第9話

文字数 11,130文字


 ※

 カーニヒは基地内にある執務室で書類に目を通していた。
 二日前、イーシンとマルクが滞在するホテルの見張りから、「護衛二人がホテルの一室で拘束されています。護衛対象者二名は見当たりません」と連絡を受けた。
 護衛二人に怪我はないらしく、カーニヒは、「任務は終了した。全員、帰ってくるように」と命じた。
「任務を終了してよろしいのですか」と確認を取る見張りに、「構わない。警告を無視して出て行ったんだ。何があろうと彼らの責任だ」と言い置き、携帯を切った。
 アーロンに付けた見張りからは、「アーロン・スタイナーがリー・イーシン、マルク・サンチェスと合流し、ホテルに入りました」と報告を受け、そのまま監視するよう指示した。
 ――……あとは、いつ動くかだ。
 リー・イーシンとアーロン・スタイナー。二人が組めば、そう時間はかからないだろうが……。
 あの子どもにシエナの居場所を教え、「〇日九時から九時半なら刑務所に入れる」と誘導した。上手くいかなければ内情を知っているアーロンに動いてもらうことも考えたが、その方法だとアーロンの立ち位置が悪くなり、ウェイン捜索どころではなくなる。
 エドウィン。エディか。怯えきって、会話もままならなかった。どうなることかと思っていたが、期待以上の働きをしてくれた。
 ――……なにか、褒美を与えないとな……。
 カーニヒはエドウィンの顔写真と報告書をクリップで留め、引き出しにしまった。
 机に置いた携帯が鳴る。イスラエル軍中将リュディック・タイラー、現役制服組のトップ、参謀総長だった。
「はい、アメリカ空軍大佐アイゼン・カーニヒです」
 カーニヒが名乗るなり、リュディックは上機嫌で話し始める。
「カーニヒ大佐のご尽力により、無事、サイードの妻とウェイン・ボルダーの引き渡しを終えた。心から感謝する」
 皮肉にしか聞こえず、カーニヒは素っ気なく答える。
「……こちらから協力を申し出ました。お気になさらず。それより、敵に関する新たな情報は手に入りましたか」
 リュディックは機嫌よく答える。
「そう、慌てる必要はないだろう。まだ五日しか経っていない。情報が入ればその都度報告する」
 ――まだ五日だと。もう、五日だ。
 余裕のある口ぶりにカーニヒは苛立ちを覚える。もちろん、表には出さない。
「用件は以上ですか」
「まさか。大佐に確認したくて電話をした」
 リュディックの明るい声に棘が混じる。
「ライナスが、エドウィンという少年の担当医をしていたという報告が入ってね。なんでもその少年はサイードが治めていたイラク村の生き残りで、カーニヒ大佐、君が直々に『少年を診てほしい』とライナスに依頼したそうじゃないか」
「……はい、ライナスの精神科医としての腕を見込み、私が依頼しました」
「否定しないのだな。では、ウェイン・ボルダーがさらわれた後、大佐がボルダーの仲間を少年がいる施設へ連れて行ったことはどう説明する」
 ――……私を見張っているのか。
 カーニヒは内心ヒヤリとした。
「……それは、少年がウェイン・ボルダーと仲間二人に命を助けられたことがあり、会いたがったからです。ボルダーが誘拐された後でしたので、ボルダーの仲間に会わせました。しかし、少年は対人恐怖症の傾向があり、ほとんど会話をしておりません」
「ほう。その説明で納得しろと。……ずいぶん、ユニークな考えをするな、君は」
 カーニヒは喉にナイフを突きつけられた気がした。
「大佐、ライナスは新たなテロ計画を突き止めるために、中将である私が引き込んだ。それ以外の目的に使われては困る。ましてやライナスはサイードとの繋がりが疑われるテロリストだ。サイードの村の生き残りを担当させるとは正気の沙汰とは思えん。そのうえ生き残りをボルダーの仲間に会わせるとは、背信行為に等しい。司令部会で我々に協力すると宣言した君の言葉は偽りだったのか」
「……私は、誓いを違えるつもりはありません。少年は村を襲撃され、家族を失い、精神に深刻なダメージを受けていました。周囲の人間は少年にどう接していいか困り果てていました。サイードの妻シエナもまた心を固く閉ざしていましたが、ライナスとの面会で目に見えて精神が安定しました。
 ライナスならばエドウィンも快方に向かうのではないかと期待し、エドウィンの担当医をライナスにお願いしました。また、少年が心を開くきっかけになるかと思い、ボルダーの仲間に会わせました。……ですが、今思えば浅はかでした。謝罪します」
 リュディックは厳しい口調を崩さない。
「……大佐は潔癖な人間だと思っていた。テロリストの力を借りるしたたかな一面があるとは驚きだ。……よもや、アメリカ空軍中将になり損ねた腹いせではあるまいな」
 カーニヒは、『エルサレム襲撃事件を最小限に防げれば、アメリカ空軍中将に昇格する』儀になっていた。しかし、結果は失敗とも成功ともいえず、『中将昇格』の話は宙に浮いた形だ。
 リュディックは、カーニヒが中将になれなかった腹いせに不用意な行動をしたのではないかと、疑っているのだ。
「……そのようなことは誓ってありません」
 重い沈黙が流れる。
 リュディックの声が低く響く。
「……今後、アメリカ軍とイスラエル軍の信頼関係に亀裂が入るような真似は一切、お断りする。カーニヒ大佐、君の役目は終わった。後はこちらに任せてくれればいい。いずれ明るい情報が舞い込むだろう。それまで机の前で昼寝でもしていてくれたまえ」
「……承知、しました……」
 ブツッ、通話が切れる。
 カーニヒは暗くなった画面に視線を落とし、
「中将は、『アメリカ軍の意向とは関係なく、私が独断で協力する』と言ったのをお忘れのようだ」
 らしくもなく、負け惜しみを口にする。
 イスラエル軍参謀総長(中将)リュディック・タイラー。国の安全保障政策を決定する三柱の一人だ。  ※三柱:首相、国防相、参謀総長。
 到底、カーニヒが反論できる相手ではない。それに、イスラエル国内の問題にアメリカ軍が口を挟む余地はない。中将の言い分はもっともだ。
 しかし、先の司令部会の決定があまりにも理不尽だったため、カーニヒ自ら協力を申し入れた。
 即ち、『アメリカ軍とは関係なく、カーニヒ自身の独断で、アメリカ空軍大佐としての権力を行使し、イスラエル軍に協力する』と。
 数週間前、『サイードの妻シエナとウェイン・ボルダーを囮にし敵を誘き出す』作戦が司令部会で決まった。
 十数人の将官たちが、エルサレム襲撃事件と地下室に残されていた映像を目にした。
 将官たちは一切言葉を発さず、表情を変えることなく、ただ黙々とスクリーンに映し出される映像に目を向ける。
 地下の一室で起きたサイードとウェインの一部始終。
 ウェイン・ボルダーは、十二年前に自殺したアメリカ陸軍兵士ジュディス・カーターの親友で、サイードは自殺したジュディス・カーターの兄に当たる。
 ウェインとサイードは昔馴染で、サイードはウェインに恋愛感情を抱いていた。ウェインに銃を突き付けられてもなおサイードは笑みを浮かべ、ウェインへの想いを吐露する。ウェインはサイードを撃ち損じ、銃を奪われた。
 サイードは奪った銃でウェインの両脚と肩を撃ち抜き、ウェインに口づけをし、立ち去った。殺さなかったのだ。
 映像を目にした将官たちはウェインへの疑いを強くした。
「ウェイン・ボルダーがテロリストの一味だと判明した。すぐさま捕らえ、尋問を行おう」
 と口々に言い出した。
「このままアメリカに帰せば、エルサレム襲撃事件の被害を最小限に食い止めた英雄として讃えられる。テロリストに花を贈るようなものだ。断じて認められない」
 と語気を強めた。
 エルサレム襲撃事件の直後は、ウェイン・ボルダーとその仲間二名を、イスラエル首相が表彰しようという提案が上がっていたが、国内外で衝突や暴動が発生し、ガザとの武力衝突もあり、それどころではなくなった。
 サイードは姿を消し、消息は全くつかめない。なんとしてでもサイードを捕らえ処罰し混乱の鎮静化を図ろうと、イスラエル軍もアメリカ軍も躍起になっていた。
 『地下室に残されていた映像の分析と検証』という名目でサイードとウェイン・ボルダーのやり取りを目にしたイスラエル軍の将官たちは、ウェイン・ボルダーはサイード側の人間だ、と確信したようで、ウェインの身柄確保を声高に叫んだ。
「ウェイン・ボルダーはもちろんですが、仲間が二人、中国系アメリカ人の元アメリカ軍兵士とスペイン人の傭兵がいたはず。確か、リー・イーシンとマルク・サンチェスという名の。その二人はどうされますか」
「その仲間二人もウェイン・ボルダーと行動を共にしている。有罪に決まっている。捕らえて拷問にかけよう」
 将官たちが口々に賛同を示し、参謀総長代行トラヴィス・ハインツが将官たちの意見を取りまとめる。
「ウェイン・ボルダー他二名を捕らえ、テロリストの妻シエナ同様監禁し、尋問する」
 ハインツは自宅療養中の中将リュディック・タイラーの代わりに参謀総長を務め、司令部会のまとめ役を担っていた。
 将官たちは参謀総長代行の決定におおいに賛同した。
「お待ちください」
 カーニヒは異議を申し立てた。司令部会のメンバーであり、アメリカ空軍大佐としてエルサレム襲撃事件に関わった。
「アメリカ空軍カーニヒ大佐か。君はエルサレム襲撃計画をまっ先に突き止め、被害を最小限に防いだ。ウェイン・ボルダー他二名とも直接話をしたことがある。意見を聞こう」
「発言する機会をいただき有り難うございます。この映像ではサイードが一方的にウェイン・ボルダーに語っているだけで、彼女自身の言動にサイードの協力者であるという決定的な証拠は見当たりません。
 ウェイン・ボルダーはエルサレム襲撃計画に関してアメリカ軍に的確な助言をし、被害を最小限に防いだ英雄と評価されています。彼女を監禁すればアメリカ軍内部ばかりかアメリカ国内からも反発する者が現れるのではないかと、私は危惧します」
「……カーニヒ大佐、君は潔癖なほどの正義感を持ち、アメリカ軍に忠誠を誓っている。また我々同様ウェイン・ボルダーとサイードの繋がりを疑ってもいた。彼女を無実だと信じる根拠は何か、述べたまえ」
 カーニヒは表情を変えず、淡々と述べる。
「……根拠は、ありません。私の目が正しければ、ウェイン・ボルダーはおよそテロリストに与する人間ではありません。彼女は無実と思われます」
「根拠なく無実、と……」
「はい、根拠はありません。ウェイン・ボルダーと接した私の勘です」
「勘、ねぇ」
 ハインツは苦笑し、テーブルを指でコンコンと叩く。
「私から一つ提案を。イスラエル軍中将リュディック・タイラーです」
 今日初めて発言する参謀総長を、周りの将官たちは驚きをもって注目する。
 それも当然だった。
 中将リュディックはエルサレムを防衛する総指揮を担っていた。襲撃事件の被害を最少限に防いだとはいえ、度々指揮の不備を指摘されていた。襲撃事件後の国内の混乱も重なり、体調不良による療養という名目で『自宅待機』に置かれていた。
 処分を解かれたという話は聞いていない。ハインツの険しい表情と将官たちの驚きぶりから、司令部会の出席はリュディックの独断だろう。
 齢五十間近の中将リュディックにくたびれた様子はない。白髪交じりの金髪をきっちりと整え、青い目をわずかに細め、口元に笑いじわを作る。
 ハインツはむすっとして発言を促す。
「……中将、どうぞ」
 リュディックはカーニヒを名指しし指摘する。
「カーニヒ大佐、この映像は地下室に取り付けられたモニターに残っていたもの、だそうですね」
「はい」
 カーニヒは睫毛一本動かさずに答える。
 しらじらしい。地下室に残っていた映像はイスラエル軍が押収したもので、いち早くリュディックは報告を受け目にしている。
 実際、この地下室の映像はリュディックから渡されたものだ、――「アメリカの英雄はテロリストと繋がっているようだよ」と笑みを浮かべて。
 国際的にどれほど批判されようと、エルサレムはイスラエルが実効支配している。
 自国の領土は自国の軍が守る。
 その暗黙のルールのもと、イスラエル軍参謀総長リュディック・タイラーは聖地エルサレムの防衛において全権を握り、総指揮を執っていた。
 エルサレム襲撃事件を防ぐにあたり、四つの地区を守る兵士の配置に明らかな偏りがあった。イスラム教地区の守りが悪意を感じられるほどに薄かったのだ。
 ウェインも指摘していた。
 カーニヒもリュディックに進言したが、
「イスラム教地区に我々イスラエル軍が入れば、それだけで衝突が起きる」
 と取り合わなかった。
 更に、躊躇なく撃墜した旅客機の乗客は大半がアラブ人だった。聖地は一部が破壊され、兵士だけでなく民間人にも犠牲者が出た。死傷者の大半がイスラム教徒やアラブ人だった。
 リュディックはイスラム教徒やアラブ人の生命を下に見ている節がある。
 本人に自覚があるかどうかは分からないが、エルサレム防衛の方法がまずかったと糾弾されている原因の一つであることは間違いない。
 歴史的建造物の損壊とイスラム教徒とアラブ人に多数の死傷者を出したことは、イスラエルとアラブ諸国の対立を激化させ、ガザとの武力衝突まで引き起こした。
 更に腹立たしいことに、エルサレム襲撃の映像が世界中に出回ったことでイスラエル軍だけでなくアメリカ軍の信頼も失墜した。サイードが使用したドローンは全てアメリカ製で、機体には星条旗かイスラエル国旗が刻まれていたからだ。
 アメリカに忠誠を誓うカーニヒにとってアメリカ軍を貶める結果は到底受け入れがたい。
 リュディックは己が招いた結果に微塵も反省した様子はなく、そればかりか、
「我々イスラエル軍とアメリカ軍の団結により、歴史上類を見ないテロ事件を最小限に防ぐことができた」と吹聴する始末だ。
 結果を『成功』と見なす者は少ない。
 しかし、「失敗」と認めてしまえば、宗教界から怒りを買うばかりでなく、世界から糾弾され、莫大な補償を求められる。将官クラスの降格処分も必須だ。
 その場合、真っ先に対象になるのは総指揮を執っていたリュディックだ。……にもかかわらず、混乱ぶりを楽しんでいるようにしか、カーニヒには見えなかった。
 リュディックはハインツに話を向ける。
「ハインツ代行、私は『兵士が地下室を捜索する直前までモニターは外部の端末に繋がっていた痕跡がある』と聞いています。つまり、テロリスト側もこの映像を見ていた可能性があります。この映像を観たテロリスト達は、計画を失敗に終わらせたサイードだけでなく、ウェイン・ボルダーにも報復しようと考えるのではないでしょうか。
 現に今、『サイードに裏切られたテロリスト達が新たなテロ計画を企てている』という情報を私は掴んでいます。ウェイン・ボルダーを監禁し尋問するより、敵を炙り出す囮として利用してはいかがでしょうか」
 将官たちがどよめく。ハインツは瞠目し、リュディックを注視する。
「中将、新たなテロ計画があるという情報は今初めて聞いた。他の者も寝耳に水であろう。テロ計画が事実ならすぐさま報告するべきではなかったかね。それを己の心の内に留めおいた、情報を隠匿していたと疑われても仕方がない」
 リュディックは落ち着いた口調で弁明する。
「新たなテロ計画があるらしいというだけで、敵が何名いるかも、どこにいるかも分かっておりません。もちろん、計画の内容も、実行日時も、攻撃対象も不明です。ただ、サイードがエルサレム襲撃に失敗し、市中が落ち着かない今、サイードの残党が新たな計画を練り実行する可能性は大いにあります。ですから、ウェイン・ボルダーを囮に敵をおびき寄せ、テロ計画の真相を探るのです」
「なるほど」と何度も頷く者もいれば、提案自体に困惑する者、「小細工せず、ウェイン・ボルダーを監禁し尋問すればいい」と息巻く者……、反応はまちまちだ。
「囮として利用するのはいいが、果たしてそれほど上手くいくものか」
 ハインツも疑義を呈する。リュディックは笑みを絶やさぬ表情に自信をのぞかせる。
「こちらにはサイードの想い人ウェイン・ボルダーとサイードの妻シエナがいます。彼女たちの居場所を暴露し、わざと守りを薄くし、敵に襲わせるのです」
 議場がどよめく。
 カーニヒはリュディックを凝視する。
 ウェイン・ボルダーとシエナの居場所は極秘中の極秘だ。それを暴露し、敵に襲わせるとは。
 リュディックは周りの反応を楽しむようにとうとうと語る。
「彼女たちの命が危険にさらされようとこちらに損失はありません。既に聞き出せるだけの情報は手に入れ、彼女たちに利用価値はない。テロ計画に直接関与したという証拠がない以上、処刑もできない。共犯者かもしれないウェイン・ボルダーは終生、アメリカで英雄として厚遇を受け、テロリストの妻シエナは寿命が尽きるまで、アメリカ国民の税金で養われる。お荷物に変わりないなら囮として活用する方が、よほど有意義ではないかと思われます」
 場がシンとなる。
 カーニヒは息を呑み、リュディックを凝視する。アメリカを陥れんとする発言に、怒りで我を見失いそうだった。
 ハインツは半眼を閉じ、低く唸る。
「……敵をおびき寄せる自信はあるのか」
「あります」
 リュディックは明快に答える。
「一人、敵グループの関係者を確保しています。その人物は精神科医です。その者にウェイン・ボルダーの滞在先を漏らし、間もなくアメリカへ帰国すると伝え、揺さぶりをかけるのです。もしくは、サイードの妻シエナを担当させ、シエナを基地外へ連れ出すよう仕向けるのです」
 将官たちは動揺を隠さない。馬鹿げた話にカーニヒは憤る。
「失敗したらどうする。囮も無事ではすむまい」
 リュディックは声高に主張する。
「彼女たちがどうなろうとこちらに痛手はありません。処分できない厄介者が片付くだけです。それに、その精神科医も犯罪者。我々への協力と引き換えに安全と身分を保障しますが、例え失敗しても犯罪者が一人死ぬだけで我々に損失はありません。彼女たちのうち、どちらか一人でも囮として成功すれば、敵を追跡し居場所を突き止め、敵の動向と目的を知ることができます」
 ハインツはしばし組んだ手に視線を落とし、黙考する。やがて小さく頷き、組んだ手を解いた。
「分かった。では中将、君の思う通りにやってみたまえ。しかし、可能な限り状況を逐一報告すること。それでいいかな」
「はい、もちろんです」
 ハインツは深く頷く。
「私は中将に全面的に任せようと思う。皆はどうかな」
 将官たちが賛同の意思を表そうと一人、また一人と手を上げる。
「お待ちください」
 声を上げたのはカーニヒだった。
「カーニヒ大佐は、反対かね」
「……先の司令部会の決定で、私はウェイン・ボルダーとその仲間二名をイラクからイスラエルに連れて来ました。テロリストの疑いもありましたが、サイードの計画を阻止するためには手段を選んではいられなかった。司令部会では『働きいかんによって不問にする』と決めていました。
 そして、ウェイン・ボルダーたちはサイードの計画阻止に多大な貢献をし、その功績をたたえ英雄としてアメリカへ帰国する予定です。アメリカ軍もアメリカ政府もそのつもりで準備をしております。
 その彼女達を帰すではなく囮に使うとは、アメリカ空軍大佐の私が、ひいてはアメリカ国家が嘘をついたことになります。私は我が軍や祖国アメリカの名に傷がつくことには容認できません」
 アメリカが敵に回るのは想定していなかったとでもいうようだ、カーニヒに鋭い視線が集まる。
 カーニヒは一度言葉を切り、続ける。
「ですが、この映像を見てウェイン・ボルダーへの疑いを強くするのも仕方ありません。貴国が自国の安全と利益のため、サイードの元関係者を利用したいと思うのも理解できます。エルサレム襲撃を完全に防げず、国内外に混乱を招いている今、新たなテロ計画を未然に防がなければイスラエルだけでなく、共同作戦を行ったアメリカも大打撃を受ける。両国の信用は失墜し、軍幹部の総辞職もありうる」
 向けられた視線に殺気が宿る。ここにいる者全員、薄々感じているが敢えて口にしなかった憂いを言い当てたからだろう。
 カーニヒは続ける。
「ですから、この場でなされた議論は私の胸の内に留めておきます。アメリカ軍は何も知らない、それゆえ反対も賛成もしません。また、これから何が起ころうとイスラエル国内での出来事にアメリカ軍は介入しません。アメリカは貴国の自治独立を尊重します。貴国の平和と安全は貴国で守っていただきたい」
 将官たちに驚きと失意の色が浮かぶ。
 ハインツは厳しい眼差しをカーニヒに向ける。
「では、我々がどう動こうとアメリカ軍は干渉しないということだな。協力もしないと」
 カーニヒは淡々と続ける。
「はい。アメリカは敵の新たなテロ計画を防ぐために協力も干渉もしません。ただ、私が独断で、アメリカ空軍大佐の権限を行使し、敵を炙り出す作戦に協力します。私の独断で協力をするわけですから、たとえ作戦が失敗してもそれは私一人の責任であり、私の罪です。もちろん、私が死のうとアメリカ軍が介入することはありません。協力で得た情報をアメリカ軍に流すこともありません。私が単独で動きます」
 場がざわつき、ハインツは目をぎらつかせる。
「カーニヒ大佐、それはアメリカ軍と祖国アメリカに背いてでも我々に協力すると言っていると捉えてよいか。もし罪が暴かれればその咎は大佐一人がかぶると」
 カーニヒははっきりと返事をした、「はい」と。
「私はアメリカ軍とアメリカ政府に背き、空軍大佐としての権力を行使し、貴方がたに協力します。……アメリカ軍内部でもウェイン・ボルダー他二名への疑いを持つ者は大勢います。ウェイン・ボルダーを英雄としてアメリカへ帰国させることに異議を唱える者も少なくありません。聖地エルサレムを襲撃され、国内ばかりか世界各地で衝突が起きている今、イスラエルに向けられる世界の目は非常に厳しい。この映像を見た後ではなおさら、サイードに関わる者を国外へ出すことは容認しがたいでしょう」
「その通りだ。このまま無条件でアメリカに帰すことはできん」
 ハインツは語気を荒げ、拳を机にたたきつける。
「カーニヒ大佐はエルサレム襲撃の情報をいち早くつかみ、被害を最小限に防いだ功績がある。サイードのことも、ウェイン・ボルダー他二名のことも我々よりよく知っている。サイードの妻シエナも君の監視下だ。敵をおびき寄せる作戦には君の協力が必要だ」
「一つ、お願いがあります」
 カーニヒは声を大にする。
「今回の敵を炙り出す作戦が終われば、結果いかんにかかわらず、その時こそウェイン・ボルダー他二名を解放して下さい。私にはウェイン・ボルダー、リー・イーシン、マルク・サンチェスを無事アメリカへ帰国させる責務があります」
「もちろんだ。約束しよう」
 ハインツは力強く頷き、リュディックに話を向ける。
「中将、カーニヒ大佐を加えてはもらえないだろうか。彼の協力なくしてはこの作戦は成り立たない。私からも是非お願いしたい」
 リュディックは意味深な笑みを浮かべる。
「カーニヒ大佐はウェイン・ボルダーの潔白を主張しておられる。そのウェイン・ボルダーを囮に使おうとしているのですよ、私は。本心から協力できますか」
 カーニヒは言った。
「ウェイン・ボルダー一個人の命より、私は軍の利益を優先します。敵を掃討することは軍の被害を抑える。それが兵士、ひいては軍の安全に繋がるからです。我が軍と協力関係にあるイスラエル軍の安全と利益も、私は同じくらい大切に思っています。エルサレム襲撃事件はイスラエル軍が総指揮を執っていたとはいえ、我が軍もサイードの計画を完全に防ぐことができなかった。我が隊の兵士も傷を負っている。私に雪辱を果たす機会をいただきたい」
「なるほど」
 リュディックは立ち上がり、カーニヒに握手を求める。
「カーニヒ大佐、協力はしていただきますが、あなたの身に害が及ぶことはありません。この作戦は必ず成功します、ご安心ください」
 腑に落ちないほど自信に満ちている。愚将なのか、それとも成功を確信するほどの何かがあるのか。
 カーニヒはリュディックの青い目をじっと見つめ、握手に応じる。
「よろしく、お願いいたします」
 将官たちは一人、また一人と賛同の拍手をし、新たなテロ計画を阻止する作戦はリュディックとカーニヒに委ねられた。

 カーニヒは深いため息をついた。
 決断に悔いはない。
 ウェインはただの一般人ではない。アメリカ陸軍の元軍人であり、民間軍事会社の元民兵だ。壊滅した村からエドウィンとシエナを救い出し、エルサレムのイスラム教地区ではドローンの攻撃から市民を逃がしてもいる。経験、実績、戦闘技術、どれをとっても現役の兵士と遜色がない。
 そのウェインが至近距離でサイードを殺し損ねた。
 あれは決定的だった。
 イスラエルに地下の映像を見せられ、『新たなテロ計画を阻止するため』と詰め寄られれば、大佐である自分一人が反対しても、アメリカ本国の国防総省がウェインを引き渡す。
 だが、国民からすれば、『アメリカの英雄を売った』ようにしか見えないだろう。
 汚れ役は一人でいい。
 そう思い、イスラエルの思惑に加担した。
 後悔はしていないし、罪も罰も自分一人で背負う覚悟だ。
 しかし、ウェインの安否を思うと、鳩尾の辺りがじくじくと痛んだ。

 暗がりに沈み、息を潜める。
 首筋にかかる髪がかさかさと音を立てて頬を削り、顎を研ぎ、細かな皮屑がはらはらと落ちる。傷口から浸み出した液がべたつき、髪が張りつく。
 重い頭を上げ、凝り固まった首をぎぎぎと伸ばし、泥を飲むように息を吸う。ごくりと喉を動かす度に激痛がこめかみを突き抜ける。ゼイゼイと鳴る胸をへこませ、喉をひくつかせ、細い息を漏らす。余韻に、唇が震えた。
 汗は出ず、肌はぼろぼろで、唾液も出ず、口内はカラカラだ。
 喉は割れ、舌の根はつり、干からびた舌は白くなり下顎に糊のようにはりつく。唇はひび割れ固くなり、頬の内側は弾力を失い、血管なのか、無数の細かな皺が縦横に這う。
 乾いた目の表面が瞼の裏で擦れ、激痛が走る。目の表面が傷ついているのか、砂埃のせいか、視界が白く霞み、眼球が絞られるように痛い。
 突きあげる吐き気に喉に力を入れ、歯を噛みしめ、唇を引き結ぶ。ぬめぬめと、どろどろと全身を苛む痒みと気持ち悪さに背中を反らせ、身を震わせる。
 ……ここはどこか。私はどうなっているのか。立っているのか、座っているのか、横たわっているのか……。首は切断されていないか、腰から下は腐り落ちていないか、手足は捩じ切れていないか……。
 体の感覚はとうに失せ、声は出ず、思考もおぼろだ。
 目を閉じ、浅い呼吸に耳を澄ませ、とろとろとまどろむ。深く眠れば首が絞まり、息苦しさにまた目を覚ます。
 誰もいない、物音一つしない暗がりに、一人、潜む。
 寒い。
 首から下の感覚はないのに、痛みも痺れも渇きもとうに感じなくなっているのに、寒い。
 冬の湖底に沈められるように、凍てつく土の中に埋められるように、酷く凍える。
 ――……ねむく、なってきた……。
 次は目覚めないかもしれない。
 それでもいいかと、微かな息を漏らす。
 抗いきれぬ睡魔に抱かれ、眠りについた。

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