第八話
文字数 1,873文字
腰掛けると同時に、確認される。恵三郎さんに伝えていないか。
いつの間にか、慶子がお喋りになっていた。『素が出る』とは、このことを指すのだろう。一方的に、ドラマの感想を聞かされた。
「私はね、それでー。女医ってー、かっこいいと思ったの」
「へーえ」
「夢太郎さんは? なにがきっかけで……」
「夢太郎でいいよ」
「じゃあ、ユメ君って呼んでいい。私のことはKと呼んでね」
「いいよ」
「私はね、眼科を考えているの。レーシックに興味あるんだー。ユメ君は?」
「……」
店員が注文を取りに来た。銀色のピアスを沢山つけた、金髪の女性。でも意外と、口調が丁寧だった。二人とも、チョコレートパフェを選ぶ。ここの看板メニューらしい。だが、非常に値段が張るものだった。
「ねえ、ユメ君。彼女、いるの?」
「いない」
「ふーん。高校時代は?」
「いない。中学から男子校だったし」
「へえー。じゃあ、ずっと?」
「……」
「作らなかったの?」
「……」
さっきの店員がパフェを持ってきた。非常に量が多い。小さな体なのに、Kはペロッと平らげた。俺はスプーンを持ったまま、頭が真っ白になった。
「ねえ、イヴに予定はある?」
突然、目を覗き込まれた。
「ないけど」
「じゃあ、映画に行かない?」
俺は口からパフェが出そうになった。生まれて初めての、デートの誘い。Kが一気に、巨大化したように錯覚した。
俺は今まで、なにかを勝ち取った実感が無い。中学受験では、親の方が喜んでいた。将棋部では頑張ったが、優勝経験はない。
いつから、追い詰められ続けている状況に陥ったのだろうか? 大学受験の前に部活を引退した時? 中学入学後に、塾に入った時? 中学受験を始めた小四の頃?
その前はピアノを習っていたが、本当に嫌だった。先生が嫌いで、レッスンの日が迫ると、恐怖を覚えた。だから、前日まで猛練習をしている。今から思うと、随分と無意味なものだった。
更にその前はどうだったのだろうか? 分からない。
でも、俺の前に、やっと道が拓けているようだ。二十年間、通れなかった道。これは、センター、二次、そして入学に、続いているに違いない。
あの勉強会には、二人とも足が向かなくなっていた。それより、予備校から少し離れた図書館で、切磋琢磨していた。
よく、Kの質問に答えている。そのお蔭で、あやふやな知識がきちんとした。それに、毎日のように進捗状況を、メールで報告し合っている。お互いに、成績が伸びた。
たまに勉強会に顔を出すと、下ネタが前よりも酷くなっていた。それに、問題のレベルが低い。またKの様子を、恵三郎さんに執拗に尋ねられた。
ある寒い日の朝に、予備校の机に鞄を置き、英語の予習をしていた。突然、後ろから声を掛けられる。恵三郎さんだった。この前のクラス分けで、別の教室になっている筈。
恵三郎さんが、俺の肩を掴んだ。実は今まで、何度もメールで、飲み会へ誘われている。しかし、全て無視していた。
「お前、今回だけは来いよ」
「ちょっと今日は……」
「女か?」
「違います」
「本当かー? じゃあ、何だ?」
「……」
「まあ、いいよ。現役医学部生の体験談が聞けるぞ」
「すいません、欠席させてください」
「お前らの為に、八郎さんが苦労して呼んだから」
気付くと、真顔で直視されていた。
「お金があるなら、この前の負け分を全部払ってください」
「あのね。これは必要経費なの。麻雀なんかとは、次元が違う話だから」
「おかしいと思いますよ」
「何それ? 折角、今まで世話をしてやったのに」
「それとは、別の話だと思います」
「お前、調子に乗るなよ」
「……」
「この、ロリコン野郎!」
「……」
「浪人生のくせに、性欲だけは一人前だな」
「いい加減にしてください」
「おい、小学生みたいな女の穴、気持ちよかったか?」
周りが静かになる。しかし、久しぶりに腹の中から、感情が湧きあがった。
「恵三郎、さっさと負け分を払え! 踏み倒す気か!」
「……」
「それとなー。一緒にいると、駄目になる。これ以上、近寄るな!」
感情を剥き出しにしたことに、俺自身が驚いていた。だが、不思議なことに、気分はすぐに落ち着いた。