしやすいんじゃない?」
「わかった」
「ひとカラが趣味ってめずらしいな……まぁ、練習かもしれないけど」
「練習?」
「友達と行ったらそれなりに歌えないと恥ずかしいから」
僕は葉子と違ってずっと学校に行ってないから、こういうことには詳しくない。
「そんなもんなんだ」
「……覚えたい曲があるから、今度付き合ってよ」
明るく言う。友達のいない僕を気遣ってくれたように見えた。
葉子はこの仕事にそれほど罪悪感を抱いていないようだけど、こんなふうに優しいところもある。
僕の特技の手品も、葉子に「達也は顔がいいからそんなんでも女の子に好かれるよ」と言われて覚えた。
そんな葉子のことを、僕はいつのまにか本当の妹のように思っていた。
本当はこんな仕事したくない。ここから逃げ出そうとしたときもあったけど、そのたびに葉子のことを考えて踏みとどまった。
葉子を一人置いて、この家を出ることはできない。
その夜、僕は自分の部屋でラジオを聴いていた。
「どうも、こんばんはー」
関西出身の芸人コンビが司会を務めるこのラジオ番組を、僕は毎週聴いている。
出演者は芸人コンビと放送作家の三人。
僕の今の趣味は、小説を読むことと、音楽鑑賞と、このラジオ番組を聴くこと。
仕事では社交的なやつを演じているけど、素の僕はかなりのオタクだ。
小さい頃の趣味はもっぱらテレビ鑑賞だった。夜は母が家にいなかったから、いつも一人でテレビを観ていて、バラエティ番組やドラマや映画に夢中になった。
好きなお笑い芸人の出演するバラエティ番組を観たら心の底から笑えたし、ドラマや映画は、自分が別の人生を体験している気分になれて没頭できた。
けど、十二歳で顔がわからなくなってからは、テレビをあまり観なくなった。出演者や登場人物が多いと誰が誰だかわからなくなって混乱してしまうからだ。
小説や音楽やラジオなら、僕も普通の人と同じように楽しめる。
このラジオ番組の好きなところは、なんと言っても芸人コンビによるフリートーク。
番組の冒頭では、世の中で起こった出来事や有名人のことなどについて自由に話をする。彼らはもともと毒舌なのだが、ラジオだと、その度合いがもっと激しくなる。
少し前も、芸人コンビがある女優さんの悪口を言っていたのだが、その後、女優さんの所属事務所からクレームが来たから、ディレクターが謝りに行ったそうだ。そのエピソードもこのラジオで放送作家がおもしろおかしく話していた。
素の僕は普段から思っていることを言えないことが多いから、彼らの毒舌ぶりを聴いているだけで気持ちいい。
芸人コンビと放送作家の三人でワイワイと話している雰囲気も好きだ。
三人はいつも笑っている。
聴いているだけで自分も仲間に入っている気がしてくる。学校の休み時間に、友達との会話に参加しているような気分になれる。僕には友達がいないから、こういうワイワイ感にも憧れる。
リスナーがネタを投稿するコーナーもおもしろい。
テーマに沿ったネタを毎週リスナーから募集し、おもしろかったハガキが読まれる。ほかのラジオ番組よりも投稿数が多いため、なかなか読まれないことでも有名で、ネタのレベルも高いのだ。ネタがいつも採用されている有名なハガキ職人が何人もいる。この番組に出演している放送作家も元ハガキ職人だ。
このラジオ番組を聴いている時間だけは、なにもかもを忘れられる。
ラジオを聴き終わったあと、一人で深夜営業しているラーメン屋に行った。
夕方に吐いたため夕食も抜いていたから、今頃になってお腹が空いたのだ。ラーメンを一杯食べ終わったあと餃子を追加したくなったけど、そのことを店員さんになかなか言えず、なんどもタイミングを見計らってようやく言えた。
内気な僕にはこんなことがよく起こる。注文の際に店員さんを呼ぶことすらためらってしまう。美容院も会話に困るから、十分で終わる千円カットしか行かない。
素の僕はこういう人間だ。吉川彩乃と話していた、明るく元気な桜井玲央とは違う。
間取りは2LDK。この家に次郎くんはほとんど来ない。
次郎くんには保護者らしいことを一度もされたことがない。放任ではあるものの、この仕事で得た金の数パーセントをギャラとして手渡されているため、僕たちはその金で生活している。「自分の金は自分で稼げ」も夏目家のルールだ。
自宅に入ると、髪の長いすらっとした女の子が玄関までやってきて、
「おかえり。ただいまのキスは?」
と言って、目を閉じた。
甘えてくるような猫なで声は、彼女の特徴だ。
「ただいま」
僕は彼女を素通りして、リビングへと向かう。
「あっ、無視した。ひどい! さては、あのお嬢様のこと好きになったんでしょ?」
「なってないよ」
僕は微笑む。
「よかった。達也のファーストキスの相手はわたしだからね」
血の繫がっていない僕の妹、葉子。
次郎くんの昔の仕事仲間の娘で、僕が引き取られる少し前に身寄りがなくなってここへ来た。
まだ中二なのに妙に男慣れしている。身長も僕と同じ百六十五センチで女の子にしては高く、大人に間違われることもよくあり、たまに大学生にナンパされるようだ。
僕がここに来たばかりの頃、葉子は次郎くんに別の仕事をさせられていた。
その頃はもっと素っ気なかったけど、僕が女の子を騙す仕事を思いつき、葉子にも手伝ってもらうようになってから、急に僕になつくようになった。
リビングにあるダイニングテーブルの椅子に腰掛けると、葉子に言われた。
「次郎くんが次のターゲットに近づけってー」
「うん、さっき駅で会って聞いた」
「そうなんだ」
葉子がケータイをテーブルの上に置いた。
ケータイの画面には、髪の長い女の子が写っていた。
が、僕にはどんな顔なのかわからない。
「鈴木和花ちゃん。資産家の娘で中学三年生。すっごく可愛いよ。彼女と同じ中学の男友達からいろいろ聞いたの。この写真はわたしが隠し撮りした」
葉子の仕事は、次郎くんがターゲットに選んだ裕福な家の娘を下調べすること。
下調べの内容は、「尾行」と「聞き込み」だ。
尾行は、僕が娘に声をかけやすい場所を探るため。わかりやすく言うとナンパだ。
どんな子か聞き込むのは、娘のタイプによって声のかけかたを変えるため。
葉子は僕と違ってコミュニケーション能力も高いし顔も広い。同年代から高校生まで知り合いが大勢いるから、いつも娘と年齢の近い友達に聞き込みをして情報を探る。
「成績優秀で運動神経も抜群。去年は交換留学生に選ばれたんだって。彼氏もいなくて真面目な子みたい。あとね……」
そこまで言って止まった葉子は「やめた」と言った。
「なに?」
「ううん、なんでもない。情報はこれだけ」
めずらしい。いつもはもっと詳しく伝えてくるのに。
「前から訊きたかったんだけど、達也って顔以外の特徴で人を見分けてるんだよね?」
葉子が話を変える。
「うん」
「特徴って、声と髪型と体型と……服装?」
「それ以外もあるよ。姿勢や歩きかたや仕草とか。あとは癖や雰囲気、ヒゲとかほくろとかでも区別してる」
「よくそんなに覚えられるね」
母に捨てられてから、顔以外の特徴で人を覚えることが急に得意になった。
きっと、また他人を区別できなくて、あんな思いをするのが嫌だからだろう。
「じゃあさ、好きになった子はどう見えるの?」
葉子がはしゃいだ声で訊いてくる。
「どう見えるって?」
「達也は美形だけど、わたしは達也が実物よりずっと格好よく見えてるの。男子も、好きな女子は可愛く見えるって言うし」
葉子はこうやって僕に気のあるような態度を見せるけど、本気か冗談かよくわからない。本気だとしても思春期の今だけだろうと思って、あまり相手にしていない。
「わからないよ。好きになったことないし」
今まで出会った女の子たちは、だいたいが僕を気に入ってくれたけど、僕は誰かを好きになったことはない。誰かに興味を持ったことすら一度もない。
みんな、僕の外見と造られた性格を好きになるとわかっているからかも。
この仕事をしてから、僕が思っていた以上に、人は他人の表面しか見ていないことがわかった。誰も本当の僕なんて気にしていないのだ。
「本当にみんな同じ顔に見えてるんだ。つまんないね」
葉子があっけらかんと言う。この体質については気を遣われるよりこれくらいのほうがいい。
「そうでもないよ。人と会うときは、顔を想像しながら会話してるから。顔以外の特徴から、こんな顔なんだろうなって」
「ふーん……でもなんかロマンチック」
「なにが?」
「もし誰かを好きになったら、中身だけに惹かれたってことでしょ? 真実の愛っぽいじゃん。達也はどんな子を好きになるのかな?」
そんなことに興味はない。話を戻そう。
「……それで、その和花さん? どこで声かければいいの?」
「あっ、しばらく尾行したんだけど、毎週土曜に有楽街商店街のカラオケに一人で通ってるの。そこならナンパしやすいんじゃない?」
「わかった」
「ひとカラが趣味ってめずらしいな……まぁ、練習かもしれないけど」
「練習?」
「友達と行ったらそれなりに歌えないと恥ずかしいから」
僕は葉子と違ってずっと学校に行ってないから、こういうことには詳しくない。
「そんなもんなんだ」
「……覚えたい曲があるから、今度付き合ってよ」
明るく言う。友達のいない僕を気遣ってくれたように見えた。
葉子はこの仕事にそれほど罪悪感を抱いていないようだけど、こんなふうに優しいところもある。
僕の特技の手品も、葉子に「達也は顔がいいからそんなんでも女の子に好かれるよ」と言われて覚えた。
そんな葉子のことを、僕はいつのまにか本当の妹のように思っていた。
本当はこんな仕事したくない。ここから逃げ出そうとしたときもあったけど、そのたびに葉子のことを考えて踏みとどまった。
葉子を一人置いて、この家を出ることはできない。
その夜、僕は自分の部屋でラジオを聴いていた。
「どうも、こんばんはー」
関西出身の芸人コンビが司会を務めるこのラジオ番組を、僕は毎週聴いている。
出演者は芸人コンビと放送作家の三人。
僕の今の趣味は、小説を読むことと、音楽鑑賞と、このラジオ番組を聴くこと。
仕事では社交的なやつを演じているけど、素の僕はかなりのオタクだ。
小さい頃の趣味はもっぱらテレビ鑑賞だった。夜は母が家にいなかったから、いつも一人でテレビを観ていて、バラエティ番組やドラマや映画に夢中になった。
好きなお笑い芸人の出演するバラエティ番組を観たら心の底から笑えたし、ドラマや映画は、自分が別の人生を体験している気分になれて没頭できた。
けど、十二歳で顔がわからなくなってからは、テレビをあまり観なくなった。出演者や登場人物が多いと誰が誰だかわからなくなって混乱してしまうからだ。
小説や音楽やラジオなら、僕も普通の人と同じように楽しめる。
このラジオ番組の好きなところは、なんと言っても芸人コンビによるフリートーク。
番組の冒頭では、世の中で起こった出来事や有名人のことなどについて自由に話をする。彼らはもともと毒舌なのだが、ラジオだと、その度合いがもっと激しくなる。
少し前も、芸人コンビがある女優さんの悪口を言っていたのだが、その後、女優さんの所属事務所からクレームが来たから、ディレクターが謝りに行ったそうだ。そのエピソードもこのラジオで放送作家がおもしろおかしく話していた。
素の僕は普段から思っていることを言えないことが多いから、彼らの毒舌ぶりを聴いているだけで気持ちいい。
芸人コンビと放送作家の三人でワイワイと話している雰囲気も好きだ。
三人はいつも笑っている。
聴いているだけで自分も仲間に入っている気がしてくる。学校の休み時間に、友達との会話に参加しているような気分になれる。僕には友達がいないから、こういうワイワイ感にも憧れる。
リスナーがネタを投稿するコーナーもおもしろい。
テーマに沿ったネタを毎週リスナーから募集し、おもしろかったハガキが読まれる。ほかのラジオ番組よりも投稿数が多いため、なかなか読まれないことでも有名で、ネタのレベルも高いのだ。ネタがいつも採用されている有名なハガキ職人が何人もいる。この番組に出演している放送作家も元ハガキ職人だ。
このラジオ番組を聴いている時間だけは、なにもかもを忘れられる。
ラジオを聴き終わったあと、一人で深夜営業しているラーメン屋に行った。
夕方に吐いたため夕食も抜いていたから、今頃になってお腹が空いたのだ。ラーメンを一杯食べ終わったあと餃子を追加したくなったけど、そのことを店員さんになかなか言えず、なんどもタイミングを見計らってようやく言えた。
内気な僕にはこんなことがよく起こる。注文の際に店員さんを呼ぶことすらためらってしまう。美容院も会話に困るから、十分で終わる千円カットしか行かない。
素の僕はこういう人間だ。吉川彩乃と話していた、明るく元気な桜井玲央とは違う。