3:冷たい記憶の扉をたたく
文字数 2,997文字
「大丈夫?」
「……うん」
「やっぱり年が近いせいかしら……いつもより深く、入り込んでたカンジだったわね、今回も……」
シラセの言葉に適当に相槌を打つ。
対象が人である場合は特に、性別や年齢が近い分同調しやすい。目線がまるで同じだったから、視るというよりは体感に近かった。
あくまであたしは〝視ること〟しかできないのに。また力に呑み込まれている証拠だ。
「何か、わかった……?」
やさしく、シラセが確認する。あたしはシラセの手を離れて自分の足で立ちシラセと向き合う。報告は、あたしの義務だ。シラセがあたしの支えをしてくれるように。
「場所は昼間に確認した高架下のトンネルで間違いないみたい。犯人は男だと思うけど……暗くて顔までは見えなかった。だけど見上げた目線のかんじから、身長は高い。あたしより15㎝くらい。凶器は包丁よりは大きなカンジだったけど……はっきりとは、見えなかった……右足は、死ぬ前に切られて……」
振り上げられる刃の残像が、脳裏を掠める。
疼く傷口。だけどそこに傷は無い。切られたのはあたしじゃないから当然だ。
「先に殺されたふたりと友人関係であったことも確かみたい。シラセの予測する殺害動機と人物像は間違ってないと思う」
「……そう、あとは裏付けが取れれば少しは捜査範囲も広げられるんだけど……どうしてこう大人っていうのは隠し事が好きなのかしらね」
頬に手を当ておおげさに溜息をつくシラセに少しだけ笑う。シラセも確かに隠し事が好きだ。
「例の女の子は、居た?」
あたしを壁際の椅子に座らせ、白い布を元に戻しながらシラセが訊いた。あたしはそれを見つめながら、頷いた。
「居た。けど……顔は、わからなかった」
「……そう」
「どうでもいい人間の顔なんて、覚えていないものなのね。彼女の記憶のなか、まるでのっぺらぼうみたいにそこに顔はなかった。興味が、ないものなのね。過去に自分がいじめて自殺にまで追いやった相手の顔なんて。……誰ひとり正確に、覚えているひとは居なかった」
◇ ◆ ◇
学校は今しか学べない物事を学びに行く場であるから、出来る限りは参加すること。それがあたしの保護者でもあるシラセとの約束だった。
あたし自身は、学校なんか行かなくてもいいと思ってる。だけどそうもいかない。
あたしが学校を遅刻したり早退したり休む理由の大半は、力を使う関係が多い。
シラセもそれを承知しているから無理してまで行けとは言わないけれど、あたしが学校に行く時間を減らすとシラセは責任を感じる素振りを見せるので、起き上がれる内はなるべく行くようにしていた。
だけど流石に昨日までのダメージは思ったより体に残っていた。上手く対象と自分を切り離せず視たものに感化されてしまい、その影響が大きいほど体への反動も大きい。それらすべて、自分の力不足のせいだと自覚している。だから余計な心配はシラセにかけたくなかった。
遅れて学校に来たものの、教室には向かわず別の校舎を目指す。
授業中の校舎内はしんとしていて静かで、だけどそこら中の教室に生徒たちが押し込められているかと思うとどこか不快にも感じる自分が居た。
制服のポケットから、銀色の鍵を取り出す。合鍵をもらえたことをこんな早々に感謝することになるとは甚だ不本意だけど仕方ない。
冷たい扉の鍵穴に、手に入れたばかりの銀の鍵を差し込みカチリと回して扉を開ける。
昼間なのに窓は本棚に殆ど隠れていて、カーテンのひかれた薄暗い部屋。
当たり前ながら無人であることにほっと胸を撫で下ろす。この部屋の合鍵を持っている人物は少なくとも3人。先客が居ないとも限らないのだ。
そっと足を踏み入れ、扉を閉めて鍵をかけた。
入って右側にある本棚の前に置かれた黒い革張りのソファが目についた。
確か藤島逸可の定位置だ。先日もそこでふんぞり返っていた姿を思い出す。同時に彼に言われた数々の嫌味も。
岸田篤人は昨日、好きに使っていいよと言っていた。この部屋で何かを制限された覚えはない。
ソフォをまじまじと物色する。確かにふんぞり返るにはちょうど良さそうなソファだ。横になるのにもうってつけだった。
荷物を椅子に置き、ソファに体を沈める。途端に埃の匂いに包まれた。だけど嫌いではなかった。
そのままゆっくりと体を横に倒す。視界が九十度傾いて、あたしはそのまま瞼を閉じた。
シラセの言葉を思い出す。ここで言っていた言葉。
『あなたのその力はもっと緻密に制御してもらえると助かるの』
裏を返せばこのままだと困るということ。役立たずだということだ。
シラセにあのふたりの話をした時、イヤな予感はずっとしていた。
最初はあたしの力が他人に知れてしまった報告だけのつもりだった。それはあたしの能力の管理、保護をしているシラセへの義務だからだ。
だけどシラセは、相手にやけに興味をひかれたようだった。知られた経緯、人物像、相手の力。そして果てには会いたいとまで言い出してきた。
わかっている。あたしの力は未熟だ。あたしは未だにこの力に振り回されている。5年前から何も変わらない。制御しきれていないどころか、呑み込まれてしまう。過去の濁流に。
藤島逸可の言ったことは図星だった。だから余計に悔しかった。
シラセは〝まだ〟と言っていたけれど……必要があればあのふたりにも、捜査の協力依頼をするのだろうか。そうしたら……あのふたりの方が、あたしよりも有能だったら。あたしはどうなるのだろう。シラセのただのお荷物でしかなくなる。
ぎゅっと瞑った瞼の向こう。見えないはずの天井が揺れた。
すべての音が遠ざかる中、一瞬のノイズ。霞んだ景色。馴染んだ感覚。
ダメ、入ってこないで。触らないで。
こじあけられる。瞼の裏の視界を、鼓膜を、決して触れることのできない感覚を。
あたしの手を離れたこの力を、もはやあたしはどうすることもできはしない。
無意識に瞼を押し上げると、そこがこの部屋の過去であることがわかった。景色の鮮度からそう遠くはない。おそらくごく最近の。
『それに、変える意志のないヤツには他人が何をやったって、やろうとしたってムダだ』
少し離れた場所で岸田篤人が座ってこっちを見ていた。仕方なさそうな、少し困った笑い。
『運命も、未来も。変えられるのは自分自身だけだ』
その声は藤島逸可のもの。あたしのすぐ脇でソファにふんぞり返りながら言った。すべてを知っているかのような、傲慢な目。
この場所を座標として、時間が動く。遡っていく。
目の前にはやっぱり岸田篤人が居た。同じ景色。だけど同じ時間ではないことを、あたしの
見下ろすその目はあの時と同じ色。
なぜかあたしは、その目を見ていられなかった。
その目が見ているのはあたしじゃない。
『入沢を死なせない、絶対に』
――やめて。あたしに、近づかないで。
触らないで。
はいってこないで。
あたしには、救えない。
過去も今もそしてこれからも。
あたしには誰も、救えない。