2:刑事のおネエさん
文字数 2,211文字
逸可にしてはくだらない答えだと思った。もしここに入沢砂月が居たら先日と同じ言葉を言い放っただろう。
「それに、変える意志のないヤツには他人が何をやったって、やろうとしたってムダだ」
「……」
「運命も、未来も。変えられるのは自分自身だけだ」
そう言った逸可の顔。強い感情を滲ませるそれが何であるかは分からない。きっと逸可にしか。
だけど確かにそれは同感だった。
例えば逸可が視たという未来を回避できたとして。入沢砂月本人にその意志が無い限り、〝入沢砂月が死ぬ〟未来は、きっといくらでもやってくるのだろう。運命とやらが、己の使命を全うする為に何度でも。
「けっきょく、入沢を説得するのが一番てことかな」
「さあな。大人しく説得されるようなヤツには見えなかったけど」
まったくだ。彼女が大人しく逸可の忠告を聞き入れてくれていれば、きっとこんな面倒なことにはならなかっただろう。逸可と友達になることも。
「でも昨日のあのカンジじゃあまともにとりあってくれなさそう」
「あと何より俺は人に触るのも触られるのも嫌いだから、あいつの未来をまた視るのはパス。あいつにまた勝手に過去とか視られても、胸くそわりーし」
そっけなく言い放った逸可に僕は苦笑いを漏らす。
本当に口が悪いな。
そういえば入沢砂月も、見た目から想像していたよりずっとそっけない口調だった。でもあれはあれで警戒心剥き出しの猫みたいでかわいい気がする。猫好きだし。
そんなことを考えていた、その時だった。
「楽しそうなお話ね、アタシも混ぜてもらえるかしら」
扉が開く音と共に聞こえてきたその声は、部屋の中にやけにはっきりと響く声だった。
僕と逸可はとっさのことに思わず息を呑み扉の方に視線を向ける。その先にはふたつの人影。
「でもそういう話は、もう少し周りに気を遣った方がいいんじゃないかしら? あまり
言いながらずかずかと許可なく入ってきたのは、口調とは正反対のスーツを着た男の人。男にしては長めの髪を片側で緩く三つ編みにしていたが、随分粗い。
中性的な整った顔に細い銀のフレームのメガネ。無造作に流れている髪の隙間から覗く赤いピアスは、つい先日もどこかで見た気がした。
それがどこで見たものだったかは、すぐに判明した。
「……入沢……?」
その得体の知れない男の後ろから、入沢砂月が現れたからだ。
入沢砂月は無言で男の後に続き室内に入ると、静かにドアを閉めた。僕らの方は見ようとすらしていない。
「サツキ、彼らで合ってるのかしら?」
僕と逸可から少し距離をとったあたりで、男が後ろを振り返り尋ねる。入沢砂月はほんの少しだけ顔を上げて僕たちを見やり、小さく頷いた。
事態が呑み込めない。この男は、誰だ?
「ああん、そんな警戒しないで、何も取って食おうってわけじゃないんだから。ただサツキにあなた達のことを聞いて、ぜひお話してみたいな、って思って。来ちゃったの」
「うふ」と小首を傾げて笑って見せるその姿がイヤに似合っているのが逆に不気味だった。こちらは生憎笑えない。「ああん」てなんだ「ああん」て。
しかし重要なのはそこじゃない。つまりこの男にも、僕たちの秘密が知れているということだ。入沢砂月の口から。
でもそうすると、男の正体はおのずと絞られてくる。
「篤人」
ふいに逸可が僕を呼んだ。
声の方に視線を向けると、逸可は相変わらずの態度で男の方を見据えている。さっきまでの一瞬の警戒心は、既になりを潜めていた。
それから意味ありげに笑う。
「刑事だよ、そいつ」
……やはり。
ほっとしたような厄介なような、複雑な気持ちでもう一度その男を見やる。
おそらく逸可が視た入沢砂月の未来の登場人物の中に、彼が居たのだろう。
男は興味ありげな顔で僕らを交互に見比べ、それからスーツの内ポケットに左手を差し込んだ。
僕は思わずぎくりとする。
入沢砂月の死の未来、刑事、銃口、赤い花。一瞬だけその映像が視界を掠める。
視たのは逸可だ。僕がそれを視たわけではないのに。
「はじめまして、アタシは
男が胸元から取り出したのは、名刺入れだった。そこから2枚の名刺を取り出し、まずは僕に差し出す。
僕は安堵の息と共にぎこちなく立ち上がってそれを受け取った。
逸可の方を見ると、逸可も同じことを考えていたようでどこかまだ警戒心を滲ませている。つとめて顔には出さないように。
白瀬、唯。名前まで女性的だな。
人生で初めてもらった名刺が刑事のとはいささか複雑だった。
ふと気が付くとその視線が僕を見下ろしていた。目の前に並ぶと随分長身だという印象。そして改めて、綺麗な顔立だった。
「サツキを、救ってくれるんですって?」
男女問わず美人の笑顔には迫力もといすごみがある。まさにそれをこんな近距離で向けられ、僕は返す言葉に詰まった。
一体どこから聞いていたのだろう。
「……個人的な希望ですけど」
当事者を含むこの中で、入沢砂月の命を救おうとしているのは残念ながら僕だけのように思えた。