第十六話
文字数 4,174文字
「終電を乗り遅れても、大丈夫だね」
ハードになるのを、覚悟した。
しかし、予想とは全然違う。どんなに失敗しても、叱られない。遅刻してもだ。いつも笑顔で優しく、指導してくれる。二人の新卒と俺は、特別扱いだった。いつも、定時で帰っている。
この店舗は、痩せている人が多い。店長は、チビでヒョロヒョロだった。小顔で、鼻も小さい。目は血走っている。口はいつも半開きだ。三十歳らしいが、すっかり禿げている。仕草が幼い部分もあり、アンバランスだ。また、性格は非常に良かった。腰が低く、嫌味な部分が全くない。兎に角、部下に優しかった。ミスしても、決して怒らない。
ただ、指摘する際の目付きが、印象的だった。無機質のようで、感情が全く伝わらない。
店長は命懸けで、働いていた。俺の出勤時や退勤時や休憩時間も、店長は動いている。休憩しているのを、見たことがない。
『西進鬼四則』という社訓がある。朝礼にて、全員が大声で唱えていた。店長は、一番気合が入っている。いつも、トチ狂ったような大声で叫んでいた。
”働くことは生きるということ”
”お客様からの感謝さえあれば、お腹は減らない”
”死んでも仕事を離すな”
”夢を持ち、夢を追いかけ、夢を叶えろ”
一ヶ月経つと、研修が始まった。東京の本社で行う。直前に、店長からアドバイスされていた。非常に激しいらしい。とても疲れるようだ。そして、『使えない』と烙印を押された先輩達も、途中から参加するらしい。
一番最初は、マナー研修だった。言葉遣いや、仕草を磨く。次は発声練習だ。大声で、しりとりをする。聞き取れなければ、即負けだ。罰ゲームとして、走り込みやストレッチをする。他には、報連相などの訓練をした。
夢の予定を立てる、SSTが最後の方にあった。夢に期限を決めて、そこまでの道のりを細かく数値化する。そして、現在の達成度を報告しなければならない。先輩たちは、その後にスピーチ形式で正確な発表するらしい。
俺は最初なので、夢の予定を大まかに立てるだけだった。制限時間は一時間。鉛筆と、メモ用紙と、原稿用紙四枚を渡された。
俺はつい、今までの夢を記述してしまった。
”九十大学に入学する。合格できれば、九割だ。そして、花のキャンパスライフを楽しみたい。留年は二回までだ”
”インターン後は、大学院に入ろう。できれば、東大がいい。これで九割五分”
”博士号を取れれば、九割七分。東大だったら、九割八分”
”そして、女優と結婚……”
プヨプヨとしたメガネの女講師が、回ってきた。俺は慌てて消した。力一杯に消しゴムを使ったので、メモ用紙がクシャクシャになっている。
「いろいろ、悩んでいるのね。決定できないのかしら? 今までしっかり、夢と向き合わなかったからよ」
”新しい夢、新しい夢、『今日』の夢を考えなければならない。昨日までの夢は、既に捨てている。何もない『今日』からの『夢の予定』”
俺は全然、思いつかなかった。
「すいません。もう少し、考えさせてください」
「ゆっくり考えていいからね。発表は、できそうかい?」
振り向くと、エプロン姿の長身のおっさんがいた。お茶を持ってきてくれた。ジーパンにチェックのシャツを着ている。そして、俺の肩に手を置いた。
「いいよ。いいよ。じっくり考えればいい。人生は長い」
俺は『美人と結婚する』というのを『夢』にした。予定はこのようなものだ。
”一年後に彼女を作る。二年後に同棲する。三年後に結婚する”
書きながら、陳腐なものと感じた。
最後は、卒業試験だ。『夢への抱負』を三分間スピーチする。社員達は、夢への意気込みや、達成度などを述べていた。報告というような、生易しいものではない。絶叫をしていた。中には、号泣する女性社員もいる。そして、終了後に女講師から採点される。
やっと順番が最後に周り、小太りの男性社員が夢を語った。
「佐々木青葉です。いまから、私の抱負を述べます」
「声が小さい!」
女講師が叱った。
「申し訳ありません、ん! まずは一年後チーフにぃー! そして、三年後に店長にっ。絶対、絶対になります! その為には……」
殆どの社員が感極まり、赤い顔している。しかし、俺にとっては騒音だった。
終了すると、女講師も大声で告げた。
「八十点! 合格ぅ!」
佐々木は泣いていた。
「命懸けで頑張ります」
女講師は微笑んだ。
「頑張っていることは、伝わりました。予定通りでは、全然ないのね。でも、悲観しないでください。未来は、今日から変えられるの。これだけは、覚えといて」
『未来は、今日から変えられる』とは、何処かで聞いたような台詞である。しかし、印象に残った。
ホッとしていると、指名された。俺が本当のトリになっている。
「河合君、できそうかな?」
俺は大声で叫んだ。喉が痛くなる。ただ、スピーチの時間が一分余った。仕方なく、アドリブをする。
「その為には、まず、ううん。沢山、働きます。お客様から頂いたお金で、月一で風俗に通いっ。世界一の技術を身に付けます。宇宙一美しい……」
大爆笑される。しかし、女講師がキレた。
「アンタ達、何が可笑しいのよ! 笑った奴、誰? 今すぐ、指を詰めなさい!」
ドスの効いた声だった。場は静まり返る。
「本当にしろ、ということではありません。それくらいの覚悟を持ちましょう。恥ずかしいと思う発言は、控えてください」
しかし、まだ佐々木が笑っていた。腹を抱えている。笑っているというより、苦しんでいるようだった。女講師はブチ切れる。
「佐々木ぃー! 今すぐ、ここの窓から飛び降りなさい!」
「すいません」
「私じゃなくて、河合さんに謝りなさい!」
「河合さん、申し訳ありません!」
「下の名前も必要でしょ」
「河合夢太郎様、申し訳ありませんでしたぁー!」
気付くと、女講師の興奮は収まっている。
「佐々木さん、今の若者に言える事ですが、うううん。汗や涙や感謝が足りないのです」
「はい。その通りだと思います」
「何が、その通りなの?」
「……」
「通り一遍な考え。それしか、浮かばないのね?」
「……」
「『合格さえすればいい』と、佐々木さんは考えているわ」
「そんなことありません」
「いや、そうだから。夢、夢への情熱が足りないのよ。河合さんはね、正直なの。夢に向けて一直線に、進めていけるからね」
女講師は時計をチラ見した。そして、俺の目を直視する。
「河合さん。九十九点です。その調子で頑張ってください。ただ、仕事に関するものも考えておいてね」
配属先の店舗に戻ると、新卒の二人は辞めていた。また、売上が激減している。そのせいか、店長は更に疲れて見えた。
定時に退勤すると、驚いた。直ぐ近くに、全国チェーン店がオープンしている。西進屋を取り囲むように、二店舗も。それから四ヶ月間、仕事は暇だった。
ある日偶然、この居酒屋に孝四郎さんが来た。恋人を連れている。最近減りつつある、ガングロだ。俺も驚いたが、孝四郎さんは更に驚いていた。
「ゆゆぅ、夢太郎。おお、お前、何して……」
「西進屋で、働いています」
「じじじ、受験は?」
「……」
孝四郎さんは、俺に近づいた。そして、小声で囁く。
「ここここ、ここは、ヤヤヤ、ヤバいぞ」
「どういうことですか?」
「え、ええーと、ブブ、ブラッ……」
女が馬鹿にした感じで、割って入った。
「ねえ、何処の大学?」
「高卒だよ」
「へー、変わった友達だねー」
女は真っ黒な顔に、汚らしい笑みを浮かべていた。
「……」
翌月に開店前の掃除をしていると、あの長身のおっさんが来た。アルマーニのスーツを着ている。横には、ラガーマンのような体格の男を連れていた。
「店長、呼んでもらっていいかな?」
実は、社長だった。穏やかな笑みを、浮かべている。隣の男は、エリアマネージャーだった。
俺は急いで、厨房へ入った。店長が冷蔵庫の前で、煙草を吸っている。社長が来たことを告げると、吸い殻を自身の靴底へ慌てて入れた。
「うーん。ちょっと臭いなー。なーんの、匂いだろう?」
気付くと既に、社長が後ろにいる。
「おはよう御座います」
店長が震えた大声で、挨拶した。
「おはよう。うん。ちょっと話、しようか? 今ね、マネージャーがトイレをチェックしているからね」
開店前のホールに、全員が揃った。
「現在の状況を報告願います」
店長は売上を報告した。営業赤字だ。社長は再び微笑む。
「それ、だけ?」
「はい」
「それだけじゃねーだろ! 新人二人も、辞めさせやがって!」
マネージャーが奥から、罵声を浴びせた。
「申し訳ありません」
マネージャーは、店長の隣に座った。そして、肩を揺さぶった。
「若者の夢を、台無しにしやがって!」
凄まじい音量だった。店長は土下座した。
「まあ、適性があるからねー」
社長は店長を抱えて、椅子に座らせた。
「ありがとうございます」
気付くと、店長は泣いていた。
社長が目を見開く。
「じゃあ、営業赤字の件を聞こうか?」
マネージャーがイライラした声で、口を挟む。
「来月迄には黒字にしてくれよ。このエリアの足、引っ張ているよ。目標を達成するには……」
「申し訳ありません。無理です。競争が厳しく、当面は厳しいものになります。暫くは……」
社長は優しい口調で、指摘した。
「教えたよね? 『無理』は嘘つきの口癖、だって」
店長は、肩を震わせている。
「はい」
「お前、何で給料もらってんだ! 売れなきゃ、給料カットだぞ!」
マネージャーが再び、耳が張り裂けるような罵声を浴びせた。
「すいません」
「責任、責任はどうするの?」
社長の顔から表情が消えている。
「……」
「まあ、いいや。明日までに対策を練っといて」
「それは……。はい、はい。任せてください」
社長は口角を上げた。
「ところで、君の夢はなんだっけ?」
「エリアマネージャーになることです」
「確か、そうだったね。現在の達成度は?」
「……」
「達成度は? 達成度は? 『君の夢』の達成度は?」
「はい」
「答えてよ。夢の達成度は? それにさ。夢の期限は、いつだっけ? 間に合うの?」
「……」