運命の出会い 一回目 夏目達也 十五歳 #4

文字数 5,418文字

 それから僕たち三人は、週になんどか、浜松市内の観光スポットで遊んだ。
 浜名湖ガーデンパーク、はままつフルーツパーク時之栖、浜松市楽器博物館、浜名湖遊覧船、スズキ歴史館。
 文花ちゃんははじめこそ店員さんなどの知らない人と接するときにはおどおどしていたけど、それも徐々に改善され、目に見えて明るくなっていった。
 一方、鈴木和花と僕の仲は思ったように進展しなかった。
 鈴木和花はこれまでのお嬢様たちとは違っていた。
 彼女の性格を一言で表現すると、「しっかりもの」。
 家が裕福には違いないけど(一度、二人を家の前まで送ったのだが大豪邸に住んでいた)、洋服はすべてファストファッションだったし、流行やブランドにもそれほど興味がなく庶民と同じ金銭感覚。一緒にどこかに行くときは、いつも文花ちゃんの面倒をよく見ていた。
 また、雰囲気はおっとりしているのだが、自分の意見をはっきり言う子だった。
 なんどか会って僕とも慣れた頃、彼女はこんな話をしてきた。

「この前、友達がファーストキスをしたんだけど、キスする直前、男の子から『キスしていい?』って訊かれたらしいの。わたしはそんなの嫌だな。男らしく黙ってしてほしい」

 こんなふうに恋愛に興味がないようには見えなかったけど、僕にはなびかなかった。
 今まで会った女の子たちが喜んだようなことをどんなに言っても、どんな手品をしても反応が薄く、いつまで経っても僕を異性としては見てくれなかった。
 そのため、なかなか家のことも訊けず、家に遊びに行ける雰囲気もつくれなかった。
 それでもなんとか距離を縮めるため、趣味を聞き出した。
 鈴木和花のいちばんの趣味は「ドラマを観ること」。去年、有名な映画祭で主演女優賞を受賞した演技派女優、青山三枝の大ファンだという。
 そしてもう一つの趣味は、「音楽鑑賞」。偶然にも僕と好みが似ていたために、この共通点から仲を深めようとした。お互いの好きな曲をCDに焼いて交換し合ったのだ。さらに、文花ちゃんに関することでメールもしたりしながら、なんとか以前よりは距離を縮められていた。
 いつもとは違って友達のような関係になったけど、このまま仲を深めていけば、やがて家に行ける──。
 そう思っていたのだが、結局なにも進展せず、鈴木和花と出会ってから二週間が経ってしまった。

「ほら、どんどん食えよ」
 次郎くんがトングで焼けた肉を摑み、僕の小皿に載せてくる。
 まだ皿が空いていないのに次々と載せてくるから、小皿から肉が落ちそうだ。
「次郎くん、もうお腹いっぱいだから」
 僕が言う。けど次郎くんはにこにこして、
「男だろー、もっと食えよ。葉子は?」
 気にせず話を進める。
「ダイエット中だからこれだけでいいー」
 葉子がサラダを頰張る。
 いつもの光景。
 その夜、次郎くんと葉子と僕は、近所にある個人経営の焼肉店にいた。
「月に一度は家族で外食する」というのも夏目家のルール。
 次郎くんと外食した翌日、僕はだいたいお腹を壊す。こうやってやたらと食べさせられるからだ。葉子には「女は容姿が大事だから」とそこまですすめないけど、僕にはとにかく食べさせようとする。
 次郎くんとその兄──つまり僕の父も、僕と同じように幼い頃に父親を失くして母親だけに育てられた。兄弟はとても貧しい環境で育ち、いつもお腹いっぱい食べられなかったそうだ。次郎くんにとって、「子供に食べ物をたくさん与えること」はいつでも正義だ。
「達也、家の情報がまだ上がって来ないけど、どんな感じなんだ?」
 次郎くんが肉を焼きながらなにげなく言う。
「あ……うん。なかなか上手くいかなくて……」
「めずらしいな」
 少し驚いた顔。ここ一年くらい、二週間あれば必ず多少の情報は聞き出してきた。
「達也、いつもとちょっと違うのよ」
 葉子が不機嫌そうに言う。
「へえ」と次郎くん。
「いつもよりたくさんメールしてるし、いつもパソコンでCDを焼いているの。プレイリストを交換してるんだって」
「ははっ、そんなのはじめてだな。達也もついに惚れたか」
 次郎くんがまた焼けた肉を僕の小皿に載せる。
「違うよ。彼女が僕になびかないから」
「どーだか」
 葉子が口を尖らせる。
「まあ……前みたいにならねえようにしろよ」
 次郎くんの顔から笑みが消えた。
 一瞬、場の空気が張り詰める。
「そ……そんなわけないじゃん。ねえ、達也」
 葉子が焦ったように明るく言う。
「うん」僕も焦りながら答える。
 次郎くんは、また笑顔になった。
「前にも言ったけど、お前にはそろそろおれの仕事を本格的に手伝ってもらうつもりだ。頼りにしてるぞ」
「……うん」
 父は中学卒業後に真面目に働く道を選んだけど、次郎くんは違う道を選んだ。
 なんでこんな道を選んだのかは知らない。
 窃盗以外の犯罪もしているみたいだけど、普段はなにをしているかもわからない。
 自分も犯罪を直接実行しているのか、指示しているだけなのかも不明。
 僕を引き取ってくれた次郎くんには感謝している。
 だから、次郎くんのやっていることを探ったり、口を出すことは違うと思っている。
 母が蒸発してから、僕はしばらく施設に預けられた。もともと母は深い親戚付き合いをしていなかったし、連絡先のわかった数少ない親戚もみんな僕を引き取ることを嫌がったからだ。親戚たちに顔のわからない体質のことを言うと、みんな気まずそうな顔をした。この体質を持っていたせいかはわからないけど、とにかく僕の引き取り手は現れなかった。
 そんな中、どこからか僕のことを聞きつけた次郎くんが現れた。
 僕が自分の体質のことを次郎くんに話すと、
「家、来るか?」
 そう言って、顔をくしゃっとさせて笑った。
 引き取られた日、次郎くんに言われた。
「人には分相応がある。強く生きろ」
 親もいない。家もない。金もない。特別な才能もない。その上、こんな体質を抱えている。そんな僕は、自分に合った生きかたをしなければいけない。
 そう説明されて、完全に将来に諦めがついた。
 小さい頃、僕はサッカー選手になりたかった。
 自分で言うのもなんだけど、小学校のチームでは上手いほうだった。けど、この体質を抱えてからチームメイトの顔もわからなくなった。もともと口下手でチームメイトたちともそこまで仲良くなかったのに、この体質を抱えてからは味方だと思ってパスしたら敵だった、などというミスもよくしてしまうようになり、結局すぐに辞めてしまった。
 次郎くんの言葉で楽になった。やっぱりそうか、と思ったのだ。どうせ普通には生きられないのだから、分相応に生きようと思った。そして僕は、次郎くんの仕事を手伝うことに決めた。
「よし。そろそろだな」
 網の上の肉がやっと無くなった頃、次郎くんが店員さんに手を挙げて合図をした。
 店内の照明が暗くなる。
 店員さんたちが歌いながらホールケーキを持ってくる。
 ハッピーバースデー・トゥーユー。ハッピーバースデー・トゥーユー。
 ハッピーバースデー・ディア・ヨウコー。ハッピーバースデー・トゥーユー。
 ケーキの上には十四本のろうそく。今日は葉子の誕生日だった。
 葉子がちょっと恥ずかしそうに火を吹き消す。
 店員さんやお客さんたちが一斉に拍手する。
 これも夏目家のルール。「誕生日は必ず家族三人で祝う」。
 次郎くんは毎年、こうして僕たちのバースデーを祝ってくれる。
 葉子もこういうことは嫌がってもおかしくない年頃だけど、ただ嬉しそうだった。
 葉子と次郎くんが、ケーキに載っているチョコレートの取り合いをはじめた。
 二人はよく、こんなくだらないことで喧嘩する。ついこないだも、リビングでテレビのチャンネル争いをしていた。次郎くんには子供のようなところがある。

 その翌日、僕は鈴木和花と文花ちゃんと会った。
 今回行ったのは、ブルーインパルスの戦闘機などが展示されている、航空自衛隊浜松広報館、別名「エアーパーク」。
 文花ちゃんが飛行機を夢中になって見ているとき、鈴木和花に訊いた。
「和花ちゃんには、夢はあるの?」
 もっと仲良くなるために切り出した話だった。僕には夢なんてないし興味もないけど、この話を女の子とすれば盛り上がることが多い。
「うん、二つある」
 二つ?
 また、いつもの女の子と違う答え。今までなんどもこんなことがあった。
「一つ目は?」
「アメリカのアラバマ州で暮らすこと。去年、交換留学で一年間住んだらすごくいいところで。将来は絶対にここに住みたいって思った」
 そういえば、葉子からも聞いていた。
 交換留学は成績優秀でなければ選ばれないはず。かなり頭の良い子なのだろう。
「どうやったら住めるの?」
「英語を話せることが最低条件。だから今は受験勉強を頑張ってる」
 僕はしばらく勉強なんてしてないけど……いったい、どれくらいしているのだろう。
「一日に何時間くらい勉強してる?」
 鈴木和花は「うーん」と首をかたむけてうなった。
 考えるときにする特徴的な癖。これまでになんども見てきた。
「八時間くらいかな……」
「八時間〖縦中横:!?〗」
「奨学金制度を使いたいから」
 僕は眉を寄せ「なにそれ?」という表情をつくった。
「いい成績で入学すれば学費を免除してもらえるの。大学もそれで行くつもり」
 ふと疑問に思った。お嬢様だから、お金には困っていないはずだ。
「なんで、その制度を使いたいの?」
 すると彼女は、めずらしく寂しげな声を出した。
「……親の力に頼りたくないんだ。あんまり仲良くないから」
 だからか。
 今までの女の子は何気ない会話の中から少しは家族の話が自然と出てきたのに、彼女からは一度も出てこなかった。金銭感覚が庶民とズレていなかったのはそのせいだ。
 しかし、これでますます、家に遊びに行く空気を作りにくくなった。
「もう一つの夢は?」
 鈴木和花は頭を傾けて「うーん」と、うなった。
「ちょっと恥ずかしいから言いにくい。こっちのほうが難しいし」
 アメリカ移住よりも恥ずかしくて難しい?
 気になって探ろうとする。
「そっちも、叶えるためになにかしてるの?」
「独学で勉強したり……あ、練習のために通ってるところもある。君と会った日もそこに文花を連れて行こうとしてたのよ」
 ──カラオケだ。
 ……歌手?
 そうだ……歌手が夢とは、さすがにちょっと言いづらいかも。
 それにしても──海外移住と歌手とは。どちらも、そうとう難しいはずだ。けど、彼女は親の力を借りずに努力をしている。
 今までも夢を持っていたお嬢様はいたけど、これほど具体的に叶えようとしている子ははじめてだった。なんで、そんな難しい夢に向かうのだろう。
「どっちも難しそうだね。違う夢にしようとか思わないの?」
「しかたないよ。その二つがいちばん興味あるから」
 ちょっと困ったように言う。
 すごいな。叶えられないかもしれない夢に愚直に向かうなんて。
 生まれたときから裕福だから、こんなに自信のある子に育つのだろうか。
「叶えられる自信は?」
 彼女は、「全然ないよ」と言ったあと、「けど──」と続けた。

「やってみないとわからないから。最初から逃げるのは嫌なの」

 しばらく、彼女に見とれてしまった。
「どうしたの?」
「あ、いや、なんでもない」
 なぜか焦りながら、僕は目をそらした。
 なんだ? 何が起こった?
 今までに感じたことのない気持ちが湧き上がった。
「君には夢はあるの?」
「前はサッカー選手だったけど、怪我しちゃったから……」
「高校に入ったら、またやらないの?」
 明るく言ってくる。恐ろしく前向き。なんでこんなに僕と違うのだろう。
 苛立ちを覚えた。
 嫉妬だ。自分が彼女みたいに生きられていないから、きっと羨ましいんだ。
 だからかもしれない。演じていることも忘れて、つい本音が出てしまった。
「無理だよ。かなりブランクもできたし……」
 彼女には最近辞めたように伝えていたけど、実際にサッカー選手の夢を諦めたのはかなり昔だ。顔のわからない体質になった十二歳からやっていない。
 三年のブランク。今からはじめてももう遅い。こんな体質も抱えている。
 だいたい、中学もずっと休んでいるから、もう高校にも進学できないだろう。
「可能性が一パーセントでもあるなら、挑戦する価値はあるよ」
 彼女が悪びれずに言ってくる。言葉のトーンや表情から、考えを押しつけているわけじゃないとわかった。心から応援してくれているのだ。
 それがわかったから余計に腹が立った。
 あまりにも自分とは違う。僕は彼女と違って、挑戦もしないで逃げた。顔がわからない体質を抱えて、これ以上、傷つくのが嫌だったから。
 僕は反発する。
「叶わなかったら苦しいだけだよ。なにも残らない」
「そんなこと言ったらなにもできないよ。それに、やってみて無理そうだと思ったら、ほかの道がある」
「ほか?」
「うん。興味のあるものは一つだけじゃないでしょ?」
「……」
「なにか、あるはずだよ」
 鈴木和花は優しく微笑んだ。
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