運命の出会い 一回目 夏目達也 十五歳 #5
文字数 5,552文字
その夜。
僕はベッドに寝そべりながら、いつものラジオ番組を聴いていた。
と、鈴木和花から聞いた言葉がよみがえった。
『やってみないとわからないから。最初から逃げるのは嫌なの』
彼女と別れてから、なんどもなんどもあの言葉を思い出していた。
なんでこんなに思い出すのだろう。
自分の未来なんて、もう諦めたはずなのに。
僕は……今の生きかたが嫌なのか?
夢を追いかけたい?
自分の可能性にかけてみたいのか?
……サッカー選手になることはもう難しい。
でも、ほかの夢なら?
鈴木和花は言っていた。「ほかの道がある」と。
……本当にあるのか?
こんな僕でも、叶えられる夢ってあるのか?
興味があること。
僕が今、いちばん興味があることは?
しばらく考えていると、やがてあることに気づいた。
ベッドから起き上がり、家を出て近所のコンビニに走ってハガキを買った。
家に戻った僕は、そのハガキにネタを書きはじめた。
あのラジオ番組に出演している放送作家が、いつか番組内で言っていた。
「放送作家に学歴はいらない」と。
お笑い芸人になりたいとは思わない。
自分が表舞台に立ってなにかをする勇気なんてないし、人前で話すことも苦手だ。
けれど、裏方なら。放送作家なら。
あのラジオ番組に出演している放送作家みたいに、芸人たちの仲間に入りたい。もしもそうなったら、どんなに楽しいだろう──。
自分がこんな職業につけるわけがない。夢なんて追う資格すらないこともわかっている。ただ、疑似体験をしてみたかった。
夢を追いかける鈴木和花がすごく眩しく見えたから。
なにげなくネタを書きはじめてみたら──気づくと、朝になっていた。
それからも、僕は鈴木和花から家の情報も探れなかったし、家にも行けなかった。
僕が異性として見られていないということもあったけど、なぜだか夢を語っていた彼女を見て以来、強い罪悪感を覚えるようになってしまったのだ。
いつの間にか猶予は一週間になった。
これだけ長い間、ひとつも家の情報を聞き出せないのははじめてだった。
バス停の前で待っていると、一台のバスが停まり、赤いリボンをつけた女の子が一人で降りてきた。
「玲央くーん!」
文花ちゃんが声をあげて駆けてくる。
今朝、鈴木和花から「急用で遅れる」と連絡が入ったため、昼まで僕と文花ちゃんだけで、浜松市にある総合大型ゲームセンター「OZ」で遊ぶことになった。
はじめて会った日から今日まで、文花ちゃんはいつもパールのついた特徴的な赤いリボンを頭につけていたため、一度もほかの女の子と間違えることはなかった。
OZに歩いて向かっている最中、文花ちゃんに訊いた。
「そのリボン、なんでいつもつけてるの?」
「お気に入りだから。今年の誕生日にお姉ちゃんに買ってもらったの。去年はオルゴールだった」
「へえ」
「あとねえ、お姉ちゃんのためにもつけてる」
「お姉ちゃんのため?」
「あっ、えっと……お姉ちゃんが喜ぶから!」
文花ちゃんは満面の笑みを見せた。
姉妹は本当に仲が良かった。
いつも手を繫いでいたし、同じ服を着ていることも多かった。飲み物も食べ物もいつも同じメニュー。鈴木和花によると、文花ちゃんはなんでも「お姉ちゃんと一緒がいい!」と真似するのだという。
彼女たち姉妹は声も雰囲気もどこか似ていたけど、性格は文花ちゃんのほうがちょっと大人しく、いつも鈴木和花の後ろをついて行っている印象だった。
僕と文花ちゃんはOZでしばらく遊んだあと、OZの隣にあるガストに入って鈴木和花を待つことにした。
お店に入った文花ちゃんは、店員さんに「あとから鈴木和花という人が来るので席に案内してください」とお願いしていた。
まだ小学生なのに、素の僕より社交的だと思った。
だから、席につくなり提案してみた。
「学校、そろそろ行ってみたら?」
「……行かない」
一転、文花ちゃんは浮かない顔で答えた。
「なんで、学校に行かなくなったの?」
「みんながいじめるから。文花、いじめられてた子をかばっただけなのに」
学校に行かなくなった理由を一度も詳しく聞いたことがなかったけど、そう聞いて腑に落ちた。
文花ちゃんは親しい人とはよく話すし、鈴木和花に似て思ったことははっきりと言うところもある。鈴木和花ほどではないけど白黒をはっきりつけたい性格のようにも見えたから、そんな理由からもいじめられることになったのだろう。
ただ、コミュニケーション能力はあるから僕とは違う。ちょっとしたきっかけがあれば、すぐにもとの生活に戻れるかもしれない。
「ためしに、学校に行ってみんなに話しかけてみたら?」
「そんな勇気ない。また無視されたら嫌だし、学校を休んでたことも恥ずかしい」
ここは僕と似ている。恥ずかしがり屋なんだ。
それなら──。
「演技してみたら?」
「……演技?」
「なんとも思ってないふりをする。気にしてないふりをするんだ。そうすれば、少し恥ずかしくなくなるかも」
「本当に?」
「うん」
堂々としていればいい。小さくなっていたら余計に恥ずかしくなるから。
僕の経験からアドバイスできるのはこれくらいだ。
「ただし、演技の力を借りるのはここいちばんのときだけ。いつもはそのままの文花ちゃんでいてほしい。僕は今のままの君が好きだから」
文花ちゃんは頰を赤らめて目を伏せたあと、また僕を見た。
「……またいじめられたら?」
「そのときは、おれが次の手を考える」
これで解決できるかわからないけど、なにもしないよりはいい。後ろに僕がいると思えば、少しは挑戦する気になってくれるかもと思った。
「ほんとに考えてくれる?」
僕はうなずく。
「それじゃ、ゆびきりして」
「いいよ」
文花ちゃんとゆびきりをした。
そして指を離すと、文花ちゃんが僕の背後に向かって「お姉ちゃん!」と言った。
振り向くと、鈴木和花が、なぜだか驚いた顔で僕たちを見つめていた。
「お姉ちゃん!」ともう一度、文花ちゃんが呼ぶと、
鈴木和花は我に返って、「遅れてごめん」と席についた。
三人で店員さんにドリンクバーを頼むと、文花ちゃんが僕たちのドリンクを取りに行ってくれると言うので、種類も選んでもらうことにした。
文花ちゃんは「えー、迷うなー」と嬉しそうに言いながら取りに行った。
「あのとき、言ってよかった」
鈴木和花が文花ちゃんの背中を見ながら言った。
僕は、「なに?」という表情を向ける。
「君とはじめて会ったとき、『言ったら、なにか変わるかもしれない』って言ってくれたでしょ。本当に変わった。君のおかげで」
僕の胸に罪悪感が広がる。
ああ言ったのは家に窃盗を仕掛けるためだ。
「急用はもうよかったの?」
罪悪感から逃げるために、話を変えた。
「うん。実は、前に言ってた『もう一つの夢』が前進しそうなの。それも君のおかげ」
すごく嬉しそうな声。
「おれの……どういうこと?」
「内緒。まだどうなるかわからないし。いろいろ決まったら報告するね。君の夢はどうなったの?」
僕は言うことにした。
「いろいろ考えて、やっぱりサッカーは諦めた」
「そう……」
眉を下げ、優しい声を出す。
「ただ──新しい夢を見つけたんだ。放送作家になること」
鈴木和花が嬉しそうに顔を輝かせた。
「聞いたことある。詳しくは知らないけど」
「ラジオやテレビの企画を考えたり、台本を書く仕事」
「どうやったらなれるの?」
「いろいろあるみたいだけど、ハガキ職人からなる人もいるみたい」
彼女が首を傾けた。
「あっ、ラジオ番組にネタを投稿する人。おもしろくて何回も読まれたら、スタッフから声をかけられることもあるって」
あのラジオ番組に出演している放送作家がそう言っていた。
「もしかして、もう、そういうことしてるの?」
「まあ。三日前に三十枚、まとめて出した」
「そんなに?」
本当のことだった。
あの夜から書きはじめたハガキは、いつの間にか三十枚になっていた。
「もしかしたら読まれるかも。なんて番組?」
僕はラジオ番組の名前を教えた。
「自分で言うのもなんだけど、結構、自信作なんだ」
桜井玲央らしく前向きに言った。もちろん本当は読まれるなんて思ってないけど。
「若い人でも声をかけてもらえるの?」
「うん、高校生から仕事を手伝いはじめた人もいるみたい」
「そうなったら、もうこうやって会えなくなるね」
鈴木和花が冗談っぽく言う。
「気が早いよ。まだ読まれてもないのに」
「そんなことないよ。君ならどこにでも行ける気がする」
「……なんでそんなこと思うの?」
「なんでも。わたし、そういうのわかるの」
その言葉を聞いた僕は、いたたまれなくなった。
彼女は僕のことを、元気で明るいやつだと思っている。そして、文花ちゃんを助けようとしたヒーローだと。
本当の僕はそんなやつじゃない。暗くて口下手で猫背で、犯罪を手伝っている最低な人間だ。それに、今も鈴木和花を騙している。
「もしかしたら、来週、電話がかかってきたりして」
憂鬱な気持ちを打ち払うため、わざと調子に乗って言った。ハガキには電話番号も書いておいた。どうせ夢を追う疑似体験だから、それくらいしようと思った。
「もしそうなったら、文花、寂しがるだろうね」
彼女も冗談に乗ってくれる。
「どうだろう。意外とけろっとしてるかも」
「そんなことないよ」
二人で笑い合う。
「けど、それで離れることになったら、しかたないね……」
鈴木和花が窓の外を見ながら言った。
……そう。彼女の僕への思いはこの程度のものだ。
文花ちゃんを助けようとしてくれた人としか思われていない。この言葉がなによりの証拠だ。僕のことを好きだったら、ずっと一緒にいたいはず。離れてもしかたないなんて思わないだろう。鈴木和花にとってこの数週間は、いつかは忘れるだろう青春の一ページにすぎない。
彼女には夢がある。僕との出会いは通過点にしかすぎないのだ。
諦めのような気持ちが湧き、笑顔で口を開いた。
「だね。いつかは別れないと。おれたちには将来があるんだから」
僕には将来なんてない。だから、今は仕事のために彼女を騙すんだ。
そう改めて決意すると、鈴木和花がきょとんとした。
「別れる? そういう意味で言ったんじゃないよ。離れても連絡はとれるでしょ?」
「……じゃ、どういう意味?」
「好きだから、しかたないの」
鈴木和花が普通の顔をして言う。
「……好き?」僕は確認する。
「うん」
「誰を?」
「君」
彼女が……僕のことを好き?
心拍数が一気に急上昇していく。
「そうだ。一緒に写メ、撮ってくれない? 文花のヒーローと撮りたいの」
「い、いいよ」
いつもなら断っている。顔写真は犯罪の痕跡になりかねないからだ。焦りのあまり、つい了承してしまった。
鈴木和花が僕の隣に移動し、顔を近づけてくる。
ますます心臓がばくばくする。
わけがわからない。
彼女はケータイで、隣り合う僕たちを自撮りした。
「ありがと」
お礼を言われる。
まだ動悸がおさまらない。
落ち着け──。
『好きだから、しかたない』という言葉の意味はよくわからない。
ただ、彼女が言った『好き』は、異性としてという意味じゃない。友達として好きという意味だ。
そうだ。そうに決まっている。
でも……。
もしも、異性としてという意味だったら?
僕は今、鈴木和花を騙している。
もしも彼女がそのことを知ったら、ひどく傷つけることになる。
……本当にこのままでいいのか?
今までは、女の子を騙すことを途中で止めたことはない。
けれど……。
僕はこの仕事をする必要がある。でも今はそれ以上に、なぜだか彼女を騙したくはない。
そう自覚したとき──自然と口を開いていた。
「あのさ……」
「なに?」
「……い、いや。文花ちゃん、なに持ってくるんだろうね」
自分のしようとしていたことに気づいて、慌てて話を変えた。
帰り道、頭を巡らせていた。
さっき、本当のことを言おうとしてしまった。
「僕は君を騙している」と──。
女の子に罪悪感を覚えたことはあるけど、こんなことは一度もなかった。
……一回、頭を整理しよう。
もしも僕が、鈴木和花を救おうとしたら?
このまま家の情報を次郎くんに伝えなくても、彼女の家が窃盗に遭わない保証はない。
それを止めるには?
……次郎くんのことを警察に言う?
今までの犯罪のことを。これから鈴木和花の家から金品を盗もうとしていることも。
……いや。
僕は次郎くんたちがしてきた犯罪の証拠を持っていない。
これだけ窃盗を繰り返してもまだ捕まっていないんだ。次郎くんはそうとう用心深く家に侵入しているだろうし、犯罪の痕跡も徹底的に排除しているだろう。
それに警察に言ったら、犯罪に加担していた僕と葉子も罰せられるかも。
それなら──警察に電話か手紙で伝えたあと、一人で家を出る?
ダメだ。葉子を家に置いてはいけない。
だったらいっそのこと──葉子を連れて逃げるか?
けれども、中学生の僕たちが、これからどうやって生活するんだ?
考えても考えても、答えが出なかった。
それでもまだ、残り期間は一週間ある。
答えを出すのを保留するのは悪い癖だけど、それまでに決めよう──。
僕はベッドに寝そべりながら、いつものラジオ番組を聴いていた。
と、鈴木和花から聞いた言葉がよみがえった。
『やってみないとわからないから。最初から逃げるのは嫌なの』
彼女と別れてから、なんどもなんどもあの言葉を思い出していた。
なんでこんなに思い出すのだろう。
自分の未来なんて、もう諦めたはずなのに。
僕は……今の生きかたが嫌なのか?
夢を追いかけたい?
自分の可能性にかけてみたいのか?
……サッカー選手になることはもう難しい。
でも、ほかの夢なら?
鈴木和花は言っていた。「ほかの道がある」と。
……本当にあるのか?
こんな僕でも、叶えられる夢ってあるのか?
興味があること。
僕が今、いちばん興味があることは?
しばらく考えていると、やがてあることに気づいた。
ベッドから起き上がり、家を出て近所のコンビニに走ってハガキを買った。
家に戻った僕は、そのハガキにネタを書きはじめた。
あのラジオ番組に出演している放送作家が、いつか番組内で言っていた。
「放送作家に学歴はいらない」と。
お笑い芸人になりたいとは思わない。
自分が表舞台に立ってなにかをする勇気なんてないし、人前で話すことも苦手だ。
けれど、裏方なら。放送作家なら。
あのラジオ番組に出演している放送作家みたいに、芸人たちの仲間に入りたい。もしもそうなったら、どんなに楽しいだろう──。
自分がこんな職業につけるわけがない。夢なんて追う資格すらないこともわかっている。ただ、疑似体験をしてみたかった。
夢を追いかける鈴木和花がすごく眩しく見えたから。
なにげなくネタを書きはじめてみたら──気づくと、朝になっていた。
それからも、僕は鈴木和花から家の情報も探れなかったし、家にも行けなかった。
僕が異性として見られていないということもあったけど、なぜだか夢を語っていた彼女を見て以来、強い罪悪感を覚えるようになってしまったのだ。
いつの間にか猶予は一週間になった。
これだけ長い間、ひとつも家の情報を聞き出せないのははじめてだった。
バス停の前で待っていると、一台のバスが停まり、赤いリボンをつけた女の子が一人で降りてきた。
「玲央くーん!」
文花ちゃんが声をあげて駆けてくる。
今朝、鈴木和花から「急用で遅れる」と連絡が入ったため、昼まで僕と文花ちゃんだけで、浜松市にある総合大型ゲームセンター「OZ」で遊ぶことになった。
はじめて会った日から今日まで、文花ちゃんはいつもパールのついた特徴的な赤いリボンを頭につけていたため、一度もほかの女の子と間違えることはなかった。
OZに歩いて向かっている最中、文花ちゃんに訊いた。
「そのリボン、なんでいつもつけてるの?」
「お気に入りだから。今年の誕生日にお姉ちゃんに買ってもらったの。去年はオルゴールだった」
「へえ」
「あとねえ、お姉ちゃんのためにもつけてる」
「お姉ちゃんのため?」
「あっ、えっと……お姉ちゃんが喜ぶから!」
文花ちゃんは満面の笑みを見せた。
姉妹は本当に仲が良かった。
いつも手を繫いでいたし、同じ服を着ていることも多かった。飲み物も食べ物もいつも同じメニュー。鈴木和花によると、文花ちゃんはなんでも「お姉ちゃんと一緒がいい!」と真似するのだという。
彼女たち姉妹は声も雰囲気もどこか似ていたけど、性格は文花ちゃんのほうがちょっと大人しく、いつも鈴木和花の後ろをついて行っている印象だった。
僕と文花ちゃんはOZでしばらく遊んだあと、OZの隣にあるガストに入って鈴木和花を待つことにした。
お店に入った文花ちゃんは、店員さんに「あとから鈴木和花という人が来るので席に案内してください」とお願いしていた。
まだ小学生なのに、素の僕より社交的だと思った。
だから、席につくなり提案してみた。
「学校、そろそろ行ってみたら?」
「……行かない」
一転、文花ちゃんは浮かない顔で答えた。
「なんで、学校に行かなくなったの?」
「みんながいじめるから。文花、いじめられてた子をかばっただけなのに」
学校に行かなくなった理由を一度も詳しく聞いたことがなかったけど、そう聞いて腑に落ちた。
文花ちゃんは親しい人とはよく話すし、鈴木和花に似て思ったことははっきりと言うところもある。鈴木和花ほどではないけど白黒をはっきりつけたい性格のようにも見えたから、そんな理由からもいじめられることになったのだろう。
ただ、コミュニケーション能力はあるから僕とは違う。ちょっとしたきっかけがあれば、すぐにもとの生活に戻れるかもしれない。
「ためしに、学校に行ってみんなに話しかけてみたら?」
「そんな勇気ない。また無視されたら嫌だし、学校を休んでたことも恥ずかしい」
ここは僕と似ている。恥ずかしがり屋なんだ。
それなら──。
「演技してみたら?」
「……演技?」
「なんとも思ってないふりをする。気にしてないふりをするんだ。そうすれば、少し恥ずかしくなくなるかも」
「本当に?」
「うん」
堂々としていればいい。小さくなっていたら余計に恥ずかしくなるから。
僕の経験からアドバイスできるのはこれくらいだ。
「ただし、演技の力を借りるのはここいちばんのときだけ。いつもはそのままの文花ちゃんでいてほしい。僕は今のままの君が好きだから」
文花ちゃんは頰を赤らめて目を伏せたあと、また僕を見た。
「……またいじめられたら?」
「そのときは、おれが次の手を考える」
これで解決できるかわからないけど、なにもしないよりはいい。後ろに僕がいると思えば、少しは挑戦する気になってくれるかもと思った。
「ほんとに考えてくれる?」
僕はうなずく。
「それじゃ、ゆびきりして」
「いいよ」
文花ちゃんとゆびきりをした。
そして指を離すと、文花ちゃんが僕の背後に向かって「お姉ちゃん!」と言った。
振り向くと、鈴木和花が、なぜだか驚いた顔で僕たちを見つめていた。
「お姉ちゃん!」ともう一度、文花ちゃんが呼ぶと、
鈴木和花は我に返って、「遅れてごめん」と席についた。
三人で店員さんにドリンクバーを頼むと、文花ちゃんが僕たちのドリンクを取りに行ってくれると言うので、種類も選んでもらうことにした。
文花ちゃんは「えー、迷うなー」と嬉しそうに言いながら取りに行った。
「あのとき、言ってよかった」
鈴木和花が文花ちゃんの背中を見ながら言った。
僕は、「なに?」という表情を向ける。
「君とはじめて会ったとき、『言ったら、なにか変わるかもしれない』って言ってくれたでしょ。本当に変わった。君のおかげで」
僕の胸に罪悪感が広がる。
ああ言ったのは家に窃盗を仕掛けるためだ。
「急用はもうよかったの?」
罪悪感から逃げるために、話を変えた。
「うん。実は、前に言ってた『もう一つの夢』が前進しそうなの。それも君のおかげ」
すごく嬉しそうな声。
「おれの……どういうこと?」
「内緒。まだどうなるかわからないし。いろいろ決まったら報告するね。君の夢はどうなったの?」
僕は言うことにした。
「いろいろ考えて、やっぱりサッカーは諦めた」
「そう……」
眉を下げ、優しい声を出す。
「ただ──新しい夢を見つけたんだ。放送作家になること」
鈴木和花が嬉しそうに顔を輝かせた。
「聞いたことある。詳しくは知らないけど」
「ラジオやテレビの企画を考えたり、台本を書く仕事」
「どうやったらなれるの?」
「いろいろあるみたいだけど、ハガキ職人からなる人もいるみたい」
彼女が首を傾けた。
「あっ、ラジオ番組にネタを投稿する人。おもしろくて何回も読まれたら、スタッフから声をかけられることもあるって」
あのラジオ番組に出演している放送作家がそう言っていた。
「もしかして、もう、そういうことしてるの?」
「まあ。三日前に三十枚、まとめて出した」
「そんなに?」
本当のことだった。
あの夜から書きはじめたハガキは、いつの間にか三十枚になっていた。
「もしかしたら読まれるかも。なんて番組?」
僕はラジオ番組の名前を教えた。
「自分で言うのもなんだけど、結構、自信作なんだ」
桜井玲央らしく前向きに言った。もちろん本当は読まれるなんて思ってないけど。
「若い人でも声をかけてもらえるの?」
「うん、高校生から仕事を手伝いはじめた人もいるみたい」
「そうなったら、もうこうやって会えなくなるね」
鈴木和花が冗談っぽく言う。
「気が早いよ。まだ読まれてもないのに」
「そんなことないよ。君ならどこにでも行ける気がする」
「……なんでそんなこと思うの?」
「なんでも。わたし、そういうのわかるの」
その言葉を聞いた僕は、いたたまれなくなった。
彼女は僕のことを、元気で明るいやつだと思っている。そして、文花ちゃんを助けようとしたヒーローだと。
本当の僕はそんなやつじゃない。暗くて口下手で猫背で、犯罪を手伝っている最低な人間だ。それに、今も鈴木和花を騙している。
「もしかしたら、来週、電話がかかってきたりして」
憂鬱な気持ちを打ち払うため、わざと調子に乗って言った。ハガキには電話番号も書いておいた。どうせ夢を追う疑似体験だから、それくらいしようと思った。
「もしそうなったら、文花、寂しがるだろうね」
彼女も冗談に乗ってくれる。
「どうだろう。意外とけろっとしてるかも」
「そんなことないよ」
二人で笑い合う。
「けど、それで離れることになったら、しかたないね……」
鈴木和花が窓の外を見ながら言った。
……そう。彼女の僕への思いはこの程度のものだ。
文花ちゃんを助けようとしてくれた人としか思われていない。この言葉がなによりの証拠だ。僕のことを好きだったら、ずっと一緒にいたいはず。離れてもしかたないなんて思わないだろう。鈴木和花にとってこの数週間は、いつかは忘れるだろう青春の一ページにすぎない。
彼女には夢がある。僕との出会いは通過点にしかすぎないのだ。
諦めのような気持ちが湧き、笑顔で口を開いた。
「だね。いつかは別れないと。おれたちには将来があるんだから」
僕には将来なんてない。だから、今は仕事のために彼女を騙すんだ。
そう改めて決意すると、鈴木和花がきょとんとした。
「別れる? そういう意味で言ったんじゃないよ。離れても連絡はとれるでしょ?」
「……じゃ、どういう意味?」
「好きだから、しかたないの」
鈴木和花が普通の顔をして言う。
「……好き?」僕は確認する。
「うん」
「誰を?」
「君」
彼女が……僕のことを好き?
心拍数が一気に急上昇していく。
「そうだ。一緒に写メ、撮ってくれない? 文花のヒーローと撮りたいの」
「い、いいよ」
いつもなら断っている。顔写真は犯罪の痕跡になりかねないからだ。焦りのあまり、つい了承してしまった。
鈴木和花が僕の隣に移動し、顔を近づけてくる。
ますます心臓がばくばくする。
わけがわからない。
彼女はケータイで、隣り合う僕たちを自撮りした。
「ありがと」
お礼を言われる。
まだ動悸がおさまらない。
落ち着け──。
『好きだから、しかたない』という言葉の意味はよくわからない。
ただ、彼女が言った『好き』は、異性としてという意味じゃない。友達として好きという意味だ。
そうだ。そうに決まっている。
でも……。
もしも、異性としてという意味だったら?
僕は今、鈴木和花を騙している。
もしも彼女がそのことを知ったら、ひどく傷つけることになる。
……本当にこのままでいいのか?
今までは、女の子を騙すことを途中で止めたことはない。
けれど……。
僕はこの仕事をする必要がある。でも今はそれ以上に、なぜだか彼女を騙したくはない。
そう自覚したとき──自然と口を開いていた。
「あのさ……」
「なに?」
「……い、いや。文花ちゃん、なに持ってくるんだろうね」
自分のしようとしていたことに気づいて、慌てて話を変えた。
帰り道、頭を巡らせていた。
さっき、本当のことを言おうとしてしまった。
「僕は君を騙している」と──。
女の子に罪悪感を覚えたことはあるけど、こんなことは一度もなかった。
……一回、頭を整理しよう。
もしも僕が、鈴木和花を救おうとしたら?
このまま家の情報を次郎くんに伝えなくても、彼女の家が窃盗に遭わない保証はない。
それを止めるには?
……次郎くんのことを警察に言う?
今までの犯罪のことを。これから鈴木和花の家から金品を盗もうとしていることも。
……いや。
僕は次郎くんたちがしてきた犯罪の証拠を持っていない。
これだけ窃盗を繰り返してもまだ捕まっていないんだ。次郎くんはそうとう用心深く家に侵入しているだろうし、犯罪の痕跡も徹底的に排除しているだろう。
それに警察に言ったら、犯罪に加担していた僕と葉子も罰せられるかも。
それなら──警察に電話か手紙で伝えたあと、一人で家を出る?
ダメだ。葉子を家に置いてはいけない。
だったらいっそのこと──葉子を連れて逃げるか?
けれども、中学生の僕たちが、これからどうやって生活するんだ?
考えても考えても、答えが出なかった。
それでもまだ、残り期間は一週間ある。
答えを出すのを保留するのは悪い癖だけど、それまでに決めよう──。