第一話 運命の出会い 一回目 夏目達也 十五歳 #1

文字数 3,819文字

 占い師と別れた僕は、浜松駅の北口に到着した。
 これから僕は、吉川彩乃という女の子と会う。
 歳は十六歳で僕より一つ上。建設会社の社長の娘でお嬢様だった。『だった』というのは、もう違うからだ。
 僕は背負っていたリュックからニット帽を取り出してかぶる。この帽子が変身のトリガーだ。
 目を閉じ、自分とはかけ離れた別人をイメージする。
 ──そいつは、明るく元気な太陽みたいなやつ。
 ──そいつは、明るく元気な太陽みたいなやつ。
 ──そいつは、明るく元気な太陽みたいなやつ。
 目を開いた僕は、暗くて口下手で猫背な本当の自分「夏目達也」から、明るく元気な太陽みたいなやつ、「桜井玲央」になった。
 自然と口角が上がり、背筋もピンと伸びる。僕は走って、駅の構内へと向かった。

 新幹線の改札口付近に着くと、三人の若い女の子を見つけた。
 一人ずつ観察していく。
 ぽっちゃり目の子──違う。彼女は瘦せ型。
 ショートカットの子──違う。彼女の髪型はセミロング。
 カジュアルな服装の子──違う。彼女の服装はもっと清楚だった。
 ……いない?
 と、ショートカットの子が、左手で膝を小さくポンポンと叩きはじめた。
 ──吉川彩乃の癖。
 落ち着かないときは、いつもあの仕草をしていた。
 身長、体型、服装──髪型以外は、吉川彩乃と一致する。
 僕は爽やかな笑顔をつくり、
「彩乃ちゃん!」
 と元気に呼びかけた。
「玲央!」
 当たった。彼女の声だ。
「髪、切ったんだ。一瞬わからなかった」
「心機一転。変かな?」
 僕は首を横に振る。
「すごく似合ってる。おれは絶対、こっちのほうがいいと思う!」
 彼女が頰を赤くしてうつむく。
 桜井玲央になったときの一人称は「僕」ではなく「おれ」だ。
 本当の僕はこんな歯の浮くような台詞は言えないけど、自分を偽っているときは恥ずかしくない。演じている間は、声量も話しかたも表情もこうなる。素の僕は地声が低いけど、声色も高音になる。
「玲央、急に呼び出してごめんね。部活は?」
「明日は試合だから、監督が休めって」
 桜井玲央はサッカー部という設定だ。
 本当の僕は部活をしていないどころか、学校にすらずっと行っていないけど。
「けど驚いた。急に引っ越すなんて……」
 僕が大げさに眉を下げると、吉川彩乃はしゅんとした。
「実はね、お父さんの会社が倒産しちゃって。しばらくおじいちゃんの家に行くことになったの」
「……そうなんだ」
 はじめて聞いたように見せる。
 会社が倒産したことは知っていた。
「でも頑張る。玲央みたいに、いつも笑っていたいから」
 明るい声。
 だけど、どこか無理をしている。やっぱり落ち込んでいるのだ。
 少しでも元気づけようと、僕はあることをはじめた。
「あっ、肩に糸くずがついてる」
 と彼女の肩に右手を伸ばし、糸くずを取る仕草をする。
 右手を戻して手の平を開くと──ミサンガが現れた。
 桜井玲央の特技は手品だ。
「わぁ……」
 感動する彼女にミサンガを差し出す。
 そして──ニカッと歯を見せ、
「あげる!」
 と『いつもの笑顔』を見せた。
 ミサンガを受け取った吉川彩乃が、僕の笑顔をじっと見つめる。
「玲央とはじめて会ったときのこと思い出した。すごく綺麗な顔なのに、そんなに可愛く笑うんだもん。その笑顔を見たら、どんな子でも好きになっちゃうよ」
 この笑顔は、女の子たちからよく褒められる。
「向こうに着いたら連絡するね」
 吉川彩乃は一泊二日の旅行にでも行くように軽くそう言って、改札をくぐっていった。
 彼女の姿が見えなくなったことを確認した僕は、夏目達也に戻った。
 ──今回も、最後までばれずに終わった。
 大きく息を吐く。
 と、強烈な吐き気が襲ってきた。
 急いで構内のトイレに駆け込み、胃の中のものをぜんぶ吐き出した。
 最近は、一つの仕事がすべて終わったあとは、いつもこうなる。
 理由はわかっている。僕はこうして、胃の中のものと一緒に罪悪感も吐き出しているのだ。

 浜松駅の北口を出ると、後ろから声をかけられた。
「夏目達也だな?」
 振り返ると、
「署まで同行してもらおうか」
 男が言ってくる。
 僕は顔以外の特徴を探る。
 太くて低い声、身長は百七十センチほどで、ボサッとしたミディアムヘア、筋肉質のがっしりとした体型、歳は二十代後半から三十代前半。目の前の相手を押しつぶすような威圧感──。
「次郎くん……脅かさないでよ」
 僕の叔父、夏目次郎だ。
 吉川彩乃の家は、先月、窃盗の被害にあった。
 犯人たちは、次郎くんが率いる犯罪グループだ。まだ警察に捕まっていない。
 吉川彩乃は知らないけど、その犯罪には、実は僕も加担していた。
 窃盗被害が原因で彼女の父親の会社は倒産。そのせいで吉川彩乃は浜松から引っ越すことになったのだ。

 胸をなでおろすと、次郎くんはいつものように「ははっ」と顔をくしゃっとさせて笑い、僕の首に腕を回してきた。
「今回は私服警官だ。でも騙されないな、さすがはおれの甥だ!」
 次郎くんはこうやってたまに別人のふりをして僕に話しかける。タチの悪い冗談だ。
「どうしたの?」
「たまたまお前が駅に入って行くのを見かけてな。あの娘とまだ会ってたのか?」
 僕は黙ってしまう。
 夏目家には次郎くんの決めたルールがいくつもある。
 叔父を「叔父さん」ではなく「次郎くん」と呼ぶこと、自分の金は自分で稼ぐこと、窃盗が終わった家の娘とはもう接触しないことも、ルールのひとつだった。
「……ごめん」
「あんまり同情しすぎるな。お前は兄貴に似て優しすぎる。そのうち足をすくわれるぞ」
「うん」
 次郎くんが、僕の頭にすっと手を伸ばす。
 僕は思わずビクッとしてしまう。
「これをかぶるのは、別人を演じているときだけだろ?」
 次郎くんが僕の頭からニット帽を外した。
 僕は苦笑いして、
「と、とるの、忘れてた……」
 次郎くんからニット帽を受け取る。
「さっきの子も、まさかお前がこんなビビリとは思ってないだろうな」
「そうだね」
 次郎くんは微笑んだ。
「次の仕事の件を葉子に伝えておいた。家に帰ったら聞いといてくれ」
 そう言って次郎くんは去った。

 次郎くんたちの窃盗のやりかたは、いつも同じだった。

 ①まずは次郎くんたちが窃盗する家を決める(選ぶのは若い娘がいる家だけ)。
 ②葉子がその家の娘を下調べする。
 ③僕がその娘に近づき、窃盗に役立つ情報を調べる。期間は一ヵ月。
 ④その情報を参考に、次郎くんたちが家に入って窃盗をする。

 僕の仕事は③だけだ。窃盗は大人たちがやる。
 窃盗に役立つ情報とは、「家に誰もいない時間はいつか」「金目のものは家のどこにあるか」「金庫や通帳は家のどこにあるか」「玄関先やポストなどに家の鍵を隠しているか」など。
 こういった情報があれば、窃盗の成功率が格段に上がる。
 この犯罪を思いついたのは、僕だ。
 引き取られたばかりの頃、ある理由があって、僕から次郎くんに提案した。
 普通なら窃盗に役立つ家の情報を調べるのは難しいけれど、裕福な家の女の子に近づいて家のことを聞き出したり、家に招かれるほど親しくなれば──つまり、女の子に恋をさせたらいいと思った。
 自分ではもう確認できないけど、僕は子供の頃から「綺麗な顔だ」と言われてきた。
 知らない女の子からもなんどか告白されたこともあったから、もしかしたらできるかもしれないと思ったのだ。
 少しでも自分を格好良く見せるために髪も伸ばし、今では肩までの長髪になった。
 はじめはこの仕事を上手くできなかった。
 素の僕は暗くて口下手だし、罪悪感もあったため、なかなか女の子と仲良くなれなかったのだ。
 そこで僕は、女の子と会うときだけ「桜井玲央」という、自分とはかけ離れた元気で明るい別人を演じるようになった。
 玲央のモデルは、顔がわからない体質になる前に観た一九九七年のアメリカ映画『タイタニック』の主人公、ジャック・ドーソン。豪華客船タイタニック号で出会った男女のラブストーリー。ジャックはヒロインを元気に明るく励ましてくれる太陽みたいな青年。
 僕は昔から「ハーフっぽい」とよく言われてきたし、女の子にモテそうなキャラクターだから、この人物を選んだ。レオナルド・ディカプリオが演じていたから偽名も「玲央」にした。
 僕は日頃から他人を顔以外の特徴で覚えるため、ジャックの特徴を真似することはそこまで難しくなかった。仕草、歩きかた、行動。声や話しかたも日本語吹き替え版をコピーした。
 ジャックになりきればなりきるほど、僕ではない別人になった気がして女の子と自然に会話できたし罪悪感も払拭できた。
 けれど、罪悪感は完全には消えることはない。
 だからいつも仕事が最後まで終わると吐いてしまうし、女の子との別れ際にはさっきみたいなフォローもしてしまう。そんなことをしても、償えないとわかっているのに。
 このままじゃいけないことはわかっている。
 けど、どうしていいかわからないまま、もう二年もこの仕事をしていた。
 最近、よく思う。
 僕みたいな人間は、どうやって生きて行ったらいいのだろうかと。
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