第十四話
文字数 3,527文字
「元気か?」
後ろから、声を掛けられた。恵三郎がヘラヘラっている。以前より更に、太っていた。匂いも、キツイ。
「はい」
「今度の勉強会は……」
廊下に出ると、吉田に出会った。東大理Ⅲを再び狙うらしい。現在は休学中だ。
結局、週末には勉強会へ出席した。八郎さんは就職したので、もういない。新会長には、恵三郎が就任している。メンツは、殆ど変わっていない。ただ、二人の新浪人生が入会している。
最初に、恵三郎が笑顔でスピーチをした。
「君たちへ伝えたいことがあるんだ。夢は絶対に叶う。これは、よく耳にしたフレーズだろう。ただ、付け加えたいことがある。その過程で、ボロボロになるかもしれない。その覚悟を持って欲しい」
新人の名前は、湯島と阪田という。湯島は、小柄で銀髪だった。父親は大学教授である。しかし、母方の遺伝子を受け継いだのか、学力は無い。
阪田は中肉中背で、茶髪のソフトモヒカンだ。お洒落な流行りの格好をしている。両親とも高校教師だ。コイツも、学力が無い。そして、何処かで聞いたセリフを吐く。
「親から、勉強を強制されましてね。厳し過ぎました」
「……」
「その反動で、グレてしまいまして」
「……」
「悪さをイロイロしましたよー。でも、終わったことなんで……」
などと、笑って話していた。元ヤンキーらしい。にもかかわらず、ビビりだ。この前の入試では、受験会場から逃げたようだ。高校は、推薦で入学している。だから、受験経験がない。
彼らはパソコンを駆使して、資料を作っていた。内容は、非常に低レベルである。ただ、そのやり方を自慢するのだ。虫唾が走ったが、俺は何も言えなかった。
恵三郎は、注意する。
「地道が、一番大事だよ。受かった人は我慢して、必死に書いたんだ。鉛筆とノート。これは必要だから」
ただ、恵三郎は字が汚い。授業中に、よく寝ている。だから、そのノートは誰も解読できない。
湯島は、笑顔で返す。
「使っていると、楽しいっすよ」
恵三郎は冷静を装っていたが、イライラしていた。
「そんなもんに頼るのは、絶対に駄目。君は一度、携帯を使わずに生活しなさい。見えてくるものがある。騙されたと思って、やってみなよ」
休憩時間には、サテライト授業の話題になった。近くにある別の予備校が、実施している。新人たちは、そこにも出席しているらしい。
恵三郎は、再び注意する。
「授業は『生』じゃないと、絶対に駄目。寝てしまうから。あの緊張した空気が必要なんだ。それにね、質問できないじゃないか」
新人二人は、新歓コンパを欠席した。激安居酒屋にて、俺たちは意気込みを語り合った。そして最後は、恵三郎の根性論で締める。
「今年も、命懸けで頑張ろう!」
外に出ると、生暖かい風が吹いた。桜は散っている。帰る途中に、牛丼チェーン店へ入った。奥の方から、何処かで聞いた声がする。あの新人だ。
「何だ、あのオッサン。偉そうな講釈、垂れやがって」
「奴等に何がわかる? 受かるわけねーよ。本当に、ショボい連中」
「2chに、書き込もっと」
帰りの電車で俺は、自問自答した。
”もう、辛い。この蟻地獄から抜け出したい。若い時を台無しにしている。仮に入学しても、三浪の男を仲間に入れるだろうか? 一度でもいいから、美女たちとプールに行きたかった”
ワンピースの女が、俺の隣に座った。香水の匂いがキツイ。
”もうすぐ二十一歳になる。最近は疲れるようになってきた。年のせいなのか?”
女が舌打ちをした。チラ見すると、ブスだった。
”受験をこうして続けているのは、親のせいなのだろうか? 俺は大人だ。既に俺の決断になっている”
女が、老人に席を譲った。昔から何度も耳にしている、台詞を思い出した。
「いい学校行っている人はね、ずっと親に勉強を……」
”もう、強制されていない。ただ、こだわり過ぎている”
老人が、妊婦に席を譲った。
駅から自宅に向かう途中、公園に寄った。そしてベンチに座り、板チョコを食べた。隣では、カップルがイチャイチャしている。
”受験はもう、俺の意思だった。『親に言われたから』ではない。俺が、決定している。楽しいゲームなのだ”
ホームレスの自転車が、こちらに向かってきた。空き缶を、沢山乗せている。そして、俺の前を通り過ぎた。
それを観察していると、ジーパンの上にチョコが落ちた。俺は直ぐに拭いた。このティッシュは、近所のパチンコ屋のものである。
”パチンコは、負けると悔しい。受験もそうだ。でも、再びトライしてしまう。ギャンブル依存症のようなものだ。医学部受験が厄介なのは、回数制限がないところだ。青春や人生を、台無しにするまで続ける。九十大学の医学部に進学すれば、俺の受験は終了するのか? 東大理Ⅲに合格するまで……”
隣のカップルが、帰った。ぽつぽつと雨が降ってきた。朝の天気予報では、降水確率が0%だった筈。
”受験の夢は、終わらない。俺に子供が出来たとしたら、自由にさせるのだろうか? いや、しない。絶対に、受験を勧める。こういうものは、サクッと受かってしまえば……”
親から、電話が掛かってきた。しかし、無視をした。
”それは、夢の続きをしたいだけだ。分身に、頑張って欲しいのだろう”
深夜に帰宅した。俺は吐いた。胃が痛い。次の日は、予備校を休んだ。
「甘えるな!」
親父から、罵声を浴びる。
六月になり、Kの大学の学祭へ行った。東北の私大。梅雨の合間で、雲ひとつ無い日だった。
事前に携帯電話に連絡したが、折り返しの電話は来ていない。キャリアが同じなので、メールを打った。でも、返信は無い。
学内を探し回ると、Kがチヂミを焼いていた。俺の顔を見ると、驚いた顔をする。
「このあと、飲まない?」
「え?」
「何か予定ある?」
「ユメくんは、今は何をしているの?」
「東大理Ⅲに向けて、頑張っているよ」
「アルコールは、禁止だから……」
「じゃあ、今日は……」
「もう、来ないで。連絡しないでいいよ」
「俺は散々、勉強を教えてやったのだぞ!」
「……」
周りの大学生たちが、俺を一斉に見る。
「骨折しなかったら、俺は受かっていた筈だぞ!」
「……」
「お前なんか全然及ばない美女と、デートをしている筈なんだぞ!」
そこにガタイのいい男が来て、帰らされた。
翌日に予備校の休憩室で、恵三郎が優しく慰めてくれた。その後は世間話になる。内容は無い。
「この頃、すぐに時間が過ぎてな」
「はい」
「夏が終わり、いつの間にか秋が終わり、もうすぐ冬が来る」
「はい」
「受験の準備は、早めにね」
「はい」
学ランの男が数人、入ってきた。自販機の前で、ジュージャンをしていた。負けた奴が自販機の中から、大量のポカリを出している。愚痴をこぼしていた。
「また、負けたぁー。おかしいよー」
俺は、呟いた。
「もし、医学部を考えなければ、中学受験を断れば、推薦を狙えば、一回目で負けを認めれば……」
恵三郎は、苦笑いをする。
「また、その話?」
俺は、せせら笑いを浮かべた。
「それを認めれば、俺の『明日』は輝いていましたよね?」
「さあ」
苦笑された。いつの間にか、五月蠅い連中が出ていっている。やっと気付いた。俺たちの青春は、既に過ぎ去っている。
小学生の時に見たトレンディドラマを、俺は思い出した。
「妥協していれば、大学の仲間とこの夏に、ビーチでバーベキューする予定です。一緒に騒ぐ女たちは、美人でスタイル抜群でしょう」
俺は過去を、すり替えてしまっていた。そこから覗く明日からの予定は、常にキラキラと青色に輝いている。
「へぇー」
恵三郎が、肩に手を回した。何かが、コイツの指に付着している。しかし、気にならなかった。
「『昨日』までを変更した未来は、とても快適です。『今日』を耐えなくてもいいから……」
その後、一緒に韓国映画を観た。恵三郎の大好物である。そして、一番前の席に座った。これは、コイツの主義らしい。そして、豪語する。
「授業も、映画も、一番前が特等席」
その映画は、非常にグロい内容だった。エンドロールでは、吐き気がした。隣では恵三郎が、ニヤニヤしている。俺は思い知った。コイツと一緒にいると、本当に駄目になる。
しかし、仕方ない。俺は甘過ぎる。結局、同じ穴のムジナだった。そして『恵三郎と付き合わなかった、今日』を、ひたすら空想した。
「シメは豚骨ラーメンな」
恵三郎は、飛び切りの笑顔で誘う。だが、コイツが豚に見えてしまった。
「すいません。今夜は、勉強したいので」
断ると、舌打ちをされた。