親父の話

文字数 1,306文字

「お前も、死んだんだな。」
 生前は怖かった父親の顔は穏やかになっていた。
「おれ、どうして死んだかわからないんだ。」
 三人で川原に腰を下ろした。父親はゆっくりとうなずいた。
「お前の死について、わしらが知っていることは無い。先に死んじまったからな。だが、あの日の事故のことは覚えている限り話してやろう。」
 そういって、父親は遠くを見つめながら武志に語り始めた。
「わしは、川に落ちた車の中で目が覚めた。将史と気まずいことがあって、わしと母さんは三列目の後部座席にいた。車のドアは閉まっていたが、助手席の窓が少し開いていてそこから水が流れ込んできていた。」
「兄さんが割ったんじゃないのか?」
 武志は父親に尋ねた。
「いや、割れていたのではない。開いていたのだ。わしと母さんはシートベルトを外そうとしたが、気ばかり焦って冷たい水の中では手が思うように動かなかった。
『おやじ、水が溜まればドアが開けられる。それまで動くなよ。』
 将史の叫び声じゃった。」
 川に落ちた車は、中と外の圧力差でドアが開かないものだ。室内に水を入れて外との圧力がつりあえば開けることができると、以前、テレビの震災特集で見たことがある。
「冬場の川だ。あまりの冷たさで胸を締め付けるよう痛みに、息をすることもままならん。最後部の座席じゃ。ドアには手が届かなかった。手が震えシートベルトを外せずにいたわしらのほうへ、車の天井付近に残った空気を吸いながら、将史が来ようとしておった。」
 父親は言葉に詰まった。あふれる涙をこらえているようにも見えた。やがて気を取り直して続けた。
「武志、お前は運転席で気を失っておるようじゃった。」
 武志は、父親の話に違和感を感じた。パーキングの切り替えやサイドブレーキの件はどうなる?武志は父親に疑問をぶつけた。
「最近の車はいちいちシフトチェンジはせんよ。停車するにはサイドブレーキを踏むだけいいんじゃ。じゃが、あの日、将史はわしらを殺すつもりだったのかもしれん。ギャンブルを止めなければ跡継ぎを、武志、お前にすると告げていたからな。」
 将史は川に落ちても耐えられるような格好をしていたのだろう。後から、流れのある真冬の夜の川に入り直すのは、素人には無理だ。
「将史が後ろのスライドドアを開けようとしたが無理だった。水圧で押し戻されていたようだ。あいつも根っから悪いやつじゃない。自らが死の恐怖を感じたことで殺意が失せたのだろう。
『わしらのことはいい。武志を連れて逃げろ。』
 寒さに震えながらも、わしはやっとの思いで伝えた。
『おやじ、おふくろ、すまん。』
 親子じゃ。余計なことは語らずとも解る。あの状況じゃ。将史が連れていけるのは一人が限界じゃったろう。わしも母さんを置いて逃げることはできん。将史は運転席のドアを足で押し開け、気絶したままのお前を抱えて外へ出て行ったよ。わしらは、あれば不幸な事後だと信じとる。親バカと言われるかもしれんがな。」
 父親は言い終わると母親のほうをチラッと見た。
「はい。」
 母親が同じ想いかはわからないが、その暖かな微笑みに偽りは感じられなかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

武志

自分が死んだ理由を霊になって調べる

事務計算会社営業の係長補佐

主な仕事は電話番

運転は苦手でほとんどしない

酒は飲めない

将史

武志の兄

両親の死後、家業の買取屋を継ぐ

出張買取が多く、運転は得意

鈴木係長

武志の上司

気が弱く、酒好きで、おっちょこちょいのお調子者

議員の息子

親の秘書。議員を守るためなら死をもいとわない


看護師

武志を担当していた

気が弱い

保険会社の課長

取引先の武志をとても気に入って、担当に指名

武志の勤める会社社長の中学での先輩

スリの男

公園に住み着いている

武志と将史の父

一代で財を築いた

還暦

豪華客船の旅が夢

武志と将史の母

武志の友人

病院の掃除のおばちゃん

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み