運命の出会い 二回目 夏目達也 二十歳 #7
文字数 1,832文字
「どうした?」
いつもの閉店後の練習中、店のカウンターの中にいた晶に言われた。
もう晶からは金を騙しとれないけど、一度、承諾したことだから練習にはこのまま付き合うことにした。
カウンターに座っていたおれは、「え?」と我にかえる。
「元気がないなって思って」
勘のいい女。普段からポーカーフェイスを心がけているのに。今もそうしてたはずだ。
「なんでもねえよ」
おれはなにごともなかったように答えるが、晶は心配そうな顔で、訊いてくる。
「あ、ごまかした。なんかあったのか?」
東京に来てから、おれはプライベートでも誰とも深い関係を持ってこなかった。
顔がわからない体質を持っている以上、良好な人間関係なんて長く築けないだろうし、長く付き合ったら体質のことがばれる恐れもある。そうはなりたくなかった。
今まで騙してきた女たちも、長くて一ヵ月から二ヵ月程度しか会ってこなかったし、自分のことはほとんど話してこなかった。
晶も同じだ。カクテル作りの腕がもう少し上達したら、ここに来ることも止める。もう騙すつもりはないけど、これ以上、距離も詰めない。これからも自分のことは話さない。そのつもりでいた。
「なんでもねえって」
うるさそうにそう答えると、ふくれっ面をされた。
「なんだよ、わたしだけかよ。友達だと思ってたの」
胸がざわつく。
晶と過ごしてきたこの数週間で、おれも似たような感情を抱いていたから。
はじめは仲のいいふりをしていたのに、やがてそれが噓なのか本当なのかわからなくなっていた。いつもなら、こんなことはないのに。
他人は信じない。弱みを見せない。心を開かない。ずっとそう思ってやってきたのに、晶が普通の女だったと知った今、その信念が揺らいでいた。
もしかしたら、晶となら、わかりあえるかもしれない──。
おれは頭に浮かんだその言葉を追い払う。
「ためしに言ってみろよ。楽になることもあるぞ?」
今まで誰にも相談なんてしたことはない。
……けど、別におれの体質のことを言うわけじゃないんだ。晶と会うのは、どうせあと数週間だ。ずっと付き合うわけじゃない。赤の他人にアドバイスをもらうのと同じだ。
……これくらい話してもいいか。
そう思ったおれは、都合の悪い事実は隠しながら、葉子とのいきさつを話した。
晶はずっと真剣な顔で話を聞いていた。
すべて聞き終わった晶は、「うーん」と後頭部をボリボリとかく。
困ったときによくする癖。なんども見てきた。
晶は軽い声で、意外なことを言った。
「妹に水商売のバイトしてもらえば?」
「……は? なんで?」
おれは不機嫌に返す。
「いや、それ、こっちの台詞だから。本人がやりたがってんだろ?」
「……母親がスナックの客と蒸発したから、水商売にいいイメージないんだよ」
「バーテンだって水商売だろ?」
「男はいいんだよ」
「うわ、男尊女卑かよ」
「そういう意味じゃなくて。心配なんだよ、悪い男に引っかからないかって。おれみたいな苦労をさせたくないし。普通の大学生として生きてほしい」
晶は神妙な顔つきで少し考えたあと、言った。
「それさ、妹に自分を『投影』させてんじゃね?」
「どういうこと?」
「自分が誰かにしてほしかったことを、妹にしてるってこと」
少し考える。
……たしかに、そういうところもあるかもしれない。
でも。
「いけないのか?」
「必ずしもいけないわけじゃないけど、いちばん大切なのは妹の意思を尊重することだろ。よくあるだろ、芸能人になれなかった母親が娘を芸能人にさせようとするの。それで娘が幸せならいいけど、本当は嫌でも、母親が悲しむと思ってなにも言えない子もいるんだ」
「……葉子も同じような気持ちだった?」
「なんとも言えないけど、もしそうだったらお互いに自分の人生を生きていない。そういうの、『共依存』っていうんだよ」
……思い当たる節はある。
こっちに来てからは、いつも葉子のことを考えていた。葉子のためにと思って働いてきた。けれど、その行動が自分をなぐさめるためだったとしたら。
「とにかく妹の好きにさせろよ。んで、お前も自分の人生を生きろ。まだ二十歳だろ? やりたいこととかないのか?」
「……考えたこともない」
晶は後頭部をかいた。
「よし、しばらくここには来んな。ちょっと自分の人生を考えろよ。その間、わたしは一人で練習するから」
いつもの閉店後の練習中、店のカウンターの中にいた晶に言われた。
もう晶からは金を騙しとれないけど、一度、承諾したことだから練習にはこのまま付き合うことにした。
カウンターに座っていたおれは、「え?」と我にかえる。
「元気がないなって思って」
勘のいい女。普段からポーカーフェイスを心がけているのに。今もそうしてたはずだ。
「なんでもねえよ」
おれはなにごともなかったように答えるが、晶は心配そうな顔で、訊いてくる。
「あ、ごまかした。なんかあったのか?」
東京に来てから、おれはプライベートでも誰とも深い関係を持ってこなかった。
顔がわからない体質を持っている以上、良好な人間関係なんて長く築けないだろうし、長く付き合ったら体質のことがばれる恐れもある。そうはなりたくなかった。
今まで騙してきた女たちも、長くて一ヵ月から二ヵ月程度しか会ってこなかったし、自分のことはほとんど話してこなかった。
晶も同じだ。カクテル作りの腕がもう少し上達したら、ここに来ることも止める。もう騙すつもりはないけど、これ以上、距離も詰めない。これからも自分のことは話さない。そのつもりでいた。
「なんでもねえって」
うるさそうにそう答えると、ふくれっ面をされた。
「なんだよ、わたしだけかよ。友達だと思ってたの」
胸がざわつく。
晶と過ごしてきたこの数週間で、おれも似たような感情を抱いていたから。
はじめは仲のいいふりをしていたのに、やがてそれが噓なのか本当なのかわからなくなっていた。いつもなら、こんなことはないのに。
他人は信じない。弱みを見せない。心を開かない。ずっとそう思ってやってきたのに、晶が普通の女だったと知った今、その信念が揺らいでいた。
もしかしたら、晶となら、わかりあえるかもしれない──。
おれは頭に浮かんだその言葉を追い払う。
「ためしに言ってみろよ。楽になることもあるぞ?」
今まで誰にも相談なんてしたことはない。
……けど、別におれの体質のことを言うわけじゃないんだ。晶と会うのは、どうせあと数週間だ。ずっと付き合うわけじゃない。赤の他人にアドバイスをもらうのと同じだ。
……これくらい話してもいいか。
そう思ったおれは、都合の悪い事実は隠しながら、葉子とのいきさつを話した。
晶はずっと真剣な顔で話を聞いていた。
すべて聞き終わった晶は、「うーん」と後頭部をボリボリとかく。
困ったときによくする癖。なんども見てきた。
晶は軽い声で、意外なことを言った。
「妹に水商売のバイトしてもらえば?」
「……は? なんで?」
おれは不機嫌に返す。
「いや、それ、こっちの台詞だから。本人がやりたがってんだろ?」
「……母親がスナックの客と蒸発したから、水商売にいいイメージないんだよ」
「バーテンだって水商売だろ?」
「男はいいんだよ」
「うわ、男尊女卑かよ」
「そういう意味じゃなくて。心配なんだよ、悪い男に引っかからないかって。おれみたいな苦労をさせたくないし。普通の大学生として生きてほしい」
晶は神妙な顔つきで少し考えたあと、言った。
「それさ、妹に自分を『投影』させてんじゃね?」
「どういうこと?」
「自分が誰かにしてほしかったことを、妹にしてるってこと」
少し考える。
……たしかに、そういうところもあるかもしれない。
でも。
「いけないのか?」
「必ずしもいけないわけじゃないけど、いちばん大切なのは妹の意思を尊重することだろ。よくあるだろ、芸能人になれなかった母親が娘を芸能人にさせようとするの。それで娘が幸せならいいけど、本当は嫌でも、母親が悲しむと思ってなにも言えない子もいるんだ」
「……葉子も同じような気持ちだった?」
「なんとも言えないけど、もしそうだったらお互いに自分の人生を生きていない。そういうの、『共依存』っていうんだよ」
……思い当たる節はある。
こっちに来てからは、いつも葉子のことを考えていた。葉子のためにと思って働いてきた。けれど、その行動が自分をなぐさめるためだったとしたら。
「とにかく妹の好きにさせろよ。んで、お前も自分の人生を生きろ。まだ二十歳だろ? やりたいこととかないのか?」
「……考えたこともない」
晶は後頭部をかいた。
「よし、しばらくここには来んな。ちょっと自分の人生を考えろよ。その間、わたしは一人で練習するから」