1:追憶の彼方より①

文字数 4,841文字



◇ ◆ ◇

「――逸可」

 呼ばれる声に視線を向けると、路上に停車していた車の後頭部の窓から見慣れた顔が覗いていた。
 エンジンはかかっておらず、車内の明かりすら最小限におさえて夜に紛れている。
 返事はせずに近寄ると静かにドアが開き、そこに乗り込んだ。
 運転席に居たのはあの白瀬という刑事だった。
 助手席が空席だったことに不信感を覚える。警察というのは大抵ふたり一組で動いているものだと認識している。
 まぁ見たところ警察の車が他にも複数台そこら中に待機しているようだが。
 バックミラー越しに白瀬が小さく声をかける。

「遅かったわね」
「……家で寝てたんだよ。……いいから状況を教えろ」

 未だ疲労感の抜けない体で呼び出されたのだ。しかも呼び出された内容が内容だけに既に頭痛がする。できるなら来たくなかった。
 不機嫌を隠さず言うと白瀬の苦笑いを漏らす気配が重たい車内を僅かに揺らす。
 心なしかこの前のような覇気が無い。流石にそういう状況ではないのだろう。
 細い銀のフレームのメガネを指先で押し上げながら、視線を窓の外に向けて話し出した。

「アナタにはどこから話せばいいのかしら……アタシとサツキは一緒に暮らしてるんだけど、今日はあの子、調子が悪いから学校を休ませて……アタシは朝から捜査中の現場に張り込んでいて、いったんお昼頃サツキの様子を見に戻った時、捜査資料の一部を忘れて出てしまって……アタシが居ない間に、サツキがその証拠品の過去を視てしまったの。あたしの許可なく捜査資料に手を出すなんて、初めて。いろいろ情報を引き出してくれたのは良かったんだけど……」
「長ぇよ要点だけまとめろよ時間も無ぇんだろ」
「砂月はその証拠品から犯人の情報と目的を知った。その最後の目的地がこの場所」

 説明を継いだのは隣りに座って居た篤人だった。俺の到着を待っている間に一通り説明を聞いていたのだろう。
 俺達が白瀬に呼び出されて来たのは、電車で1駅しか離れていない近隣の公立中学校だった。時間は夜の九時を回ろうとしていた。

「砂月はそれを知って、僕たちと白瀬さんにメールだけ残した。それで少しでも被害を食い止めようとして……先走った行動に出てしまった。そして……」
「見事犯人に捕まったってか」

 入沢が俺と篤人にメールを寄越したのは夕方の四時頃。俺は家に帰って寝ていたのでそれに気付かなかった。
 その後の篤人からの電話も完全にスルーし、俺が事の次第を知ったのは七時を過ぎた頃だった。
 どうしても来て欲しいという白瀬の電話に呼び出されたのだ。

「学校占拠って中二のガキかっつーの」
「子供よ。相手はアンタ達とひとつしか年の変わらない少年」
「……身柄ようやく割れたのか」
「ええ、サツキのお陰でね。犯人の名前は川津雄二(かわづゆうじ)。自殺した女子中学生、岩本ゆりの幼なじみで、恋人。でも恋人だったことは周囲の人たちも殆ど知らなかったみたい。川津は十年も前に海外に引っ越していて、岩本ゆりとはほとんどインターネット越しのやりとりでしか繋がってなかったから」
「それなら少しは形跡が残ってたはずだろ。ネットワークの履歴だって調べられる」
「……川津の方が、一枚上手だったの。川津はアメリカで機械工学や情報技術を学んでいて情報操作に長けていた。川津が日本に戻ってきたのはほんの数週間前。その間にすべての準備を整えていた」
「少なくとも岩本ゆりの自殺の時もっと入念に情報捜査をしてたら関係者の中にその名前もあったはずだ。お前らの怠慢が今回の事件の被害を広げたんだ」

 車内の空気が熱を帯びていく。吐き出す息が気持ち悪い。
 白瀬の表情は、見えない。
 薄暗い窓の向こうに浮かび上がる、暗い校舎。そればかりが意識を奪う。

「……認めざるをえないわね。当時親族からあった被害届や学校側の実態調査を退けたのも事実よ。だけど今それを言っても何の解決にもならないわ。いじめ首謀者の3人と……そして今夜で川津の復讐は完遂する……ここは岩本ゆりの通っていた中学で、自殺現場でもある」

 その視線の先は、俺と同じ場所。夜に浮かぶ学校の校舎がある。
 俺たちが通う高校の校舎よりは少しだけ小さく見える箱庭だ。
 でも実際はそれほど大きな差はないのだろう。

「中には犯人とサツキ以外に人質が数人居るわ。当時のクラス担任、副担任、生活指導教諭、教頭…川津は当時の関係者すべてに復讐するつもりよ。勿論アタシ達警察も含めて」

 事態は最悪の一途を辿っている。
 入沢は俺たちが想像するよりずっと、突っ走るタイプのバカだったのだ。
 人質の数を自ら増やすなんて、呆れてものも言えない。

「本来創立記念日で休みだったこの学校に、川津はそれら関係者を何らかの手段で呼び出し、現状は拘束状態にされていると推測されるわ。川津の計画の最後は文字通りすべてを壊して復讐すること。日付が変わった深夜0時、岩本ゆりの命日に学校を爆破させるつもりらしいわ」

 ――なんて、くだらない。知能が高くても発想が中二以下じゃねぇか。

「で、なんで俺たちまで呼んだんだよ。こんな危ない現場に俺たちみたいな一介の高校生を」

 入沢から俺と篤人へ届いたメールは、あくまで報告だ。助けや協力を求める言葉はひとつも無かった。
 俺と篤人をここに呼び出したのは、白瀬だ。

「ここから先はどう考えても俺たちが踏み込む領域じゃないだろ。俺たちまで殺す気かよ」
「サツキがアナタ達に、心をゆるしたから」

 運転席で白瀬は、振り返らずにはっきりと答えた。その返答に俺は眉根を寄せる。

「アナタ達の助けが必要なの」


◇ ◆ ◇


 〇月×日 00:00
 ――…Congratulation!
 なんて言ったらユリは起こるかな。
 ユリはまだそこまでカンタンに、気持ちを切り替えられないかもしれない。
 だけどきっと今日は、おめでたい日なんだよ! 
 キミは今日、新しいキミに生まれ変わったんだ。ユリの可能性も未来も、全部これからだ。
 なかなか日本に戻れないけれど、ボクはいつもキミの味方だ。必ずキミに希望を届ける。
 カリフォルニアの風が、キミの背中を押してくれるよう
 大丈夫、ずっと一緒だ――

 そこに映っていたのは、自分よりも幾分か幼い少年だった。
 少しだけ古い、自撮りの映像の彼の顔は、少しの哀しさとそれでも希望に満ちていた。
 揺るぎない信念と未来。
 その先に岩本ゆりが居た。

 物的証拠品としてひとつのipodがシラセの手に届いたのはつい昨日だった。
 3人目の殺害現場に落ちていたそれは当初被害者の物と思われていたが、所持品判別の際に家族にそれが否定された。
 念のため友人知人に裏付けをした結果、それは犯人の落としていったものである可能性が高まった。
 だけどここまで見事に証拠を残さず犯行に及んできた緻密な計画犯だ。わざと現場に残していった可能性もあったけれど、ipodは古いもので既に壊れていて、中身の確認はできなかった。
 シラセは3人目の犯行に、犯人の焦りを感じていたという。ここにきて犯人のボロが出たのだという可能性も十分に考えられた。
 あたしの出番だと思った。
 これで犯人の身元や所在が分かるかもしれない。
 シラセからのメールで、自分が戻るまで安易に視るなと止められたが無視した。初めてシラセの許可を得ず、シラセの監視外でこの力を使った。
 時間の猶予は無い。なぜなら岩本ゆりの命日は明日なのだ。犯人が最後に何かを成し遂げようとするなら、今まさに動いているはず。
 更なる犠牲者が出るかもしれない。シラセの勘の通り、もっとひどいことが起こるかもしれない。犯人はもう、3人も殺しているのだ。
 彼を突き動かすものは復讐の完遂だ。
 その心を思わずにはいられなかった。
 情報を得るなら一刻を争う。
 だからあたしは初めてシラセに逆らって、ひとりでipodの過去を視ることにしたのだ。

 情報は多い方が良い。
 できる限り正確に、視れる限りの過去に遡りたい。
 だけどそこで終わってまた意識を飛ばしては、今までと何も変わらない。
 それこそ無能もいいところだ。
 情報を伝えること。それがあたしの役割だ。
 大丈夫。練習した。
 アドバイスをもらう前と今とでは、違うはず。できるはずだ。
 意を決してあたしは、目を瞑った。
 胸の内でカウントを刻んで。

 ――ipodの本当の持ち主は、岩本ゆりだった。
 そこには彼女の好きな音楽の他に、たくさんの動画が入っている。
 それは岩本ゆりに宛てた恋人からのビデオレターのようなもので、彼女の誕生日やクリスマスやふたりの思い出の日を、サプライズのようにしたためられたものだった。
 彼女と恋人は幼少の頃からの付合いらしい。一番古い映像にはまだ小学生ぐらいのあどけない少年の姿がそこにあった。
 彼はその頃に海外に移り住んだらしく、それ以降も岩本ゆりとの関係をインターネットを通じて継続させてきた。
 メールだけでなくライブチャットを通じふたりは遠く離れていながらも幼なじみの関係を深め、そしてその先にまで進展させた。
 パソコンに送られてきたその動画をipodに入れ、彼女はそれを持ち歩いていた。
 そこに映る大切な幼なじみであり恋人の顔と声に何度も励まされながら、最後の最後まで。

 岩本ゆりが最期に見た映像は、画面下の日付から今から約2年ほど前の映像だった。
 希望に溢れる恋人の笑顔をみながら岩本ゆりが最期に何を思ったのかは、そこに残っていない。だけど少なくとも同じような希望を抱けなかったことだけは確かだった。
 そして岩本ゆりのipodは、持ち主を変えた。
 岩本ゆりの親族の手を経て、岩本ゆりの恋人――川津雄二の手に渡ったのだ。
 その頃ipodは自身の機能を果たしていなかった。だけど川津は肌身離さずそれを持ち歩いていたお陰で周囲の情報も視ることができた。
 ipodの傍に置かれたPCに映し出される内容。
 岩本ゆりの通っていた中学の情報、セキュリティ、見取り図……当時の新聞記事、教員名簿、爆弾の設計図、設定される日時――
 それは途切れ途切れではあったけれど川津雄二の画策する計画を象るものだった。

◇ ◆ ◇

 月明かりで目を覚ますなんて初めての経験だった。
 それくらいに月の明るい夜だった。
 痛むのは胸か頭か。
 ただ後悔だけが胸を占めていた。

「――やぁ、起きた?」

 すぐ傍からやけに明るい声が聞こえる。
 あたしは自分の状況が呑み込めず、ぼうっとする頭であたりを見渡す。
 パソコンの人工的な明かりとキーボードを打つ音。そこに先ほどの声の主が居た。

「やっぱりキミ、警察の差し金だったんだね。計画が少し狂いそうだ。参ったなぁ」

 ちっとも参ってないような声音で彼は言う。
 キーボードを打つ手を止め体ごとこちらに振り返るその姿は、初対面に違いないけれど見覚えのあるものだった。

「あ、んたが……川津、雄二……?」
「そうだよ、よく辿り着いたね。ユリのパソコンやネットワーク上の痕跡は消しておいたし、おばさん達も快く口止めされてくれたのに」

 そこに居たのは、ipodで視た川津の最後の映像より少しだけ成長した少年だった。
 岩本ゆりはipodに2年前のあの映像以降の映像を入れてなかったので、この顔は初めてになる。
 岸田篤人や藤島逸可と同じくらいの年ごろに見えるけれど、実際そうなのだ。
 あたしとほとんど年の変わらない、ただの高校生。
 3人も殺した殺人犯には見えなかった。

「予定外だけどしょうがない。キミに恨みはないけど、ここで一緒に死んでもらおう」

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