エピローグ
文字数 857文字
夢太郎が実家に戻った翌日、父は久しぶりに息子の部屋をノックした。ヴィジュアル系バンドの曲が、鳴り響いている。父は思い出した。息子が、塾をさぼった時のことである。ヒステリックにキレた、妻の金切り声を。
部屋に入ると、暖房がガンガン効いている。父は真顔になった。
「夢太郎、もう止めよう。医者だけが、人生じゃない」
「……」
父は、誠心誠意謝った。
「私のエゴだった。本当に済まない。だから、お前の自由に……」
しかし、全く通用しない。この親子は、地獄のような螺旋に入っていた。それから二十年ほど、夢太郎の魂には朝が来ていない。
この男の現状を語ろう。
父は、クリニックを婿の大九郎に継がせた。夢太郎が医師になる必要性は、既に無い。
母は、老後生活をエンジョイしようと努めた。近頃は、毎日テニスをしている。お陰で、仲間が沢山できた。非常にお喋りな、女になっている。
ただ、息子の話だけは一切しない。代わりに、初孫の話ばかりする。誇張をして、面白おかしく。
吉田たちは、今年の忘年会に夢太郎を招待した。高級感がある、居酒屋に。彼らは、笑顔で励ます。
「ユメは医者しか、無理だぞー。応援するよ。いつまでも、なっ」
「ありがとう。頑張るよ」
夢太郎は、素直に返す。この男は気付いていない。馬鹿にされていること。ネタにされていること。
今日は大晦日だ。寒波が到来し、朝から雪が降っている。この男は今夜も、自室で過去問を解いていた。懸命な形相で。一階のリビングから、紅白歌合戦の曲が流れてくる。どこかで聴いた曲だが、歌手の名前は全然知らない。
紅白の勝敗が決まらないうちに、両親は寝た。夢太郎は、新品のスマートスピーカーを取り出した。親からの、クリスマスプレゼントである。そして、二十年前の邦楽を聴き始めた。家の外では、雪が随分と積もっている。
ついに、除夜の鐘が鳴った。
”今年こそは”
この男の蓄積した『昨日』は、膨大なものになっている。これを受け止められる『明日』は訪れるのだろうか?