第1話

文字数 4,400文字

 ボーダーレス3 甦る鼓動  

 デュクランはリビングのソファでナッツをつまみ、ビールを飲みながらホームシアターを観賞する。
 聖地エルサレムが無数のドローンに攻撃されている映像だ。
 聖地エルサレム―― 城壁に囲まれたユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地。そのエルサレムの上空を黒いドローンが埋め尽くし、銀色のドローンが飛び交い、互いに連携し歴史的建造物に突っ込んでいく。イスラエル軍が地上と空中から迎え撃ち、命中したドローンの残骸が火を噴きながら落下し、地上を焦がす。
 聖地の空は赤く染まり、至る所から黒煙が立ち昇る。
 聖地を見渡す『神殿の丘』は黒煙に覆われ、神殿の丘の一部である『嘆きの壁』は黒く焦げていた。この後、旅客機がキリスト教の聖地『聖墳墓教会』に突っ込むのだが――。
 デュクランはこの後の展開を知っていた。じかに見たし、映像でも繰り返し見ている。何度見ても飽きない。
「傑作だよなあ。あんだけ準備してこのざまかよ。何度見ても笑えるぜ。なあ、サイード」
 デュクランはナッツをわしづかみ、ここにはいないエルサレム襲撃事件の首謀者を揶揄する。ナッツを噛み砕き、気持ちよくビールをあおる。
 テーブルに置いた携帯が鳴った。
 デュクランはピタリと動きを止め、息を潜め、携帯の着信に耳を澄ます。
 今鳴っている携帯はプリペイド式、番号はごく限られた一部の人間しか知らない。デュクランのもう一つの顔を知る人間しか――。
 デュクランは映像を一時停止し、ナッツの粉がついた手をティッシュで拭い、携帯に表示された名前を確認してから通話ボタンを押した。
 すすり泣きがする。
 ガキのように鼻をすすり、しゃくりあげている。
 デュクランはふざけているのかと思い、声を険しくした。
「気安くかけてくるな。切るぞ」
 通話の相手ハサドはすすり泣き、絞り出すように言った。
「……どうして……。どうして、俺の弟は、死んだんだ。……あの旅客機には弟が、ジャミルが乗っていたんだ。それなのに……」
「……なにを言っているんだ」
 ハサドは泣いて声を荒げる。
「俺の弟が、旅客機に乗っていた。それをイスラエルが撃ったんだ。奴らがジャミルを殺した。ジャミルを返せ、返してくれっ」
 デュクランは激しく舌打ちした。話が呑み込めた。
 今観ているエルサレム襲撃の件だ。無人機が聖地を攻撃し、仕上げにハイジャックした旅客機が聖墳墓教会に突っ込む予定だった。旅客機をハイジャックしたメンバーの中にハサドの弟がいて、その旅客機をイスラエル軍が撃墜したと、言っているのだ。
 デュクランは不機嫌そのもので言い返す。
「エルサレム襲撃はサイードの計画だ。お前の弟が死んだのはサイードのせいだろ、文句なら奴に言え。俺に言うのは筋違いだ」
 ハサドは嗚咽し、しゃくりあげる。
「……サイードの居場所が、分からない。携帯も、つながらない……」
 デュクランは舌打ちした。
「俺だって知らねえよ。あいつは全ての通信機器を遮断して逃げたからな。いいか、俺は旅客機にお前の弟が乗っているなんて知らなかったし、撃てと命令したのは他の奴だ、俺じゃねえ。俺は間近でその光景を見ていただけだ。お前の弟は撃墜されなくても教会に突っ込んでいたんだろ。どっちにしろ死ぬんだ、いいじゃねぇか」
 受話器の向こうでハサドが大きくしゃくりあげる。
 デュクランは忌々しく思った。
「そんなに辛いならお前が止めればよかったじゃねぇか。行った弟も、行かせたお前も悪い」
 ハサドは溜まりかねたように叫んだ。
「止めたんだ、俺は。ジャミルに、『サイードはお前を駒にしか思っていない。騙されている、止めてくれ』って言ったんだ。なのに、あいつは、ジャミルは、『それでもいい』って」
「納得して行ったならいいじゃねえか。言っとくがな、俺は俺の計画を実行するためにここにいるんだ。サイードの計画をどうこうするためじゃねえ。互いの計画には極力関与しない決まりだ。背けば同業者からも出資者からもそっぽを向かれる。お前だって分かっているから弟を拘束してでも止めなかったんだろ」
 エルサレム襲撃はサイードの計画だ。デュクランにはデュクランの計画がある。
 期限は三か月以内、目標はイスラエル国内ならどこでも。名乗りを上げたグループの中から評価が高い作戦が選ばれる。
 作戦の実効性、規模、影響度などから選ばれたグループが、決められた条件の中で己の作戦を披露しあう。要するに、言い方は好きではないが、『テロリストによるテロ発表会』だ。
 今回はサイードとデュクランの作戦が採用された。
 作戦の出来不出来によって出資者がどれくらいつくか、出資額も変わってくる。同業者間での立ち位置も変わってくる。一目置かれる存在になるか、一笑に付されるか。
 サイードは三年以上かけて今回のエルサレム襲撃事件を計画したと聞く。手間も時間も、かけた費用も他のグループに比べ突出していたため、出資者たちの期待も大きかった。
 作戦の実行は後になるほど難しくなるため、作戦への期待値と成功した時の影響度が高いと思われるサイードの計画が真っ先に行われた。
 ハサドの弟ジャミルは先に行われたサイードの計画に加わり、ハサドはデュクランの計画のために働いてもらった。
 血縁同士で行動する者もいるが、主義主張、攻撃対象、組織の規模と戦闘力などを考慮し、自ら別の組織に加わる者もいる。
 ハサドは神がかり的と言えるほど特異な能力を持つが、性格に難があった。弟がハサドと手を組まなかった要因の一つだろう。デュクランも計画遂行のために仕方なくハサドの手を借りた口だ。
 ――……天才となんとかは紙一重っていうしな。
 ハサドの弟ジャミルはこれといった技能はなかったが、旅客機による自爆攻撃という大役を与えられたということは、サイードからそれなりに信用されていたのだろう。
 実際、『サイードが計画の準備を始めた三年以上前から弟はサイードに従っていた』と、ハサドは言っていた。血縁者のハサドが引き止めたくらいでは考えを変えないだろう。
 サイードのエルサレム襲撃計画は終わってしまえば、膨大な手間暇と莫大な費用をかけた割には聖地の被害はたいしたことがなく、エルサレム襲撃後の紛争と暴動の方がよほど大きい。サイードの作戦自体は失敗だったと言える。
 デュクランはそれが痛快だった。今度は自分の番、おもいっきりド派手にぶちかまそうと意気込んでいた。
 エルサレム襲撃の映像を何度も観賞し、失敗した原因を分析し、己の計画をより完璧に仕上げる。そして世界中に名を轟かせ、多額の資金を手に入れるつもりだった。
 それが、言いがかりにしか思えない電話。
 ハサドは受話器の向こうでしゃくりあげ、さめざめと泣く。
 ――……気分、ぶち壊しだ。
 酒を飲んで怒ったからか胸元に汗をかく。痒みも加わり、デュクランはぼりぼりと胸元を掻き、肩を掻いた。
 ハサドは途切れ途切れに、サイードへの恨みを口にする。
「……俺は、許さない。……サイードを、絶対に、許さない」
 デュクランは相手をするのが煩わしくなった。
 とはいえ、ハサドにはだいぶ力を貸してもらった。ハサドの能力がなければこの計画自体が成り立たなかった。だからといってハサドは法外な報酬を要求することも、細かい条件を付けることもしなかった。デュクランにとってハサドは有能なうえ無欲、使い勝手のいい駒だった。
 デュクランはリモコンで映像を切り替え、ある場面を映し出す。
 地下室でサイードと金髪女が対峙している映像だ。この後、面白い展開になる。
 サイードと金髪女のキスシーンだ。
 エルサレム襲撃映像と同様、地下室でのやり取りは『会の参加者』のほとんどが見られる状態だった。サイードは地下室に取り付けたカメラを通し、同業者や出資者とともにエルサレム襲撃現場を観賞していた。だが、サイードは突然席を立ち、姿を消したかと思うと、金髪の女を連れて戻ってきた。
 金髪女はアメリカ軍に所属していた元軍人でサイードとは昔馴染みらしく、サイードの性質をよく知っていた。
 この金髪女が『空からの有人飛行機による自爆攻撃』をアメリカ軍に進言したせいでハサドの弟がハイジャックした旅客機はイスラエル軍によって撃墜された。
 同業者と出資者が受けた衝撃と落胆は大きかった。
 サイードも少なからずダメージを受けたはずなのだが、何をとち狂ったか、サイードは元凶の金髪女の両脚と肩を撃ち抜いた後、濃厚なキスシーンを披露したのだ。
 その一部始終が地下室のカメラとマイクを通し、こちらに筒抜けになっていた。
 要するに、関係者が居並ぶ観覧席の最前列に舞台監督が女を連れ込み、口説いたうえ無理やりキスをした、ということだ。その女が舞台をめちゃくちゃにした元凶にもかかわらず。
 サイードはカメラとマイクを設置した張本人だ、見られていることは知っていたはず。
 サイードは根っからのマイペースか、相当な変わり者だと、デュクランは呆れ返った。
 後日、サイードの失敗に憤る同業者や出資者からデュクランに電話があり、サイードに対する怒りと不満を散々吐き出した。その後決まって、『君の計画には大いに期待している』と激励の言葉を贈った。
 サイードは姿を消すと同時、全ての通信手段を遮断していた。連絡がつかないサイードの代わりに罵倒され、愚痴を聞かされ、デュクランは辟易していたが、期待されているとなると、が然やる気は出る。
 デュクランはサイードの計画が失敗した原因を分析しようと、というより、鼻持ちならないサイードが観衆の面前で愛を告白し、嫌がる女に熱く迫る光景が物珍しく、何度も観賞していた。今映っている映像がまさしくそれだ。
 デュクランは凶悪に笑った。
「ハサド、お前にいいものをやる。サイードが惚れている女だ。その女を思う存分痛めつけて、大事なものを失う辛さを奴にも味わわせてやれ」
 沈黙の後、ハサドは噛みしめるように、ぽつりと言った。
「……サイードが、……惚れている……おんな……。……痛めつける……」
「おうよ。ウェイン・ボルダーとかいう元軍人だ。この女がサイードの計画をアメリカ軍にばらしたせいで旅客機が爆破されたんだ。サイードがさっさとこの女を殺しておけば失敗はなかった。分かるか、サイードは計画の成功より、己の欲望を優先したんだ。三年以上仕えてくれたお前の弟より、突然現れた金髪女をな」
 電話の向こうで激しい嗚咽が聞こえる。
 デュクランは笑いを噛み殺し、言い含める。
「その金髪女をお前にやる。皮を剥ぐもよし、目を抉るもよし、新しい作品にするもよし。思う存分痛めつけてやれ」
「……サイードの、……女、……痛めつける……。……サイードの、女……」
 電話の向こうでぶつぶつと繰り返す。
 デュクランは煩わしくなり、
「もう切るぞ」と通話を切った。

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