第4話 2021.4.4 自分の本当にやりたいこと

文字数 4,381文字

朝9時に夫がやってきて「もう9時だよ!」と言いながら布団に入ってくる。狭い〜と抵抗したら拗ねて出ていった。
しばらく寝て、10時過ぎにリビングに行く。夫が淹れてあったコーヒーを飲みながらPCを開いたら夫に「note書くの?えらいね!」と言われる。
朝ごはんが食べたいとおねだりすると「え、食べるの?もう自分の分食べちゃったよ〜」と言いながらサンドイッチを準備してくれる。トマトはなしのレタスたっぷりで、マヨネーズにカラシを混ぜて作ってもらう。美味しかった。

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コーヒーが飲み終わってしまい、おかわりをおねだりしたら淹れてもらえなかった。ちぇっちぇ〜と思っていたら「茶飯ちゃんコンビニ行かない?」と誘われたのでコーヒーを買ってもらいに一緒に出かけて行く。暖かいと思って薄着で外に出てしまったのだが、思いのほか風が強くて寒かった。
コンビニで夫は保険料の支払いをして、私は何かスイーツを買ってもらおうか悩んだが欲しいものがなかったのでやめてコーヒーだけ買ってもらう。
帰り道に建設中だったアパートが完成して人が住み始めているのを見つける。きっと大学生とかが新生活を始めてるんだろうねえと話す。

家に帰ったら夫が仕事部屋に行きたいと言い出したので私もベッドの上で洗濯物を畳み、そのまま勢いをつけて家中を掃除する。夫がいつも根城にしているラグもそろそろ痒くなっているのでダニ退治をしないとやばい。キッチンも掃除して焼きそばでも作ろうかな〜と思っていたら夫がリビングに帰ってきた。

一気に動いたので疲れて焼きそば作りをせずに休んでオレンジジュースを飲んでいたら友人から電話がかかってきた。その電話で、これから友人と一緒にやろうとしていることは私がやりたいこととズレているんじゃないかと言われる。今日は本当は友人が家に来て壁打ちをする予定だったのだが、私の体調が悪くてリスケしてもらったのだ。それは構わないが「人は自分の欲しい結果を手に入れるために事象を起こしているから、体調が悪くなることで手に入れている何かが本当に欲しいものなんじゃないか。それは私の資料を作ってくれることとは逆なんじゃないかとふと思った。茶飯ちゃんの本当にやりたいことを一度考え直した方がいいんじゃないかなと。ゆっくりでいいから考えてみてね」という話だった。
確かにそうかもしれない。憂鬱だった。辞めたいと思っていた。でも辞めたくないという思いもあった。辞めちゃいけないという思いもあった。混乱してきた。
何がいいんだろう。何をしたらいいんだろう。何がしたいんだろう。

夫に話してみる。色々言われ、また考える。そうこうしているうちに夫が焼きそばを作ってくれた。ドーン。

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夫に私が本当にしたいことは引きこもることなんだと真剣に話しながら食べていたらあっという間になくなってしまい、キャベツなしのソーセージだけで追加で作ってもらう。味が濃いんじゃない?と言われたがそれがいいのだ。さらにカリカリにしてくれとリクエストする。

食べながら「自分が本当にやりたいことはなんだろう」と考えているうちにお酒が飲みたくなり、夫に美味しいハイボールを作ってもらう。

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ちびちび飲みながらまたキッチンの片付けをする。キャベツをちぎってジップロックに入れていたら夫に「茶飯ちゃんはすごい真面目なんだね。だからわざわざ”引きこもる”とか宣言しないとできないんだね。勝手に堕落できないんだね」と言われた。真面目と言われてとっても恥ずかしかった。図星だった。真面目だからなのだろうか。夫に自分はどうなのか聞いてみたら「僕は勝手に自堕落に生きられるよ」と言われた。そうなんだ。真面目すぎる、それは私にとって非常に恥ずかしいことだ。私は自分が真面目なのがつまらないと思っている。それは単なる私の特徴の一つなのだろうか。真面目でいいのだろうか。

あと”引きこもりたい”がどういうことなのか深掘りしよう。夫は「今もう引きこもってるじゃん!」と言っているが、今まで引きこもっているのに罪悪感があった。これからは肯定してやっていきたい。そして”夫以外の人と会いたくないのか、仲のいい友人ならいいのか、他に何か条件があるのか”や、夫から聞かれた「家から一歩も出ず、散歩も行きたくないのか」なんかの細かいことを考えてみよう。ノートに手書きで書いてみたがまだピンとこない。もっとつらつら書いてみよう。

夫が「ゴールデンカムイ」を頭から流し続けて、深夜までぶっ通しで見る。かなり昔に途中まで見ていたので懐かしい。「北海道に行きたいなぁ〜」と言い出したので、熊とかリスとかは食べないよ!と怯える私。海鮮を食べたいね、と話す。夫は新鮮じゃないイクラやエビを食べると痒くなってしまうので、多分北海道なら大丈夫だろう。

遅い時間になってしまったので慌ててあつ森のイースターイベントをやる。思ったより大変で準備を全くしていなかったのでめちゃくちゃ時間がかかった。

寒いので夫に野菜スープを作ってもらい、焼酎お湯割りも作ってもらう。夫が貰ってきた焼酎なのだが夫は嫌いみたいで減らないので私がたまにお湯割りにしている。芋の匂いがすごい。ちびちび飲みながら今日のnoteを書く。

夫はテレビの前で横になってゴールデンカムイを見ていたがいつの間にかいびきをかき始めている。私は続きが気になって寝れず最後まで見る。結局続きが気になる感じで終わってしまった。

ゴミをまとめて簡単にシンクを掃除して夫に「明日このゴミ捨ててね。ここ置いとくね」と言ってキスしておやすみする。

ベッドに戻り「愛するということ」という本の要約を読む。
私にとっての引きこもることは、家から出ないということではなく夫と過ごすことだった。友人やその他の人に時間やリソースを割くのが嫌だ。毎日夫と過ごしたいし、自分と夫のためのことがしたい。これは依存なのだろうかと悩んだ。愛とはなんなんだろう。

「依存」とは、他人や組織、モノに愛情や支持、保護、援助を求め、それがなくては生きていけない状態であり、行為や思考のコントロール障害といわれています。 自分ではやめられなくなり、精神医学の立場から病気と認められているものを「依存症」といいます。
わからなくなりすぎて検索した。依存とはちょっと違う気がする。「愛するということ」では愛は能動的に相手を自分の持てる力で配慮し責任を持ち尊重することだという。依存は攻撃的で受動的な感じだ。私の夫への愛は能動的だと思う。そして更に愛されるための自己犠牲的な行動でもない。

これが私の本当にやりたいことなんて言っていいんだろうか。人としてダメだろうか。もっといい感じのことを「本当にやりたいこと」にした方がいいんじゃないか。

少し視座を上げると「愛する人をひたすら愛してその世界の中で過ごしたい」という感じになるのかもしれないが、かなり仲のよく言いたいことを遠慮なく言え、許しあえ受け止めあえる今回の友人に対しても嫌な気持ちになってしまうのでここに入ってくる存在は今は夫だけだ。友人の講座はきっと悩んでる人を救うだろうし、それを私も関わってより良いものを作る手伝いがしたいと思わないことはない。わくわくしないことはない。でも、そんな感じなのだ。

私はすでに「嫌いな人」というのを自分の世界から無くしている。親なんかは割合を小さくしたら「嫌い」から「たまによくわからないことを言ってくる人」になった。だから今私の世界に存在している人は「普通以上」の人だけだ。日和見菌的な感じで。ただ接触回数が極端に低いので意識に上がってくることがない。

今回の旅行で考えると、出かける前はストレスでお腹が痛くなったり謎の黒いうんちがでたりしたが、行くと全くストレスなく楽しかった。自分勝手に振る舞えたし、我慢もしなかった。今回宿泊費を全額出してもらう代わりに子供相手役というのがあったのだがそれはお金をもらわなくてもやりたいことだったし、むしろ宿泊費を出してもらったりしたおかげで遠慮なく子供の世話ができてめちゃくちゃよかった。休みたくなったら休み、帰りたくなったら帰った。夫と離れてるのにちょっとそわそわしたが、それは夫が出かけている時もそわそわして「I miss You...♡」というスタンプを送っているくらいなので一緒だ。

今回の友人の講座で考えると、会うと楽しい。予定がなくなるといいなと思ってる。そもそもこの友人に限らず全ての予定が私にはストレス。毎日何もないのがノーストレス。「忘れたらどうしよう」「失敗したらどうしよう」というストレスがある。だから美容院もネイルサロンも直前に予約することが多い。「今行きたい」という欲求と、「ストレスの時間を減らしたい」という欲求からだ。
私はタスク管理するのが好きで、逆に「何をするかよくわからない」「何をしたらいいのかよくわからない」という状況は苦手だ。掃除なんかは見て綺麗になったのがわかるし、ゲームなら達成条件がある。料理はレシピを手順通りに作る。
友人がくると夫が私に「何時から何時までいるの?何するの?その目的はなんなの?」と色々聞いてきて、私はわかることを答えるだけなのだが友人は時間にルーズで大体遅れてくるし何するかや目的を先に言わない。私はそれがわからなくてもまあいいやーと思うのだが夫に言われて責められているように感じるということは本当は聞きたいのだろうか。でも聞くのはめんどくさいし、聞いて本当に満足できる気もしない。自分にわからないことは全部投げ捨てたいと思ってしまうのかもしれない。ただ友人がルーズでやる気に左右され全然予定通りじゃないのはストレスだ。私は相手に干渉するのが苦手で、自分の範囲のことを超えたわからないことが嫌いだ。友人の講座なら友人の意思を反映させるべきだし、私は鏡でありたいと思う。もちろん自分の講座なら逆にしたいと思うからだ。以前もそんな感じのことがあり途中でやめたことがあった。私も飽きっぽいのに他人と足並みを合わせるなんて無理だ。やっぱりやめよう。

そしてやりたいことはやっぱり「愛する人を上限なく愛して生きたい」なので、今のところここに入っている自分と夫を愛してひたすら可愛がって生きていきたい。何するにも罪悪感なくやらせてあげたいし、何か欲しいものがあるならあげたい。安心できる幸せな世界で生きてほしい。その人が望む形で生を楽しんでほしい。
きっと少しづつ世界は広がっていくんだろうなと思う。私が愛する人は増えていき、愛が愛を増産させていくだろう。
でも、今はまだ狭い世界だ。ここから始めよう。そして愛に対してもっと能動的になることを自分に許可しよう。人を愛することはこの上なく幸せなことだ。自分がないなんて責めることはしなくていい。
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