第21話 狂信者
文字数 2,081文字
拙作「背徳者」はネロを女性と設定したところからスタートしました。
けれどネロに関して調べていくと、そんな邪道をせずともとても面白い題材(失礼)です。
たしかに道は誤ったかもしれないけれど、どうしても悪人には思えない。傲慢なところと気の弱そうなところとが垣間見えて、とても人間くさい人物だなぁと思っています。
お話の展開上、変更したりぶった切ったりしたエピソードもありました。
ブリタニクス毒殺がネロの犯行だった場合、「どうせいつもの発作だろう」と冷たく言い放つシーンだとかも、ちょっと怖いけどきっとかっこいいと思うのです。
盆に乗せられたオクタヴィアの首を前に、嘔吐し蹲るネロは一体なにを考えたのか。
ピソ陰謀事件のとき、「私が関与していれば失敗などしなかった」と言い放ったペトロニウス。
最後の逃亡のとき、「死まではつきあいきれません」と置き手紙を残して逃げたスポルス。
ネロの死後、オクタヴィアの侍女であったアクテは彼の死を丁重に弔ったという逸話。
拙作ではアグリッピナ暗殺のとき、オトが手を下して事故として処理をしましたが、実際はもっと血腥かったりします。
沈む船から逃れ、アグリッピナは岸まで泳ぎ着きました。(すごい体力……)
そこで彼女は、ネロに使者を送ります。事故にあったけれど母は無事ですよ、心配しないでくださいね、と。
もちろんネロが自分を狙ったのだと知ったうえで、しらばっくれたのです。まぁネロは怖かったでしょうねぇ。
ネロは、その使者を温かく出迎えるふりをして、ぽとりと短剣を落として声を上げます。
「この者は私の命を狙った、母の言いつけに違いない! 皇帝暗殺とは……我が子を殺そうとするとは、なんということか!」
陰謀犯として兵士を送り、殺しました。
ちなみに腹を差して「ここを刺しなさい、ここからネロが生まれたのだから」というアグリッピナの呪詛は、史料に残っています。
「背徳者」ではオクタヴィアにキリストを信仰してもらいましたが、実際、ネロとキリスト教徒は切っても切れません。
ある史料によれば、イエスが処刑されたときのユダヤ総督、ピラトゥスをネロは罪人として裁いています。
「ある意味、ネロがイエスの仇を討ったとも言える」
こんな文言があったのです。
それを見た瞬間、ぴゅきーん! と閃きましたよね。
ネロがキリスト教徒だったって話はどうだろう?
そう、私の悪癖がまた働き始めたのです。
数百ページに渡る伝記の中の一文――どころか、実は注釈に書かれているほんの一文で、長編のストーリーを組み立ててしまおうと画策しました。
いやお前「背徳者」で懲りたんじゃなかったのかと、我ながらちみっと呆れもしましたが、まぁ思いついちゃったものは仕方がない。
でもですね、それを書けば「背徳者」で切り捨てざるを得なかった部分も描けるのです。
有名な悪魔の数字、666。ヘブライ語では文字そのものが数字を表しているそうです。「皇帝ネロ」をヘブライ語基準で数字になおしたとき、666になる。だからヨハネの黙示録における666の獣はネロである、という説があります。
黙示録が書物になったのは、ずっと後の時代です。ネロが知っていたはずがありません。
けれど、聖書は言い伝えをまとめたもの。ネロの時代にも「噂」くらいにはなっていたのではないか。
「背徳者」では登場していないけれど、ネロの叔母、ドミティア・レピダ。彼女は幼少のネロをとても愛し、慈しんで育てていた。その彼女がキリスト教徒だったら?
影響されないまでも、教えが頭の片隅にあってもおかしくはありません。
パウロを十字刑にかけたのも、彼をイエスと同じ救済者と見ていたからではないか。
大火のあと、キリスト教徒たちを虐殺したのにもネロなりの信仰心が働いたのかもしれない。
グノーシス主義をベースにして、間違った解釈をしてしまったのだとすれば「滅び」に向かうべく動いてしまったのではないか。
神が啓示した「666の獣」たる自分こそが、世界を救う英雄になる。
実際の教義から離れ、歪んだ信仰を妄信していたからこその狂気――狂信。
愚かではあっても崇高なる精神の「ルキウス」ではできなかったことも、聡明でありながらも自分に甘く弱い人間らしいネロならやってしまうかもしれない。
そんなコンセプトで、実はすでに長編を書き上げています。
タイトルは「狂信者」。
いやそのまんまやないかい、本気でセンスないな自分――我ながらネーミングセンスのなさが恨めしい。
でもこの「狂信者」ですが、「背徳者」よりも高い評価を頂きました。ありがたや。
とはいえ、「背徳者」の初稿を書いてすぐの頃(おそろしいことに20年くらい前)に書き上げた作品です。私が視点固定信者になる前で、いわゆる神の視点で書いていたせいでまぁ、視点がころころ変わる。
今だったらこんな書き方しないなぁという感じの作品なので、そのままWEBで上げることができません。
いずれ機会がありましたら、アップするかも。そのときがきましたら、おつきあい頂ければ幸いです。
けれどネロに関して調べていくと、そんな邪道をせずともとても面白い題材(失礼)です。
たしかに道は誤ったかもしれないけれど、どうしても悪人には思えない。傲慢なところと気の弱そうなところとが垣間見えて、とても人間くさい人物だなぁと思っています。
お話の展開上、変更したりぶった切ったりしたエピソードもありました。
ブリタニクス毒殺がネロの犯行だった場合、「どうせいつもの発作だろう」と冷たく言い放つシーンだとかも、ちょっと怖いけどきっとかっこいいと思うのです。
盆に乗せられたオクタヴィアの首を前に、嘔吐し蹲るネロは一体なにを考えたのか。
ピソ陰謀事件のとき、「私が関与していれば失敗などしなかった」と言い放ったペトロニウス。
最後の逃亡のとき、「死まではつきあいきれません」と置き手紙を残して逃げたスポルス。
ネロの死後、オクタヴィアの侍女であったアクテは彼の死を丁重に弔ったという逸話。
拙作ではアグリッピナ暗殺のとき、オトが手を下して事故として処理をしましたが、実際はもっと血腥かったりします。
沈む船から逃れ、アグリッピナは岸まで泳ぎ着きました。(すごい体力……)
そこで彼女は、ネロに使者を送ります。事故にあったけれど母は無事ですよ、心配しないでくださいね、と。
もちろんネロが自分を狙ったのだと知ったうえで、しらばっくれたのです。まぁネロは怖かったでしょうねぇ。
ネロは、その使者を温かく出迎えるふりをして、ぽとりと短剣を落として声を上げます。
「この者は私の命を狙った、母の言いつけに違いない! 皇帝暗殺とは……我が子を殺そうとするとは、なんということか!」
陰謀犯として兵士を送り、殺しました。
ちなみに腹を差して「ここを刺しなさい、ここからネロが生まれたのだから」というアグリッピナの呪詛は、史料に残っています。
「背徳者」ではオクタヴィアにキリストを信仰してもらいましたが、実際、ネロとキリスト教徒は切っても切れません。
ある史料によれば、イエスが処刑されたときのユダヤ総督、ピラトゥスをネロは罪人として裁いています。
「ある意味、ネロがイエスの仇を討ったとも言える」
こんな文言があったのです。
それを見た瞬間、ぴゅきーん! と閃きましたよね。
ネロがキリスト教徒だったって話はどうだろう?
そう、私の悪癖がまた働き始めたのです。
数百ページに渡る伝記の中の一文――どころか、実は注釈に書かれているほんの一文で、長編のストーリーを組み立ててしまおうと画策しました。
いやお前「背徳者」で懲りたんじゃなかったのかと、我ながらちみっと呆れもしましたが、まぁ思いついちゃったものは仕方がない。
でもですね、それを書けば「背徳者」で切り捨てざるを得なかった部分も描けるのです。
有名な悪魔の数字、666。ヘブライ語では文字そのものが数字を表しているそうです。「皇帝ネロ」をヘブライ語基準で数字になおしたとき、666になる。だからヨハネの黙示録における666の獣はネロである、という説があります。
黙示録が書物になったのは、ずっと後の時代です。ネロが知っていたはずがありません。
けれど、聖書は言い伝えをまとめたもの。ネロの時代にも「噂」くらいにはなっていたのではないか。
「背徳者」では登場していないけれど、ネロの叔母、ドミティア・レピダ。彼女は幼少のネロをとても愛し、慈しんで育てていた。その彼女がキリスト教徒だったら?
影響されないまでも、教えが頭の片隅にあってもおかしくはありません。
パウロを十字刑にかけたのも、彼をイエスと同じ救済者と見ていたからではないか。
大火のあと、キリスト教徒たちを虐殺したのにもネロなりの信仰心が働いたのかもしれない。
グノーシス主義をベースにして、間違った解釈をしてしまったのだとすれば「滅び」に向かうべく動いてしまったのではないか。
神が啓示した「666の獣」たる自分こそが、世界を救う英雄になる。
実際の教義から離れ、歪んだ信仰を妄信していたからこその狂気――狂信。
愚かではあっても崇高なる精神の「ルキウス」ではできなかったことも、聡明でありながらも自分に甘く弱い人間らしいネロならやってしまうかもしれない。
そんなコンセプトで、実はすでに長編を書き上げています。
タイトルは「狂信者」。
いやそのまんまやないかい、本気でセンスないな自分――我ながらネーミングセンスのなさが恨めしい。
でもこの「狂信者」ですが、「背徳者」よりも高い評価を頂きました。ありがたや。
とはいえ、「背徳者」の初稿を書いてすぐの頃(おそろしいことに20年くらい前)に書き上げた作品です。私が視点固定信者になる前で、いわゆる神の視点で書いていたせいでまぁ、視点がころころ変わる。
今だったらこんな書き方しないなぁという感じの作品なので、そのままWEBで上げることができません。
いずれ機会がありましたら、アップするかも。そのときがきましたら、おつきあい頂ければ幸いです。