第九話

文字数 1,604文字

 イヴの日に俺は、ダッフルコートに袖を通した。高校生の時に、母がプレゼントしたもの。
 待ち合わせ場所である、巨大な人形の近くに到着すると、既にKが待っていた。ど派手なコートを着ている。赤を基調としており、非常に挑発的だ。バイトで貯めて買ったと、自慢する。また、眼鏡を掛けていない。大きくて真っ赤なバッグを、両手で持っていた。俺に気付くと、口角を上げて微笑む。
「今日は、思いっ切り楽しもうね」
「そ、そうだね」
 俺はポケットから半分出ていた単語帳を、リュックに入れた。

 まずは一緒に、全国チェーンのファミレスに入った。大変混雑している。入口にある椅子で、十五分も待った。最初から、沈黙が続く。
 席に着くと、KはLサイズの苺パフェを頼んだ。この店のメニューの中では、一番高い。俺はブレンドコーヒー。ドリンクの中でも、一番安いもの。
「私ね、やっと気付いたの。医者になる必要なんて、無いの」
「え?」
「だってね。職業なんて、他に沢山あるわ」
「そうだけど」
「縦世界だし、相当キツイらしいよー。そこで生き抜く必要があるのかなー、って」
「そんなことないよ」
「そうだよー」
 Kは眼で訴えてきた。
「何を言っているんだ。今更になって、弱音を吐かない」
「弱音じゃないよー」
 Kはクスッと笑った。

「それにさ、勝ちたくないの?」
「勝つ? 合格のこと?」
「医者になれば、勝てるのだから」
 Kは、キョトンとした表情になった。
「ユメ君は何に、勝ちたいの?」
「……」
「人生で『勝つ』ために、医者になるの?」
「……」
「この業界は責任重いし、大変よー。稼げるかも、しれないけど」
 高校の卒業式で聞かされた、吉田の台詞と似ている。アイツがC大医学部に、合格した直後だ。総一郎と俺に放った、嫌味な言葉。これは、マウントを取ろうとする行為に違いない。一方的に諭される前に、話題を替える必要がある。

「今までの努力を、考えないの?」
 俺は声を抑え気味にして、諭そうと試みた。
「え?」
「全てが、無駄になるよ」
「そんなことないわ」
「なるよ、なるから。もう一年間を、無駄に費やしたでしょ。俺は二年間」
 Kは背筋を伸ばす。
「頑張ったことは、ためになるわ。長い目で見れば、の話だけど」
 これも俺が、腐るほど聞いたフレーズだ。一番耳にしたのは、小学生の頃だろうか。否定せずにはいられない。
「いやいや、無駄だって」
「いいえ。一生懸命に学んだ知識は、絶対に役立つわ。それにね。学ぶってこと、素敵だと思わない?」
 反吐が出る。
「絶対に思わない」
「え? 思わないの?」
「ああ。これはバトルだから」
「バトル?」
「そう。これからの人生を掛けた、総力戦さ」
 上映時間が迫り、レジに向かう。代金は、別々に支払った。

 第二次大戦末期のヨーロッパを舞台にした、映画だった。前半部分では、冴えない主人公の男が、超美人のヒロインと結婚する。後半部分では、その男が大活躍した。そしてクライマックスでは、息子を守って死ぬ。
 ただ、脇役の俳優が似ていた。途中からの粗筋が、分からなくなっている。
 その後は再び、同じファミレスに入店した。そこでもKは、パフェを注文する。
「良かったねー」
 Kは、相当嬉しそうだった。
「ああ」
「面白くなかったの?」
「めっちゃ、面白かったよ」
「どこらへん?」
「はじめのほう」
「ああ、そうそう。落馬シーンでは、吹き出しそうになったね」
 そのシーンは正直、少しも面白くなかった。逆に醒めた部分。
「違うの?」
 知らない単語が沢山並ぶ長文問題を、読解している気分だ。
「主人公の登場シーンかな」
「ふーん。私が一番感動したのはー。ラストのちょい前ね。子供の傍で、笑って死ぬシーンがマジかっこいい」
 俺はもう、返しを考えられない。しばらく、気まずい沈黙が続く。
「ゴメン。今日はこれくらいで」
「え?」
 Kは目を見開いた。
「明日の予習がしたいから」
「……」
「またね」
 俺は一目散に、逃げ帰った。
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登場人物紹介

河合夢太郎。永遠の受験生。

吉田。夢太郎の高校の同級生。国立大学を現役合格するも、バイトと部活で留年してしまう。

夢太郎の親父。三流私大出身の開業医。学歴にコンプレックスがある。老人が嫌い。

東出先生。夢太郎の高校時代の恩師。英語を担当。現在は退官している。趣味は中国語

総一郎。夢太郎の高校の同級生。医学部を目指して、浪人してしまう。しかし早々と諦め、経済学部に入学。ソープのボーイのアルバイトをしている。

恵三郎さん。不真面目な浪人生。気が弱い。

吹田八郎さん。医学部浪人の男たちを集めて、勉強会を開催している。医学部受験を繰り返している。

駿河さん。アラサー。元看護婦。

駒田孝四郎さん。親孝行な仮面浪人生

鶴井慶子。通称K。チビ。メガネ。私大を目指し、一浪している。基礎的な学力がない。

青木。坊主で背が高い。多浪生。金縁の眼鏡。激情型

湯島。父親が大学教授。学力は無い。

阪田。元ヤンキー。学力はない。お洒落。

飲食チェーン西進屋の社長。長身。仕事へのこだわりが強い。

店長。ヒョロヒョロで禿。優しい。西進屋の社畜。

エリアマネージャー。西進屋の社畜。ラガーマン

佐々木青葉。西進屋の社畜。太っている。笑い方がおかしい。

女講師。西進屋の社畜。気が強く、よくキレて大声で罵る。体は、プヨプヨ。

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