3:未来より

文字数 3,274文字



「……っ、篤人……!」

 すぐ傍で僕の腕を掴んでいた逸可も膝を折る。
 その姿を横目に見るも、自分の呼吸だけで手いっぱいだった。

「げほ、くそ、反動のがでけぇじゃねぇかよ……!」
「逸可、も……?」

 よく見ると逸可の方も呼吸が荒い。いつもの余裕ぶった表情も歪んでいた。

 時空を跳んだ僕自身だけじゃなく、跳ばした逸可の方にまで影響が出るのか。
 それは確かに想定外だ。
 互いがソファを背もたれに地面に座り込む。
 仰いだ蛍光灯の明かりが眩しくてハンカチをポケットから取り出し目元を隠すと少しだけ気持ちが楽になった。
 頭がくらくらして目を開けていられない。
 瞼の裏の残像が、心臓に痛い。
 沈黙を互いの呼吸が埋める。

「……で……?」

 いくらか落ち着いた声音で逸可が先に口を開いた。

「……行けたよ、未来……でも1週間後じゃなくて、もっと先の未来だった」
「……ちっ、マジかよ……つーか本当に跳べたのかよ……証拠は?」

 言われて無意識にポケットに手をやり、布越しにその存在を確かめた。
 証拠は確かにここにある。だけどこれは今はまだ渡せない。未来の逸可にそう頼まれたのだから。
 きっと大事なものなのだ。〝未来〟の逸可にとっても、〝今〟の逸可にとっても。
 だけど逸可は鋭いし賢い。どうやって誤魔化そうか。

「それが、想定外の未来だったし、状況についていくのが必至でそんな余裕も時間もなくて……あ、でもそうだ、逸可の予想通りだったよ。僕が跳んだ先の時間に居られるのは、6秒間だけみたい」
「マジか……じゃあそのせいで俺にまで負荷がかかってんのかもな、その6秒分の。最初の時は想定外での一瞬だったし……それも影響して座標がずれたのか?」
「そういう意味では成功したことになるのかな、今回の実験は……まるまる6秒間、確かに僕は未来に居たんだから」

 意外と上手く気を逸らせたらしい。
 ほっと胸を撫で下ろしたその時だった。
 制服のポケットでバイブ振動がしている。
 携帯電話にメールか着信が入ったらしい。

「ちょっと待って」

 もしかしたら砂月かもしれない。一応メールを入れておいたのだ、いろいろと心配だったし。
 逸可は返事の代わりに立ち上がって、いつものようにどかりとソファに身を沈めた。

「はーーにしても俺にまで負荷があるのは想定外だなマジで。慣らせばそれなりに減らせるのか精度は上がるのかもしれねぇけど、現状だと俺の制御まで外されるってのも気に喰わねぇし。これじゃああいつの力でなんて試せねぇな」

 それは僕も同感だった。
 逸可でさえ上手く時間を捕えることができなかったのだ。砂月だともっと難しいだろう。
 それに身体への負荷を考えると、そう使えるものではないことが容易に想像できる。
 あくまで予測の域を出ないけれど、現在の時間軸から遠いほど負荷は大きい気がした。

 携帯に届いたメールは砂月からだった。

「砂月、やっぱり今日は学校休むって」
「あっそ、どーでもいーけど。俺も午後サボるわここで」

 素直じゃないな。本当は心配してたくせに。
 横目で見ながら苦笑いを漏らす。

「それから……砂月、僕たちが今日試すこと予測してたみたいだよ」
「あ?」
「タイムリープ実験。結果がわかったら教えてって」
「……まぁ、あいつが言い出したことだしな。どーすんだよ教えんのか?」
「そうだね隠す理由もないし……」
「あの刑事はいかにも利用する気満々ってカンジだけどな」
「白瀬さんかぁ……」

 逸可が不機嫌そうに吐き出す。
 確かに彼はうさんくさい。逸可の懸念も分かる。
 昨日砂月の口から聞いて知ったことだけれど、彼はもとから僕の力の方に興味を持っていたのだという。
 利用価値の検討中なのだろうか。しかしそれを僕に言わず砂月に言うあたりそこはかとない腹黒さを感じるのは僕だけだろうか。

「じゃあそこだけ白瀬さんには伏せてもらおうかな」
「どうだかな。言いなりってカンジだっただろ、あいつ。どう見ても主従関係まともじゃない」
「まぁ砂月がそれでも時を越えたいって言うなら……僕は力を貸すけど」

 要点をまとめてメールを返信し、漸く僕もひと段落する。

 とりあえず確かめたかったひとつのナゾは解けた。
 今度目を向けるべきは、砂月が関わっている事件だ。
 これを解決しないと手紙も逸可に渡せないし、砂月の死の可能性だってまだ否定しきれない。

 携帯を閉じポケットにしまう。
 なんにせよ今日は僕も逸可も何にもする気になれないしできなそうだ。
 それぐらいに身体が感じる疲弊感はひどかった。
 砂月の気持ちが今ならわかる。
 大きすぎる力を使う代償のように思えた。

「僕も、サボろうかなぁ」
「ソファーは譲らねぇぞ」

 そこは元は僕の場所だったんだけど。言ってもムダなので言わないけど。

「砂月、大丈夫かな」
「とりあえずはあの刑事もついてんだし、大丈夫だろ。そもそも俺らみたいな高校生が殺人事件の現場に表立って出てくことなんてそうそうねぇよ。先走った行動とるようなバカじゃなければな」
「今までの砂月を、僕は知らないけど…なんだかやけに必死というか……切羽詰まったものを感じるというか……毎回あんな思いを入れてるのかな」
「あいつ自身、シンクロしやすい体質なのかもな。自意識が薄いヤツとか弱いヤツとか……乗っ取られやすいんだ。自分に自信がないやつなんかは特に」
「……どういうこと?」
「いじめで自殺した女子中学生が絡んでるっつってたろ。似たような境遇の存在に同情ないし同調はつきものだ。事件自体をどこか、自分の事の一部のように感じてるんじゃねぇか?」
「砂月も、いじめられてたってこと?」

 逸可の顔は見えない。だけど無言の空気の向こうで呆れた笑いをしていることが、乾いた空気を伝って感じられた。

「俺が幸運だったのは、割とはやくに自分の価値と立ち位置を自覚して、それを守る環境を確立できたことだ。それまでは俺もあいつもたいして変わらなかった。他人と違う人間は、悪意を向けられるようにできてる」

 遠回しに言われた気がした。
 僕と逸可では、違うって。そして砂月とも。
 対局だと思っていた逸可と砂月の方が、本当はずっと近い場所に居るのかもしれない。

「今回の事件はほぼ復讐劇で間違いない。だけど多分あいつにとって大事なのは、自殺した女子中学生を想う人間が確かに居るっていうことだ。これだけの殺人を犯す存在が。俺だったら別に捕まえようとは思わないね。罪は罪だが罰も罰だ。いじめなんてくだらないことする人間なんて死んで当然だと思ってる」

 変わらないはずのその声音に、少しだけ逸可の感情が混じっているのを感じた。
 きっと僕には解らない、だけどきっと砂月には解るのであろう、その感情が。

「じゃあ、砂月が救いたいのは……」
「たぶん、犯人だろうな」

 昨日、この部屋で。砂月に力になりたいと…砂月が救いたいものを僕も救いたいと言ったその気持ちに嘘はなかった。
 だけどなんて軽い言葉だったんだろうと思う。
 砂月はどんな気持ちでそれを、受け止めてくれたんだろう。

「……別にお前を責めてるわけじゃねぇぞ?」

 無言になった僕に、逸可が顔を向けた。その顔に少し救われる。
 解らないと諦めるのは簡単だ。だけど自分の言葉に責任を持たなければいけない。

「逸可ってツンデレ?」
「お前のそーゆーとこマジでウザい」

 ウザいなんて言われたの初めてだ。
 気が付いたら自然と笑えていた。

「やっぱり授業行こうっと」
「げぇ、流石学年主席サマはマジメだな」
「それぐらいしかないからね、僕の取り柄」

 立ち上がり視線を向けた先で逸可は呆れたように笑っていた。


 それから再び僕にメールが届いたのは、放課後を過ぎてから。
 そのメールで事態が一変することになる。

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