6:最期のキィ・ワード

文字数 2,682文字



「解除は?!」
「……っ、キーの認証は、できたんですが……っ」
「じゃあどうして止まらないのよ……!」
「今度は、パスワードが……! カードキー用の4ケタの数字のパスワードがないと、解除できません……!」

 その場に居た全員が、パソコンに向けていた視線を川津に向ける。
 川津はその笑みを崩さない。
きっと彼は死んでもパスワードを言わないだろう。

「ボクは嘘は言ってないよ」
「お前……!」

 逸可が怒りで拳を握るのを布越しに感じる。
 カウントダウンが止まない。
 理不尽な世界が終わろうとしている。

「せっかくだから一緒にカウントダウンしようか。もうすぐやっと、全部終わる。ようやくボクはユリに会える……ホラ、あと10秒。9、8――」

 床にあぐらをかき後ろ手で縛られた川津の顔には、子供のような無邪気な笑みが浮かんでいた。
 もしかしたら爆破自体がはったりなのではと、そうとさえ思えた。
 でも違う。そうじゃない。
 川津はもう既に3人もの命を奪っている。殺す意志は明確だ。
 今日ここで、一番殺したかったのは――

「7」

 ゆらりと視界に影が動き、パソコンへと近づく。
 砂月だった。

「さ、つき……?」

 砂月が震える指先で、キーボードの数字を画面に打ち込む。
 皆が固唾を呑んでその様子を見守った。
 川津も口を噤み、怪訝そうに見つめている。
 砂月が4つの数字を打ち込みエンターキーを押したその瞬間、ピーーーーという甲高い機械音が教室にも廊下にも響き、それが止まった時。
 機械のカウントダウンも止まっていた。
 数秒間の静寂と沈黙。
 覚悟していた衝撃は訪れない。

「……うそだ……」

 一番最初に口を開いたのは、川津だった。
 先ほどまでとは打って変わって、その顔から余裕の表情が消えている。
 歪んだ顔には絶望の色。
 事態を呑み込めていない。

「ウソだ! そんなわけない……どうして……!」
「……〝〇月×日。この日、あたしは……あなたの言う通り、生まれ変われたのかもしれない〟」

 砂月が川津の顔を見たまま、ゆっくりと言葉を発した。
 その言い方はまるで棒読みから始まったけれど、川津の顔色がみるみる内に変わっていく。

「〝ユウ、あたしは。あなたが思っているほど、強くない。だけど弱いところも決して、見せられなかった。だからこのメッセージは、あたしが生きている内はきっとあなたには届かない。ちゃんと消せるかも、分からない。それでも良いの。あたしの弱い部分は、あたしが持っていく。だから、ユウ。あたしの強い部分はあなたがずっと持っていて。あなたはあなたの未来を生きて。そうしていつかまた会ったときは……、いつもみたいにまた、聞かせてね〟……」

 一度区切った砂月の言葉の、続きを継いだのは川津だった。
 その目からは大粒の滴が零れて床に落ちた。
 いくつもいくつも零れて消えた。

「大丈夫、ずっと、一緒だ――」

 そして嗚咽を漏らしながら、がくりと頭を垂れる。
 教室内には川津の泣き声だけが響いていた。

 会話の内容も、砂月の意図も僕たちには分からない。
 だけどそれが川津に宛てたメッセージだったということだけは、なんとなく推測がついた。
 おそらく、自殺した岩本ゆりからの。
 届くはずのなかったメッセージを、砂月は届けたのだ。
 それが正解だったのかは分からない。
 砂月自身もきっと、迷いながらもそうして手探りで、知られることのなかった岩本ゆりの心を、過去を手渡したのだろう。

 川津の計画は、失敗に終わったのだ。

「……篤人」

 ふと僕を支えていた逸可に潜めた声をかけられ、少し落ち着いてきた体でなんとか上半身だけ起こす。
 すべてが終わったはずなのに、逸可の声にも纏う空気にも、未だ緊張が滲んでいた。

「ハンカチか何か、ないかお前」
「え……っと、あった、かな……」
「なんでもいい、ポケットの中のもの全部寄越せ」

 言われるがままに制服のポケットを探る。
 ハンカチぐらいは持ち歩いていたはずだ。
 理由は分からなかったけれど、逸可がこんな時に無意味なことを言うとも思えないので大人しく従う。

「あ、あった……」

 僕の言葉の言い終わらない内に、僕の手の上のものをまるごと奪ったかと思うと、逸可は一直線に川津のもとへと駆け出した。
 そのまま川津を押し倒し馬乗りになったかと思ったら、その口に自分の手を押し込んだ。
 呆気にとられる僕たちを置いて、真っ先に動いたのは白瀬さんだった。

「止血の布と、救急車を!」

 鋭く叫んだ白瀬さんの言葉に、事態を把握した周りの警察の内のひとりが手近にあった布を勢いよく裂いて川津に駆け寄る。
 もうひとりが慌てて教室の外に飛び出していった。
 逸可が川津の口に押し込んだのは、自分の手ではなく僕の手から奪ったハンカチだった。
 じわりとそこに、血の赤が滲んで広がっていく。
 ようやくその時、川津が何をしたのかイヤでも理解した。
 逸可がぐっと、追加の布を更に口の奥に押し込む。
 川津は呻きながら、泣きながら逸可を睨みつけていた。

「死なせるかよ……!」

 この事態を予測したのか、それとも視たのか。
 川津雄二の最後の希望を止めたのは逸可だった。
 逸可の言葉を継ぐように、救急隊員が後の処置を引き継いだ。
 川津のものか、それとも歯をたてられたのか。
 逸可の手からは血が垂れて床に跳ねる。
 砂月がその様子をすぐ正面で見つめていた。
 それからかくんと糸が切れた人形のように倒れこんだ砂月を、傍に居た逸可が咄嗟に受け止める。

「……おい、さ、……」

 受け止めた逸可の腕の中。
 砂月が声もなく泣いていた。
 逸可の腕に砂月の指がきつく食い込む。
 その光景が、僕の胸にも爪をたてた。

 今日この場で、失った命はひとつもなかい。
 砂月が救ったんだ。この場に居た全員の命を。
 だけどきっと砂月はそうは思わないだろう。
 砂月の心は、届かなかった。自らの命を懸けてまで救いたかった相手に、最後まで。
 砂月の流した涙の意味を、僕が本当に知ることはかなわないのかもしれない。
 それはとても、寂しいことだと思った。
 僕の意識もそこで限界を迎えた。


 僕がポケットの中に何も残っていないことに気付いたのは、すべてが終わって目を覚ました後だった。
 未来の逸可から今の逸可へと預かった、あの水色の手紙すらも。

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