時よ流るる
文字数 3,202文字
2日間の休みを経て既に週の半分が終わった学校へ行くと、教室の砂月の席には本人の姿がなかった。砂月も逸可もこの2日間欠席したと聞いている。
今日来るのかは聞いていなかったけれど、砂月は今日も学校を休む気なのだろうか。逸可はたぶん今日も来ない気がした。
逸可の物事の判断基準はいつだって自分だ。来る気がなかったら来ない。
一応朝メールしてみたけど返事が返ってこないあたり、まだ寝ている気がする。なんとなくだけど。
力を使うことへの反動はある程度覚悟していたけれど、やはり個人差があるみたいで、僕たち3人の中ではおそらく砂月が一番負荷が大きかったのだろうと逸可に聞いた。
自分の能力を制御しきれていない中、付け焼刃の制御特訓にそのまま実践。なかなかの
砂月はあの後意識を失ってしまい、白瀬さんに迎えに来てもらった。
白瀬さんは何も言わず、何も訊かず、あのにこやかな笑みを浮かべて砂月をお姫様抱っこで抱きかかえて、連れて帰った。
今回の反動の結果は、想定していたより軽いほうだと逸可は言う。
過去の
あくまで逸可の推測でしかないけれど、過去を〝変える〟ということは、僕たちが僕たち自身を以て支払うべき代償があるだろうと。
〝運命〟というのはそんなに易くないと、そう逸可は考えている。
僕は過去に戻ってからの出来事を、すべてはふたりには話していない。
ただ、何もできなかったと。それだけをふたりに伝えた。
ふたりが僕の答えをどう受け止めたのかは、分からない。
砂月には授業が始まる前にあまり返ってこないメールを打っておくことにした。砂月は月曜日も授業をサボっているので、もう3日間も連続で学校を休んでいることになる。今日来なかったら4日、今週はほとんど授業を受けていない。大丈夫だろうかいろいろと。
そんな僕のお節介な心配を置いて、1限目の授業が始まった。
先生の話をきちんと聞いているふりをして、ぼんやりと窓の外の空を見上げてみる。学校も教室も至極平和でかたち通りの日常で、先週までの出来事がまるで嘘のようだ。つい先日まで自分には未来がなかったかもしれない、なんて。
僕らの世界は何も変わっていない。
だけどそれは、目に見えない部分に過ぎないのかもしれない。
だから僕らはいつだって、大事なことを見落としてしまう。
誰かが零したそれには気付くのに、自分では気づけないのは。
他人の手に渡って初めて、それが大事だったと気付くからだ。
そうしてそれがもう二度と、自分の手には戻ってこないと思い知る。
それを知る為の、6秒間だった。
午前中最後の授業が始まる前に砂月から返信がきて、学校には来ていることを知った。教室には顔を出さず、史学準備室に居るらしい。僕はなんとなく、逸可も一緒だと思った。
少しだけふたりにあの部屋の合鍵を渡したことを後悔する。すっかり都合の良いサボり場所と化してしまった。いつの間にか逸可の私物も持ち込まれていたし。
本調子ではないことをイイワケに、保健室に行くと嘘をついて僕も4時限目の授業をサボり史学準備室に向かった。
ドアを開ける瞬間、中からぼそぼそと話し声が聞こえてくる。会話の内容までは聞き取れない。だけど中に居るのが逸可と砂月であることは間違いなかった。
少しだけ躊躇し、扉を開ける。突然開けられたらマズいようなコトをしていたらどうしようと思ったけれど、そんなのは僕のくだらない妄想だった。
「篤人」
「なんだよお前までサボりかよ。学年主席」
ドアの所に立つ僕に、ふたりが視線を向ける。ふたりともテーブルを挟んだ椅子に腰かけていた。向かい合うその間に見慣れぬものがあり僕は目を丸くする。
「……金魚?」
テーブルの中央には青みがかった金魚鉢があり、その中には金魚が2匹泳いでいた。金魚鉢に金魚という風流な組み合わせを実際に目の前で見たのは初めてだ。夏にはまだ少しはやい気がする。
改めて間近で観察すると、黒い金魚と、赤と橙色の混じった色の金魚で、尾ひれが萎れた朝顔のよう揺らいでいた。水中を花が漂うにゆらゆら踊っている。
「シラセから、お礼とお詫びにって。預かってきたの」
「白瀬さん?」
お礼とお詫びが金魚。なぜに。
やっぱりあの人は、いまいち分からない。
「あたし、飲み物買ってくる」
突然砂月が立ち上がり、テーブルの上にあったカバンを引き寄せる。なんだかそのタイミングに違和感を覚えた。そっけないというか、わざとらしいというか。
まさか本当に、邪魔をしたのだろうか。
ちらりと横目で見る逸可はいつものポーカーフェイスだ。だけどふとその目が砂月に向く。
「砂月、俺コーヒーブラック」
「あんたの分まで買ってくるとは言ってない」
「ついでだろ」
「……」
僅かな沈黙後、砂月が溜息を吐いた。それからお財布を片手に部屋を出て行く。僕は黙ってその後ろ姿を見送った。
ドアが閉まるのを確認してから、さっきまで砂月が座っていた椅子に腰を下ろす。逸可と向かい合うように。
金魚鉢の向こうで逸可が僕をまっすぐ見ていた。今度はそこに僅かばかりの不機嫌さが滲んでいた。
「えーと……ジャマ、したとか…?」
「はぁ?」
「いやごめんなんでもない」
機嫌が悪いとほんとガラが悪くなるな。逸可は。
なんとなくこの部屋で逸可がソファー以外の場所に居るのが珍しいような気がした。
「お前とふたりにしてもらったんだよ」
「え、ああ……そうなんだ」
突然言われてびっくりする。砂月はどうやら気を利かせてくれたらしい。もしくは僕が来たらそれとなく席を外す段取りでもしていたんだろう。それを隠しきれていないあたりが砂月らしい。
だけど逸可とふたりで話せることは、僕にとっても都合が良かった。渡さなければいけないものがあったから。
「……お前さ。これから訊くことに正直に答えろよ」
「……うん」
その空気でなんとなく、質問の内容は予測できた。
多分一番訊かれたくなかったことを、逸可は訊こうとしている。流石にこの空気ははぐらかせない。
いずれ訊かれるだろうとは思っていた。なんとなくそんな予感はしていたんだ。
「今回は結局、お前がどういう選択をして誰を救ったのか、お前の口からはっきりとは聞かなかったし、聞く気もない。現状がある程度の答えだと思ってる。俺も、あいつも。だけどもし、お前の彼女の本当の死因を知ったとして……もしそれが、自殺だったら。お前も、死のうとしてただろ。自ら」
「……うん」
吐き出す息に乗せ、小さく答える。
やっぱり逸可は僕の未来も視ていたんだろうか、階段から落ちたあの時。
それとも相変わらずの勘の良さなのか、鋭さか。このタイミングで言われるあたり、おそらく後者だろう。
そっと閉じた瞼の裏。ここまで来てふたりに誤魔化す気はなかった。
砂月も、気付いていたのだろうか。席を外してくれたのはやっぱり砂月の気遣いだったんだ。砂月には、聞かれたくなかったし見せたくない。こんな弱い部分。くだらない男の意地だけど。
砂月の力を知ったとき、僕は心の底から嬉しかったんだ。
佳音の死の真相が分かるかもしれない。決して叶わないと思っていた僕の望み。
ようやく、死んでも良い理由が見つかる。
僕自身が誰よりも、佳音の死を自殺だと思って疑っていなかった。その確証がないだけで、認められなかっただけで……認めたら僕も、ようやく楽になれる。
その為にふたりに近づいた。
さいしょから僕は、死ぬ為にふたりを利用したんだ。