第8話 ネロ ④
文字数 1,789文字
ネロは成人済み、けれどブリタニクスは未成年。
クラウディウス帝の死は、あまりにもタイミングがよすぎでした。毒殺説が出てくるのは、必然です。
当時、ローマは飽食の限りを尽くしていました。
お腹いっぱいまで食べては羽根で喉をくすぐって吐き、また食事をする――そのような習慣があったそうです。
その羽根に毒を塗られていたのではないか、との説があります。
また他説においては、毒殺も多かった時代、クラウディウス帝も警戒をしていたそうです。そこでアグリッピナは大皿料理の中から、自らつまんで食べて見せたと。
無事なのを見届けたクラウディウス帝は安心して、キノコを食したそうですが、そのキノコに毒が盛られてありました。キノコを好物としていたクラウディウスのこと、まず真っ先にそれを食べるだろうと計算して――
もしかしたら、二段構えかもしれませんね。食事をして気分が悪くなれば毒を疑う、ならば吐こうとすることを見越して羽根に毒を塗る。
まぁ、いずれにせよ怖いお話です。
その後、ネロは第5代皇帝として名乗りを上げます。おそらくは、アグリッピナの企み通りに。
――わぁ、ようやくネロのお話になりました!
生まれたときの名前は、ルキウス・ドミティウス・アヘノバルブス。
ちなみに一番最初に読んだ本には、誤植だったのか「ルニウス」となっていました。なのでどうしてもイメージが抜けず、拙著「背徳者」の初稿では「ルニウス」の名前で書いておりました。
が、やっぱりローマ的にもルキウスの方が自然だよなぁと。今ではちゃんと、自分の中でもルキウスで定着しております。
アグリッピナが兄カリグラによって追放されたとき、ルキウスはローマに残りました。父方の叔母、ドミティア・レピダの元で幼少期を過ごしたようです。
もしかしたら、この時代が一番彼にとっては幸せだったのかもしれません。
系譜でいえばアウグストゥスにつながる、高貴な血筋。けれどドミティア・レピダは教育に熱心でなかったのか、それとも幼児を幼児として慈しんでいたのかは不明ですが、割と自由に過ごしていたようです。
この頃、歌や楽器などの芸術にも出会ったとみられます。「歌手になりたい」という幼子を褒めて育てる優しい女性の姿を想像します。
が、アグリッピナのローマへの帰還。やはり子供は母の元へ戻されます。
学者として有名なセネカが、傅育官としてルキウスの教育係となりました。
セネカはストア学派です。禁欲的を意味する英語、「ストイック」の元となっていますので、思想としては想像ができるかと思います。(ゼノンの唱えた哲学とは、ちょっと解釈違う気がしないでもないですが)
ちょっと横道にそれますが、ローマではストア派の学者が幅をきかせていたようです。カエサルのときに名前を出したキケロもですし、セネカはローマを代表するストア派の学者と言われています。ネロの時代から100年ほどのちの皇帝、マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝(どんな皇帝だったかはともかく、名前の語呂の良さで覚えていらっしゃる方も多いのでは)も、その思想の持ち主だったと伝えられています。
その割りにはローマ、贅の限りを尽くした感じですよねぇ。
休題終わり。
16歳で皇帝となったネロに、民衆は期待しました。
ネロの容姿については、記述があれこれとあって、よくわからないというのが正直なところです。
アポロンなるネロ、と言われるほど、痩身の美少年だった。
身長は低く、肌が汚く太っていたので体臭もきつかった。
……や、正反対の記述やん。
歌に関しても、聴くに堪えない酷いものだった、という話もあれば、絶賛されるほどではないがそこそこうまかった、ただし高音はちょっと苦手だった、みたいなものもあり。
ただし、弁論術に関してはおそらく見事だったと思われます。
現代のようにマイクもない時代、集まった民衆に届く声を出す――とても大変なことだと思います。
エピソードの端々に、ネロの演説に元老院、軍、そして大衆、皆が拍手喝采を送った記述が見られます。
皇帝への忖度もあったかもしれません。けれど芸術と自由の民、ギリシア人ですら惜しみなく拍手を送ったところをみれば、ある程度の実力はあったのではないかと考えました。
それらをふまえて、「背徳者」の主人公、ネロ(ルキウス)の設定を作っていきました。