第14話 オクタヴィア ④
文字数 1,604文字
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いやいやいやムリでしょよこれムリじゃんっ!
どうやったってオクタヴィアとルキウス、仲が良好になるわけないじゃん!!
がーーーーっ! と頭を抱えたのは言うまでもありません。
いやでも待てよ、これをなんとかうまくまとめあげてこそ腕の見せどころでしょよ、と思い直しました。
史料にある通り、オクタヴィアは清楚な美少女として設定しました。
弟を可愛がってくれる親戚のお兄ちゃんであるルキウスに、ほのかな恋心を抱いているけれど、立場上、自分が道具としか思われていないことを認識しています。それはブリタニクスには優しく接しているけれど、オクタヴィアにはつれない態度を取ることが証明していました。
が、ルキウスにとってはそれこそが彼女への優しさでした。オクタヴィアが自分に寄せてくれる恋心に気づくほどに、冷たくすることしかできません。
――――で? そこからどうする?
さすがにオクタヴィアだって、弟殺されれば恋心を抱き続けるとか無理じゃないかしら。
なにより、どの場面でルキウスが女だって知る? 知ったら恋心ではなくなるよね? だったらずっと知らなかったことにする?
あぁあでもフィレーナとリラみたいな関係になってほしいぃいい。
そこでふと、考えました。
オクタヴィアの側から考えれば、ブリタニクスの死はルキウスのせいに他なりません。
けれどルキウスから見たら? 可愛がっていた義弟が自分のせいで殺されたら――その姉までも、自分が即位するためにいろんなことを犠牲にしているのを知っていれば。
ルキウスが「正義の人」であれば、心苦しく思うに決まっています。
だとしても「加害者」たる自分が苦しんでいいはずがない。
――おぉ、いいんじゃない?
苦しい、けれど苦しむ資格すらない。そうやって自分を責めるルキウスを見た優しいオクタヴィアはきっと、彼女を許すはず。
博愛の精神、思いついて、ハッとしました。
その優しさは、オクタヴィアがイエスの教えを信じているからってのはどうだろう?
ネロとキリスト教は、切っても切れない縁にあります。
ローマの大火のあと行われた、多数の処刑はキリスト教徒迫害の最初のものとして有名です。
余談ですが、この「最初の」というのに、私は疑問符を抱いています。あれが最初なら、他ならぬイエスの処刑は迫害ではなかったのかという話になるのですから。
まぁ、「大規模な」とつけば納得ではあるのですが。
同時に、実はネロ、イエスを処刑したローマの総督、ピラトゥスを罪人として裁いています。ある意味、イエスの敵討ちをした、ともとれるのです。
余談終わり。
有名な「クオ・ヴァディス」において、そして史実としても、ネロはパウロを処刑しています。
それだけではありません。「666」が悪魔の数字と言われているのは有名な話ですが、この元ネタは「ヨハネの黙示録」にあります。
そしてこの「666」、ネロを差しているという説もあるのです。
ヘブライ語で「ネロ皇帝」、これを数字に直すと「666」になる、と。
聖書が編纂されたのはずっと後の世になってからなので、ネロ自身がそのような話を知っていた可能性は限りなく低いでしょう。
とはいえ、キリスト教徒たちに対する処刑の仕方は残虐で、憎しみを抱いていたと思う方が自然な気がします。
何故それほどまでに憎んだのか――妻として愛することはできなくても大切に思うオクタヴィアに由来するのでは。
史実ではいずれ、オクタヴィアは死を余儀なくされます。その死に関して――もしくは死後の彼女の扱いにおいて、ルキウスの納得できないことをパウロがやったのだとしたら。
「君の信じた神が君を救ってくれないのならば、私が神になって君を救ってあげる」
このフレーズを思いついたとき、ぴたりとパズルのピースがはまりました。
タイトルである「背徳者」を意識しはじめたのは、このときです。