第22話

文字数 8,094文字

 翌日、医官と女性兵士が病院を訪れた。
 医官はひょろりと高く、ぼさぼさの白髪に白い髭を生やし、丸眼鏡をかけた初老の男性だった。ぼんやりしているというか、覇気がないというか、戦場で働く医師というイメージからはかけ離れていた。
 医官は日差しが眩しいのか、瞼が垂れて細くなった目をさらに細め、ぼーっと突っ立っている。風が吹けば飛ばされそうだ。
 女性兵士は、がっちりした体格で、年齢は四十代後半くらい。金髪をひっつめ、頬骨が張り顎が割れたしっかりした顔立ちで、常に眉間に力を入れていた。
 女性兵士は直立の姿勢で自己紹介をする。
「私は、カーニヒ大佐の命令で、今日からシエナさんの護衛を務めます。ジェシカ・ミランです。よろしくお願いします」
 監視者を女性にしたのはカーニヒなりの配慮だろう。
 ジェシカ・ミランが続いて医官を紹介する。
「彼はホーン・ポルトマン医師です。医官として〇十年勤務し、現在は部隊を離れ、軍基地内の医療施設に勤務しています。彼の功績は数え切れず、ドクター・ポルトマンが現役の頃、私は衛生兵として彼の指導を受けました」
 ジェシカは誇らしげに語るが、イーシンにはボケたじいさん(医官)を介護する娘(女性兵士)にしか見えない。
 医官はシエナをちょいちょいと手招きし、椅子に座らせる。シエナにリストバンドを外させ、萎びた手でシエナの手首から腕にかけてさする。局所麻酔をし、ものの数分でシエナの手首に埋め込まれた送信機をピンポイントで取り出した。
 医官は数ミリの傷に絆創膏を張り、「痛かったら飲みなさい」と錠剤を二錠置いて、軍事車両に乗り込み、さっさと帰って行った。
 あまりの手際の良さに、シエナも、イーシンも、病院のスタッフも全員、呆気にとられた。キツネにつままれたような気分だった。
 強面の女性兵士ジェシカ・ミランは意外にも人情味があった。
「もし、なにか体調に異変があれば、ドクター・ポルトマンに指示を仰ぎますので言って下さい。私はシエナさんがアメリカへ入国するまでの間、身辺警護を任されています。それと同時、生活面で不自由がないようサポートする役目を担います」
 流ちょうなアラビア語で言ったかと思うと、シエナの頭のてっぺんから足の先までじっと観察し、厳めしい顔つきになる。
「シエナさんは身なりが見すぼらしい。私は貴方の身の周りを整えるためのお金を預かっています。他にも足りない物がないか、部屋を見せて下さい。リストを作成し、買いに行きましょう」
 無自覚だと思うが、ジェシカは強面でにじり寄り、シエナを威圧する。
「……わ、私は、これで充分です」
 ジェシカは青ざめるシエナの腕を掴み、病室を出て行った。
「なんだ、ありゃ。けったいなのが現れたな」
 マルクは目を丸くし、「俺は飯を食ってくる」と車で出かけた。

 医師エバンはひっきりなしにウェインの病室に顔を出すようになった。
「何か足りない物があったら、遠慮なく言っておくれよ」
 いつも就業時間が終わりに近づくとさっさと帰っていたのに、朝でも夕方でも、ほくほく顔でウェインの病室を覗いては声をかける。
 エバンの態度がなぜ変わったのか、イーシンは看護師にそれとなく聞いた。
 看護師は看護記録を付けながら、すました顔で言った。
「先日、アメリカ軍の将校がウェインさんに謝罪していたのを院長が見ていたんです。『あの患者はアメリカ軍将校を跪かせるほど偉いぞ』と言い出して、隣近所にも言いふらしていました。いつもやぶ医者と馬鹿にされていますから、自慢したくて仕方がなかったんでしょう。翌日来た医官と女性兵士も『ウェインさんの治療をするためにアメリカ軍から派遣されたんだ。それくらい偉い患者をわしが助けたんじゃ』と、それはそれは得意げでした。……目障りでしょうが少しの間我慢して下さい。すぐに飽きますから」
 看護師の乾いた笑いにイーシンは背筋が寒くなった。
 ――……どうりで……。
 イーシンは昨日、エバンに一ヵ月分の治療費と病室代を払おうとした。医師エバンはほくほく顔で断った。
「お代はいただいとる、心配せんでええ」
 聞けば、カーニヒが支払いを済ませ、さらに、「しばらくお世話になります。何かあれば連絡ください」とまとまったお金と連絡先を書いた紙を置いていったそうだ。
 ――……まあ、それぐらい当然よね……。
 一瞬、感謝の気持ちが芽生えたが、ぱぱぱっと打ち消す。
 イーシンは気持ちを切り替え、エバンに頼む。
「転院の手続きをお願いしたいんですが」
 途端、エバンはつぶらな瞳に涙をいっぱい溜め、イーシンにしがみついた。
「なんでじゃ。わしは命の恩人だろ。患者がここまで回復したんはわしのおかげじゃろ。それなのにわしを、この病院を見捨てるんか。知っとるじゃろ。お前さんたちしか患者がおらんのは。出ていかれたら病院が潰れてしまう。わしも甲斐性なしって家を追い出される。わしには、この病院にはお前さんたちが必要なんじゃ。おれるだけおってくれ。どこにも行かんといてくれぇぇーー」
 エバンはイーシンの両腕に取りつき、おんおんと泣く。
 命の恩人って、誰が。わしのおかげって、夕方になったら帰っていましたけど。
 言いたいことは山ほどあったが、いい年をした大人に取りすがられ泣きつかれると何も言えなくなった。イーシンはしぶしぶ、「転院」を取り下げた。
 看護師の指摘通り、四日もするとエバンはまたぐうたらに戻り、度々病院を抜け出すようになった。

 そして穏やかな(?)時間が戻り――。
 今日もシエナはジェシカに連れられ買い物に行っている。
 ジェシカは護衛というより母親の如くシエナの世話を焼き、シエナは振り回され気味だが、どこか嬉しそうだった。
 驚いたことに、二人の買い物にマルクが運転手兼荷物係を買って出た。
 イーシンはぴんと来たが、黙っていることにした。
 今、病室はイーシンとウェイン、二人だけだ。
 ウェインは体を起こし、本を読んでいる。
 病室にテレビはなく、もちろんWiFiもない。暇を潰すものがないのだ。
 イーシンは壁際に立ち、腕を組んで宙を睨み、人差し指と中指で組んだ腕をせわしなく叩く。
 ウェインは頁をめくり、口を開く。
「出かけてきたらどうだ。病院にいてもストレスがたまるだろう」
 イーシンは指を止め、それとなく聞く。
「体調はどう」
「問題ない」
 素っ気ない返事だが、強がっているわけではないだろう。
「……そう。……それなら、いいわね」
 イーシンはつかつかとベッドのそばに立ち、腰に手を当てウェインを見下ろす。整えた眉を引き上げ、まなじりを吊り上げ、睨みをきかす。
 ウェインは本を開いたまま、ぽかんとする。
「なんだ」
「助けてもらっておいて言うのもあれだし、重傷を負っている怪我人に言うのも気が引けるからずっと我慢していたけれど、言わないと分からないだろうし、今言わないとずっと言えなくなると思うから、言うわ」
 イーシンは大きく息を吸い込み、言い放つ。
「もう二度と、金輪際、私を助けないでちょうだい。迷惑なの、頼んでないの。勝手なことをしないで」
 ウェインは目を丸くしイーシンを見上げる。
「なんだ、急に」
 イーシンは顔を上気させ、ずいっと詰め寄る。
「イラクにいた時もそう。頼んでもいないのに単身で紛争地にやってきてサイードに会ったでしょう、私を助けるために。今回だって勝手に助けてさらわれて窮地に陥られたんじゃ、助けられた私の身にもなって。マルクに散々文句を言われたのよ。すっごく落ち込んだのよ、自己嫌悪になったのよ、この私がっ」
 頁を押えていたウェインの手が外れ、開いていた本が閉じる。
 イーシンはつらつらと文句を垂れる。
「なんでライナスの口車に乗ってほいほいついて行ったのか、怪我人の貴方に助けられて一人おめおめと帰ったのか。貴方が無事かも分からず、夜も眠れなかった。見つけた時は死体みたいに冷たいし、目覚めるまでずっと気が気じゃなかった。不眠は美容の大敵なのよ、知っているでしょうそれぐらい」
「あ、ああ」
 ウェインは落ち着きなく視線を揺らし、
「確かに、不眠は美容の大敵だ」と何度も頷く。
「それはどうでもいいのよっ」
 イーシンは本をどけ、サイドテーブルをたたみ、ずいっと迫る。
「あなた、自分のせいで仲間が傷つくの、嫌でしょう。それぐらいなら自分が傷つく方がずっとましって思っているでしょう。自分がされて一番嫌なことを私にしたのよ、わかってる」
 イーシンはキッと睨みを利かす。
 ウェインはふっと表情を曇らせた。
「……すまな、かった……」
 イーシンはまだ怒りがおさまらず、ベッドから離れ、くるりと背を向ける。
 おとなげないと、分かっている。ウェインはそういう性格なのだ。目の前に死にそうな人間がいたら自分のことなどお構いなしに飛んでいく。例えそれが見ず知らずの人間であってもだ。エディの時もそうだったし、シエナを助けた時も後でシエナと気づいたくらいだ。
 今回だって自分でなくても助けただろう。それは分かっている。が、腹が立って仕方がない。あんな、死んでもおかしくない状態で現れたら余計に許せなかった。
「もし、万が一、私が敵にさらわれるようなことがあっても、ただじゃ死なない。絶対相手を道連れにする。私に手を出したことを嫌ってほど後悔させてから華々しく散ってやるわ。だから心配しないで。今回みたいに助けられて死なれたんじゃ、寝覚めが悪くて仕方がない。もし次やったら、天寿を全うした後、地獄の底まで追っかけて行って張り倒すわよ。いいわねっ」
 振り向くと、ウェインがベッドの柵を掴み肩を震わせていた。必死に声を抑えているようだが、吐息に混じり笑い声が漏れる。
「なにがおかしいのよっ」
 イーシンはキィッとなった。
「すまない。想像したら、おかしくて。……イーシンは、無宗教と、言ってなかったか」
「神は信じなくても私は自分を信じているのよ。生きていようが死んでいようが、天国だろうが地獄だろうが、こうと決めたら私はやるわ」
 ウェインは声を上げて笑った。
 イーシンは腹立たしく、たたみかける。
「こっちは真剣に話しているのよ。私は死なない。百歳まで、元気に楽しく生きる。これからは危険なこととは無縁の生活を送るつもり。だからあなたは何もしないで。いいっ」
 イーシンはギロリと睨む。
 ウェインは口元を押さえ何度も頷く。目元がぴくぴくし、目が笑っている。ようやく口元から手を離し、頬にかかる髪を手でかきあげ、応じる。
「わかった」
 不覚にも、イーシンはウェインに見惚れてしまった。
 艶やかな金の髪が白い手から流れ落ち、笑いすぎて潤んだ目が銀色に煌めく。頬がほんのりと色づき、赤みがさした唇が柔らかに笑む。
 そうだ、とイーシンはポケットを探りスマホを取り出す。ロックを解除し、ピピピとカメラモードにし、ウェインに向ける。
「……なにを、している」
「もう一度笑って。貴方が笑っているところ、記念に撮っておかなくちゃ」
 画面に映るウェインが顔に手をかざす。
「止めろ、私だって笑う」
「私は見たことがない」
 イーシンは角度を変え、シャッターチャンスを窺う。
「イーシンがいつも怒らせるからだ」
「いいから、もう一回笑って。さっき、すっごいきれいだった。素敵だった。お花が咲いたみたいだったわ。さっきみたいに、柔らかーく、にっこり」
 画面に映るウェインが眉間に皺を寄せ、唇を固く結ぶ。
「ああん、違う違う。だめだめ、そうじゃなくて。さっきの顔。ほら、笑って。ほら、ほらぁ」
 ウェインは眉間まで赤くし怒鳴った。
「うるさいっ」

 ※

 爆撃された邸宅を飛び出して間もなく――。
 イスラエル軍中将リュディック、否、デュクランは息を切らし荒野を抜ける。
 中将に扮した白髪混じりのウィッグはとうに脱ぎ捨て、髪の生え際から胸元まで被っていたマスクは剥ぎ取った。中将の虹彩を写し取ったコンタクトレンズも、指紋や静脈を模した手袋も全て抜き取り、素顔に戻っていた。
 シミ一つない肌を陽光にさらし、鮮やかな金髪は風になびき、濃い青の目はぎらつく。
 飛び散ったガラスで切った腕は布を巻き応急処置をした。血管が切れているようで、腕に巻いた布は赤く染まりびしょびしょだ。早く治療をしなければ……。
 走る度に、歩く度に、傷が疼き、頭の芯まで響く。
 クソッ、クソッ、クソッ……。
 悪態をつきながら一歩一歩、歩を進める。
 あいつだ。こんなことをするのはあいつしかいねえ。人の計画には手を出さねえ決まりだ。それを破りやがった。ぜってえ、許さねえ。
 頭に血がのぼっているから痛いのか、痛いから頭に血がのぼるのか。
 デュクランは怒りを掻き立てては歯ぎしりをする。
 ――あいつは絶対に、殺すっ。
 ポケットに入れた携帯が鳴る。この携帯は同業者と出資者しか知らない番号だ。番号は非通知だったが構わず通話ボタンを押した。耳に当てた途端、陽気な声が鼓膜に響いた。
「怪我は大丈夫かい。致命傷を負わないよう、念のため着弾点はずらしたんだけどね」
 怒りは沸点に達し、全身の毛が逆立つ。
「やっぱり貴様かっ。やりやがったな、サイードっ」
 明るい笑い声が頭の芯に響く。
「黙って見ていようと思ったんだけれどね、気が変わった」
「同業者には手を出さない決まりだっ」
「嫌がらせをされたから仕返しをしたまでだよ。君はやり過ぎたんだ」
「ふざけやがって。俺の計画までぶち壊しにして、無事ですむと思うな」
「ぶち壊してはいないよ。アメリカ空軍大佐に正体がばれて窮地に陥った君の代わりに、私が君のふりをして発射命令を出したんだ。せっかくだから君の邸宅も加えておいたよ。君の役割を私が肩代わりしてあげたんだ、感謝されてもいいくらいだ」
 陽気な物言いに、項の毛が逆立つ。
「カーニヒは俺が始末できた。知ってて邪魔したな」
「おや、そうだったのかい。銃を持ったカーニヒ大佐に自宅まで押しかけられ、護衛二人は不在。カーテンは閉まって中の様子は分からないし、いつまでたっても出てこない。しまいにはシャッターが閉じて。同業者も出資者も気が気じゃなかったと思うよ。君が敵の手に落ちてしまったんじゃないかってね」
 まことしやかに語るサイードに頭の血管がブチぎれそうだ。こいつは全部知っていて、カーニヒを追いつめていたことも全部知っていて、とぼけているっ。
「そうそう、今、イスラエルの主要機関が爆撃されている様子がテレビに映っているけれど、結構な見物だよ。私のエルサレム襲撃に引けを取らない迫力だ。君も観てみるといい。……ああ、でも……」
 不意に声音が曇る。
「逃走中だったね、君は」
 あははは……。受話器の向こうで陽気な笑い声が上がる。
 デュクランは歯をギリギリ噛みしめ、ガアッと吠えた。
「きっさまーっ、ぜったいに、コロスッ。地獄から這い上がってでもその首かっきってやるからなっ」
 受話器の向こうで一層明るい笑い声がこだまする。
「それは退屈しないですみそうだ。楽しみに待っているよ」
 デュクランは怒りの咆哮をあげた。
「サイード、貴様は地獄へ叩き落とすッ。絶対にッ」
 受話器の向こうで笑いさざめく声を、デュクランはぶつりと断ち切った。

 同じ日の早朝――。
「あんた、あんなところを一人で歩いて。俺が通りかからなかったら倒れていたぞ」
 アムルはバックミラーを覗き、後部座席に乗せた男に話しかける。
 男はぐすん、ぐすんとすすり泣き、泣き止む気配がない。
 助手席に座る女房キャロルが、“なんであんな変な男を乗せたんだい”と目を吊り上げ、ぐいっと顎をしゃくる。
 後部座席ではアムルの可愛い一人娘キャサリンが、男の相手をしてくれている。
 ――……まいったなあ……。
 アムルはハンドルを抱え、運転する。
 男はキャスター付きバッグを引き、泣きながら砂漠を歩いていた。
 一度はそのまま通りすぎたが、日中になると気温四十度に達する八月の砂漠を歩いて渡るなんてむちゃだ。それに男は手に包帯を巻いていた。
 アムルは仕方なく車をバックさせ、男に声をかけた。
「おい、あんたどこへ行くんだ。乗れよ」
 男は立ち止まり、ヒック、ヒック……と泣き続ける。
「あんな変な男、乗せるんじゃないよ」
 助手席で喚くキャロルに「そうは言ってもなあ。手を怪我しているんだぞ」とアムルは車を降り、手を怪我している男から荷物を引き取りトランクに載せ、後部座席のドアを開け男を乗せた。
「おじちゃん、これあげる。おいしいよ」
 ぐすっ、ぐすっと泣く男に、四歳になるキャサリンがおやつのキャンディを分けてあげている。
 いい子に育ったなあ、とアムルはほっこりした。
 男はすすり泣き、キャンディを口に入れる。無言で口の中をもごもごする。
 キャサリンが男の顔を覗き込んで聞く。
「おいしい」
 男はこくりと頷いた。
「それはアップル味。こっちはブドウ。このパインもあげる。だから元気出してね」
 キャサリンは男の手の平にキャンディを二つのせ、可愛く笑う。
 男はこくりと頷いた。
 ――……女房に似ず、なんて優しい子に育ったんだ。
 アムルは感極まり、目頭を押さえた。

 男を一番近くの町に車から降ろした後――。
 キャサリンはウサギのぬいぐるみを膝に置き、内緒話をするように言った。
「大人でもあんなに泣くんだね。びっくりしちゃった」
 アムルは苦笑いした。
「パパも初めて見たよ」
「あんな変な男乗せんじゃないよ。キャシー(キャサリンの愛称)が乗ってんだよ、危ないじゃないか」
 女房のキャロルは怒りを爆発させた。
「ああ、ああ、そういやあ……」
 アムルはキャサリンに話を振る。
「それにしても、どうしてあのおじちゃんはあんなに泣いていたのかなあ。何か聞いたかい、キャシー」
 キャサリンは「うーんとね」と首を傾げた。
「仲の良かったお友達と喧嘩したんだって。お友達がおじちゃんの頭をうったの。でもおじちゃんね、おじちゃんがかぶっていたマスクをお家に来た人にかぶせておじちゃんのふりをしてもらったって言ってた。でも、すごく優しかった友達にそんなことされて、すっごく悲しいんだって」
「……マスク……。ヒーローごっこをしていて喧嘩になったってことかな」
「しらない」
 キャサリンはウサギのぬいぐるみをあやしはじめる。
 アムルはリアクションに困り、隣の女房をちらりと見る。
 生理的に無理、と言わんばかりに、キャロルは白目を剥き、舌を突き出していた。
 キャシーが大きな青い目を輝かせて言った。
「おじちゃんね、お人形を作っているんだって。キャシーが大人になったらお姫様にしてくれるの。だから私、シンデレラみたいなお姫様がいいって言ったの」
「ジーザスッ」
「……人形。はて、アーティストか何かかな。――いっ、てぇー、なにす……、いってー」
 キャロルがアムルの腕をバシバシひっぱたく。
「やっぱり変質者よ。だから乗せるなって言っただろ」
 キャロルが体を反転しキャサリンを叱りつける。
「キャシー、変な大人には近づくんじゃないよっ。パパみたいにだれかれ構わずいい顔してたら怖い目に遭うよ。頭がイカれた奴はゴロゴロいるんだ。あんたは私に似て可愛いんだから気をつけなっ」
「……はーい……」
 キャサリンはぷうっと頬を膨らませ、ピンク色の唇を尖らせる。
 ――……安心しろ、キャシー。きれいな金髪と青い目がママに似ているだけで、性格は全然似ていないぞ。
 アムルは心の中で愛しい娘を慰めた。

 (了)


 〈引用及び参考 文献〉
 『イスラエルを知るための六〇章』(編著)立山 良司(二〇一二)明石書店
 『ぼくの村は壁で囲まれた――パレスチナに生きる子どもたち』高橋 真樹(二〇一七)㈱現代書館
 〈引用及び参考 インターネット〉
 『イスラエル基礎データ』外務省
 〈参考文献〉
 『国ってなんだろう? あなたと考えたい「私と国」の関係』早尾 貴紀(二〇一六)㈱平凡社


 (注)この物語はパレスチナ問題を題材にしたフィクションです。実在の人物や機関、事件とは一切関係ありません。
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