2:繋いで、手
文字数 1,783文字
「それにもっと言えば単純な可能性として、もし彼女を救い彼女と生きる未来があったなら……過去のお前の選択肢も変わるだろう。例えばお前が彼女と一緒に別の高校に進学していたとしたら、俺たちがあの学園で出会うことはない」
逸可の説明になるほどと納得する。相変わらず逸可の推測は鋭くて、感心せずにはいられない。2年前の僕の第一志望は別の高校だったのだ。
僕が僕の望みを叶えたら――僕たちの出会いが、無かったことになる。だけど、どうしてそれを僕だけに問うのだろう。
僕たちの出逢いは、僕だけのものではないはずだ。
「ふたりは……それで、いいの」
「お前のことだ。お前が決めればいい」
――嘘だ。
違うでしょう?
思わず拳に力がはいる。
どうしてそんな、一方的なんだ。
「少しでも情報の精度を上げる為に時間も合わせる。前と同じように俺がお前の手を掴むから、お前もしっかり跳べよ」
逸可の言葉を合図とするように、砂月が右手でそっとホームの壁に触れた。
おそらく細かい時間や場所は過去の記事か何かで調べてあったんだろう。
もう僕の方など見ていない。
僕らの脇を喧噪が行き交い、すれ違う人たちが一瞬だけ怪訝そうな視線を向けすぐに逸らして去っていく。
他人に無関心なありふれた雑踏。だけどここだけまるで別の空間のようだった。
逸可がメガネをはずし、胸ポケットに押し込む。
アナウンスが電車の到着を告げていた。黄色い線の内側に僕らは居る。
だけどこの線は一体どっちのだろう。
遠くで警笛。警告の音。脳裏に火花がまるで散る。
砂月が小さく言葉を漏らした。おそらく隣りに居た逸可に。
どうして、僕の方は見ないの。そこはまるでふたりの世界だ。
「記憶も、なくなってしまうのよね」
「そうだろうな。全部無かったことになる……それだけだ」
ふたりの視界にまるで僕は映っていないようにも思えた。
僕の居ないたった数時間で、ふたりの間に何か見えない繋がりを感じて胸が拗れる。
だけどそれはおそらく、僕の為の。ふたりが支払った代償のようにも思えた。
僕は無言でただ見守った。その光景が、残像のように胸を
このホームに、この場所に。かつて僕と佳音は一緒に居た。
飽きることなく同じ時間を過ごして、誰にも何にも侵せないと、そんなバカなことを本気で思っていた、14歳の僕。
僕らの世界なんてどこにもなかった。
どうして僕はちゃんと、佳音の言葉を、聞いてあげられなかったんだろう。
どうして、最後まで――
「6秒後……あたし達は赤の他人になってるのかしら」
「かもな。篤人が居て俺たちの関係もあったようなものだ。篤人がいなかったら一生関わることはないだろうよ」
不思議だけれど砂月の胸の内の、小さなカウントダウンが聞こえた気がした。
決意と覚悟を刻む音。
僕が佳音から引き継いで、そして砂月にも伝えたその小さな儀式は。
いったい誰の、誰の為のものだったんだろう。
その、6秒間は。
「せいせいするだろ」
「……そうね」
「……っと、かわいくねー女」
「でも」
視界の端でそっとふたりが手をとりあった。指先からゆっくりと、境界が夕日に解ける。
その光景に胸がざわついた。
これから起こることへの不安か、それとも。
失うことへの恐怖か。
僕がこれから失うのは、過去と未来、どっちだろう。
「やっぱり、寂しい。だからこの胸の痛みだけは、残しておいてと願うことにする」
伏せられた長い睫が影を帯びる。夕日色に染まる儚げな輪郭。
もしもこの光景が僕の見る砂月の最後の瞬間だとしたら……
なんだかちょっと、できすぎてるなと思った。
ゆっくりと瞼を押し上げた砂月が、まっすぐ僕を見つめる。
その瞳が大きく揺れて、そこに映る僕の姿も揺れて。
僕が何か言おうとするより先に、砂月が笑ったから。
今まで見たこともないような顔で、笑うから。
僕には何も言えなくなってしまった。
「ありがとう、篤人」
一度だけ伏せた砂月の瞼の隙間から、揺れる僕が零れ落ちたのとほぼ同時に、逸可の手が僕の手を掴んだ。ぐん、と強く引っ張られる感覚。
そして僕は無意識に、カウントダウンをしていた。