第21話

文字数 3,060文字


 ※

「何の用かしら。『来ないで下さい』とお断りしたはずですけれど」
 イーシンは腕を組み、カーニヒの前に立ちはだかる。マルクはむすっとし、しかし怒鳴ることはせず、部屋の片隅で静かにしている。
 カーニヒから面会の電話を、今朝! 受けたが、イーシンは断っていた。
 ――断られても来るなんて、図々しすぎる。
 カーニヒはよほど事後処理に手間取っているのか、ただでさえ白い顔が青ざめ、目の下にくまができている。イーシンはそれが小気味よかった。
 カーニヒは怯む様子なく、
「ウェイン・ボルダーに会いたいという者がいまして、連れてきました」と通路の窓際へ下がる。
 おずおずと姿を現したのは、エディだった。
「まあっ」
 イーシンは甲高い声を上げた。両手を大きく広げ歓待する。
「こんな遠くまで来てくれたの。ありがとう、大変だったでしょう。ウェインは中よ、さあ入って」
 イーシンは通路に立つカーニヒを睨みつけ、バタンと扉を閉めた。
 エディはイーシンに促され、ウェインに近づく。
 ウェインは体を起こし、目を細めた。
「ウェイン、さん。ぼくは、エドウィンと言います。エドウィン・コフィ。助けてくれたのに、怪我をさせて、ごめんなさい。お礼を言えなくて、ごめんなさい。名前も言わなかった」
 エディはぼろぼろと大粒の涙をこぼす。
 ウェインは穏やかな表情で安心したように微笑む。
「ずっと、気がかりだった。エドウィン。エディ、会いに来てくれてありがとう。イーシンから聞いている。シエナがさらわれたことを教えてくれたんだってね。シエナに私は助けてもらった。君のおかげで私はこうして生きている。ありがとう」
 エディは大粒の涙を流しながら首を横に振った。ウェインが動く左手を伸ばす。
「もっと、こっちに来てくれないか。君の顔をよく見たい」
 エディはウェインに抱きつき、ぼろぼろと涙をこぼす。
 ウェインは左手でエディの髪を優しく撫でる。
「よかったな、くそ坊主」
 マルクが近くに来て、エディに声をかける。
 エディは涙いっぱいの目でマルクを睨み、ぷいっとそっぽを向いた。

「少し、お話してもよろしいですか」
 いつの間にかカーニヒが病室に入ってきていた。
 イーシンはカーニヒの前に腕を組み、立ちはだかる。
「あれだけの仕打ちをしておきながら、よく平然と顔を出せましたわね。私(わたくし)、全部知っていますのよ。カーニヒ大佐がイスラエル軍とグルになってシエナさんとウェインをさらわせたこと。どう、申し開きするつもりですの」
 イーシンはわざとらしく困った表情を作り、頬に手を当てる。
 カーニヒは無表情で返す。
「それについては今から話をさせていただきます」
 イーシンはふんと鼻で笑った。
「少しお見かけしないうちに、ずいぶんと図太くなられましたわね。誠実と真面目だけが取り柄かと思いましたのに、今は欠片も見当たりませんわ」
 嫌味と皮肉をこってり混ぜ込んでもカーニヒは表情を変えない。
 カーニヒはイーシンの脇をすり抜け、ウェインに近づく。
「ちょっとっ」
 カーニヒは淡々と説明を始める。
「エディは彼自身の希望で今いるホームで暮らすことになりました。九月から学校に通う予定です。養子縁組の話は待ってほしいと。マザー・アンディの傍にいたいそうです。シエナについては、体内に埋め込んだチップは医官を派遣し適切に取り除きます。シエナはエルサレム襲撃に関する情報はほとんど持っておらず、テロ計画への協力も皆無でした。また、ミズ.ウェイン・ボルダーの救出に多大なる貢献を果たしました。その功績に報い、遠からず解放されるでしょう」
「解放っ。じゃあ、シエナさんは晴れて自由の身になるってこと」
 イーシンは驚嘆する。
 カーニヒは眉根を寄せ、イーシンに冷ややかな視線を送る。高い声で騒がないでください、耳が痛くなります、と言いたげに。
「無条件で解放、は難しいです。近日、アメリカ国内にある社会復帰に向けた専門の施設に六ヶ月間通ってもらいます。その後一年間、月に一度警察署を訪問してもらい、何事もなければ一市民として自由に暮らせます」
「ちょっと待って。アメリカ国内にある施設って、じゃあ、シエナさんも一緒にアメリカへ帰れるってこと」
「……シエナはアメリカ軍の輸送機でアメリカへ入国します。ともに帰りたいのであれば、喜んでアメリカの軍用機でお送りしましょう」
 ――……ああっ、もうっ、言い方が癇に障る。
 イーシンは内心キイッとなった。
「シエナさんは知っているの」
「これから伝えるつもりですが、……もう、知っているかもしれません」
 カーニヒは病室の外、通路の窓の向こうへ目を向け、意味深なもの言いをする。
「……以上です。出国までこの病院で療養するというなら費用は私が負担します。どこか大きな病院が希望なら転院の手配をしますので仰って下さい。アメリカ本国に帰れば、完治するまで最善の医療を保証します。連絡先はここに書いてあります」
「アース本社がジェット機を手配してくれるから私たちはそれで帰るわ」
「……ご自由に。もし、気が変われば仰って下さい。速やかに帰国できるよう手配します」
 カーニヒは沈黙する。数歩前に進み、黙ってウェインを見つめる。
 長い間があった。
「私は、軍人として国家の安全を第一に考える。その次は、国家に忠誠を尽くす兵士に。一般市民一人の命より国防が優先される。イスラエルとアメリカ、両国の国益と安全を考えるとイスラエル軍の提案を受け入れざるを得なかった。
 しかし、アメリカとイスラエルのために命をかけてくれた者を窮地に陥れ、重傷を負わせた罪はどれほど償おうと消えはしない。それを承知で、深く、謝罪します。……ミズ.ウェイン・ボルダー、誠に申し訳なかった」
 カーニヒが片膝をつき、深く頭を垂れる。
 ウェインは驚いた表情で動かず、イーシンはポカンとした。マルクも静かだったから驚いていたに違いない。
 カーニヒは跪き、頭を垂れた姿勢で続ける。
「ミズ.ウェイン・ボルダー、貴方の名誉は私が全身全霊をかけて守ります。そのうえで、私は全ての事後処理を終えた後、軍を退きます。許されようとは思いません。私は一生涯をかけ、この罪を背負っていくつもりです。……ミズ.ウェイン・ボルダー、一日も早い回復をお祈りします」
 しばし謝罪の姿勢を取り、すっと立ち上がる。再び一礼し、部屋を出て行った。
 その間、誰も口を開かなかった。

「ウェイン・ボルダーを救出した報酬として、アメリカへ渡る手続きが完了するまでの間、監視を付ける条件で、行動の自由を認める。刑務所に戻ろうと、ここに留まろうと構わない。手首に埋め込んだ送信機は後日、医官が取り外す」
 カーニヒは帰る間際、そう言い残して帰って行ったと、シエナは戸惑いながらイーシン達に告げた。
 イーシンは当然喜んだ。
「シエナさんの手続きが終わるまで是非、一緒に居ましょう。それから乗り心地最高のアースのジェット機で一緒にアメリカに帰ればいいわ」
 ウェインも深く頷く。
「迷惑でなければここに居てほしい」
 シエナは戸惑いがちにイーシンを見上げ、ウェインを見つめ、マルクに視線を向ける。
 マルクはぶっきらぼうに、「おう」と短く答えた。
 シエナは顔を輝かせ、涙ぐむ。
「……あり、がとう、ございます」
 イーシンはシエナが後ろ手に隠すように持った大きな花束を指さし、何気なく聞いた。
「その花束はカーニヒがくれたの」
 シエナは顔を真っ赤にし、
「……これは、その、通りすがりの、方が……」
 と言葉を濁した。
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