2:追憶の彼方より②

文字数 4,037文字



 彼の指す〝一緒に〟が、彼自身では無いことが容易に見てとれた。
 あたしは今教室の中央に居て、椅子に縛り付けられている。

 川津はそのすぐ傍の机と椅子に腰かけていた。
 その他の机も椅子もすべて乱暴に壁際に寄せられていて、教室内には異様な空気が満ちていた。
 ぽっかりと空いた中央のスペースに川津は居る。まるで何かの儀式みたいだ。
 そして漸く気付く、自分の後ろに人が居ることを。
 自分と同じように、椅子に縛り上げられていることを。
 違うのは彼らが猿轡をされ一言もしゃべれない状態ということだけだった。あたしの口にそれをしないのは、情報を引き出す為だったのろう。
 意識のある人と無い人が居る。4、5人ぐらいだろうか。暗闇に紛れて正確には分からない。皆あたしよりは確実に影が大きく、大人であることは想定できた。

「本当は0時を待ちたかったけれど、ユリも少しせっかちだったし、きっと許してくれる」

 パソコンの画面の中にはいくつものウインドウが連なっていて、何等かの命令を忙しなく遂行している。
 ウインドウには校内の様子が監視カメラと暗視カメラの映像が映し出されていた。
 一番手前のウインドウには学校外の映像が映し出されており、そこには夜の闇の中複数台の車が停まっている。その中には見覚えのある車もあった。
 そしてパソコンのすぐ脇、ケーブルで繋がれた先にあるもの――映し視た過去の中で川津の手によって組み上げられたものが、そこに完成していた。

 時限爆弾だった。

「……こんなこと、して……何になるの……!」

 吐き出す声が震えていた。
 目の前に居るのは既に3人もの人を殺してきた殺人犯だ。
 自分の目的の為に何の躊躇もなく、復讐という大義名分を掲げて今も尚笑っている。
 そして更に多くの人の命を奪おうとしている。
 だけどこうして目の前にして真っ先に浮かんだのは怒りや憎しみや嫌悪よりも、同情だった。

「キミには理解できないだろうね」
「岩本ゆりがこんなこと望んでいるとでも思ってるの……?!」

 精一杯の勇気で吐き出す。
 川津はその目をあたしに向ける。
 ひどく冷たい目。
 彼の心はここには無い。
 その口元は笑っていた。

「ユリが望む望まないは関係ない。ボクが望んでいるのだから」

 パソコンの心許ない明かりに彼の横顔が照らし出される。
 次の瞬間には彼の口元から笑みは消えていた。

「ユリはね、生まれつき右足に障害を抱えていた。それでもそんなの気にせずみんなと混じって走り回っていたし、ユリは笑ってそれを受け入れていた。決して周りの子供たちに追い付けなくても、それでも笑顔で駆け回るユリを、ボクは好きになった。だからボクは親の海外赴任が決まった時、カリフォルニアで彼女の右足を自ら作り、贈ることを目標に必死に勉強してきた。日本に残る選択肢もあったけど、あちらの方が遥かに技術が進んでいる。ボクは希望を捨てたことは一度もなかった。彼女の傍を離れる時、約束したんだ。きっと彼女に希望を届けると。だけど2年前……右足の壊死の進行に、切断を余儀なくされた。ユリはその時まだ十三才だった。だけどユリもボクも未来を信じていたから……仮初の義足でユリは学校に変わらず通い続けた。陸上部にも欠かさず顔を出した。だけどユリを待っていたのはくだらない劣悪な環境だった。自分達と違う存在のつまはじき、幼稚な迫害、無能な大人たち。ボクはすべてを許さないと決めた。彼女を世界から弾きだした少女達も、責務を果たさない大人達も、こんなくだらない箱庭も、そしてボクも――……!」

 そこまで吐き出した川津は、ふと我に返りまた笑う。
 そこに2年前のあの希望に満ちていた彼の面影は、微塵もなかった。
 何か言葉を思うけれど、何も出てこない。
 彼の気持ちがあたしには、わかってしまうから。
 それから川津は1枚のカードをパソコンに差し込みキーボードを叩く。
 そしてそのカードを、ポケットから取り出したライターで燃やし始めた。
 プラスチックのカードが端からじりじりと焼け焦げ歪み、その身が縮んでいく。
 殆ど原型を留めなくなったそれを傍にあった缶のゴミ箱にライターと共に放った。
 ガランと鳴る不協和音が教室中にこだました。

「起動まで少し時間が要る。校内のトラップで少しは時間も稼げるだろう。警察が校内に侵入してきたのを見計らって爆弾を起動させる」

 彼はすべてを終わらせる気だった。
 岩本ゆりを救うことのできなかったすべての存在を、ここで。

◇ ◆ ◇

「サツキの視た情報の中にこの学校のセキュリティに関する情報もあったの。警備会社に確認したところ、この学校のセキュリティは既に川津雄二によって乗っ取られている。セキュリティだけじゃなく、学校のすべてのシステムが彼の手の内にある。たぶんこちらの状況も既に川津には知れているわ。川津たちが居るのは3階。3‐4の教室。現状学校中の明かりは消えているけれど、岩本ゆりがそのクラスだったからまず間違いないでしょう。アタシ達の最優先事項は爆破の阻止、人質の安全確認、そして川津の身柄確保。そこで予測されるのは、川津による妨害行為よ。彼はここまで周到に準備を重ねている。セキュリティのトラップで爆破阻止の足止めをすることが予測できる。そこで、藤島くん。キミにお願いしたいの」

 静かな車内に響くその声音は、あくまで淡々と事務的なものだった。
 イヤな予感が確信に変わる。
 俺をこの場に呼んだ最大の理由。
 だいたいが予測はついていた。

「トラップにかからない最短ルートを……キミに視てもらいたいの」
「そんなことだろーと思ったぜ」

 わざとらしく大げさに、溜息を吐き出す。
 あまりにも想像通り過ぎて苛立ちで声が震えた。
 白瀬は気にする様子もなく続けた。

「トラップには二重の意味があるわ。ひとつは爆破までの時間稼ぎ、そしてもうひとつは校内に突入したアタシ達警察を外に逃がさず校内に閉じ込め、確実に爆破範囲内に留めること。川津はアタシ達警察も決して許す気はない。当時親族の訴えをないがしろにした事実がある限り。もうアタシ達は、キミ達の力に頼るしかないのよ」
「だから無能だって言われんだよ……! 俺たちの命を勝手に巻き込むんじゃねぇよ!」
「わかっているわ、でも。アタシもみすみすサツキを見殺しにするわけにはいかない」

 少しは殊勝になったかと思えば、やはりコイツのコレは演出だ。
 切羽詰まった状況は事実だろうが、確実に俺たちの力を利用する為の。
 でなければ今ここであいつの名前を出すはずがない。

「逸可……」

 隣りの篤人がまんまと乗せられて俺の横顔をじっと見つめる。
 心底イヤだ。なんで俺が命をかけて他人の命を救わないといけないんだ。救える保証も無いのに。
 だけどここに来てしまった時点で、未来は決まっていた。視なくても。
 それを選んだのは、俺だ。

「――……くそ……!」

 もとはあいつのせいだ。
 ひとりで勝手に突っ走って、捕まりやがって。
 だから言ったんだ。お前は俺みたいになるなって。
 深く長く息を吸い、吐く。
 白瀬が俺の能力をどの程度の過信でみているのかは分からないが、白瀬の要求は自分にとって初めての試みだった。

 未来を視る対象がデカ過ぎる上に複雑。学校全体の未来を追うには神経も要る。
 それに加えトラップを避けるということは、〝トラップにかかった未来〟を視てそれを回避しながら進むといういとだ。そしてそれを、繰り返す。
 当たりならそのまま進む。外れなら回避しトラップの無い未来を探す。
 俺が未来を視ることで、未来はその瞬間に書き換わるのだ。
 そんなことが……できるのか俺に。
 しかし迷っている時間も無い。
 俺が迷っている間に死が確実に迫っている。
 本当に、ふざけてる。馬鹿げてる。

 もう一度吐いた溜息と共にメガネを外し制服の胸ポケットに突っ込んだ。
 死ぬ覚悟ならもうわりと前からできてるんだ俺は。
 だけどここで、あいつの所為で死ぬわけにはいかない。
 やるなら生きて帰る。
 生きる未来を選ぶ。
 それだけだ。

「行くぞ、どうせバレてんならコソコソ行く必要もねぇし、あっちには計画性と自信がある分仕掛けるならはやい方が良い」
「……逸可」

 隣りの篤人が声をかける。
 その顔に何を考えているのかは予測がついた。
 多分俺が来るまでの間ずっと、未来への切り口を探していたはずだ。
 誰ひとり死なせずに、救う方法を。その可能性を。
 こいつも馬鹿だから分かる。
 入沢と同じくらいの、お人よしだ。

「言いたいことは分かるが今の状態じゃムリだ。ちゃんとお前を送れる自信も無ぇし、何よりそれは俺がもたない。視るだけなら俺の制御下だし許容範囲だ。それにお前ひとりが犯人の所に辿り着いたとしたって間に合うかもわかんねーし、6秒で犯人止められる確証がない限りムダだ」

 きっぱり言った俺に、篤人がその顔を歪める。

「……やっぱり逸可が一番、冷静だ……」

 力なく笑った篤人は、そっと瞳を伏せた。
 しかし瞬後、その目にはっきりと自分が映る。

「僕も行く」
「ざけんな邪魔だ」
「僕も行く」
「足手まといだっつってんだよここで待ってろ」
「僕は今日、ここで誰も死なない自信がある。なぜなら砂月がそう願っているし、未来には逸可が居たし僕も死ぬ気はない。だから僕も行く。もしかしたら僕にも手助けできることがあるかもしれない。砂月や逸可が求めた時にそこに居ないのは、嫌だ」
「今の状態じゃお前に過去も未来も変えられねぇし、6秒間じゃ何もできねぇよ!」

「できる。今なら言えるよ。僕の6秒間は、過去も未来も変えられる力だ」

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